特集 佐渡島へ向かう人々

フランスから佐渡にやってきたワイン醸造家

「母の実家が佐渡なんです」。以前だったら人から聞かれない限り自分からすすんで口にすることはなかった。
別に嫌だったわけではないのだけど、祖父母の家以外の佐渡をあまりよく知らないので自慢できる話もないし、近年は祖父母も他界しほとんど行っていなかったので記憶も薄れていたからだ。しかし、最近立て続けに佐渡に興味を持つ人や、実家が佐渡だという人と遭遇。さすがに知らないでは済まされないなという気分になってきた。
そこで、佐渡に興味を持つ友人・知人を巻き込んで佐渡ツアーを組むことを思い立った。

写真:梶井照陰 文:上條桂子

自然、文化、歴史…… 可能性を秘めた佐渡島と、 そこにかかわる人々。
第1回 ジャン・マルク・ブリニョ(ワイン醸造家)

まずは佐渡という場所について簡単に触れておこう。アルファベットのSの字に似た佐渡島は、日本海側最大の島と言われており面積は約855平方キロメートル、東京23区の約1.5倍あるという。かなり大きい。新潟から佐渡への入り方はいくつかのルートがある、東京方面から行くのに一番メジャーなのは新潟港から船で両津港へ向かうことだろう。カーフェリーなら2時間半、ジェットフォイルなら1時間半で着く。その他は割愛する(ネットにも情報はいっぱいあるのでね)。

今回の佐渡ツアーのメンバーは、山伏の坂本大三郎さん、アーティストの泉イネさん。急きょ料理家のyoyoさんも加わった。そして現地では写真家で真言宗の僧侶・梶井照陰さんと合流。何故このメンバーになったかは追々説明したい。一行がまず腹ごしらえへと向かったのは、ワイン醸造家でフランスから移住した、ジャン・マルク・ブリニョさんのビストロだ。

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ジャン・マルク・ブリニョ&聡美夫妻が営むビストロ「La Barque de Dionysos (ラ・バルク・ドゥ・ディオニゾス)」は、両津港から車で40分ほどの真野というエリアにある。佐渡島のS字の左サイドのくびれた部分だ。海のほど近くにあり、店からは真野湾に沈む夕陽が一望できる。

ワイン好きの方、特に自然派ワインが好きな方だったらジャン・マルクさんの名前を聞いたことがあるかもしれない。彼はフランスのジュラ地方でワインを作っていた世界的にも著名な自然派ワインの醸造家だからだ。小さな頃から自然が大好きでワイン職人に憧れていたというジャン・マルクさんは、フランス各地のワイナリーで経験を積んだ後に2004年にアルボワに土地を購入し、自身のワインを作り始める。妻の聡美さんは、ジャン・マルクのワインに惚れ込んで一緒にワイン作りをしていた。

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美しい自然がある場所、
都会化されたところから遠い場所へ

ジャン・マルクさんと聡美さんが佐渡島に降り立ったのは、2012年11月。移住を決断したきっかけは、長男の誕生だった。「家族が全員で一緒に暮らすのが一番いい」というジャン・マルクさんのアイデアで、茨城県にあった聡美さんの実家から父と祖母を呼び、一族全員で、しかも誰も住んだことのない島に一緒に暮らすことになった。事前の下調べは、友人からの情報とインターネット。佐渡には友人も知人もいなかった。下見に訪れることもなく、荷物はスーツケース4つだけでフランスからこの地に降り立ったのだ。ジュラのぶどう畑や醸造所などはすべて売り払った、所有するものはなにもない。そんな話を聞いて驚いている私の顔を見ながら、ジャン・マルクさんは笑顔でこう言った。

「身軽だよ。フランスには何も残ってない。今回の移住で条件にしていたのは “美しい自然があるところ”と“都会化されたところから遠い場所”。この二つ。日本の中で九州と佐渡と北海道の3つが候補だった。その中でジュラ地方と気候が似てるということで、佐渡か北海道が残って。気候だけで言えば北海道の方が近いんだけど、僕は海の近くで生まれたから島がいいなって思ったんだ。専門的な話をすると、降雨量や地質──古い時代の粘土質が佐渡にはあって、それはヨーロッパのものとは質が違うんだけど、ブドウづくりによさそうだと。あと、佐渡ってインターネットで探しても情報が少なくて。忘れられた土地って感じで、ミステリアスなところにも惹かれたんだ」

