ある視点

どんなものにも、大体「ふち」があります。
常に真ん中以外にあって、かたちのないものに輪郭を与えたり、
真ん中から溢れたものの拠りどころになったりする場所。
そんな「ふち」が持つ世界を、福岡の小さなブックカフェ
「縁側」店主・河野理子(かわのりこ)さんが紐といていきます。
境界線であり、すみっこであり、ものごとのきわの部分に在るものを見つめるために。
ありふれているけれど、まだ知らない、縁〈ふち〉の世界へ。

 

文:河野理子 イラスト:Yogg

vol.3 爪と縁

身体の中の直接触れられるもので1番かたいものが歯だとしたら、爪は2番目にかたいのではなかろうか。

幼い頃、やんちゃな男の子が爪を立てて、友だちとぎゃあぎゃあ喧嘩している間、わたしは爪に時間を割いていた。そのかたいプレートに色を塗って遊ぶことを知ったのはなんでだろう。爪を染める動作と、出来上がった美しさに憧れては、自分なりにマニキュアを考案し、マジックで塗ったその上からのりを貼って乾かしたりしていた。どうしてわたしたちは爪に色を塗るのだろうか。あの爪を立てて喧嘩をしていた男の子は、今では二児の父だなんて、あの頃は想像すらできず、わたしは爪に夢中だった。

親が帰るのが遅い時、わたしはよく隣の福ちゃんの家に預けられた。福ちゃんの部屋の本棚の前には、きれいなピンクというより、すこし燻んだピンクのマニキュアが置いてあった。わたしはそのマニキュアを、禁断の果実を食べるように、こっそり息を止めて塗った。本物だ。爪からはみ出して皮膚にまでついて、試行錯誤して塗り終えた。子どものすることだ。今考えると絶対ばれるに決まっているのに、長袖で必死に爪の先を隠して一緒にご飯を食べたのを覚えている。黙ってくれていた福ちゃんは優しい。家に帰って親にバレないようすぐにごりごりと取った。まだほんのり柔らかいマニキュアは思いのほか簡単に取れた。

そんなことさえも忘れて部活に勤しんでいた中学時代の爪の記憶といえば、学校に来る楽器屋のおじさんの、小指の爪だけ異様に長かったこと。その長さは得体の知れないものを醸し出していて、それはわたしたちをざわざわさせ、時に話題にもなった。その爪のせいでその人は、わたしたちから距離を置かれていた。どうして?と聞けもしない長い小指の爪の言い訳に翻弄された。リコーダーが吹きやすいからかもしれない。できれば健やかなものでありますように、と無意識に願う。得体の知れないものに直面し、爪は揃えて切ることしか知らないわたしは正当な理由を当てはめようと必死だった。

最近学生時代の友人に子どもが生まれることが多い年齢になった。あの時はみんな爪に時間を裂いたり、爪を立てて喧嘩したりしていたのに、今では命を生み出している。そんな友人の子どもを見ると、わたしは顔よりも、小さな手を見つめてしまう。コンビニの小さいシュークリームくらいしかないまあるいその手の指の先にチョン、とわたしと同じ爪がついていることを確認しては、いちいち驚き、胸をなでおろす。こんなに小さいのにあなたにも同じプレートがついていることに。

ここ最近、そのかたい爪という場所に色をさしてみたくなった。かたい、と感じたのだ。自分の中の女性性のようなものがかたくこわばっている。

わたしは勢いよくメルカリでマニキュアを購入した。あの時こっそり塗っていた燻んだピンク色に似た色だ。シンナーの臭い匂いと、慎重に爪を塗る動作に、わたしはうっとりしてくらりとした。この爪を塗る以外に何もできない愛しい時間。無駄とも言える時間。この得体も知れず伸びてゆく爪。爪がなくなってしまわない限り、ほんとの役割なんて実感として分かることはないよね、とぼんやり思いながら。

