INTERVIEW
  • 縄文から続く文化をどう伝えていくのか。 写真家・僧侶の梶井照陰さんたちの挑戦

新潟県

佐渡島へ向かう人々

縄文から続く文化が息づく佐渡島へ。自然や歴史を受け入れながら、ともに生きる人々に出会いました。

縄文から続く文化をどう伝えていくのか。
写真家・僧侶の梶井照陰さんたちの挑戦

新潟県
梶井照陰さん 
写真家、僧侶(真言宗)
居住地: 福島→千葉→新潟→高野山→佐渡
写真:梶井照陰

アーティストの泉イネさんらと企画し、山伏の坂本大三郎くんを連れてまわった佐渡ツアーのレポートも今回で最後。初めて読む方のためにしつこく何度も書きますが、母の実家の寺がある佐渡は、小さな頃から夏休みのほぼ一ヶ月間過ごした場所でもあり、非常に楽しい思い出が詰っている場所。大人になってから遠ざかっていた佐渡という土地と、どう向き合ったらよいのだろうか。同じく祖父が佐渡で住職をしていたという梶井照陰さんの話を聞きつつ、ぼんやりと考えてみた。

写真・文:上條桂子(写真一部クレジットがあるものは梶井照陰撮影)

自然、文化、歴史…… 可能性を秘めた佐渡島と、 そこにかかわる人々。
第4回 佐渡の旅はまだまだ続く。

「かんじーざいぼーさつぎょーじんはんにゃーはーらーみーたー……」。祖父がポクポクと木魚を鳴らしながら読み上げる般若心経と一緒に、何を読んでいるのか意味もわからず経典のルビをニヤニヤしながら読む。これが、私の夏休みの朝の日課であった。

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上は冨月寺の入り口。下は境内。(2014年帰省時の写真、以下同)

上は冨月寺の入り口。下は境内。(2014年帰省時の写真、以下同)

母の実家である冨月寺(ふげつじ)は、佐渡の両津という町にある曹洞宗の小さな小さなお寺。毎年夏になると、お盆の手伝いのために佐渡に帰省した。祖父は、自分たちのご先祖様だけでなく檀家さんみんなのご先祖様に祈らねばならないので、夏はとても忙しい。檀家の人たちが訪ねてくる「御霊」という祭事の日には、親戚総動員で食事の準備をし、おもてなしをしていた。その祭事以外の日は、カエルを捕まえたり、オニヤンマにヒモをくくり付けて散歩してみたり、浜辺でスイカ割りをしたり、海に潜ったり、夜の境内で肝試しをしたり……。夏休みの典型のような素晴らしい日々を過ごした。般若心経は祖父から昔話のように聞かされていたので、今でもそらで言うことができる。

しかし、祖父母が他界してからは、とんと足が佐渡から遠のいてしまった。仕事が忙しかったり、他の地域や外国ばかりに目が向いていたという理由ももちろんある。また、現在叔父が冨月寺の跡を継いでいるが、島外在住のため仏事がない時に出入りすることができなくなったのも大きい。そして、叔父の後の継ぎ手がいないため、数年前に同じ宗派の方に家を譲ることが決まっている。だから、祖父母の家だった寺は、ゆくゆくは他の人の手にわたってしまう。そんなこともあって、佐渡はいつの間にか、行きたくても簡単には行けない場所になってしまっていた。

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上の茶室の壁は、祖父のこだわりで佐渡の赤土が使われている。お茶の先生であった祖母からここで茶道を習った。下は玄関に置いてある橇付きの篭?(名称不明) 昔は茅葺きの屋根で囲炉裏があったが、修繕が非常に困難なため普通の屋根に改装してしまっている。

上の茶室の壁は、祖父のこだわりで佐渡の赤土が使われている。お茶の先生であった祖母からここで茶道を習った。下は玄関に置いてある橇付きの篭?(名称不明) 昔は茅葺きの屋根で囲炉裏があったが、修繕が非常に困難なため普通の屋根に改装してしまっている。