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一家が島に来た11月は、観光客もまばらなオフシーズンだ。「最高のシーズンに来たね」ジャン・マルクさんは言った。寒くて人も少ない時期なのに? というと。

「だって春や夏はどこに行ったって楽しいだろうけど、冬の始まりに来て『良い場所だ』って思ったら、本当にいいってことだから。佐渡の冬は本当によかった。冬は日本海が荒れるからひどくなると2、3日船が欠航することもある。すると、誰も来ない孤立した島になる。まるで世界から隔絶されたように。だから冬はそんなにたくさんの人に会わず、ゆっくりと体を休めて、今年のことを振り返ってじっくり考えて、次のシーズンに備える。素晴らしい時間だったね」とジャン・マルクさん。

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見知らぬ島ではじめた暮らし、
店づくり、畑づくり

お店の物件探しには少し手間取った。島に移り住んでから60軒以上の物件を見てまわったという。会う人、会う人にお店や畑の構想を話し、やっとのことで現在の蔵付きの物件に出会った。改装などは、地元の工務店にイメージを伝え少しずつ進めていった。島にやってきてから約1年は、店づくり、畑づくりに時間を費やした。そして、2014年3月に「La Barque de Dionysos」はオープンした。

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現在は、木・金・土の3日間は聡美さんと一緒に自然派ワインを振る舞うビストロを営み、それ以外は畑仕事と自由な時間に費やしている。休んだり、スポーツを楽しんだりするのも、彼らにとって生きて行く上での大事な時間なのだ。

肝心のぶどう畑も状態はすごくよいという。翌日の朝、3つ持っている畑のひとつを見せてもらうことになった。

料理は聡美さんが腕を振るう。素材は豊富だ。彼らの畑で採れたもの、地魚をふんだんに使って、ワインに合う食事が食べられる。この日にいただいたのは、きゅうりとミントのポタージュとイワシのディップ、サバのフリット、お腹にオレンジやハーブを詰めた鯛のオーブン焼きにパルミジャーノチーズをまぶしたご飯だった。

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1本目はキリッと冷えたピノノワールの白ワイン、2本目には「Moonologue」というジャン・マルクさんがヨーロッパで醸造したワインをいただく。モノローグではなくムノローグというのは言葉遊び。南仏の自然派シラー種のぶどうを使い、月の満ち欠けを意識しながら醸造したという。さっぱりと飲みやすく、ぶどうの生き生きとした生命力が感じられる。もちろん酸化防止剤などの添加物は使用せず、瓶詰めする時にもポンプを使わず自然法則にのっとって、果実のエネルギーを最大限に活かし、丁寧に作る。

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自然とコネクトしている人々との
ダイレクトな人間関係

佐渡に来て3年が経った。あくまでマイペースというか自然のペースに寄り添いながら、土、植物、野菜、動物、昆虫、そして人びとと向き合う日々。何か問題や困ったことはないですかと尋ねると、ジャン・マルクさんはゆったりと口を開き語り出した。

「何の問題もないよ。敢えてひとつ挙げるとすれば、言葉の壁くらい。その他の問題は、佐渡に住んでいなくたって生きていたら誰もがぶつかるような取るに足らないこと。どうにかなる。佐渡の人たちの一番の魅力は、自然とコネクトしている人たちが多いこと。みんな畑をやっていて、食べ物がどこから来るのかが分かってる。見栄を張るような人がいないっていうのもいいね。あとは、人付き合いもどこか動物的というか、ダイレクトなところがいい。特にお年寄りと子ども。彼らは言葉の壁なんかまったくなくて、畑仕事をしてると気軽に『何作ってるの?』『この野菜何?』って近づいてくる。それが本当の人間同士の付き合いだよね。言葉なんか関係ないんだ」

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聡美さんも今の島での生活を楽しんでいるようだ。

「佐渡の生活はすごく充実しています。今までいろんな場所で生活をしてきたけど、佐渡でよかったねとジャン・マルクともよく話してます。本州の他の田舎町だったら逃げ出してるんじゃないかって。ぶどうも順調に育っているので5年後くらいにはきっと美味しいワインを届けられると思う。その他にも佐渡には自然や文化、いろんな可能性を感じています」

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畑をつくり、森をつくること。
佐渡の土地に潜む可能性を明日につなぐ

