ある視点

どんなものにも、大体「ふち」があります。
常に真ん中以外にあって、かたちのないものに輪郭を与えたり、
真ん中から溢れたものの拠りどころになったりする場所。
そんな「ふち」が持つ世界を、福岡の小さなブックカフェ
「縁側」店主・河野理子(かわのりこ)さんが紐といていきます。
境界線であり、すみっこであり、ものごとのきわの部分に在るものを見つめるために。
ありふれているけれど、まだ知らない、縁〈ふち〉の世界へ。

 

文:河野理子 イラスト:Yogg

vol.2 夜と縁

夜になると境界線が曖昧になり、世界の全てが溶けてしまうようだ。責任感という言葉から少しばかり解放された人たちの口から、緩やかな言葉が増えてゆく。光が暖かく発光して居場所を示し、その光を目指してある人は歩きはじめる。何かがはじまりそうではじまらない物語の1ページ目みたいな夜も、しりとりみたいな短い言葉の連なる無意味な夜もあれば、切実で抱えきれないような夜もあって、わたしはそのどちらも内包している夜という時間が好きだ。昼は、少々生きることに厳しい。

田舎で生きていると、都会の賑やかな夜はもう幻のようだけど、ここでは虫の息の音が鈴の音のように聞こえる。月の明かりが唯一の灯りで、それが恋しくなって月を見るために何度も外に出たりする。隣の家も、向かいの家も、祖母もみんな寝静まると、わたしは部屋の白熱灯をつけて静かに音楽を流す。祖母の寝言が時折きこえれば、昼間の女神を起こさないようにとわたしは少し身を縮める。

都会にも田舎にも夜が必要な人はきっといる。

気まぐれに、夜に縁側を開けるときがある。近所の受験生が夜勉強をする場所を探していると聞いて、来るかも分からない受験生のために、何度か夜にお店を開けて待っていた。結局受験生は来なかった。

その夜、受験生の代わりに来たお客さんは、就活に悩んでいる大学生の女の子と、何でもズバリと言ってくれるAさんのふたりだけだった。ふたりは向かい合わせの席になり、Aさんは、女の子に、社会の実情をほとんど話した。これから社会に出る大学生がぶち当たるであろう壁のこと。社会は汚いとその子が絶望する前に、すでに絶望していたAさんは話した。純粋でまっすぐなその子の目からは涙があふれ、でも社会に真っ向からぶちあたって、もがきながら闇を見て生きているAさんの言葉は、真摯で、だからこそ彼女は泣いたんだと思う。あまりにも愛されてきたからこそ、社会では通用しないこともあるのだ。純粋な眼差しは、気が付けば汚されてしまう。けど彼女なら、それを乗り越えられるはず。就活という、社会とのはざまに揺れていたその子は夜に立ち止まる。こんな日はもうお客さんはこない。

人生の吹き溜りのような姿を見せる縁側も私は好きだ。夜は暗くて、輪郭は朧げで、幻のようで、でも確かにあったね、ちょっと泣いたよね、とそれぞれの心に残ったとしても、あと5年くらいは話すことはないだろうそんな夜。ふたりの人生が夜にどろりと溶けて縁側を満たした。明日には、わたしがきちんとお掃除するからさ。と思いながらわたしは大切な人生の端くれを見守った。誰だって明るい所だけが人生ではない。光と闇の、その闇の方だって、ちゃんと報われないといけないのだ。