第1回目にも書いたが、佐渡に再び興味が湧いてきたのは最近のことだ。その理由のひとつはジャンマルクさんたちのお陰、なのかもしれない。「La Barque de Dionysos (ラ・バルク・ドゥ・ディオニゾス)」の取材で、周りの仕事関係の知人たちが立て続けに佐渡を訪れて、その感想を直接聞いたり、SNSなどで見て、佐渡にそんな洒落た店ができたのかと驚いていた。その後、アーティストの泉イネさんから熱量のこもった佐渡話を聞いて、少しずつ奮い立たせられた。

とはいえ、イネさんのように作品を作ったり、ジャンマルクさんのように農業ができるわけでもない私は、はたと考えてしまった。故郷のために何ができるんだろうかと。

梶井照陰さんのお寺。佐渡の北端、鷲崎という地域にある。天気がいいと海の向こうに、山形県の鳥海山が見えるという。

梶井照陰さんのお寺。佐渡の北端、鷲崎という地域にある。天気がいいと海の向こうに、山形県の鳥海山が見えるという。

一方、今回旅の素晴らしき案内人としてお世話になった写真家・僧侶の梶井照陰さんの祖父の家も観音寺というお寺である。こちらは真言宗。佐渡では一番多い宗派だ。ちなみに曹洞宗は二番目。偶然にも梶井さんと私は同い年(1976年生まれ)である。梶井さんは福島県郡山市生まれ。ご両親は別の仕事をしており、僧侶の祖父の姿を見て育った。

昆虫少年だったという梶井さんのコレクションの一部。

昆虫少年だったという梶井さんのコレクションの一部。

郡山で生まれたが、すぐに千葉へ移り、その後新潟で幼少期を過ごした梶井さんが幼い頃熱中していたのは、昆虫採集だった。最初はいろいろな昆虫を採っていたが、蝶の魅力にハマった。境内のそばにある段ボールには、コレクション箱がいくつも入っていた。しかし、中学生になると、昆虫を殺すのが嫌になり、蝶の写真を撮るようになったのだという。

「父が使っていなかった一眼レフのカメラがあり、昆虫を撮りながら学んでいきました。ずっと昆虫を撮っていくと、種類ごとに顔が違うんです。その違いがおもしろくて、最初は蝶で、その他の昆虫も撮るようになっていきました。どうやったらうまく昆虫の写真が撮れるかを、昆虫写真家の海野和男さんの本や今森光彦さんなどの写真集を見たりしていました」

高校時代は登山部に入部。昆虫好きな梶井さんにとって、それは自然な流れだったようだ。そして大学進学の時、高野山大学の密教学科を選択する。すべてを受け入れるという仏教の考え方に漠然と惹かれるものがあったからだという。

観音寺の境内。

観音寺の境内。

「密教は考え方がとてもおもしろい。ブッダだけが仏様なのではなく、仏様は宇宙全体を指します。ブッダも宇宙すべてを構成する部分のひとつであって、仏陀は宇宙を通して教えを得て悟りを啓いた。だから、その大本となる宇宙を信仰し、宇宙からの教えに耳を傾けようというのが密教。真言宗の場合は、輪廻からも離れるのが目的なので、即身成仏して死からも解放される」

大学時代は、宿坊で住み込みをしながら真言宗の勉強をし、修業をしながら阿闍梨(あじゃり)という位を得る。卒業論文は「カンボジアの大乗仏教」。かつてクメール王国が君臨していたカンボジアやベトナムのあたりには、大乗仏教の名残がある。ベトナムやカンボジアを巡り、写真を撮りながら、大乗仏教の軌跡を尋ねて回った。

「バラモン教やヒンズー教には神様がたくさんいますが、佐渡のお寺で普通にご祈祷する時にヒンズー教の神様にお唱えしたりする。念仏もサンスクリット語で真言を唱えたりもしますし、その点でアジアと日本と繋がっている感じがして。真言宗だと想像力を働かせて、結界を張って印を結び、そこに仏様を迎え一体となって即身成仏を目指す。真言宗や天台宗は、山伏とかと似ていて呪術的な側面が大きいのも興味深いです」

