「歌」で故郷とつながり続ける友。
彼女の歌声が、まちに夏を告げる。

世界中から まつりの音が消えた、2020年。

それでも季節はめぐり、変わらずにそこにある自然が日々を彩り、輝かせてくれた。一方で、人と人とが触れ合うことで生まれるパワーや、逢って目を合わせることの大切さ、生で聴く音楽の心地よさがこれほど身に染みた年も、なかったように思う。

数々の災害に見舞われたこの10年、失われたまつりも数多くあるけれど、その役割が見直されふたたび盛り上がりを見せているものもある。たとえば、全国各地で行われている盆踊りだ。輪の中に入ればあら不思議、踊れたって踊れなくたって、楽しくてみんな笑顔になる。踊りや歌はいとも簡単に、人と人とをつなぐ。

福島県双葉郡広野町の山あいの集落で、むかしむかしから行われていた盆踊り。後継者不足により消滅しかけた、名もなき一曲をただただ何十分も踊り続ける盆踊りが、地元の若者たちによって引き継がれることになった。震災を経て活動の幅を広げる彼らを知るなかで、東京に住みながら「歌」で故郷とつながり続ける瀧本智絵美さんと出逢った。

文:佐藤有美 写真:今津聡子

広い田んぼで「せまっ!」と叫んだ。
ふるさととの関係性が変わるまで

「あれはいつだったんだろう、中学2年生くらいだったのかな。学校の帰り道に重たいカバンを抱えて、田んぼを突っ切る一本道を歩いてたんですよ。そのとき、急に思ったんです。“せまっ!” って。自分が置かれてる環境に急に冷めちゃったというか、もっと広い世界が見たいなあって」

そんな彼女の姿が、まるでドローンで撮影した映像を見ているかのように色鮮やかに思い浮かんだ。「せまっ!」という一言が、ひろーい田んぼに響きわたる。その景色は違えど、かつて私も同じように叫んだ。ここには何もない。東京に出るんだ。都会に行くんだ。きっと多くの人が同じようなあの日のことを、思い出せるのではないだろうか。

 

福島県・広野町で生まれ育ち、高校卒業とともに東京へ出てきてもう10年以上。瀧本智絵美さんは今、ネイリストとして独立し忙しい日々を送っている。それでも月に1回は必ず、多いときには2、3回以上広野へ帰り、家族や友人との時間を過ごしてきた。高校生の頃から「数時間だけでも!」と、ひょいっと東京へ遊びに行っていた智絵美さんにとって、東京と広野の距離はずいぶん近い。

2011年の大震災の日、東京のネイルサロンで働いていた智絵美さんは、夜には家族全員の無事を確認することができた。町からの避難指示に伴い、家族は車で避難を開始。親戚の家を転々とし、そのお礼に自家製のお米を置いていったと言う。

「当時働いていたお店は、震災の翌日も営業だったんです。自分のことに精一杯で家族には何もしてあげられなかった。数日後、埼玉県の三郷市の避難所へ逢いに行って。お父さんは知らない誰かの名前が刺繍されたジャージを着て、お母さんもやたらに派手なレッグウォーマーを履いていて。避難先で準備してもらった服だったんでしょうね。そんなことは覚えてるけど、とにかく日々がバタバタで、震災直後のことはほとんど覚えてないんです」

広野町の避難指示は2011年の9月末には解除されたが、家は大規模半壊。蔵を取り壊すことになるなど整備に時間がかかり、両親とお兄さん一家が広野町での暮らしを再開したのは4年ほど前だ。その間にも、智絵美さんは友人たちに逢うために広野に帰っていたが、2013年からその頻度はどんどん増えていくことになる。「歌い手」として、広野に関わることになったからだ。

関わる人の色がのっていく
曲名のない盆唄

広野町の山あいの集落・亀ヶ崎で古くから行われていた盆踊り。広野といえども海側で育った智絵美さんには馴染みのないものだったが、2013年の夏には広野駅前に建てられた櫓(やぐら)の上で、独特の節回しの盆唄を45分歌い上げることになる。亀ヶ崎で生まれ育った幼なじみが、智絵美さんを誘ったのだ。