昔働いていた夜の保育園は、初めて社会でわたしに役割を与えてくれた場所だった。その博多の繁華街である中洲近くにある夜間保育園である「どろんこ保育園」が、『真夜中の陽だまり』という本になった。夜働くなんて、というネガティブな言葉が多い中、それでも夜働かなければならない人がいるなら、その親たちを支える。そんな理念のもとで認可の夜間保育をやっている。そこにはギリギリの状態でも頑張って働きながら、子育てをしている親の姿があった。中洲の飲み屋で働いている人や、自営業の人もいた。毎日夜遅くまで働いても、必ず子どもを迎えに来る。保育士との他愛のない会話の後、寝ている子どもをぎゅっと抱きしめ、成長するに従って重くなる子どもを抱きかかえ帰ってゆく。みんなはもう寝ている時間の親子の姿。そのような保育園がなければ、もっと苦しい生活を強いられてしまう人たちの、拠り所のような場所。お昼から見れば吹き溜まりのように思えるものも、真夜中にとってみれば陽だまりで、そこに通う親たちは、葛藤しながらも子育てを一生懸命頑張っている。

「わたし、思うんです。ベビーホテルに(子どもを)預けてる夜のお母さんたちって、社会からネグレクトされた人たちなんですよね」。どろんこ保育園で働く前に、ベビーホテルで働いていた保育士の切実な言葉だった。ベビーホテルは認可外保育所のうち20時以降も保育を行い、子どもの宿泊を伴う保育を行っている保育所だ。無認可なので国からの補助金もなく、保育料だけで運営している。一時預かりなど、親のニーズに合わせた柔軟な対応は可能だけれど、その分、保育士も親も子どもも過酷な環境だ。もちろんクラス分けなどもないので様々な年齢の子どもたちを一斉に見なければならず、年齢に合わせた丁寧な対応には限度がある。そんなベビーホテルからどろんこ保育園に入ることができてから経済的にも、精神的にも負担が軽くなって、いい方に変化してゆく母親もその保育士は見てきた。もしかしたら、みんな何かしらからネグレクトされているのかもしれない。生きてゆくために、行き場のない自分という存在を見つめてくれる人や場所を探している。昼間の世界からネグレクトされたものたちの居場所は夜にあるのかもしれないとふと思う。

保育士時代に関わった、それぞれの歩みで社会を生きる親子の姿と、それを支える保育士の姿が今でもときおり頭をよぎる。吹き溜まりのようで陽だまりのような存在に、わたしも何度も救われてきた。その、社会から少しはみ出した人が集まる隅っこの場所。縁側も、夜も。その場所こそ、社会と自分の大切な部分を繋ぐ砦のように思う。

今日の一冊 : 『真夜中の陽だまり』/三宅玲子(文藝春秋

博多の繁華街である中洲近くにある「どろんこ保育園」という夜間保育園の取り組みをまとめたルポ。夜間保育園に通う親子の姿や、それを支える保育士の声が詰まった一冊で、それぞれの人生に物語があり、事情があり生きていることをこの本からリアルに感じられる。働き方が多様化してゆく中での子育ては厳しいものがあるのと同時に、ちゃんとした子育てができないといけないという社会のネガティブな目線に苦しむ親は多いだろう。そういった社会背景の中、もがきながらもいい方に変化しようと頑張っている親の想いはきっと誰にでも共通だ。どのような環境の親や子どもたちでも健やかに暮らす権利があり、それを支える保育士や保育園の必要性も切実に伝わってくる一冊。
〇〇と縁〈ふち〉

河野理子

本屋兼ブックカフェ「縁側」店主。福岡の夜間保育園で保育士として働き、福岡市にある「Rethink Books」という期間限定の本屋でアルバイトをしたのち、祖父の介護のために、豊前市へ移住。ZINEの制作や冊子編集などの仕事もしながら、本に出会える陽だまりのようで吹き溜まりのようなお店「縁側」を営む。2021年3月末で「縁側」の店舗閉店。現在は結婚を機に北陸に移住し、個人本屋でアルバイトをしながら祖父母との暮らしをまとめた冊子を製作している。

「縁側」だった場所は、現在「まんなか」という名前で、米粉で作ったたこ焼き「こめころ焼き」やドリンクを出す、駄菓子屋さんのような集いの場となっている。
www.instagram.com/comecoro.maruchan

(更新日:2021.01.19)

ある視点

特集

最新の記事