特集 歩きながら見えてくる

大森克己(写真家)×夏目知幸(シャムキャッツ)「浦安の団地のはなし」

親子ほど年の離れた、写真家とミュージシャン。ふたりには“浦安の団地”という共通点がある。生まれた時からこの団地で育ち、今は都内で暮らす夏目さん。大森さんは、幼少期に地元関西の団地で過ごし、大学で上京。都内で写真家として活動をスタートしたのち、結婚を機に新浦安に20年以上住み続けている。

この日初対面のふたりは、JR京葉線の新浦安駅で待ち合わせをし、大森さんが運転する車で夏目さんが少年時代を過ごした場所へ出発。つぶれてしまったラーメン屋、高校の時遊んでいた場所、いつもの通り道……目にうつる景色についての細かいエピソードが始まると、懐かしい友だちとの再会さながら、ふたりの距離はぐっと近づいた。

過去から現在まで連なっている、団地への愛着と思い出。いつも意識しているものではないし、決して特別なことでもない。それでも、根っこにある団地での生活がふたりをつなぐ感覚には、少しだけ特別なものを感じた。まったく違う時間を生きていても、ぴたっと重なる共通の記憶を共有しているような。

写真と音楽、ここで生活してきたことが、それぞれの表現にどんな影響をもたらしているのだろう。いつも通りの浦安の団地を巡りながら話をきいた。

 

写真:山口広太郎 文:菅原良美

 

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「#うちの近所」より ©大森克己

 

大森克己(以下、大森) この写真、夏目くんに見てもらおうと思って。

夏目知幸(以下、夏目) おお! すごいっ! きれい。

大森 羽田空港に着陸する時、ふと窓の外をみやると「おーっ、うちじゃん!」って(笑)

夏目 え〜っと、今僕らがいるのはここ(写真を指差して)ですね。

大森 さっき、海を見た公園がここで、僕の家がココ……改めてみるときれいだけど、同時によくここにたくさんの人が住んでるなって思うね。海岸線をみると、浦安市の3/4くらいは埋立地なんじゃないかな?

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——生活しながら、「ここは埋立地である」と実感する瞬間はありますか?

大森 もう一目瞭然だから(笑)。でも、最初から住んでいる人にとっては、埋立地云々より、ただ故郷だよね。

夏目 うん、故郷ですね。僕は生まれて、物心ついた時からここだから。阪神・淡路大震災が起きた時、小学生だったんですけど、その時初めて“液状化現象”を知りました。それから学校の授業で「この土地もいつかこうなる可能性がある」って言われ続けてきて、東日本大震災で目の当たりにして、「ああ本当だったんだ」って思った。それまでは、授業で震災のビデオを見ても現実味がないし「ここは埋立地だ」って思って住んではいるけれど、体感して初めて、うけた衝撃は大きかった。

大森 大規模な震災の被害を直接的に受けたというのはすごい体験だった。でもここが日本の風土の“平均ではない”っていう感覚はどこかにあるかな。新しく作られた町だから。そういう土地がもつ“実験的な側面”におもしろさは感じているな。

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夏目 僕は都内の高校に通うようになって初めて東京を知ったんです。そこからやっと相対的に浦安の土地をみることができたかな。

大森 そうだね、団地住まいじゃない友達の家に行くと「あ、全然違う」って思うよね(笑)。

夏目 そうなんです(笑)。コラムにも書きましたけど、団地の友だちってどこの家も同じような環境だし、友だちとのコミュニケーションも、関係が近いから雑なんです。どんどん土足で踏み込んで行っても良くて(笑)。

大森 家に行ったことがなくても、何号棟か聞くだけで、間取りが分かったり。

夏目 そうやって開けっぴろげなコミュニケーションでやってきたから、高校で友だちと話してた時、団地の時と同じテンションで話すと、「失礼なやつ!」ってちょっと怒られたして。これまでとは違うんだなって。

大森 なるほどね(笑)

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——大森さんが幼少期に関西で暮らしていた団地はどんなところだったんですか?

大森 兵庫県の明石市と神戸市にまたがる明舞団地といって、県営、分譲、一戸建てが混ざっていて、すごく巨大な団地でした。3歳くらいから中1までいたかな。子どもの頃の遊び方は、夏目くんとすごく似ていると思う。夏目くんが住んでいた団地のほうが新しいけど、まあ基本構造は……

夏目 変わらないでしょうね(笑)。

大森 団地の敷地内に商店街があって、小学校のクラスの友だちは全員団地暮らしだし。良くも悪くもそういう環境で育ったから、大人になって浦安に住むことに抵抗はなかったのかも。自然の中で育っていたら違っていたと思うけれど。

夏目 そうだと思います。いる環境のすべてが新しくて、人が作ったものしかないから、東京に出た時、自分の街のほうが“最新版”だと思うこともあって。「ここ、未来じゃん!」って(笑)。

大森 エリアによっては本当にそうだよね(笑)。


故郷と自分の距離
離れるからこそ見えること

 

——写真家として多忙になっても、都内に移ることを考えなかったのですか?

