INTERVIEW
  • 能文化が根ざす土地・佐渡島に “通住”しながら、アーティストが滞在できる場を作る

新潟県

佐渡島へ向かう人々

縄文から続く文化が息づく佐渡島へ。自然や歴史を受け入れながら、ともに生きる人々に出会いました。

能文化が根ざす土地・佐渡島に
“通住”しながら、アーティストが滞在できる場を作る

新潟県
泉イネさん
新潟県・佐渡島
居住地: 東京 → 千葉 → 京都 → 神奈川 → 東京
キャプキャプキャプキャプ

今回の佐渡への旅の発端は、アーティストの泉イネさんからの誘いがきっかけだった。「佐渡の話を聞きたい」。友人のキュレーターを通じて、私に泉イネさんからコンタクトがあったのは、一年前くらいだっただろうか。当時の彼女は、佐渡への移住も考えていて、少しでも佐渡のことを知っている人と話をしたかったのだという。私は、前回も書いた通り、佐渡には母の実家があるけれど大人になってからほとんど行っていなかったため、役に立てるかわからないが、という条件付で話を聞くことになった。そうして、彼女が“佐渡の能文化”に強く影響を受けたということを知る。私たちは、年に一度行われる「薪能」の日程に合わせて、旅へ行くことを決めた。

写真:梶井照陰 文:上條桂子

自然、文化、歴史…… 可能性を秘めた佐渡島と、 そこにかかわる人々。
第2回 泉イネさん(美術家)

 

泉イネさんは、東京生まれ。幼い頃は東京近郊で育ち、二年ほど京都に住み、また関東に戻ってくる。海外には一度も行ったことがなく、日本国内も数えるほど。本人曰く「動くタイプの人間ではない」という。佐渡のことを知るきっかけとなったのは、大学の頃に所属していた能クラブ。合宿で佐渡を訪れた経験が、彼女の脳裏に引っかかっていた。

「美大に入る前から、何かを作っていくには日本文化を知りたいとずっと思っていて、専攻は油絵だったのですが、本当に油絵でいいのかという疑問も常に持っていました。予備校の先生に相談をしても、日本画より自由に何でも作れる油画の方が私には合っているだろうと言われて疑問ももちつつ油画科へ。今はそこまで日本人であることを強調したいとは思いませんが、その当時は、自分の拠り所としての“日本人性”みたいなものを探していたのだと思います。それで日本文化を学べるクラブに入ろうと思い、最初は茶道と思ってたんですが、人気が高くて、人がたくさんいるところが苦手だったので能部へ行ったんです。そうしたら卒業間近の先輩が一人しかいなくて、そのまま部長になってしまい。こうなったらやるしかないなと。月に一度、喜多流の先生をお招きして、最初は一対一で教えてもらっていました。今考えると贅沢です。その後、少し部員が増えてきて、勢いで合宿に行くことになったのです」

そして初めての佐渡へ来ることになった。

お能で何故佐渡かというと、いま日本国内にある能舞台の約3分の1が全部佐渡に集中している。それほど能文化が色濃く残っている土地だからだ。古くは、室町時代に能楽を大成した世阿弥が流された(1434年)という人もいるが、当時の世阿弥は71歳、能楽を普及するにはちと年齢がいきすぎている。佐渡全土に渡り能楽が普及したのは、江戸時代。江戸から派遣された金山奉行、大久保長安(ながやす[ちょうあん]、1545-1613)の力が大きい。父が武田信玄のお付きの猿楽師であったことから、能楽衆としてた武田家に仕える。変わり者だが頭脳明晰だった長安は、後にに兄・新之丞とともに年貢の課徴・金掘りを司る蔵前衆に抜擢され武士の道に進み、金山開発にその才能を発揮する。