そして翌朝。ジャン・マルクさんの畑を見せてもらった。ジャガイモ、ニンジン、ズッキーニ、カブ、タマネギ、カルドンなどの野菜類、からし菜、ルッコラ、タンジー等のハーブ類、フランボワーズ、いちご等の果実……。品種の数は数えたことない、というほど多品種を相性を見て寄り添わせ、少しずつ植えている。ジャン・マルクさんは、グリンピースの種を自作の定規を使って、一粒一粒優しく土に植えていた。手袋もせずに直接土を触って状態を確かめるのが大事なんだと教えてくれた。

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「ひとつの作物のシーズンが終わって、次は別という風に何も土に還さずに化学肥料を与えてしまうと、化学的に合成された土になり見た目だけしか栄養分が補えない。私たちは育てたものを土に還し、別の作物の肥料にして、ということを繰り返しています。いわゆるパーマカルチャーですね。最初の土作りは堆肥も必要ですが、年数を重ねるだけだんだん肥料も必要なくなってくるし、やることが減って楽になるんです」と聡美さん。

虫に食べられたナスを見て「みんなで分け合っているのよね」と言いながら、いくつかのナスを収穫する。モンシロチョウ、テントウムシ、イモムシ、みんな共生しているが、混植をしていると虫も大発生するようなことはないという。聡美さんはこう続けた。

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「ぶどう作りも同じです。フランスにはアグロフォレストリーという考え方で、森と畑を共存させようという動きがあって。ぶどうもそれだけを植えるのではなく、他の樹木や果樹やハーブと一緒に育てること。佐渡には森も多いし、それが実現できる土壌があるような気がしています。佐渡にはまだまだ、可能性を秘めた土地も空き家もたくさんあるし、最近はパーマカルチャーを夢見る若者の移住者も増えてきてます。そういった財産を活かして未来に繋げていけるといいなと思います」

畑を作りながら森を作っていく暮らし。現状では、跡継ぎ手のいない空き農地や空き農家を手放したがらない人も多く、残念ながらダメになっていく土地も多いという。彼らが60軒以上見て回ったようにマッチングがうまくいっているとは言えない状況だ。しかし、少しずつ考え方がシフトしてきているのも事実だ。佐渡産のジャン・マルクさんのワインができる頃には、幸せな循環が始まっていたらいいなと思う。

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La Barque de Dionysos(ラ・バルク・ドゥ・ディオニゾス)
住所:〒952-0318 佐渡市真野新町327番地1
電話:0259-67-7833
http://labarque.net/

フランスから佐渡にやってきたワイン醸造家
フランスから佐渡にやってきたワイン醸造家
ジャン・マルク・ブリニョ&聡美夫妻/ワイン醸造家、ビストロ「La Barque de Dionysos」店主 フランスはノルマンディー地方出身、子どもの頃からワイン職人になるのが夢。20代は映画・映像の勉強のためドイツに留学し、シナリオライターとしてベルリンで働いた後に帰国。醸造学を学んだ後にナチュラルワインの醸造家の元で修業し、ジュラ地方アルボワでワイン作りをする。聡美さんは、フルート奏者としてパリに住んでいたがジャン・マルクさんのワインに惚れ込み、その後ワイン作りを共にすることになる。2012年に佐渡に移住し、2014年3月佐渡の真野新町にてビストロ「La Barque de Dionysos(ラ・バルク・ドゥ・ディオニゾス)」をオープン。野菜とぶどうを栽培、ワイン醸造の準備をしている。http://labarque.net/

かみじょう・けいこ/編集者・ライター。雑誌でカルチャー、デザイン、アート、本等の編集、インタビュー、執筆を行う。書籍の編集を手がけることも多く、最近では『お直し とか カルストゥラ』(横尾香央留著/青幻舎)、『庭園美術館へようこそ』(朝吹真理子、ほしよりこ他/河出書房新社)、『ROVAのフランスカルチャーA to Z』(小柳帝著/アスペクト)等。著書に『玩具とデザイン』(青幻舎)がある。母の実家は佐渡島、父の実家は松本。
(更新日:2016.07.19)
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佐渡島へ向かう人々
日本海側最大の島といわれる新潟県・佐渡島。美しい自然と縄文から息づく土着の文化・歴史を享受しながら、この地で生きる人々に出会いました。
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