大学卒業後、祖父の具合が悪くなったこともあり、佐渡に移り住んで真言宗の住職となった。『NAMI』の写真を撮り始めたのは、鷲崎に住んでからのことだ。実際に鷲崎の近くで海を見たが、私が知ってる佐渡の海とは全然違うものだった。私が知っているのは、一年のうちの一番いい時期、夏休みの海水浴の海だけだ。梶井さんの写真集を見ていると、まったく人を寄せ付けないどす黒いような海や、激しく猛々しい波がそこにはある。それが佐渡の真実の姿なのだ。

写真:梶井照陰

写真:梶井照陰

「波を俯瞰する感じではなく、没入する感じで波を撮影したいと思い撮り始めました。佐渡の冬は、秒速30メートルくらいの風が吹くこともあって、そうすると海が見えなくなるくらいに波しぶきが立つ。でも、その風が止む瞬間があって、視界が晴れる時がある。佐渡の海は海底の地形が複雑で、どんな波が来るかはわからない。波には一つとして同じものはない。その予測できない偶然の部分がおもしろい」

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岩屋山石窟。縄文時代に生活空間だった場所が、中世以降に神域になったと考えられている。左が梶井照陰さん、右が坂本大三郎さん。私の今回の旅の目的のひとつは、この二人を会わせることでもあった。

岩屋山石窟。縄文時代に生活空間だった場所が、中世以降に神域になったと考えられている。左が梶井照陰さん、右が坂本大三郎さん。私の今回の旅の目的のひとつは、この二人を会わせることでもあった。

賽の河原。子どもの霊が集まる場所と言われる信仰の場所。

賽の河原。子どもの霊が集まる場所と言われる信仰の場所。

鷲崎の梶井さんのお寺まで行く道中で、佐渡の北側にある大野亀、二つ亀という奇岩を巡り、縄文時代の遺跡や佐渡にまつわる伝説の場所などに連れて行ってもらった。佐渡は予想をはるかに上回る大きな島だ。ジャンマルクさんがビストロを構え、現在移住者が増えつつあり少しばかり活気のある南の方と、北では雰囲気はがらりと違う。手入れされずに朽ちていく畑や、使われずにボロボロになっていく家は外から見ていてもよくわかる。梶井さんの住む鷲崎の集落も、どんどん人がいなくなっているのだという。確かに、住むには厳しい場所かもしれない。しかも、観光で友人たちと連れ立ってきゃっきゃと訪ねて楽しいというよりは、静かに深く考えさせられるような場所でもある。今回訪ねたのは、そんな場所ばかりだったように思うが、個人的にはその両方を見られたのが非常に興味深かった。

泉イネさんが、何度となく「佐渡に連れて行きたい作家がいっぱいいる」と話していたのも納得だ。この場所には、生々しい生と死の営みがあり、過去から現在までの時間の紆余曲折が刻まれている。佐渡金山のようなラピュタ化してしまった産業の遺構からは、エネルギー盛衰の時間の流れが見てとれる。

梶井さんは、波の写真撮影を継続するほか、限界集落の写真を各地で撮ったり、アジアには足茂く通い、大乗仏教の名残も撮影している。そして、今年の8月から始まった「さどのしま銀河芸術祭」の実行委員長を務めることになった。佐渡で? 芸術祭? 初めて聞いたときは、不安の二文字しか浮かばなかった。全国各地で芸術祭が行われるのは悪いことだとは思わない。芸術祭を開けば人が来て地域おこしにつながるという、安易な幻想を抱いている地域もさすがに多くはないだろうし、実際に独自のおもしろい試みをする地域も少なくない。しかし、乱立しているのは事実で、よほどのことをやらなければ独自性は打ち出しづらいだろう。梶井さんは、芸術祭という言葉にどんな思いを持っているのだろうか。

