特集 10年目、私の巣づくり
「10年目、私の巣づくり」 vol.3:るみさんと松尾さん 〈大分県・別府市〉
“育ち続ける家”として、別府の町に生まれた「BASARA HOUSE」は、「みせづくりは、まちづくり」と話す園さんにとって、町を作り続けていくための、はじまりの場。
この町に移り住んで10年になる彼女の新たな場作りに欠かせないふたりに出会った。
山田別荘の女将・山田るみさんは、園さんがこの街に移住してきた頃から彼女を見てきたひとりで、今は「BASARA HOUSE」を、ともに作るパートナーだ。
元映画看板絵師・松尾常巳さん(御年100歳)は、園さんが最初に暮らした町のご近所さんで、これまで園さんが手がけてきたお店のロゴや看板を描いてきてくれた。
このふたりは、園さんにとって、ものづくりに欠かせない存在ではあるけれど、別府の町で暮らし続けていく、道しるべのような存在なのだと思う。
園さんがふたりについて話をする時に感じたのは、尊敬や憧れ、気持ちがほぐれるあたたかさ、誰かの力になりたいと思う時にぎゅっと手を握るような強さだった。実際にふたりに会って話を聞くと、それが互いの間に流れているものだと分かった。
この町に暮らし続けたいと思う時、ふと思い浮かべる顔がある。
それが、この町で暮らし続ける理由になる。
vol.1:「私のままで暮らすために、離れた町」
vol.2:「みせづくりはまちづくり」
写真:熊谷直子 文:菅原良美
若い世代の感性やアイデアと
ともに働くよろこび
山田るみさん(以下、るみ):わあっ!美味しそう!!
宮川園さん(以下、園):るみさん、お昼食べてきた? 食べる?
るみ:さっき食べて来ちゃったの〜残念。でもとうもろこし美味しそうだな、いただこうかな。
園:どうぞどうぞ(笑)、こちら山田別荘の女将のるみさんです。
るみ:はい、影の女将です(笑)。20年ほど前に父が亡くなって、当時女将だった母が「もう引退するわぁ」となり、私が引き継ぎました。27歳の時で、仕事について右も左も分からず、さらに出産して半年後だったので、もうひっちゃかめっちゃかだったな(笑)。ただ、小さな頃からずっと母の仕事を近くで見てきたので、その記憶を頼りにして必死で働いているうちに5、6年過ぎていきましたね。
当時、宿の大広間では、宴会や接待が多くあったのですが、どうも私には向いていないなあと思いながら働いていて。それよりも、海外から来たお客様が、この宿の建築や、日本の家としての佇まいにすごく良い反応を示してくださっている。そこをこの宿の個性として強めて、もっとたくさん海外からお客様を迎えたいと思い始めました。
改めて山田別荘の歴史を遡ったり、ロゴやホームページを作り直したりしながら、インバウンド対応に力を入れていきました。
私は、若い世代の子と働くことが好きなんですよね。もちろん、若ければ良いってことではないけれど、私たちの世代にはない、彼女たちの感性とかアイデアを尊敬しているんです。
母が女将の時代は、常にベテランの中居さんがいて、完璧に仕事をまわしていました。私は何もしなくてよかったくらい(笑)。私の代になって、もっと外国のお客様に宿に来てほしいと考えた時、迎えるスタッフの体制についても変えていきたいなと。別府には、『立命館アジア太平洋大学』があり、留学生がとても多い街なので、海外から来た学生さんに宿で働いてもらえたらいいなと思ったんです。外国のお客様の対応も一緒に考えてもらいながら。
今、スタッフに、ナビンちゃんというカンボジア出身の子がいるのですが、学生の頃から卒業後も働いてくれています。ナビンは、日本が好きで、別府が好きで、とにかくよく働いてくれる頑張り屋さん。みんなに可愛がられていますね。「ナビンがいたら百人力!」って(笑)。
“ここだからいいんだ”と
教えてくれる存在
