特集 10年目、私の巣づくり

「10年目、私の巣づくり」 vol.1:私のままで暮らすために、 離れた町〈大分県・別府市〉

約3年ぶりに別府の町で再会した。前回の取材で出会ってから、東京で会ったり、たまに連絡を取り合ってお互いの近況を話していたので、生活や仕事のことで、大なり小なり変化が起きたことは知っていた。それは、目に見える変化のみだけど。

 

園さんがこの町に移り住んで約10年。変化した環境、引っ越した家、仲間と始めたプロジェクト。ぽつぽつと聞いてきた「これまで」と、まだ知らない「今」について、改めて聞くために再び別府を訪れると、園さんは、自分自身の大きな変化の中にいた。

 

自分で選んでこの町に来た。誰も知らない土地で生活をつくることから始まり、小さな町の明るい未来を担う“移住者”として地域の人に迎えてもらった。町も人も何もかもが新鮮で知らないことだらけ。たくさん人と話し、町のコミュニティに溶け込む努力をして、働き、知り合いも増えた。いつも精一杯というか、必死だった。

 

再開発で変わりゆく町と、そこで変わらずに暮らす人たち。ふと立ち止まって思い返してみると、町と人と自分と、物理的な距離が近づくにつれて、心は遠ざかっていった。この町に“外から来た人”として暮らしてきた経験が、園さん自身の中に大きな変化をおこしている。

 

「私はここで、私の巣づくりをする」。
どこで、誰と、何をして暮らすか。移り住んだ土地で今、思うこと。

 

写真:熊谷直子 文:菅原良美


変わりゆく町で
暮らし続ける違和感

3年前一緒に歩いた浜脇の町は、再開発ですごく変わっちゃったよ。元遊郭の建物はほとんどなくなったし、私が住んでいた建物も壊されちゃって。でも、暮らしてる人は変わらないから、人間だけが濃いまま残っている感じで(笑)。そうやって変化していく環境に、私の中で違和感が生まれて、少しずつ「ここはちょっときついなあ」と思い始めたことが町を離れるきっかけだった。でも別府では暮らしていたいから、別なエリアに引っ越したんです。

ここは、留学生や、繁華街で働いている人も多く住んでいて。道ですれ違ったらご近所さんだって認識はあるけど、気にしない感じ。近所の温泉に入ってる時、世間話の流れで「引っ越してきたんです〜」と言うと「そうなのね〜」って感じで。もし浜脇だったら、どこから来て今どこに住んでいて、その周りに住んでいる人がどうだ…ってどこまでも身内話が続いたと思う(笑)。暮らしてる人同士のコミュニティが濃いことは、浜脇が好きな理由だったんだけど。

最初は、初めての一人暮らしだったし、ひとりで寝るのが怖くてずっと窓の方みて寝る、みたいなところから始まって(笑)。

私は、生まれてから3歳まで熊本県の天草で育って、両親がお店をやっていたから、商店街の人たちにすごくかわいがってもらったの。それ以降は東京のマンションで育ったから、天草の時の楽しい記憶が残っていて。当時のようなコミュニティが残る浜脇で暮らすうちに、ここだったら知らない土地でもひとりで生きていけるって思った。近所のお母さんたちが、エプロンして私のことを見守ってくれている感じで(笑)。ありがたいことだったんだけど、だんだんと監視されているような気持ちになったのも正直なところ。

東京から移住してきた人として、雑誌とかテレビに私を取り上げてもらうことが増えてからは特にそうかな。引っ越しを決めた時も、「あんなにお世話してあげたのに!」って言われたりして(笑)。

距離が近くなりすぎることも、危険を孕むことなんだと知った。好きで手伝っていたことでも、「こんなにやってあげたのに!」と思ってしまう関係性にもなりかねないから。“ただより高いものはない”ってことを学ぶ感じ?(笑)。


東京で過ごした大学時代も、地方から出てきた友だちから、「地元のコミュニティが煩わしくて上京して来た」とか、夏休みに帰省すると「近所のおばちゃんにあれこれ聞かれてうざい〜」とか、そういう話を聞いても共感できなかったんだよね。でも今ならあの感じが分かるかも…って、すっごく遅いんだけど(笑)。

地域で暮らす魅力だけでなく、ネガティブな部分も体感したことで、「私はここで、私の巣作りをするんだ」って決めたの。近所のおじいちゃんおばあちゃんにそう話したら、「あら、園も大人になったのねえ」って。30手前にしてやっと大人かあって思いつつね。


園さんが通う大好きなおでん屋「ふくや」にて。店主のさなえさんは園さんの別府のお母さんのような友だち。

私が生きているのは、
10年の月日からつらなる“今”