「予算も僅かな中で、今年芸術祭を始めることは無謀だとの意見もあったのですが、まずは予算内でできる事から、佐渡にインスピレーションを得て制作した島内外の作家の作品等を展示したいと考えています。今回は第1回とは言っても0回みたいなもので、3年後の2018年に本開催できるよう築き上げていきたいと思っています。規模は小さくても、作家も見に来てくれる人たちも、何か新しい発見、出会いが見つかる芸術祭になればと思います」

新潟には越後妻有や水と土の芸術祭といった大型の芸術祭があるが、今回は敢えてディレクターは立てずに、すべて自分たちで運営を行うのだという。もちろんどんな形になるのかはわからないが、少しずつ動き出したようである。

冒頭の自分に何ができるか、ということへの回答はまだわからない。しかし今回の旅で、佐渡の魅力を味わうとともに、厳しい現状や、人物相関図などもよくよくわかった。同い年で、しかも祖父の家が佐渡の寺という似た境遇の梶井さんに会えたのも偶然ではない気がしている。

梅原猛は『日本の霊性』の中で、佐渡を独特な文化を形成した場所として紹介し「流罪者にとって佐渡は住みにくい辺境の地であったが、島人にとってそれらの人びとは憧れの都の文化を運んでくれるまれびと(客人)であった」と書いている。ひょっとしたら島国である日本にも同じことが言えるかもしれないが、佐渡の歴史を見るにつけ、外から入ってきたものを受け入れて自分たちの文化にしてしまう、許容の深さには驚かされる。その「まずは受け入れる」という気質は、梶井さんが言っていた仏教の思想にも通ずる。流入してくるオルタナティブな文化を受け入れつつも、根底にはそれまで長く続いた縄文文化が流れている。梶井さんは佐渡の地名とアイヌの言葉に共通点があるという話をしていた。古代の人たちは、この小さくて大きい島にどうやって渡ってきたのだろうか。また、自然や神とどうつながって生きてきたのだろうか。そういえば、今回は山毛ガ欅平山の杉の巨木郡を見に行くことは叶わなかった。気になることはまだまだ多い。

ひとまず私は今回の旅で坂本大三郎くんを連れてきたように、また他の人を連れて佐渡を訪れて、もう少し佐渡について探っていきたい。

 

さどの島銀河芸術祭2016

日程:2016年8月26日(金)~10月10日(月・祝)
※開館時間・休館日等は施設による
会場:牡蠣小屋あきつ丸、元佐渡市岩首小学校、憩の館 佐志住施礎(さしすせそ)など
主催:さどの島銀河芸術祭芸術祭実行委員会
お問い合わせ:あいぽーと佐渡(担当:川上)
電話:0259-67-7633
住所:〒952-0011 新潟県佐渡市両津夷384−11
さどの島銀河芸術祭芸術祭実行委員会
http://sado-art.com/
https://twitter.com/sado_art

縄文から続く文化をどう伝えていくのか。 写真家・僧侶の梶井照陰さんたちの挑戦
梶井照陰さん  かじい・しょういん/1976年生まれ、新潟県出身。1999年高野山大学密教学科卒業。16歳の頃より写真雑誌などで作品を発表し始める。1995年~1999年、高野山で修行。ベトナム、カンボジア、タイ、パプアニューギニア、イギリスなど、世界各国を訪ね、積極的に取材して歩く。2004年、佐渡の波を撮り続けたシリーズで第1回フォイル・アワードを受賞、写真集『NAMI』を発表する。本作で、2005年度日本写真協会新人賞を受賞。現在、佐渡島にて真言宗の僧侶をしながら、写真家としての活動をおこなっている。

かみじょう・けいこ/編集者・ライター。雑誌でカルチャー、デザイン、アート、本等の編集、インタビュー、執筆を行う。書籍の編集を手がけることも多く、最近では『お直し とか カルストゥラ』(横尾香央留著/青幻舎)、『庭園美術館へようこそ』(朝吹真理子、ほしよりこ他/河出書房新社)、『ROVAのフランスカルチャーA to Z』(小柳帝著/アスペクト)等。著書に『玩具とデザイン』(青幻舎)がある。母の実家は佐渡島、父の実家は松本。

 
(更新日:2016.08.31)
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