武田家が滅びた後は、徳川家に仕え、家康の元で検地や徴税などの地方巧者として能力を認められ、佐渡へと渡ることになった。彼は、他にも石見銀山、伊豆金山などの開発に携わり、江戸奉行の財政におおいに寄与することになる。大久保長安が佐渡に渡った時に、シテ方、囃子方、狂言方といった能役者を連れて行ったのだ。そして、佐渡の各地の神社や寺で能を奉納したことから、武士だけではなく農民たちにまで広く能の文化が伝わっていった。明治時代までの最盛期は、島内に200もの能舞台が立てられ活況を呈した。その後、少なくなったとはいえ人口6万人弱の島に現在でも30あまりもの能舞台が残っており、市民たちが能を演じているのだというからその文化は色濃いといって差し支えないだろう。

草刈神社能舞台。毎年6月15日に薪能が行われる。

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佐渡の宿坊に泊まり、簡素なご飯をいただきながら、能の台本である謡本を朗唱する「謡い」や、演目の部分を舞う「仕舞」の稽古をし、能舞台を見に行く。謡いや仕舞を実際に体感することで、泉さんは能の魅力を感じていった。

演目『猩猩』演じているのは、地元の方たち。佐渡では能が生活に密着している。

「何もない処を暗示させたり、何もしないことで何かを表す、そういう能の美学に日本文化の中でも研ぎ澄まされた部分があると思い惹かれました。主張したり発言することで何かを表現するのではない表現方法は、自分の絵や空間づくりをする時の考え方に近いし、そう在りたいなとも思っています。また、能に登場する主人公って亡霊が多くて、敗者を讃えるための怨念を鎮めるために舞う。すごくいい美学だなと思います。佐渡という場所で能が流行ったというのは、敗者の気持ちを受け入れる土壌があったからなんじゃないか、と最近では思っています。流されてきた人もきっと多かっただろうし。そういう能の中にある、悔しさや悲しさみたいなものを眺めたり、昇華させるという観点で能について改めて考え直している最中です」

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今回の旅では、年に一回6月15日に草刈神社で奉納される薪能を見に行った。記録によると草刈神社では1863年から能が舞われているのだという。今年の演目は『猩猩(しょうじょう)』、演じているのはすべて地元の人たちで、猩猩役をしたのは今年高校を卒業したばかりの女の子だった。暗闇の中で薪を燃やし、舞台が浮かび上がり、笛や太鼓の音に虫や鳥の声が入り交じり、森の中へと響き渡っていく。平日でしかも通り雨が降ったというのに、ほとんど地元の人だったのだろうか観客も多かったことに驚いた。

“アート”への違和感や疑問と
向き合いながら、感覚が動くほうへ

そして、泉さんの話に戻る。大学時代に能の魅力にハマりはしたものの、それを作品に反映させたりすることはなく、卒業後は絵画を中心とした美術家としての忙しい毎日を送っていた。しかし、泉さんの中で大学に入る前から抱えていた、えもいわれぬ違和感は徐々に大きくなっていった。

未完本姉妹 灰色い部屋  油彩  2008

「会いたい人と会って作品を作ろう」と思い、当時の生活環境の変わり目も重なって、名を泉イネに改め、2008年から「未完本姉妹」というシリーズに取りかかり始めた。それまで絵を描いて売ることで忙しく、旅にも出ず、ほとんど人と会わなかったことの反動のように。実在する6名の本好きな女性をモデルにした制作で、彼女たちは“本姉妹”という架空の呼びなで呼ばれている。6名は泉が個人的に憧れを持ちかかわりのある様々な職業の女性たちで共通点は本が好きなこと。彼女たちへのインタビューを元に紡がれたテキストや、実際に持っていたモノの断片、そして泉さんの絵や写真が展示の際にインスタレーションされ、虚と実がないまぜになった物語が進んでいく。このシリーズは2013年まで続けられ、その間に本繰り広げられる姉妹たちのプライベートな状況の移り変わり、泉さんとの関係性の変化なども作品に反映されていく。