大森 うん、そうだね。でも、ある時ふと「都心にいないとダメなんじゃないか」って思ったこともあるけど、自分が撮っている写真の種類を思うと、ずっと代官山に暮らしてないと撮れない、ってわけじゃないしね(笑)。都心に行くには電車でも車でも片道一時間弱はかかってさ、そのあいだに考えごとしたり、車だったら音楽を爆音で聴いたり出来るじゃない?  そうやって日々移動しているほうが、自分には合っているなって。結局、それが心地よくて住み続けているのかも。

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夏目 僕も高校に片道1時間半かけて通っていたから、その時間で音楽を聴きまくってたんです。音楽ってずっとひとりで聞くものだと思ってたから。バンドやり始めると、コミュニケーションの中で音楽を聞くことも増えて。「あのバンドいいよねー」とか「このバンドの新作聴いた?」とか。ライブを観に行ったりもして。そういう流れの中に音楽があるから、音楽との関わり方が全然違うなあって。僕にとってそれまでCDやMDで聴く音楽がすべてだったから、とにかく移動中にひたすらひとりで聞くっていう、静かなものだった。でも、そういう環境から離れたところに身を置かないと、この世界で食べていけないかもなっていう気持ちで、浦安を出ていったのもあったかな。

大森 うん、めっちゃわかる感覚。いったん、親とか地元から離れないと客観的になれないことはすごく大きかった。僕も高校を卒業して写真をやろうと思った時、東京に出て来た訳だけど、関西で芸術なんてムリ!って(笑)。もちろん人によるけど、僕は関西弁の距離感とか、友だちとの関係性も身近で、そこで芸術のことを考えるのが想像できなくて。だからまず“関西”から脱出したかった。今はまた関西弁でデートしたいなあって思うけど(笑)。一度リセットして故郷から離れることは、自分にとってすごく必要だった。でも結局、団地で育って、また大人になっても団地暮らし(笑)。
あと、僕は執着があまりないから。住む場所に対してもそうで、中目黒に住みたいとか、新宿に住みたいとかなくて。行けば好きな街はたくさんあるけれど、根が団地だから(笑)、新宿とか浅草とかのちょっと古い部分に違和感がある時も……

夏目 うん! とってもわかります。

大森 で、なおかつ小洒落た街への憧れもリアリティもない。団地のことを、埋め立て地で人工的で……ってクリティカルになろうとすれば、いくらでもなれるし、まったくその通りだよなって思うこともある。街への執着がない分、反対にどこに行っても楽しいんだけど。

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——夏目さんは、この団地から引っ越して行く時のことは覚えてますか?

夏目 この街にしか住んだことがないから、都内で物件を探している時に団地っぽい建物を避けたのは覚えてる(笑)。駅から離れていて、鉄筋コンクリートで、安い物件とかあったけど、ドアが鉄で重かったりすると、急に家のこと思い出して「こりゃだめだ、団地と一緒だ!」って。何年か経った今、また団地のような建物に住みたいなあって思いもあります。団地って集合住宅で隣近所との距離が近いように感じるけど、ドアを閉めれば“ひとり”って感覚が強い。アパートだとそういう感覚ってないから。浦安は寝るところ!っていう感覚で、東京は遊園地みたいな場所だって思ってたな。アパートに住むことも、遊園地の中に間借りして住むような感覚があって。街に参加したまま過ごし続けるっていうか。バンドでツアー回っていて宿泊することも多いけど、ドア閉めればひとりっていう感覚を常にもとめているかも(笑)。

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街が一度壊れてしまう前の
キラキラした記憶を残しておきたかった

 

——2014年にリリースしたシャムキャッツのフルアルバム『AFTER HOURS 』では、この街で過ごした記憶について描かれていますね。

大森 この言葉が褒め言葉になるかわからないけど、懐かしい気持ちになった。

夏目 ありがとうございます。あの作品を創るまでは、自分が住んでいた街について歌おうと思ったことは一度もなかったんです。震災が起きた1年後くらいに、実家が千葉の奥のほうに引っ越して。多分、当時はそうやって、たくさんの人がそれぞれの判断で、故郷を離れていった。そう感じた時に、この土地のことを曲として残しておきたいなって気持ちが湧いてきたんです。僕自身も、震災のあとすぐに家を出たから。だから、この街の記憶は、震災直後に流れていた空気のまま、どこかストップしている感じがあって。

大森 分断された道路とか。

夏目 そうです。街が一度壊れてしまう以前の、楽しかった記憶、自分の中でキラキラしていた小中学生時代のこの街みたいなものを曲で残しておいたほうがいいんじゃないかなって思って。

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——大森さんも、インスグラムでは「#うちの近所」というシリーズで、暮らしている街の風景をアップしてますが、この街の景色を残していくという意識はありますか?

