ある視点

どんなものにも、大体「ふち」があります。
常に真ん中以外にあって、かたちのないものに輪郭を与えたり、
真ん中から溢れたものの拠りどころになったりする場所。
そんな「ふち」が持つ世界を、福岡の小さなブックカフェ
「縁側」店主・河野理子(かわのりこ)さんが紐といていきます。
境界線であり、すみっこであり、ものごとのきわの部分に在るものを見つめるために。
ありふれているけれど、まだ知らない、縁〈ふち〉の世界へ。

 

文:河野理子 イラスト:Yogg

vol.7 はじまりの縁

家族にも社会にも馴染めない、どちらにも片足だけ入れていて、どちらからも今にも逃げようとしているものの、飛び立つことさえできない所在なきわたしに、介護という役割を与え、もう一度家族にしてくれたのは祖父だった。

わたしが4年前に福岡の都心部から移住してきたときに与えられたのは、そんな祖父の書斎だった。祖父がひとりこもっていたその書斎は、縁側の隣にぽこっと後づけされた場所で、わたしはその縁側という場所が好きだった。祖父とふたりで、庭に降る雨を見ながらそこで話をする時間は、台所の叔母や母の声がこの世のものとは思えないほど遠く、祖父とわたしだけが社会からも家族というものからもはぐれ、ただ縁側という縁にぎりぎりで佇み慈しみあっているようだった。

祖父は家庭を守り、立派に仕事をこなしてきた。縁側という場所は、そんな祖父の晩年に年老いてぼやけてゆく姿と、社会から少し浮遊しているわたしの穏やかな繋ぎ目でもあった。わたしが車椅子に座る祖父とよく話をしたのは、共に立ちたかったからだと、今は思う。同じ目線で、ただの人間として。縁側では祖父と同じになることができた。

祖父とわたしは、繰り返される生活に物語を取り入れようと、家の縁側に家中の本を集めて並べた。好きな音楽を流し、そこで飲み物を飲んだりしてお店屋さんごっこをした。その度に、「週に2日通う介護施設にお店のチラシを配ってやるから、早く本当のお店にしなさい」と、言われていた。「どんな状況にあっても、苦しいときも、自分がやりたいと思ったことをしなさい」というのが祖父の口癖だった。

祖父は、わたしが偶然借りることができた家の近くで、「縁側」という本屋兼ブックカフェをオープンするほんの一カ月前、ごっこ遊びの縁側しか知らないまま逝った。ひとりぼっちになったようなさみしさが押し寄せていたあの頃からは想像できないくらい、今、わたしと祖父の居場所だった小さな縁側は、場所を変えて店となり、地域に開かれている。こんなに賑やかになるなんて夢にも思わなかった。曖昧だったわたしに居場所をくれた縁側と、祖父と祖母。わたしは「縁側」という店を、誰にも縁取られない、曖昧な場所にすることをめざしてきたのかもしれない。縁側そのものがそうであるように。その場所は弱いわたしのままで人々と繋がることのできる、優しい繋ぎ目でもあった。

そして今、わたしはぎゅっと握っていた手を緩めてみようとしている。それは「縁側」という店を手放すということだ。そして、その緩んだ空間に、これからはじまるものが入ってくるような気がしていた。

「マルっていいですよね、だって端がないんです。どこにいても真ん中なんですよ」

ある日、不意に縁側にやって来て、わたしにそういった同じ歳の女の子に、わたしは「今、縁(ふち)についての文章を書いているんです」と伝えたことがある。わたしたちはなぜか、それだけで分かり合えた気持ちになった。同じ場所で共に立った、あのときの祖父と同じように。

あの子にこの場所を譲りたいと思った。ここは、わたしひとりだけのものではない。次の場所が見えたのなら、この場所を巡らせてゆくべきだと思った。入れ替わり、立ち替わり、巡って変化してゆく。わたしたちは人生のひと時、この場所で、こぼれ落ちそうな社会の縁(ふち)で出会えた。そして、その物語が続いていくように、彼女にバトンを繋いでゆくことにした。わたしも地球のどこかで、続きの物語を作ってゆくのだろう。

お店としての縁側はなくなったとしても、縁側という存在はなくならずにきっとある。どこかの隅っこに、真ん中に、壊れそうなものの隙間に、いつかの思い出の中に、これから出会う新しい場所にも。変幻自在に形を変えて、現れる。それはわたしだけではなく、誰もが、自分にとって心地のいい場所を見つけ続けてゆくことができるという希望だ。行き過ぎたり、戻って来たりして、それぞれがわたしの場所を見つけていく。他者との境界線でもある縁(ふち)は、存在のみが肯定され、あなたの生をまるごと受け入れる緩みであり、それはみんなに用意されているのだから。そこに立てば同じになれる場所、あなたとわたしが共に在れる場所。それは互いに異なることで成立する居場所なのだ。

今日の一冊:『つむじ風食堂の夜』/吉田篤弘(ちくま文庫

小さな交差点のような「つむじ風食堂」で出会った人々をめぐる物語は、まるで物語と現実が交差するかのように、ほどよい距離感と温度で進んでいく。現実に実在しそうな月舟町というまちの住民は、風変わりな人ばかりだ。その個性の異なりは読む者に安心感を与えてくれる。約束もせず、ふらりと集まって話をし、そこで哲学のようなものが生まれていく。そんな居場所のような場所に、この本を通して遊びに行くことができる。幾度となく「つむじ風食堂」に思いを馳せていたが、個性豊かなお客さんが集まる縁側も、小さな交差点のようだ。本と現実のつながりを感じた一冊であり、何度も助けられたこの物語はわたしにとっての心の縁側的存在でもある。
〇〇と縁〈ふち〉

河野理子

本屋兼ブックカフェ「縁側」店主。福岡の夜間保育園で保育士として働き、福岡市にある「Rethink Books」という期間限定の本屋でアルバイトをしたのち、祖父の介護のために、豊前市へ移住。ZINEの制作や冊子編集などの仕事もしながら、本に出会える陽だまりのようで吹き溜まりのようなお店「縁側」を営む。2021年3月末で「縁側」の店舗閉店。現在は結婚を機に北陸に移住し、個人本屋でアルバイトをしながら祖父母との暮らしをまとめた冊子を製作している。

「縁側」だった場所は、現在「まんなか」という名前で、米粉で作ったたこ焼き「こめころ焼き」やドリンクを出す、駄菓子屋さんのような集いの場となっている。
www.instagram.com/comecoro.maruchan

(更新日:2021.10.26)

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