るみ:「BASARA HOUSE」は、もともと空き家だった物件でした。実際に借りることが決まって、具体的にコンセプトを考え出した時、園ちゃんが前のお店を辞めることを耳にして。
園:まだ、るみさんに直接伝えていなかった時だよね。
るみ:そう、共通の知り合いから聞いて。彼女も園ちゃんが別府に根ざして、地域でいろいろな仕事を作り出してくれていることを知っている人で。私が動き出していることも知ってくれていたから、タイミング良くつなげてくれた。そこからぐっと始まっていったね。
園:るみさんは山田別荘の女将であるとともに、「BEPPU PROJECT」の企画に入っていたり、芸術祭の「混浴温泉世界」では、“踊る女将”として舞台にも立っていて。「混浴温泉世界」は、私も初年度の2009年から携わっているので、るみさんのことが昔から知っているけれど、今とはイメージがまったく違う(笑)。
るみ:そうだね、私は変わった。女将になってからは、この宿を一生懸命守っていかなければと必死で、周りを見る余裕もなくて……“素の自分”っていうものがなかったかもしれないな。
「混浴温泉世界」では、山田別荘を会場のひとつとして貸していました。最初は現代アートというものが何かまったく分からなかったけど、実際に見て、体感するうちに理解できてきて、面白くなっていったんです。そして、踊り出したら、自分が変わった(笑)。
ほかの会場も、それまで町の中で封印されていた建物や、地元では誰も使おうとしていなかった場所に外から人が訪れて、私たちに「ここが面白いよ!」って新しい価値を伝えてくれたんです。
ずっとここに暮らしている私たちにとっては身近すぎて、反対に気づかなかったり、入り込めなかったりするから。外から来てくれる人は、入って、発見して、開拓してくれる。
当時、園ちゃんも浜脇に暮らして、自分からコミュニティに入っていってたよね。私にはない、想像力、冒険心や好奇心をもって、この町を見てた。
園ちゃんは、都会に暮らしたうえで、この町の良さを発見して、「ここだからいいんだ」と教えてくれたんですよね。田舎育ちの私は、どうしても都会に憧れちゃうんだけど(笑)。そうそう、松尾(常巳)さんのことだって、私の周りのみんな誰も知らなかったんだから!
友だちとして、作家として
出会った22歳と94歳
園:たまたま私は近所に住んでたからね(笑)。松尾さんとは、町内旅行に行くバスで隣の席だったの。60代〜90代の中に、当時22歳の私がひとり(笑)。途中、車酔いしちゃって。前の席に移動したら、足の悪いおばあちゃんと、90代の松尾さんと、私が、偶然並びの席になって。要介護組だよね(笑)。
その旅で、大きな瀧をみんなで見たんだけど、松尾さんはその後ささっとバスに戻って、鉛筆と紙を出して川柳書いてたの。「なんだこの人、すごい!」って、まずびっくりして。松尾さんが持参してバスで食べてたお弁当も、スーパーの半額シールが貼ってある鯖寿司で、「生もの大丈夫か!?」とか……もう、とにかく気になって、気になって(笑)。
その出会いをきっかけに、松尾さんの絵と川柳の展示をお手伝いすることになって、ちゃんと知り合った感じかな。松尾さんは当時94歳。そこから一緒に遊ぶようになって、植物を交換したり、私の家のドアノブに肉まんがかかってたこともあった(笑)。すごく優しいんだよね。
園:松尾さん、こんにちは。何しとったの?
松尾常巳(以下、松尾):寝とったよ。
園:おはよう!
松尾:はい、おはようございます。
園:もう自転車乗らないんでしょ?
松尾:先生が乗るなゆうからなあ。まだボケとらんのに。
園:松尾さん、前は自転車で移動していたけど、危ないからドクターストップかかって。でも、認知症もないし、もともと戦争の時に耳を悪くしてるから、耳が遠いくらいで。ある時、耳の穴に100円玉つめて出かけてたから「じいちゃん、100円耳につめてどこ行くのー?」って聞いたら、「豆乳!」って(笑)、ね?
