REPORT
  • 「生活を巡る、松山紀行」 第一回:ふたたび松山へ

生活をたずねて綴る、松山紀行

愛媛県・松山市

四国最大の都市・松山市は、山と海と町の距離がぐっと近い土地。さらに日本最古の道後温泉があり、正岡子規や夏目漱石など多くの作家とゆかりある文学の町でもあります。そんな自然と文化の中で暮らす人々を訪ねて、写真家の阿部健さんが松山の町を歩きました。

「生活を巡る、松山紀行」
第一回:ふたたび松山へ

愛媛県
見知らぬ土地にも、誰かの生活が確かにある。電車のホーム、家の灯り、自転車ですれ違う人。そんな風景に出会った時にふと頭をよぎるのは、「もしも自分がここで暮らしたらどんな毎日になるだろうか」ということ。写真家の阿部健さんは、現在東京を拠点に活動しながら、近い未来に移住を考えている。写真家という仕事柄、さまざまな土地に行き、撮影しながら、常に“次の住処”としての視点も忘れずに町を見ていると言う。今回、訪れたのは愛媛県松山市。大きなフィルムカメラを首から下げて、松山の生活を探しに出かけました。

写真・文 阿部 健

1日目|ふたたび松山へ

国が変われば車のクラクションの意味も少し変わってくる。例えばホーチミンの道路で鳴り響いているクラクションは、運転手の不満や怒りの声の代役ではなく、「わたしはここにいます!」と、相手に自分の位置を知らせるものが多いという話を以前聞いた事がある。

空港のタクシー乗り場に並ぶと、うしろでクラクションが鳴った。振り向くと次のタクシーが僕たちを呼んでいた。

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お地蔵さんのような丸い顔をしたおじいちゃんが、運転席からこちらを見ている。春の昼のあたたかい光がその顔を照らしていた。なんだか幸先が良さそうな光景だった。僕たちは迷わずそのタクシーに乗り込み、空港から程近い道後へと向かった。

松山に来ている。僕自身、東日本大震災をきっかけに生活の中で移住という選択を意識するようになった。以来、出張や旅行が“移住先の下調べ”という別の役割を帯び、それは僕の密かな楽しみにもなっている。今回は、移住先候補のひとつとして、松山市を取材するために、2泊3日の行程を組んである。

僕と、同行した編集者のSさんは、以前に別の媒体でこの地を訪れていて、今回は互いに2回目の松山ということになるのだけれど、2~3年が経っている所為か、おぼつかない記憶を辿るやりとりが、朝からやんわりと繰り広げられていた。途中、柔らかいベージュとオレンジ色をした路面電車が、お堀の方から緩やかなカーブをゆっくりと曲がってやってくるのがタクシーから見え、あぁ、こんな感じだったなぁと、ようやく記憶が蘇ってくる。

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ハンドルを握るのは越智啓太さん80歳。四国お遍路八十八ケ所巡りをなんと300回以上もこなしている先達さんだ。降り際に、お遍路で使う錦色の綺麗なお札をくれた。錦色のお札は滅多に手に入らない有難い代物だそうだが、越智さんはまるでキッズたちにステッカーを配るように、僕たちにひょいっと渡してくれた。もらって良いものかどうか迷ったが、有り難くいただき、お礼を言った。信仰を大切にしている人たちの間では、これでお腹をさすったり、お札のほつれた部分の糸を切り、それをお茶などに入れて一緒に飲むと病が治るとか、そういう言い伝えが信じられているそうだ。

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この日は天気がとても良く、お昼過ぎから気温も徐々に上がってきた。越智さんと錦のお札も、じんわり心を温めてくれた。湯之町、道後の商店街をくぐって、日本で一番古いといわれる道後温泉、その象徴でもある道後温泉本館に着く。

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平成26年に改築後、120年の大還暦をむかえたという建物を、ゆっくりと一周して眺めた。道後温泉は観光客だけでなく、多くの地元民にも愛され続けている立派なお風呂。2017年に建物の耐震工事を予定していて、その工事は最低でも数年はかかるそう。お風呂セットを持った湯上がりの地元の人たちとすれ違いながら、あらためてこの趣の深さを感じて中へと入る。

