REPORT

光石研さんと歩く、故郷・博多〜北九州の“いま”と“むかし”。

福岡県
昨年の12月末。光石研さんと打ち合わせで、中目黒の美味しい九州うどん屋さんを紹介してもらった。いろいろな話をしている中で、来年俳優歴が40年になると聞いた。「めでたいですね! 何か面白いことしましょう!」。そう約束して、その日は別れた。

迎えた2018年。「光石さん、今年で俳優40周年か〜」とぼんやり考えていた。そういえば、一緒に行ったのは九州うどんの店だったな。そっか、北九州出身って言ってたっけ。光石さんの生まれたところって、どんなところなんだろう。一緒に旅したらきっと楽しいだろうな。

そんな単純な動機から、この企画の相談を雛形編集部の菅原さんにしてみた。

「光石さんの地元の取材がしたいんだけど」
「面白そう! ぜひ行ってきてー!」

あっという間に話がまとまり、一週間後には、光石さんと写真家の大森克己さんと3人で福岡を旅することになっていた。

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俳優の道を決定づけた
思い出のまち、博多

待ち合わせは福岡市内にある某ホテル。数日前から別の仕事の関係で前乗りしていた光石さんとは現地集合。わたしと大森さんは、当日朝7時発の飛行機に乗って羽田から向かった。

約束の10時ちょうどくらいに着くと、すでに到着していた光石さん。

「やあやあ松本さん、大森さん! 我が故郷へようこそ」。

いつもの笑顔で迎えてくれた。

「じゃ、とりあえず柳橋連合市場でも行ってみましょうか」

光石さんの案内で、博多の町を歩く。最初に目指したのは光石さんが俳優デビューするきっかけとなった映画『博多っこ純情』の思い出のロケ地だ。

「高校は博多と北九州の八幡の中間地点にあったんですよね。北九州からも博多からも通っている生徒がいたから、どちらのまちにも友達はいました。ただ、博多と北九州は仲が悪いんですよ(笑)。たいがい僕は真ん中に入って仲裁してましたね」

光石さんらしいエピソードだなあ、なんて思いつつ、あらためていつ俳優を目指そうとしたのかを尋ねてみた。

「映画の撮影がすごく楽しかったから、高校を卒業する前にはもう俳優でやっていこうと思ってましたね。当時30代の大人たちがスーツを着るでもなく、真剣に遊んでいるような現場でかっこよく見えて。この世界でやっていきたいとは思ったけど、スタッフはすごく怒られたりしていたから大変そうだなと思って(笑)。両親も反対しませんでしたね。目標もない男の子だったから、やりたいことが見つかったっていうので、嬉しかったみたい」

光石少年が、将来の仕事を決意した場所が博多。ロケ地のひとつである柳橋連合市場へ着くと、今でも気に入りの店などを教えてくれた。

お土産でいつも買うという絶品明太子の「原口商店」

お土産でいつも買うという絶品明太子の「原口商店」。

自家製かまぼこが豊富に揃う「高松の蒲鉾」

自家製かまぼこが豊富に揃う「高松の蒲鉾」。

「ちょうどあそこが那珂川と博多川に挟まれたいわゆる中洲(中州)ですね」(光石さん)

「ちょうどあそこが那珂川と博多川に挟まれたいわゆる中洲(中州)ですね」(光石さん)

次に向かったのは櫛田神社。映画『博多っ子純情』を印象づける博多祇園山笠が行われる神社だ。

「博多祇園山笠は伝統があるから、よそ者が簡単に入れないし、スタッフは大変だったみたいですよ。前もってお酒を飲み交わしたりして交流して。普段は撮影隊が入れるような祭りじゃないんですけど、スタッフもみんなふんどしを締め込んで参加したんですよね。実際に行われる祭りの日程で、一発勝負の緊張感で。しかも当時の博多の様子があそこまで映っている映画ってなかなかないらしくて、映像としてもとても貴重みたいです」

