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  • 「生活を巡る、松山紀行」 最終回:伊丹十三の姿を追いかけて

生活をたずねて綴る、松山紀行

愛媛県・松山市

四国最大の都市・松山市は、山と海と町の距離がぐっと近い土地。さらに日本最古の道後温泉があり、正岡子規や夏目漱石など多くの作家とゆかりある文学の町でもあります。そんな自然と文化の中で暮らす人々を訪ねて、写真家の阿部健さんが松山の町を歩きました。

「生活を巡る、松山紀行」
最終回:伊丹十三の姿を追いかけて

愛媛県
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見知らぬ土地にも、誰かの生活が確かにある。電車のホーム、家の灯り、自転車ですれ違う人。そんな風景に出会った時にふと頭をよぎるのは、「もしも自分がここで暮らしたらどんな毎日になるだろうか」ということ。写真家の阿部健さんは、現在東京を拠点に活動しながら、近い未来に移住を考えている。写真家という仕事柄、さまざまな土地に行き、撮影しながら、常に“次の住処”としての視点も忘れずに町を見ていると言う。今回、訪れたのは愛媛県松山市。大きなフィルムカメラを首から下げて、松山の生活を探しに出かけました。

写真・文 阿部 健

3日目|伊丹十三の姿を追いかけて

タクシーは河原町から祇園町を抜け、天山の十字路をまっすぐ進む。お堀のあたりからなので、そんなに長い時間乗っている訳ではないのだが、それにしても一向にそんな気配がしてこない。記憶がここでも朧げだ。景色も、神奈川の川崎のあたりの幹線道路を走っているのと然程変わりはない。と思った矢先、車は左に折れると直ぐに減速し、小さな川にかかる短い橋を渡った。鮮やかな黄色が素早く視界の隅に入ってきたので、そちらの方へ目をやると菜の花が川の両脇で見事に連なって咲いていた。本日の目的地、伊丹十三記念館はその川の向かいにあった。

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僕は1980年生まれの35歳。伊丹十三さんの最初の記憶と言えば、ツムラの入浴剤のCMに出ている姿がぼんやりと浮かぶ程度。その程度とはいえ、湯船に浸かった女性の横で、男が入浴剤について何やら喋っているただそれだけの絵が、子どもの僕には刺激的でインパクトが大きかったのかもしれない。どこか形容しがたい色気や気品の様なものを、子どもながらにうっすらと感じ取っていた気がする。

僕が伊丹さんの作品に出会ったのは、それからずいぶん後のこと。リアルタイムでふれることのできた年齢であったにもかかわらず、出会わなかった。僕が思春期のあたりで映画『大病人』や『静かな生活』が発表されていたが、当時はスケートボードに夢中で、目は完全にアメリカのカルチャーへ向けられていた。もしそんな頃に、何かのきっかけで伊丹さんの作品に出会っていたらどうなっていただろう。ラリー・クラークの『KIDS/キッズ』や、タランティーノの『トゥルーロマンス』が、『大病人』や『静かな生活』と僕の中で繋がりでもしたら、どんなことになっていただろう。

伊丹十三記念館の設計を担当した建築家の中村好文さんは、20代前半にエッセイ『女たちよ!』と出会い、設立の影の立役者である作家の松家仁之さんは、既に中学生の時点でそれをバイブルのように繰り返し読んでいたという。僕に至っては30歳になってから。映画の方が先だった。20代後半で『タンポポ』を観たのが最初だったので、僕にとっての伊丹さんは、ずっと「映画監督」であった。

僕と編集者のSさんは、実は前回取材でこの記念館にも来てはいたのだが、その時は誌面で大きく扱うような企画ではなかったため、展示風景を1~2カット。駆け足で記念館を後にしなければならなかった。

そんなこともあり、また松山に行けることが決まった時は、まっ先に記念館への再訪が頭に浮かんだ。それと同時に、以前、これはまた別誌にて松家さんを取材させていただいていた際に、記念館へ行ったその話をすると、「もし今度行くことがあれば私にひと声かけてください」と仰ってくださっていたことを思い出した。恐れ多くも、この機会で記念館と収蔵庫の撮影希望の旨をメールでお伝えすると、すぐに「記念館の方にはお話を通しておきました」というお返事がきた。

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収蔵庫を案内してくれたのは、学芸員の中野靖子さん。

ファッションから骨董まで、伊丹さんが残した数々のものを前に、堅苦しくなく熱心に説明してくださる。途中、編集のSさんがふと中野さんの出身地を尋ねると、「生まれは岩手で大学は関西なんです」と、実は中野さんも移住者であった。なんという偶然の巡り合わせ。

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実際に伊丹家の物を持ってきて再現したという、湯河原のダイニングルームの前で、Sさんによる中野さん取材と収蔵庫ツアーが、ゆるやかに飛び交った。中野さんは映画館の無い田舎町で、伊丹作品に生でふれる機会も無いまま育ち、そしていつしか関西での暮らしに惹かれていった。大学進学を機に、東京を飛び越し関西へ。11年ほどそこで暮らしたのち、松山へやってきて、この伊丹十三記念館の学芸員という仕事に就いた。働き始めて丸8年。中野さんは企画展も担当している。