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ずっと変わっていないであろう道後の日常に、午後の光が差し込んでいる。開けた障子から風が通り抜けている。お茶の湯が、鉄瓶で温められている。「今が一番いい季節なんです」と、横から聞こえてきた。

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本館の近くに、「椿の湯」という姉妹湯があった。今日僕たちはここに入ることにした。本館からは歩いて1~2分ほど。地元の人たちの利用は、こちらの方が多いようだった。飛鳥の時代、10月のある日に聖徳太子が来浴。という説明を入る前にさらっと受けた。時の感覚が風に吹かれ崩されたような、しびれる前振り。石造りの広くて立派な公衆浴場だった。そーっと15分ほど浸かってから、おじいちゃんたちが世間話をしている横を通り過ぎ、脱衣所にあった冷水機の水を一気に飲んだ。

このごろの僕は、“お湯(温泉)が近くにあると、とても安心できる”ということを身をもって知ったので、住まいはできるだけお湯の側が良いと思っている。松山に住めば、きっと椿の湯は通うであろう。湯之町、湯月町に。路面電車に揺られて、たまには自転車でもよいかも。帰り道はお堀を通って、途中のベンチで身体を外気に馴染ませたり。あそこなら鳥の声や路面電車の音もするだろう。生活の中にそんな時間があったら素敵だろうな。椿の湯の靴箱から自分のランニングシューズを取り出していると、学校帰りの地元の小学生たちが次々と入ってきた。今日は2階で何か催し物があるようだった。外は陽が落ちかけていて、商店街に明かりが灯っていた。

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その日の夜、僕たちは松山在住の編集者ミズモトアキラさんと合流した。今回、2日目に市内を案内してくれることになっていたので、前日の夜顔合わせを兼ねて一緒にご飯を食べた。ミズモトさんは生まれも松山。3年前までは東京や湘南に住み、雑誌などでライターの仕事やDJもしていた。松山でも『マチボン』という本を作っていたり、文章を書いたりしている。

ミズモトさんが選んだ今晩のエリアは大街道、二番町と三番町の間。路面電車を降り、松山城に繋がる広い商店街を少し歩いたあたりで脇道にそれ、早々と1軒目に到着。

カウンターだけの居酒屋、「八乃寿」。店内の壁にびっしりに貼られた黄色い短冊に書かれたメニューを眺める。一品料理をはじめ、定食や麺類、種類が豊富で充実している。僕らは、ポテトサラダ、小アジのカリッと南蛮漬け、鰯の梅煮、山芋の陶板焼き、などを注文した。

物静かな店主がひとり。店内もとても落ち着いていて、料理が安くて驚くほど美味しい。すぐに満たされた。

2軒目は「バー露口」。

露口ご夫妻は僕たちのことを憶えていた。カウンターは僕たちと同じように、遠方から再訪してきている人たちや、地元の人たちですぐに埋まった。その晩、最初に僕が座った左隣の席には、大きな会社の社長が部下と飲んでいた。とても嬉しそうに、松山が好きだと話し、きり良く帰って行った。次にその席に座ったのは、ラジオ局の人とカルチャーセンターの人の2人組だった。カルチャーセンターでは、写真の講座があり、結構人気があるそうだ。講師を探しているのでどうかと言われた。ラジオ局の人は、伊予8藩の話しをしていた。次はスーツの人。僕はお店でかかっている音楽の、CDケースを出してもらい、その人と一緒に曲目について話をした。

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松山には夜が来ていて、僕はその中にいた。「わたしは朝を知らないの」と朝子さんは言う。色んなヴァージョンの夜があった。

2日目につづく。

 

PROFILE
あべ・たけし/写真家。1980年、神奈川県生まれ。日本写真芸術専門学校2部報道・芸術写真科卒業。複数のカメラマンのロケアシスタントとして働いたのち、平野太呂氏に師事。2009年からフリーフォトグラファーとして活動を開始。日本の昔の映画やドラマも好きで、山田太一のファン。www.takeshiabe.com

(更新日:2016.03.30)
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