櫛田神社。ちょうど節分大祭の前で、日本一大きいといわれるお多福面が飾られている。

櫛田神社。ちょうど節分大祭の前で、日本一大きいといわれるお多福面が飾られている。

「お〜! 郷六平!」。自転車で通りがかった地元の方に、『博多っ子純情』の役名で声を掛けられる光石さん。

「お〜! 郷六平!」。自転車で通りがかった地元の方に、『博多っ子純情』の役名で声を掛けられる光石さん。

映画の時にエキストラとして参加したと言う櫛田のやきもちの店主とお客さん。「見たら全部カットされてたけどね!」とのこと。

映画の時にエキストラとして参加したと言う櫛田のやきもちの店主とお客さん。「見たら全部カットされてたけどね!」とのこと。

博多のまちを散策しながら、当時の思い出を伺う。光石少年に、思いを馳せてみる。あっという間に正午を過ぎ、昼食の時間になっていた。おなかを空かせたわたしたちは、光石さんのおすすめの店へ行くことにした。

「博多に美味しいうどん屋があるので、行きましょう。かしわ飯って、鳥の炊き込み御飯もうまいんですよ。あと、ネギが取り放題。実は昨日も来たんですけど(笑)。博多うどんの元祖の店だと思います」

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ふわふわしているのにもちもち。甘めのやさしいおつゆ。みんなでうどんを食べながら、次に向かう光石さんの生まれ故郷・黒崎について聞いてみた。

「実家は黒崎駅の近くにありました。上京する18歳まではずっと住んでましたね。今も友達は住んでますよ。あまり帰省はしてないのですが、50歳と55歳の時に同窓会をして、それがすごく盛り上がっちゃって。100人くらい集まりましたね。同級生は、商店の子どもが3分の2くらいを占めていたから、今でも横のつながりはあります。小さな町の商店街だから、親同士も知り合いだし、おばちゃんの性格までわかっちゃうような、密なコミュニティでしたね。どんなに格好つけても、そこの連中にはお里がバレてるという感じで(笑)。でも今はシャッター街になっちゃって、ほとんど何もない。行っても時間を持て余しちゃうんじゃないかなあ」

光石さんが育ったまち・黒崎。何もないというまち・黒崎。雑誌やインターネットで調べられる黒崎の情報はあるけれど、今も暮らしている人、離れた人、初めて訪れる人、きっとそれぞれの印象があるはず。期待とはいえないような、でもたしかな期待で、黒崎へ向かうことにした。

ソニック号に乗り、博多から黒崎へ。

ソニック号に乗り、博多から黒崎へ。

離れてしまった故郷・黒崎を、
今あらためて歩いてみる

「地元黒崎は、昔は本当に賑やかなところだったんですよね。でもこれから一緒に行ったらわかるけど、急激に人がいなくなってしまったから、寂しいシャッター街になってます。『新日本製鉄所』が縮小したことも、大きな要因のひとつじゃないのかなあ。僕が上京する年には、駅前にそごうデパートができて、黒崎の商店街の人たちは反対していたみたいだけど、どんどん新しい施設もできて、まち自体は栄えていくものだと思ってたんだけど」

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黒崎駅は、意外にも大きな駅だった。人の行き来も多い。でもたしかに、目の前に続く商店街は、お世辞にも活気があるものとは言えなかった。昼間だけど薄暗い照明に、ちらほらと歩く人。ところどころにシャッターが下ろされた店。でも、当時の賑やかさを彷彿とさせるような道の広さ。そうかあ、ここが光石さんの言ってた黒崎かあ、と思った。

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今では舗装されたこの通りも昔は商店だったそう。

今では舗装されたこの通りも昔は商店だったそう。

「ほら、こんな感じなんですよ」。少し寂しそうに笑う光石さん。「でも……」と続ける。

「昔から変わらない店ももちろんあって、『洋菓子のカワグチ』のアップルパイは大好きで、今でもよく買います。一本がすごく大きいから、撮影の差し入れにいくつか並べて持っていくと、とても喜ばれるんですよ」

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一本50cmもある名物のアップルパイ。この大きさで3,000円。甘さ控えめ。