「 『え、私、東京なんだけど、広野に住んでないけど、いいの?』って確認しましたよ。誰か歌える人いないかーってすごく探したけど、智絵美しかいないから!って(笑)。まったく知らないその歌を一度だけ習いに行ってね、歌の名前もなくて、歌詞だけが巻物みたいのに書いてあるんです。節回しもすごく難しいから、民謡をやってた母にも協力してもらって……。もう探り探りですよ。櫓の上で歌うのは気持ちいいけど、毎回めちゃくちゃ緊張します。上手いかどうかじゃなくて、物怖じしないことが一番大事でしたね」

もともとおまつりや盆踊りが大好きだという瀧本智絵美さん。東京でも友人たちと盆踊りめぐりをしているそう。「櫓の上では、歌詞を書き写したうちわを持って歌ってます(笑)」

智絵美さんを櫓に上げた当の本人、坂本克幸さんに広野町でお話を伺った。

「盆踊りの音を聴くと、ああ夏来たなあ〜って、小さい頃から思ってたんですよね。盆踊りの保存会に父親が参加してて、二十歳からしか入れないから、ずーっと入るのを楽しみにしてたんです」

しかし、念願のデビューからたった数年で、盆踊りの保存会は突如「解散!」に。上の世代が、少子高齢化がすすむ集落でまつりを続けていくのを断念してしまったのだ。克幸さんは、同級生や先輩・後輩を誘い継承していくことを決意。駅前の夏まつりで盆踊りを、という町の意向も重なり、OBの協力の元、なんとか踊りの輪をつくったのが、2010年夏のことだった。

「その翌年に震災があって、壊滅的な被害で。2011年は避難指示で無理だったけど、2012年には駅前で復興イベントがあったので、町が衣装も揃えてくれたりサポートしてくれました。ただ、避難してる人も多くて、太鼓はわかるけど笛がわかんねえと。ひとまず笛を買ってきて、携帯で撮ったいつかの盆踊りの動画を見て風呂場で口笛を吹いて、それを絶対音感を持ってる僕の嫁が音符に落としていったんです(笑)。嫁がなんとか笛で吹いた録音をOBに送ったら、『おお、できてる!すげえな!』って」

4児の父であり、消防士として働く坂本克幸さん。復活させた盆踊りは、今や広野の夏の一大イベント「サマーフェスティバル」に欠かせない存在だ。

この話を聞いて、私はまつりや芸能の原点を見た気がした。あの笛の音!あんな感じの歌!かっこいいからああやりたいんだ!その想いが、伝統を存続させていく。少しずつ少しずつ、関わった人たちの色を乗せて変化しながら。

まつりや盆踊りなどまったく関わったことがない別の集落出身のメンバーたちに太鼓を教え、克幸さんと奥さんの安里紗さんが笛を担当。歌はこれまで長年担当してきた、焼鳥屋のおかみさんにお願いした。

「次の年からはOBの力を借りずに自分たちだけでやるから、ボーカルも一新しようということで、目立ちたがり屋の智絵美にお願いしたんです。歌い手の声ってすごく心に残るんですよね。あのおばちゃんの声を聴くと、ああ来たなっていう感じがしてたから、同じように智絵美の声を広野町に浸透させたいなっていう思いもあるんですよ」

まちを“鼓舞する” 若者が、
楽しく引き継ぐ 伝統行事のかたち

2013年から智絵美さんも加わり、地元の若者約20人で盆踊りを続けてきたメンバーたち。2018年には震災以降途絶えていた浜通りに点在する正月行事「酉小屋」を復活させた。

地域の人たちがお正月飾りを持ち寄りお焚き上げをする浜通りの伝統行事「酉小屋」。お焚き上げの前夜には小屋の中に集まり、お酒やあたたかい料理を振舞う。(写真提供:坂本さん)

克幸さんの集落では当たり前のようにあった、季節の営みとともにある数々の伝統行事や風習。子どもたちもそれらを通じてコミュニティに参加し、ふるさとを想う気持ちが自然と育まれていく。克幸さんに「都会に出たいと思ったことはない?」と問うと、大笑いされた。

「まーーったくないですね。一度もないです。仕事の都合や子どもが生まれたこともあって山から浜の方に引越したんですが、こっちはすごく“部落づきあい”がドライで寂しいんですよ。だから、自分が子どもの頃経験したことをやらせてあげたくて、伝統行事を復活させていこうと。裏テーマは、大人が久しぶりに逢って、酒飲んで昔話できる場(笑)。面倒くさいから解散になっちゃったんで、とにかく楽しい会にしたくて」