22歳から別府に住んでるから、もうずいぶん経ちました。恋人も変わったよ(笑)。私自身、この町で暮らすことに慣れたっていうのもあるけど、周りの人に頼りすぎることをやめなくちゃと思ったのもある。最初は、家族も友だちもいない土地だったから、初めて会った人にも自分の話をたくさんして、相手の話も聞いて友だちになって。自分を守る術として、いろんな人と親しくなることが癖みたいになっていった。知らない土地で生きていく防衛本能のように。よく、まちづくりの基本の考えで“よそ者、若者、ばか者”ってあるけど、なぜか私自身がそれに忠実になっていたっていう(笑)。

今思うと……そうすることで私の“良いこちゃん像”のようなものができちゃったのかも。地域の濃いコミュニティに入って、おじいちゃん・おばあちゃんの中にいる“マドンナ園さん”みたいな。それはないやろ〜?(笑)。

若者がいなくなった町に私が移住して来た環境がそうさせたんだけど、どこか美化されてるような像がどんどん一人歩きして、小さな町に刷り込まれていった。この土地で生活していく時間が長くなるとともに、自分で自分を守れるようになって来たのかもしれない。もう自分を守るために誰かを頼る時期ではないな、と。

別府に移住してからいくつかお店を立ち上げ運営してきて、4店舗目になりました。やっと今、自分でお店作りを考えられるようになってきたかな。毎回同じやり方でもダメだから。

働きながらこれまで経験してきたこと、特に前職では、新しくお店作りをすることから始めて、すごく勉強になった。私にとって大きな試練でもあったし、しんどい時は、「もう別府に住む意味がないかも」って思うこともあったけど、「園ちゃんいるー?」ってわざわざ来てくれるお客さんがいたから続けてこれた。私がここに10年住んできたからこそ、お店に来てくれる人がいるってことを信じてやってきた。

別府に暮らし始めた頃、『別府龍宮』という個展で布に写真を印刷して空間を作ったの。そういう創作もすごく楽しかったんだけど、同じ時期に、料理をすることにすごく憧れていて。それが表現できるアトリエとして「スタジオ・ノクード」を作ったから、そこからはどんどん料理に向かっていったんだよね。それまでの作品では、写真や布で空間をコラージュしてきたけど、今は食卓の上の食材でコラージュする。それは季節や時間に沿って変化しながらずっと作り続けられるもので。そう感じてからずっと、たべものに関することが楽しいんです。食卓を囲むこと、おもてなしをするってことが自分にとってすごく好きなことだし大切。それが出来る人のこともすごくかっこいいと思うからね。

5年後どうしたい?って聞かれてもよく分からなくて。
私は今の私を生きているだけだしなあって思ってるから。

私が“たべもの建築家”として、別府でやっていることを、東京で広告とかクリエイティブに関わる人が興味を持ってくれることも増えて。きっと私なりに新しいやり方を実践しているからだと思うんだけど、コンタクトをくれる人の中には、東京で“消費消耗の仕事”をやっている人もいて。そういう人と連絡をとっていると、「この感じでいくと消費されるな、私」って、そういうのすぐ分かる(笑)。

私は、この町で暮らしながら自分がやりたいことをゆっくりやってきたんだよね。

ノクードでは、自分の中で実験をたくさんして、その後は、日常の食作りに関わるためにお店作りを経験して。今、関わっている「バサラハウス」は、山田別荘の女将のルミさん、作曲家でプロデューサーの清川進也さんと私の3人でスタートしたプロジェクト。“育つ家”をコンセプトに場づくりを始めたよ。私はカフェスペースも担当していて、ごはんも作ってます。日常の食でありながら、オートクチュールのような食卓にできたらと思っているけど……やっぱり日々の消耗は激しくて(笑)。でも、その中でいつも新しいアイデアとか自分がどうしたら楽しくいられるか考えています。


vol.02「みせづくりはまちづくり」につづく

「10年目、私の巣づくり」 vol.1:私のままで暮らすために、 離れた町〈大分県・別府市〉
宮川 園さん みやかわ・その/たべもの建築家。1987年、熊本県天草市生まれ。東京、神奈川で育つ。東京造形大学で建築を学び、別府市浜脇のまちづくりプロジェクトへの参加をきっかけに別府に訪れる。2010年より移住。〈BEPPU PUROJECT〉に入社後「SELECT BEPP」店長、「スタジオ・ノクード」主宰、「スパイス食堂クーポノス」店長などを経て、現在は「BASARA HOUSE」のカフェオーナー、〈たべもの建築家〉として、パーティーのケータリングや出張料理など、食を通じて、人が集まる機能や装置を生み出し、場作りを行っている。
www.instagram.com/sono_noqoodo

『BASARA HOUSE』
住所:大分県別府市北浜3丁目2
電話:‭070-2304-5195‬
https://www.facebook.com/Basara-House-BEPPU-392113911278824

 
(更新日:2019.04.02)
特集 ー 10年目、私の巣づくり

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10年目、私の巣づくり
別府に移り住んで10年目の宮川園さん。自ら選んだ未知の土地に根ざしてきた今、思うことは? 新しく仲間とはじめたプロジェクトの背景を見つめます。
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