大森 う〜ん、半分くらいあるかな。でも半分はフィクションだと思っています。この街の写真は、インスタ始める前からずっと撮ってた。インスタを通すからおもしろいと思うのは、「おっ!」て思った瞬間、向こうから来たものを撮っているだけの写真に「#うちの近所」っていう言葉をつけることで、写真そのものの意味よりも、その写真を分類したり、語るための機能になるなって。写真から言葉を引き出す手段としておもしろい。自分の暮らしを考えるきっかけのアーカイブなんだよね。“#うちの近所”ってついてる写真、多いからねえ(笑)。

「#うちの近所」より ©大森克己

「#うちの近所」より ©大森克己

「#うちの近所」より ©大森克己

「#うちの近所」より ©大森克己

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「#うちの近所」より ©大森克己

「#うちの近所」より ©大森克己

「#うちの近所」より ©大森克己

「#うちの近所」より ©大森克己

「#うちの近所」より ©大森克己

 

——今後、生活してみたいと思う土地はありますか?

大森 僕は、昔からどこが好きかって言ったら「友だちの家」だったの(笑)。高校の時、福田くんという友だちがいて、放課後に福田くんの家に行って勉強をして、ごはんをご馳走になって帰ってきたり。居心地がよくて(笑)。自分の仕事柄、別に家がなくてもいいかなとも思っていて。「未来永劫ここにいます!」って決めて、ここにいる必要はまったくないなって。とは言っても、30年以上仕事の本拠地にして来、今、東京っておもしろいところだなって思って。どこへ行ってもリラックス出来るようになってきたし、知り合いがいてもいなくても「このスナックおもしろそうだから、入ろうかな」って思ったら入れるし。だから、地方でも海外でも“友だちの家”と呼べる場所と、この街を行き来して。死ぬまでそれでいけたら楽しいなあって。

夏目 僕は、「ここが家だよ」って決められたら、どこでもよくて。郊外でも都会でも、街も景色もどこでも大丈夫だなってよく思う。とにかく家が好きなんです(笑)。今はバンドやっているし、現実的に活動の拠点として住む場所を決めているけれど、そうじゃない限り、自分がどこへ住みたいかって考えるつもりもないって感じかな。その場の流れにまかせる。まあ、わかんないけどねえ、全く言葉の通じないところに住んでみるのも楽しそうだなって思うこともあるけど。

大森 今から、すごく電撃的な恋をして、相手がユダヤ教の人で、自分も改宗してエルサレムに住む、とかね。それくらいのジャンプ感ね(笑)。それくらい振り幅があってもいいような気もするけどね。可能性としてあるわけでしょう。

夏目 うん、そうですね。ゼロじゃないっすね(笑)。

 

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大森克己(写真家)×夏目知幸(シャムキャッツ)「浦安の団地のはなし」
夏目知幸さん(ミュージシャン)、大森克己さん(写真家) おおもり・かつみ
写真家。1963年、神戸市生まれ。1994年、第3回写真新世紀優秀賞。国内外での写真展や写真集を通じて作品を発表。近著に『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)など。クラシック音楽にも造詣が深い。 instagram

なつめ・ともゆき
1985年生まれ、千葉県・市川市出身。東京を拠点に活動するロックバンド、シャムキャッツのボーカルとギターを担当。バンド初のライブDVD《TOUR 2016-2017「君の町にも雨はふるのかい?」LIVE AT EBISU LIQUIDROOM 2017.2.3 & DOCUMENT FILM「バンドの毎日2」》をリリースしたばかり。現在は、今夏リリース予定のオリジナル・アルバムを制作中。siamesecats.jp
(更新日:2017.04.07)
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見慣れた地元も、知らない街も、視点を変えて歩いてみれば新しい何かが見えてくるかもしれない。浦安からフィンランドまで、あの人と巡るまちの観察記録。
大森克己(写真家)×夏目知幸(シャムキャッツ)「浦安の団地のはなし」

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