ある視点

どんなものにも、大体「ふち」があります。
常に真ん中以外にあって、かたちのないものに輪郭を与えたり、
真ん中から溢れたものの拠りどころになったりする場所。
そんな「ふち」が持つ世界を、福岡の小さなブックカフェ
「縁側」店主・河野理子(かわのりこ)さんが紐といていきます。
境界線であり、すみっこであり、ものごとのきわの部分に在るものを見つめるために。
ありふれているけれど、まだ知らない、縁〈ふち〉の世界へ。

 

文:河野理子 イラスト:Yogg

vol.6 波打ち際と縁

石牟礼道子さんの本を開くと、波の音が聴こえてくる。

陸のことや山のことが書いてあったとしても、なぜかその向こうに広がる海の景色が見えるのは、石牟礼道子さんが水俣の海を見つめ、海の近くに暮らす人々を見つめてきたからだろうか。晩年に出版された『魂の秘境から』にも、「海と陸の境にある渚辺は、人と人ならぬものたちの世界の境でもあった」と書いてある。

そして、波打ち際についても次のように書いている。

“なごりという言葉は、波が去ったあとに残るものを指す『波残り』からきたとも聞く。波跡に浮かぶ泡沫のような人間の身にも、もの懐かしさがふと胸に迫ることがある。”


ときおり顕れる、世界にひとりだったときを思い出すような哀愁を、波打ち際から感じられるのは、そういった目に見えないものや体を持たない魂の名残りを、体が受け取るからなのかもしれない。

そのような寄せては返す曖昧な波打ち際は、この世とあの世を繋ぐ朧げな世界の入り口のようでもある。そこに立てば、未知の世界に少しばかり触れることができ、何かが始まっていくような気持ちになる。

そんなことを考えていたら、お客さんに教えてもらったある本を思い出し、本棚から引っ張り出した。赤坂憲雄著の『境界の発生』にはこうあった。

“民俗学的なシンボリズムにあっては、つねに境界ないし周縁とは、多義的な意味(魔性・カオス・闇)の湧きいづる混沌とした空間である。そこは、あらゆる交通の結節点として、人・モノ・コミュニケーション、そのたえざる生成と消滅が繰り返される場所でもあった。内部/外部・生/死・男/女のはざまに、境界をめぐる物語群は反復されつづける。”

この文章をなぞったとき、境界ないしその周縁のカオスというものには物語があり、その物語こそが、分かり得ないもの同士を結びつける重要なものなのではないかと思えてきた。

そんな境界にある物語には、傷つけ合うことも含まれている。人は傷つき傷つけながら初めて異なることを知っていくからだ。海の砂浜に立ったとき、波に足の裏の砂を持っていかれるように、何かは奪い取られるが、でもまたいつのまにか元に戻る。あちらへ行きすぎたら、こちらへ戻ってくる、といった行き来を繰り返しながら、淀みなくたゆたう一連の物語が、二極するものとの調和を保つのかもしれない。強いていうなら建築に使う言葉である”遊び”というものに似ている気がする。

異なるもの同士が境界の前に歩み寄り、少しの間だけでも共に立つそのときの姿は、怖さなどを通り越し水面のように美しくきらめくのだ。

今日の二冊 :『魂の秘境から』/石牟礼道子(朝日新聞出版

朝日新聞に掲載されたものをまとめ、晩年に出版された一冊。パーキンソン病を患いながらも、しっかりとした変わらぬ筆跡で綴られる水俣・不知火海の記憶。幼き頃に触れたり見たり聞いたりしたその感触は、どんなに年老いてもなお鮮烈に石牟礼さんの中にあり、その心情や空気までもがありありと読者の目の前に現れる。いつも異界と対峙して水俣に寄り添った石牟礼さんの魂の言葉は、これからもずっと先まで、どんなときもわたしたちを待ち伏せてくれている。

『境界の発生』/赤坂憲雄(講談社学術文庫
かつては疑う余地のない自明なものだった境界は、今失われ溶け去ろうとしている。混沌としたものやカオスが排除され、目に見えるものだけを信じる世界が生きづらさを産んでいる。その背景には、境界を察知することができなくなったということもあるのではないか。
柳田國男や折口信夫の境界論をも取り入れながら、境界についてのさまざまな考察、文化や歴史の昏がりに埋もれた境界の風景を発生的に掘り起こした本書。日本に生きるわたしたちが境界という存在を知ることは、歴史や暮らしや人との関係性、生と死への捉え方に良い変化をもたらすのではないだろうか。
〇〇と縁〈ふち〉

河野理子

本屋兼ブックカフェ「縁側」店主。福岡の夜間保育園で保育士として働き、福岡市にある「Rethink Books」という期間限定の本屋でアルバイトをしたのち、祖父の介護のために、豊前市へ移住。ZINEの制作や冊子編集などの仕事もしながら、本に出会える陽だまりのようで吹き溜まりのようなお店「縁側」を営む。2021年3月末で「縁側」の店舗閉店。現在は結婚を機に北陸に移住し、個人本屋でアルバイトをしながら祖父母との暮らしをまとめた冊子を製作している。

「縁側」だった場所は、現在「まんなか」という名前で、米粉で作ったたこ焼き「こめころ焼き」やドリンクを出す、駄菓子屋さんのような集いの場となっている。
www.instagram.com/comecoro.maruchan

(更新日:2021.05.24)

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