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来場者の中には、伊丹十三の熱心なファンも数多く訪れる一方で、中野さんいわく「伊丹さんのことをあまりご存知なく来た方からも、教えていただいたことはたくさんあります」と言う。決して詳しくない人でも、伊丹十三のどこに興味を持つか、記念館をどう楽しんでくれるかを見ていると、すごくフレッシュな反応が得られるのだとか。そんな来場者との何気ない会話が、次の企画展のアイデアに繋がっていくこともあるという。中野さんは僕たちに、ただただ見せて教えるのだけではなく、一緒になって考え、感じていく。

今回、僕たちは松家さんのはからいで特別にこの収蔵庫に案内していただいたのだが、1年に一度だけ、開館記念日に一般のお客さんに向けた収蔵庫ツアーを開催している。

「約1時間の収蔵庫ツアーでは、伊丹十三の作品や仕事だけを紹介するというのではなく、もう一度展示をみる楽しみにつながるきっかけになるといいなと思い、案内していきます。伊丹十三が『こういう暮らし方をした人なんです』ということと、『こういう考えをもって生きていた人だからこそ、あの作品が生まれたんです』というように伝えていきたいなと思っています」

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収蔵庫を案内してもらった後、改めて記念館をぐるっと見て回る。常設展の要所要所からも、中村好文さんの愛情溢れる遊び心と、松家さんの丁寧な解説文もあり、遠いはずの“伊丹十三”という人物が、それによって不思議と身近な存在に感じてきた。伊丹さんをはじめ、設立に携わった方々やスタッフの顔が見えてくる、体温のようなあたたかさを感じる場所だった。

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移住の決め手は様々だ。

その時期や仕事、独り身であるのか、恋をしたのか、夫婦なのか子どもがいる家族なのか、それとも旅の途中か等々、生活環境によって判断材料はそれぞれ違ってくるだろう。

話す言葉は日本語であればどこだって心配ないでしょ? そのくらい軽やかにいきたい気持ちではあるが、僕の場合、今は東京での仕事がほとんどなので、活動拠点を変えると、やはりまずは仕事のことを考える。せっかくなら移住先でも写真の仕事がしたい。例えば松山のことを外に伝えるような、その土地でしか撮れないものに出会いたい。

今回ミズモトさんが案内してくれた、昔からずっと続いてきている地元のお店、その歴史や深みは街の内外問わず、世代交代していくうえで知り、伝えていく必要がある。三津浜商店街のようにじんわり始まってきている様子も、めまぐるしく変化し続ける商業都市とは対照的で、隣り合わせで見ていくと何か暮らしのヒントが見つかるかもしれない。リノベーションを得意とする知人などを連れて歩いてみるのもおもしろそうだ。

同時に伊丹さんの仕事にも触れよう。生きていると何かと混乱することがある。悩みを学芸員の中野さんと記念館にぶつけてみよう。企画展で伊丹さんはこう言っていた。「人は悩まないかぎり何ものかには出会わないということです」と。

長い間あらゆる方法で旅を続けてきた伊丹さんの言葉を、羽田空港から乗った高速バスのなかで思い返した。

東京には“いろいろある”と多くの人は言うけれど、ないものだって勿論あるし、あれば良いのかと言うと、特にそういうわけでもない。確かに東京は便利だ。スマートな人もたくさんいる。青山の裏路地にある天井の高いコンクリートのカフェで、ピアノの音に耳を澄ましながら誰かを待っていれば、僕だってなんだか都会的な情緒に浸ってしまうだろう。それは”青山”という場所が成せる業のような、魔法のようなものでもある。その土地それぞれの特徴があってこそ、初めておもしろさが出る。

静かな瀬戸内の側で見た松山の風景は、新たな別の出会いを運んでくれるような気がした。お湯も足りている。ありがとう、ミズモトさん。ポートレート撮らずに帰ってしまってごめんなさい。また、来ます。

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「生活を巡る、松山紀行」 最終回:伊丹十三の姿を追いかけて

伊丹十三記念館
2007年、伊丹十三さんの誕生日でもある5月15日にオープン。館長は妻で女優の宮本信子さん。松山市は、父で映画監督の伊丹万作さんの出身地で、伊丹十三さんが高校時代を過ごした縁ある土地。館内は常設展と企画展で構成されていて、伊丹十三という人物を深く広く知れる仕組みを楽しむことができる。そのほか、年に一度解放される収蔵展示室、ミュージアムショップやカフェもあり、松山の文化拠点としてたくさんの人が訪れている。

住所: 愛媛県松山市東石井1丁目6−10
電話:089-969-1313
開館時間:10:00-18:00(入館は17:30まで)
休館日:毎週火曜日(火曜日が祝日の場合は翌日)
入場料:大人 800円 高・大学生 500円 中学生以下 無料
itami-kinenkan.jp

 

PROFILE
あべ・たけし/写真家。1980年、神奈川県生まれ。日本写真芸術専門学校2部報道・芸術写真科卒業。複数のカメラマンのロケアシスタントとして働いたのち、平野太呂氏に師事。2009年からフリーフォトグラファーとして活動を開始。日本の昔の映画やドラマも好きで、山田太一のファン。www.takeshiabe.com

(更新日:2016.04.18)
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