ダンスセッション 2011 / higure17-15cas   photo : Hideto Nagatsuka

泉さんは、このシリーズを始めてから「アート」そのものに疑問を抱くようになった。

「それまでは、人と接するためにアートを媒介物にしていたんですけど、アートだからって絶対的にこれは素晴らしいものだと言えるんだろうかと考え始めてしまって。人に接したいと思って作品を作っていたのに、でも結局は最終的にアート作品にしなきゃいけないんだっていう意識が働いてしまう。作品は思うように作れなくなるし、せっかくかかわってくれた人との関係性も変わってしまった人もいて。それまで自分がいいと思ってきたアートって本当に素晴らしいんだろうか、という自信がなくなってしまったんですね。未完本姉妹の制作からすこし距離を置いて、ダンサーとの共同制作にシフトしました。それと同時に、2012年に体調を崩してしまって。医者に行ったら、案の定休んでくださいと言われて。自分の前に「休む」という言葉がつきつけられたんです。しばらくは何もできないので、病床で考え続けていました。少し体調がよくなってきた時に、納得できないことはできないけど、これまでとは違う何かを見たくなって、ちょっとでも感覚が動く方に行こうと思って、キュレーターの友人に話をして、上條さんと会ったんです」

泉イネさん(左)と、数年前佐渡に移住し自給自足の生活をしているという男性。

「休む」という言葉が目の前に突きつけられた時、泉さんは考えた。美術家が休むって何なんだろうかということを。泉さんの世代では、美大を卒業後にギャラリーに所属し、日本や海外で個展を行い、作品を売り、美術館で個展をする= 働いている ──それがアーティストとして生きていくためのひとつのロールモデルだった。けれどもそれは海外のモデルを取りいれているだけのことが多く、そのアートシステムの限界を肌で感じつつ、どうやったら無理のない方法で自分のやりたい表現が続けていけるか、まずは休みながら考えたいという。その活動の一環として取り組み始めたのが、「sadogaSHIMA ART MISTLETOE(サドガシマ アート ミスルトゥ)」である。「Mistletoe」というのは宿り木という意味だ。

 

地域おこしのアートではなく、横からぽんと作品をもってくるアートでもなく、審査されて課題やレポートを提出しなければならないアートでもなく、できれば何もしないいまそこに残っているもの / ことをみつけたり、活かしたりを個々のペースでできるようなこと。

いつか、いろんな表現をする人たちが気が向いたときにそこへ行って、ゆっくり時間を過ごせるようになったら。

佐渡島というひとつの島、環境、歴史を知ることで、自分へ還ってくるものを見ることができたら。

そこから、何かその島へ還すことがことができたら。

いいような気がする。

sadogaSHIMA ART MISTLETOEより 泉イネさんによるステートメント

 

佐渡にアーティストが長く滞在できるような場所を作りたい。レジデンスと言ってしまえば格好はつくのだけど、観光のためとか集客のためとかいう前提をすべて取り払って、佐渡に滞在したことが、その後の活動に影響するかもしれない(しないかもしれない)くらいの気構えで、作家をもっと佐渡に呼びたい。私が泉さんに話を聞いた時には、そんなニュアンスだった気がする。

私は編集者という仕事柄、地方のアートフェスティバルにもわりと行く方だし、仕事で地方の芸術祭にかかわったこともある。もちろん素晴らしいアーティストの人たちがかかわっている芸術祭もあるが、自治体がかかわっている以上、なんとなくいくつかの形に収束してしまうなという感もある。別に何が悪いわけでもない。アーティストであれ、運営する側であれ、観客であれ、たくさんの人がかかわればかかわるほど、角の取れたバランスのよい、アートの批評性や鋭さを好む人にとっては物足りないものになる。そりゃそうだ。だけど、いわゆるアート通の人(ってどれくらいの人口がいるんでしょうかね)が好む作品を集めたって、人は見に来ないし、見てもわからないと言われてしまう(作品じゃなくて伝え方の問題が多々あるが)。個人的にもモヤモヤが募っていたこともあり、佐渡っていう場所に思い入れがなくもなかったので、協力することにした。とはいえ、現在の活動としてはタンブラーでそれぞれのリサーチや佐渡のレポートをアップするくらいで、今回の旅が3名(泉イネ、梶井照陰、上條桂子)一同に介する初めての場となった。