一本50cmもある名物のアップルパイ。この大きさで3,000円。甘さ控えめ。

寿通り商店街を歩いていると、突然女性ふたりに声をかけられた。聞くと彼女たちは、この商店街を盛り上げるべく、様々な試みをしているという。

昔、映画館が10軒あったという黒崎。黒崎地区最後の映画館が閉館して7年が過ぎたころ、佐藤さんが務めていた会社で、黒崎三角公園劇場を開業することになった(今では閉館)。

もともとあった黒崎中央大劇を改修したもので、黒崎でもう一度映画館を始めるからと、こけら落としで光石さん主演の『あぜ道のダンディ』を上映。その時に地元出身者の光石さんにも声がかかり、イベントに参加していたのだ。

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佐藤理絵さんと一緒に。

佐藤理絵さんと一緒に。

「そうだ! あのときはお世話になりました。まさかこんなところでお会いできるなんて」

「わたしたちもびっくりしています!」と佐藤さん。黒崎のまちの活性化に関われたらという思いで、まずはこの寿通り商店街から少しずつお店を開けていっているそうだ。

佐藤さんたちが始めたお惣菜をテイクアウトできる「Deli寿キッチン」。

佐藤さんたちが始めたお惣菜をテイクアウトできる「Deli寿キッチン」。

佐藤さんは「さっき、見慣れない方が洋菓子のカワグチにいるなって思ったんですよ。まさか光石さんだったなんて!  赤い靴下履いてるおしゃれな人なんて黒崎にはいないから、普通の人じゃないねって話していたところなんです」と嬉しそう。

黒崎に今ないものをこの通りから始めていけたら。来年の春までには、飲食も会議もできるフリースペースができたら。あとは個人的には7年前に光石さんにお世話になったこともあるので、また映画館を始めたい……明るい展望を話してくれた彼女たち。本当に偶然の出会いだったけれど、ここから始まる何かがきっとあるはず、と思えるような出来事だった。

彼女たちと別れ、最後に目指したのは角打ち。北九州には「角打ち」という文化がある。大森さんに旅の行き先は北九州だと伝えると「角打ちはマストでしょう」という返事がすぐに来た。そのくらい名物。酒屋さんの店頭でお酒が飲める。店横なので当然立ち飲み。まるでお茶をするような感覚で、気軽に入れるという。楽しみにしていたけれど、どうやらこの商店街では残り一軒になってしまったらしい。のれんのフォントに惹かれながら昭和13年創業の「角打ちいのくち」へ。

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レトロな木のカウンターと、壁際にびっしりと並んだビールケースに、10人ほどが立ち飲みできるくらいのスペース。光石さんと大森さんは赤霧島のお湯割りを、わたしは瓶ビールを注文した。テーブルの上にはプラスチック容器に入った総菜があり、3人で焼き鳥を追加で頼んだ。

すでにいい感じに酔っぱらっている常連さんに、黒崎の話を伺う。八幡製鉄所が栄えていた頃は、三交替制の方たちが夜勤明けで帰りしなに寄るオアシスのような場所だったこと、初売りは大騒ぎで元日の夜中からセールが始まって、この商店街が人で溢れて歩けないくらいになったこと、製鉄所の起業祭でザ・ドリフターズや天地真理が来ていたこと。

「製鉄で栄えた町だから、あの頃をもう一度じゃないけどね〜すっかり静かになっちゃってねえ」と、常連さんとともに、いのくちさんは話す。

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常連のタクシードライバーさん。「人生はつらいことばっかり」という名文句と、タクシーには30年乗ってるけど女には乗ったことがない、という持ちギャグあり。

常連のタクシードライバーさん。「人生はつらいことばっかり」という名文句と、タクシーには30年乗ってるけど女には乗ったことがない、という持ちギャグあり。

とは言うものの、時間は平日の16:30。お客さんは入れ代わり立ち代わり途絶えることはない。栄えていたというその昔は、どのくらいの賑わいだったんだろう。

18歳で上京したから、黒崎の角打ちには初めて入ったという光石さん。「朝の10時からやっているから、通学時間に近くを通るとおじさんたちが飲んでるわけですよ。それを見て、ああいう大人にはならないでおこうって思ってたけど、最高ですね(笑)。仕事帰りに話を少し聞いてもらってさっと飲んで帰る。なんていいバーなんだろう(笑)。ねえ、おっちゃん、最高やけんねえ」