縁側はドリンクを出すので、手の方はあまりできないけど、足のマニキュアを働いている時にたまに見て綺麗な色だなあと嬉しくなる。

そんな風に女の子モードになる時は無性に岡崎京子が読みたくなる。きっとみんなそんな本があるような気がする。そのコスプレみたいなモード。だけどそれは、ただ幸せとは言い切れない女の子の話なのだけど、なぜかすごく生きるための元気をもらう。愛と資本主義がテーマの『PINK』のあとがきにあるように、「普通に」幸福に暮らすことの困難さを抱えているのはもはや東京だけではなく、昔話でもないような気がしている。以前、『PINK』を読んだ時には主人公のユミちゃんのペットのワニのことや、OLとホテトル嬢をしながらたくましく生きる姿、ラストシーンの切なさで頭がいっぱいだったのに、最近もういちど読むと爪のことが描かれてある描写が強く印象として残った。

“「ピンク色はやさしくてきれいだったお母さんの爪の色 あたしのしあわせのいろ」”という言葉。寝る前にユミちゃんがご機嫌でマニキュアなんか塗りはじめるシーンもある。このささやかな爪の描写は、日常の風景として通り過ぎてしまいそうで、この物語に於いて取るに足らないと思われるかもしれない。だけど、都会の資本主義を女の子として生き抜くための支えとなっている大きな存在がペットのワニならば、爪を綺麗にすることは代々女たちに受け継がれた秘伝の武器のようにわたしの目には映った。誰にも武器とは気付かれない密かなものだ。かたいのだけど、他人を傷つけるために使わないで、己と他人を愛するしたたかな武器。生身の人間のピンク色の愛。爪は他人ではなくて、わたし自身の先端だから。他者と繋がるための先端。シェイクハンズする、先端。

90年代の資本主義における暮らしの中では、もういない優しい母親の爪の記憶は、幻想のように掴めない幸せの象徴となっていたかもしれないけれど、今違う角度から爪を見た時、そのピンク色から、お金や地位や名誉ではない人間としての幸福をすくい取れる気がする。「普通に」暮らすことの困難さを乗り越えてゆく武器になるという希望だ。

もちろん男の子にも、動物にも爪はある。今はマニキュアなんて性別など関係なくするし、伸びたら切ってを繰り返して、みんなちゃんと爪を手入れする。そのよく分からない、取るに足らない存在というものを大切にすることは、女性だけでもなく私たち人類にとって思いのほか価値のある行為なのかもしれない。わたしたちはいつも中心にはいられない。だからといって中心にすがりつくよりも、その周縁で輝いていたい。わたしたちに平等に分け与えられた爪をきれいにして戦うのだ。あの頃の楽器屋のおじさんも、小指の爪を丁寧に長く伸ばして何かと戦っていたのだろうか。

体の端っこにわたしたちはピンク色の愛のある武器を持っている、それを使うときのためにうっとりと手入れをしていると思ったら、なんだか怖いものが減ったような気がした。縁側というどこかのふちで、わたしもわたしなりの愛を持って密かに戦っているのだ。

今日の一冊 :『PINK』/岡崎京子(マガジンハウス

主人公のユミちゃんは、OLとホテトル嬢をしながら大好きなワニを飼って東京で暮らしている。資本主義社会を生き抜くユミちゃんの現実は時におとぎ話のようだ。そこには愛とスリルとサスペンス、そして悲しみや絶望さえも乗り切る軽やかさが入り混じる。いつの時代でも女の子のお守りになり得る一冊。
〇〇と縁〈ふち〉

河野理子

本屋兼ブックカフェ「縁側」店主。福岡の夜間保育園で保育士として働き、福岡市にある「Rethink Books」という期間限定の本屋でアルバイトをしたのち、祖父の介護のために、豊前市へ移住。ZINEの制作や冊子編集などの仕事もしながら、本に出会える陽だまりのようで吹き溜まりのようなお店「縁側」を営む。2021年3月末で「縁側」の店舗閉店。現在は結婚を機に北陸に移住し、個人本屋でアルバイトをしながら祖父母との暮らしをまとめた冊子を製作している。

「縁側」だった場所は、現在「まんなか」という名前で、米粉で作ったたこ焼き「こめころ焼き」やドリンクを出す、駄菓子屋さんのような集いの場となっている。
www.instagram.com/comecoro.maruchan

(更新日:2021.03.04)

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