佐渡で「宿り木」のような場所を作ることが実現可能なのか、まずは梶井さんに相談をし、泉さんは昨年一度下見に訪れた。梶井さんと一緒に佐渡の各地を巡ることで、自然や歴史、食、人……、さまざまな可能性を強く感じながらも、同時に泉さんの中で「移住」という文字は消えていった。

今回の旅でお世話になった真言宗の宿坊弘仁寺。

梶井照陰さんの写真集『NAMI』(フォイル)より

“移住”ではなく、“流住”しながら
作家の視点や行動を緩くつないでいく

「昨年訪れた時に地域起こし協力隊の方などにも会わせてもらって、空き家の資料も何軒か見たんですが、まずは十分な予算ありきなので、納得いくものには出会えなかった。地元の方と話したら、住むより時々来るほうがいいとアドバイスもあった。自分の体調のこともあるので佐渡に定住するというイメージは、いまのところありません。とはいえ、急がず焦らず可能性を探って行きたいです。佐渡は本当にポテンシャルがある、アーティストの創作意欲を非常にかき立てる島だと思っています。タンブラーでは、私が誘って佐渡を訪れた友人のアーティストやダンサーの人たちにも寄稿してもらっていますが、するとまったく違う視点が見えてくる。アートというもの自体に懐疑的にはなっていますが、作家の視点や行動力、考える力は素晴らしいと思います。そういう人たちが行きやすい、滞在しやすい仕組みと、それを緩く繋げていくことが大事なんじゃないかと。なので、私は移住というよりも“通住”というか“流住”というか。実際に場所を作れるかはわかりませんが、今はウェブサイトで緩く作家同士と佐渡を繋ぐことと、自分の作品に、再び見直そうと思っている能のエッセンスを加えていけたらと思います」

弘仁寺での夕食。右側手前より泉イネさん、ダンサーの神村恵さん、料理家のyoyoさん。左側手前より、坂本大三郎さん、美術家の寺田かおさん、ライター上條、住職の日下敞啓さん。以上が、今回のツアーのメンバーだ。

地方での芸術祭が乱立している中で、一人の美術家泉イネさんが持つ問いはきっと多くの人が感じていることでもあるだろう。「生きる」と「作る」そして「住む」ことへの問いでもある。答えがすぐに出るわけではないので、私もじっくり一緒に考えていきたい。

 

草刈神社薪能
住所:佐渡市羽茂本郷1699
電話:0259-88-2489

弘仁寺(宿坊)
住所:新潟県佐渡市羽茂本郷4448
電話:0259−88−2455
http://kouninji.jp/

能文化が根ざす土地・佐渡島に “通住”しながら、アーティストが滞在できる場を作る
泉イネさん いずみ・いね/美術家・絵描き。東京生まれ。2002年、東京藝術大学美術学部油画卒業。紺泉名義で装飾をモチーフに制作していたが、2008年に泉イネの号に改め、「未完本姉妹」シリーズやダンサー:振付家との「And Zone」など人と出会って変わっていく風景を制作につなげる。8月11日~22日まで「ハギワラプロジェクツと泉イネのお盆休み」(東京都新宿区西新宿3-18-2 サンビューハイツ新宿101、03-6300-5881 HAGIWARA PROJECTS )にて「佐渡島紀行」を紹介する予定。

http://ine-booksisters.blogspot.jp/

 

かみじょう・けいこ/編集者・ライター。雑誌でカルチャー、デザイン、アート、本等の編集、インタビュー、執筆を行う。書籍の編集を手がけることも多く、最近では『お直し とか カルストゥラ』(横尾香央留著/青幻舎)、『庭園美術館へようこそ』(朝吹真理子、ほしよりこ他/河出書房新社)、『ROVAのフランスカルチャーA to Z』(小柳帝著/アスペクト)等。著書に『玩具とデザイン』(青幻舎)がある。母の実家は佐渡島、父の実家は松本。
(更新日:2016.07.27)
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