園:昔、一緒に旅行に行ったの憶えてる?
松尾:え? 旅行に行ったか??
園:あははは、町内旅行だよ。
松尾:ああ町内旅行、あの頃はよう行ったな。
園:3、4回行ったね。松尾さんが96歳の時かなあ。バスをチャーターして、佐賀にイカ食べに行って。呼子町の瀧が綺麗だったね。楽しかったね。
松尾:ああ、楽しかったね。
園:紙屋温泉でやった展覧会も良かったね。息子さんが松尾さんの川柳に合わせて、イメージの写真をつけて。松尾さんの川柳もすごいんだよな。
松尾:16歳の頃から俳句やっとって。ある時、満州の奉天で会ったおじさんが川柳やっとって。「俳句やってるけど調子がおかしい」って話したら、「俳句なんてやらないで川柳やったらいい」って言われて。それからだね。もう数はわからんくらい書いてるね。毎日書くから、数えきれん。なにかを感じた時にすぐ書く。
園:今も、紙屋温泉の脱衣所にあるよ。パッと読んですぐに頭に入ってきて、すごく面白いの。例えば…“現代アートは、許可を得た、落書きか”とか。
松尾:ふふふ。
園:救急車に乗った時についての句もあったよね?
松尾:忘れたな。
園:“あと3分、もうちょっとだけ、寝れる”みたいな!(笑)
互いに描くイメージで
つながるふたり
園:看板の文字のお仕事をお願いする時は、いつも松尾さんの家に行って、これを描いてほしいですって伝えに行きます。
松尾:うん、来よるな。
園:いつも突然行くの(笑)。前のお店をやめた時も松尾さんが「また新しいの描くからね」って言ってくれて。いつもいつも、ありがとうございます。
松尾:いえいえ。
園:私からは、あるイメージみせてあとは自由に描いてもらっています。このロゴは三角定規で作ってましたね。BASARAの真ん中にある“A”が、別府タワーになっていて。自分では、まあまあかなって言ってたね(笑)。
松尾:ふふふ。1日くらいかけて描いたかな。
園:みんなに羨ましがられるよ。園ちゃんばっかり描いてもらって!って(笑)。どうして私に描いてくれるの?
松尾:どうしてだろうねえ。
園:金色の文字は、オープニングの時にみんなで描いたね。あれ、ゴジラみたいでいいよね。ペンキでバサバサっと描いた、あの質感が好き。あえてこういう質感にしたのに、みんな失敗してないかって心配してた(笑)。あれでよかったのに、松尾さんも恥ずかしがってあまり言わないから、息子さん(元美術教師)が上から書き直したりして。松尾さん怒ってね(笑)。
松尾:うん。
園:「BASARA HOUSE」はどう?
松尾:うん、いい場所だよ。
園:これから、たくさんの人が集う場所になるよ。
松尾:そうだね。
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宮川 園さん
みやかわ・その/たべもの建築家。1987年、熊本県天草市生まれ。東京、神奈川で育つ。東京造形大学で建築を学び、別府市浜脇のまちづくりプロジェクトへの参加をきっかけに別府に訪れる。2010年より移住。〈BEPPU PUROJECT〉に入社後「SELECT BEPP」店長、「スタジオ・ノクード」主宰、「スパイス食堂クーポノス」店長などを経て、現在は「BASARA HOUSE」のカフェオーナー、〈たべもの建築家〉として、パーティーのケータリングや出張料理など、食を通じて、人が集まる機能や装置を生み出し、場作りを行っている。
www.instagram.com/sono_noqoodo
『BASARA HOUSE』
住所:大分県別府市北浜3丁目2−2
電話:070-2304-5195
https://www.facebook.com/Basara-House-BEPPU-392113911278824
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