伝統行事を通じて、子どもたちを笑顔に、まちを笑顔に。それまで「広野盆踊り保存会」のままになっていた活動名は、まちのみんなを “鼓舞” する存在でありたいという想いを込めて「広野鼓舞者(こぶし)」に改めた。

盆踊りの日が近づけば毎週のように、練習のために広野へ。帰る理由ができたと、智絵美さんは笑う。

「今では毎年楽しみですよね。広野を離れてる子も、みんな集まるじゃないですか。櫓の上から久しぶりに見る顔を見つけるとすごくうれしくて、踊ってねー!って声をかけて。私は、この距離感だからすごく好きなんだと思うんです。鼓舞者もみんなが同じ熱量かと言ったらそうではないし、まちってそういうものだから。盛り上げたいし、楽しみたいけど、関わり方は人それぞれでいい。私はもし地元にいたら、もっとやらなきゃって苦しくなっちゃうかもしれない。帰っても仕事ないし、嫁にいけないですよ!みんなもう結婚してますから(笑)」

智絵美さんは智絵美さんのやり方で、ふるさととのつながりを見つけた。夏になれば智絵美さんが歌う盆唄がまちに響きわたる。広野に夏を告げる声に、なりつつある。

(写真提供:智絵美さん)

愛され続けてきた歌
「広野音頭」との再会

2019年、広野鼓舞者に思いがけない声がかかった。広野町に拠点を置く「早稲田大学ふくしま広野未来創造リサーチセンター」の事業で、昭和15年頃につくられた町の歌「広野音頭」をリメイクすることが決まり、歌い手を広野鼓舞者から出してほしいと言うのだ。80年もの時を経て半ば忘れ去られていたその音頭の編曲・演奏を手がけるのは、音楽家の大友良英さん率いる「大友良英スペシャルビックバンド」。2011年に発足し、今は主にオリジナルの盆踊りを通じて福島をはじめ各地で積極的に活動する「プロジェクトFUKUSHIMA!」だ。

2019年10月には「フェスティバルFUKUSHIMA! in 広野」が開催される予定だったが、台風の影響で中止に。2020年夏も新型コロナウィルス感染拡大防止のため中止。イベントでの披露の代わりに、録音が行われることになった。もちろん歌い手は智絵美さんだ。

「広野音頭は小学校の運動会で歌って踊っていたので覚えていました。紙でつくったお花を手につけて、ひらひらさせて踊るんです。震災後、甥っ子と姪っ子の幼稚園の運動会に行ったらやっていて。わー、懐かしい!これを復活させて、盆踊りでやったらいいかもって思ったんですよ。そんなときにプロジェクトFUKUSHIMA!の話が来たんです」

「大友良英スペシャルビックバンド」による広野音頭のレコーディングに参加した時の様子。「地名や歌詞の意味を汲んでくださって、本当にありがたくて泣きそうになりました。何度も歌って、じっくり味わって、 “広野を歌った”って感じでした」(写真提供:佐藤有美)

広野町で出逢う人たちに広野音頭について尋ねてみると、パッと立ち上がって踊り出す人や、顔をほころばせて「歌詞がいいんだよねえ〜」と歌い出す人も。世代間でばらつきはあるものの細々と継承され、愛されてきた歌だということがわかった。智絵美さんもその一人だ。

「歌詞の中の風景に共感できるんですよね。でも、私たちにとっては昔聴いたガサガサの音源こそが広野音頭だから、それ以外に変わるなんて信じられない。リメイクすることは、本当にすごいことなんです。だからうれしくもあり、わたしの声でいいのか?ってプレッシャーもあります」

上下ともに写真提供:佐藤有美

震災当時、広野町にいなかった智絵美さんは、友人たちとはあまり震災の話をしてこなかった。「あのとき、ああだったよね」という会話に自分は踏み込んではいけない気がして、そっか、そっかと受け止めることしかできなかった。そんな智絵美さんが、生まれ育った広野の風景を歌う。彼女が歌う広野音頭がこれからますます愛され、子どもたちが運動会で踊り、盆踊りでは輪ができる。広野を離れて、盆踊りの櫓の上で歌って見えた、自分にとっての広野の大切さ。今だからこそ、この歌を歌える。