常連さんとすっかり打ち解けて、方言が出てしまっている。気が付くと、赤霧島のお湯割りを3杯も飲んでいた。

陽も傾き始めた頃に、いのくちを後にした。ほろ酔い気分で商店街から駅の方へと歩く。そして今回の旅を振り返ってもらった。

「あらためて歩くと楽しいですね。冷静でいようと思っても、黒崎に着いたとたん、あそこもここもって思わず歩きすぎちゃうし、はしゃいじゃう。そんな自分が面白かった。それから、閉まってるお店がまたいちだんと増えていたのは気になったなあ。正直、商店街は寂れていく一方だと思っていたし、だからといって僕も何ができるわけじゃないから」

自分には何もできることがない、と謙遜する光石さんに、「そんなことないと思いますよ!」と思わず言ってしまった。実際に寿通り商店街で出会った女性たちは、光石さんとの出会いがあって、それがきっかけで新たなまちづくりに取り組んでいる。直接的ではないかもしれないけれど、誰かの何かの動機になっているって、とても素敵なことだと思う。

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「たしかに、ある種の、ここから何か起こらないかなっていう希望は感じさせてくれましたね。ちょっとずつでも広がってくれたらと思いました。とても間接的だし、時間がかかるとは思うけど、ちょっとずつでもやることに意義はあると思うから、僕が力になれることがあれば嬉しいです」

旅の途中、光石さんは「鹿児島線に乗って小倉に行くときとか、ザ・ルースターズを聴きたくなっちゃうんだよね」と言っていた。大森さんも「錆び付いた町を見てるとそういう気持ちになりますよね」と言っていた。わたしは森高千里の『この街』がずっと頭の中で流れていた。

「若い頃は故郷がいやで飛び出すわけじゃないですか。田舎はどこか閉鎖的で大人たちも嫌いだし、早く東京へ出たいと思って離れたはずなのに。でもこの年になると、同窓会で帰ったり、なにかイベントがあって力を貸せるならやりたいなと思ったり……なんなんですかね、年のせいなのかなあ。

東京でも黒崎の連中6〜7人と会ったりするんですけど、そいつらもみんな地元が嫌で上京したんだけど、会って話して盛り上がるのは商店街の話。でも“今から地元をこう変えていこう!” という話になるのではなく、ノスタルジックな話ばっかりだから、やっぱりみんなどこか望郷の念があって。そういう意味では、当時の黒崎は魅力的だったと思うんですよね」

最後に「ほんとにこんな感じで記事になるのかな〜」と笑ってくれた光石さん。人にはそれぞれ故郷と呼べる場所があって、それが都会でも田舎でも、栄えていても廃れていても、好きでも嫌いでも、見る景色が移り変わっても、ひとつ変わらないのは、そこが地元、という現実だ。でも、それだけでいいじゃない。博多も黒崎も、たしかに光石さんの故郷だった。わたしにはそれだけで、とても素敵なまちだったって言うことができると思う。

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写真:大森克己 文:松本昇子

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光石研さん
俳優。1961年9月26日福岡県北九州市八幡西区出身。1978年に公開された映画『博多っ子純情』の主演で俳優デビュー。以降、日本映画界に欠かせない名バイプレーヤーとして多くの作品に出演。公開待機作に5月19日『モリのいる場所』(沖田修一監督)、5月25日『友罪』(瀬々敬久監督)、6月8日『羊と鋼の森』橋本光二郎監督)がある。http://dongyu.co.jp/profile/kenmitsuishi/

大森克己さん
写真家。1963年神戸市生まれ。1994年、第3回写真新世紀優秀賞。国内外での写真展や写真集を通じて作品を発表。主な著書に『サルサ・ガムテープ』(リトルモア)、『encounter』、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)など。https://www.instagram.com/omorikatsumi/

 

(更新日:2018.03.16)
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