トントン チリチリ トンカラコ
広野は広野は よいところ ハー キテミセイ

関わり方が変わったから。
外にいてもふるさとと、ともに

「昔は、まちが好きとか、そういうのが全然なかったんです。でも今は大事にしたいし、残したいし、帰る場所ですね。すごく好きになりました。関わり方が変わったからでしょうね。地元にいる時は、勝手に自分が縛られているような気持ちになってたけど、今は大人になったから自分で選んで、帰ろうと思えば帰れる。この関わり方がわたしはすごく好きかもしれない。たまに帰る、何かあれば帰れるっていうくらいが」

今回新たに録音する広野音頭に関わるのは、思えば智絵美さんのように福島と関わる人たちばかりだ。2015年からプロジェクトFUKUSHIMA!の代表を務める山岸清之進さんは、福島市の温泉旅館に生まれ、今は東京で働いている。音楽家の大友良英さんは10代を福島で過ごし、実家は今も福島にある。ここには何もない。そうして福島を出た二人が、2019年にはとうとう福島市の夏まつり「わらじまつり」のリニューアルを手掛け、年に何度も福島に通っているのだから。

震災の全てがマイナスだったとは、思えない。この10年、福島で何度も何度もこの言葉を聴いた。捉え方ひとつで、物事はどんなふうにでも動き出す。

「せまっ!」と思っていた世界が、急に広くひらけていく。


 

 

文・佐藤有美
さとう・ゆみ/愛知県生まれ、神奈川県・逗子市在住。国内外を旅し、そこで出逢った人たちとの縁から、執筆、企画などを行う。10年以上前から福島へ通いウェブマガジン等で記事を発表。祭りや音楽をこよなく愛し、ちんどん屋としても活動している。
https://cotoconton.com/


 
 
 
広野音頭

音楽家の大友良英さん率いる「大友良英スペシャルビッグバンド」の演奏でよみがえった「広野音頭」は、プロジェクトFUKUSHIMA!のYouTubeページで公開中。歌は智絵美さんが担当し、広野鼓舞者のメンバーも踊りで参加している。

 
 


「Excavating Home-Land −ふるさとを発掘する−」
地震、津波、水害などの自然災害を経験しながらも、自然と共存しながら紡いできた営みが受け継がれ、人々が住み続けている地域、福島県東部地域。そこには、高齢化、風評被害、市町村ごとの復興状況の格差といったハードルなどから、見えづらくなっている地域の文化がたくさんあります。「Excavating Home-Land −ふるさとを発掘する−」は、受け継がれながらも忘れかけられている地域の魅力や、これからの地域社会に必要な課題の発見など、3つのプロジェクトの紹介を通じて、ふるさとを再発見していく展覧会です。


会期:〜2021年1月31日(日)11:00〜18:00(日曜日は〜16:00)
休館日:火・水曜日
場所:ぷらっとあっと(福島県双葉郡広野町下北迫折返35-4アイアイ会館1階)
電話:0240-23-6882
Facebook:https://www.facebook.com/plat.at.hirono/


紹介されるプロジェクトのひとつ、「プロジェクトFUKUSHIMA!」のコーナーでは、瀧本智絵美さんの歌とともに録音したばかりの新生「広野音頭」が流れるほか、振付映像を撮影するブース「広野音頭で盆踊ろう!!」も展開されています。



「歌」で故郷とつながり続ける友。 彼女の歌声が、まちに夏を告げる。
「歌」で故郷とつながり続ける友。 彼女の歌声が、まちに夏を告げる。
瀧本智絵美さん
たきもと・ちえみ/1988年、福島県双葉郡広野町生まれ。高校卒業後、東京へ進学。ネイルサロンで勤務後、ネイリストとして独立。2013年から「広野鼓舞者」に所属し、歌い手をつとめ、東京と福島を行き来する生活を送る。
(更新日:2021.03.01)

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これから、誰と、どこで、どんなふうに生きていくか。考えて考えた末の、一人ひとりの別々の決断が、そこにはあった。ぼやけて見えなかった地域が、私の中で立ち上がっていく。どこでもない、今、ここにしかない地域が。
「歌」で故郷とつながり続ける友。 彼女の歌声が、まちに夏を告げる。

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