ある視点

どんなものにも、大体「ふち」があります。
常に真ん中以外にあって、かたちのないものに輪郭を与えたり、
真ん中から溢れたものの拠りどころになったりする場所。
そんな「ふち」が持つ世界を、福岡の小さなブックカフェ
「縁側」店主・河野理子(かわのりこ)さんが紐といていきます。
境界線であり、すみっこであり、ものごとのきわの部分に在るものを見つめるために。
ありふれているけれど、まだ知らない、縁〈ふち〉の世界へ。

 

文:河野理子 イラスト:Yogg

vol.4 手紙と縁

「言葉には向こう側があるらしい」と聞いて、それはもしかして言葉のないところではないかと思ったことがある。

こんなにも毎日言葉にあふれているのに、どうしてわたしはいつも本の中の言葉を欲しているのだろうと思っていたけれど、それは「言葉のないところへ行きたい」という欲求なのかもしれない。

話し言葉は主に伝達のために使われている言葉のような気がしていて、その時のその瞬間に起きることに対して瞬時に気持ちと言葉を一致させなければならないし、それに声色なんてものも加わると、とても難しくなる。今が勝負で、わたしはその勝負に弱い。今に全てを集中させて、傷つけてしまうことも恐れずに言葉を発する。嘘がないようにと慎重になればなるほど、言葉がわたしの体内に留まり幼虫のように奇妙にうごめき続けるか、返しそびれた言葉の端くれだけが風船のように空に浮遊し、消えてゆく。うまく相手に伝わった、と思える日には自分を褒めたいのだけど、そうじゃないことも多い。

だからこそ、書いた言葉は優しいことを知っている。たくさんの言葉を使って、時間をかけて、ゆっくりと吟味して、それをなぞってゆくと、言葉ではないものが行間から少しずつ浮かび上がってくるのだ。そうして読み終わる頃には大きな丸い場所が現れる。言葉で縁取られた言葉のない秘密基地にわたしはしばし身を寄せ、眠るように佇んでいる。

作家の小川洋子さんが、「言葉が必要とされないところに行くために、みんな言葉を使った物語を読むのかもしれない。」といったことを、講演会ようなところでおっしゃっていた。わたしもまたそれを感じたいがために、物語を読むし、文字を書いている。言葉のない場所から発せられた粒子が誰かに伝わることを信じて。

縁側のお客さんから不意に届いたその手紙には、詩集のような雰囲気があった。

お店であまり話さなくても、数日後に手紙が届いて、そこには対面の時には生まれない、深い海のような言葉が羅列している。それを見て、わたしの中の本当の言葉は、そちらに近く、そしてその言葉を投げかけることを許してもらったような気持ちになり、とても嬉しかった。現実で進む時間ともう一つ別に、時間を置いた関わりを継続してできることは貴重だ。

言葉は時に人を刺したり、悪口に火がついてどこまでも火だるまのように転がってしまうような怖いものでもある。そんな人間らしいとも言える愚かさに翻弄されてしまう日常の中で、手紙でのやり取りは、心のこと、季節の移り変わりのこと、肌で感じた感覚を連ねることができて、大切なことを忘れておかしな方向へ行きそうになるのを食い止める杭にもなってくれていた。

一呼吸置いて、自分から見える世界を描写する。手紙での世界線に乗っている悲しみや喜びは信じられる。否、信じたいという方が正しいのかも知れないけれど。

そうして言葉で感覚を縁取ってゆくと、まあるい優しいものが浮かび上がってくるような気がする。話し言葉ではきっと生まれなかったものが時間をかけて浮かび上がってくるその様は、内容に関係なく、今誰かと共に生きている実感を灯してくれたのだった。決して大げさなものではなく。

わたしだけで息をしているわけではなく、そういったやり取りの中でわたしはまた生まれたり、時には死にそうになりながら自分の中の大切なものを確かめることができていたのだ。

その人との手紙に、「小川洋子さんと、堀江敏幸さんの『あとは切手を一枚貼るだけ』という本を読みました。素晴らしかった」と書いたら、その方もちょうど同じ本を読んでいたことがあった。不思議な話だけれど、わたしたちはもはや驚かなかった。この世界線ならありうる。必要な時に、必要な言葉が届くこともまた信じられるようになった。

わたしはその時期、本を読むことにせっかちになっていた時で、でもこの本からはゆっくりと、深く言葉が届いてきた。登場人物の往復書簡から、二人の関係性や、過去の取り返しのつかない傷、想いなどが、ページをめくるたびに少しずつ浮かび上がってくる。喜びも悲しみも、古道具のような時を経た美しさがある。

この二人の長い人生の物語のように、人との関係もゆっくりとすすめていこう。お客さんとの手紙のやり取りもまた、言葉を必要としない部分を共有するために言葉を交わしているからこそ、心地いいのかもしれず、これといって伝えたいことや言いたいことなんてないのだなあと思う。心を縁取ってくれるのも言葉であり、本の可能性や必要性もまた同時に強く感じられる。

大切なことは縁取れば見えてくる。

手紙をやり取りしないおじいちゃんが、道で摘んだお花を「はい」と縁側に持ってきてくれることがある。わたしの手のひらにある小さな花を見て、おじいちゃんが縁側に来るまでの姿を思い浮かべる。その花は何だか言葉になる前の思いのようで、それはどことなく手紙に似ている。

何気ない日々の断片を共有するような、そんなささやかなやり取りを続けていくと、きっとその人との関係の間で優しい何かがあったかい湯気みたいに立ち上がり、関係を温めてくれる。そうすると好きとか嫌いとか苦手とか、わかりやすく簡単に結論を出してしまわないコミュニケーションが生まれるような気がするのだ。直接会えなくてもわたしとあなたの世界の端に立って、キャッチボールするイメージというのか。

日々移り変わる感情の機微を交換することは、時間をかけて一冊の本を書き上げるような、長く続く物語のはじまりだ。そんな優しい眼差しでふと花瓶に目をやると「焦らないで、ゆっくりね」とおじいちゃんにもらった女郎花や金木犀がこちらに微笑み返してくれたような気がした。

今日の一冊 :『あとは切手を、一枚貼るだけ』/小川洋子、堀江敏幸(中央公論新社

かつて愛し合い、今は離れて暮らす二人の14通の手紙のやり取りから浮かび上がる物語。名前すら出てこないこの物語は、悲しさをまといながら進んでゆく。書かれる言葉の美しさと手紙という媒体により一層隔たりを増すようにも感じられる。往復書簡でしか表現されなかったであろう二人の作家が織りなす物語の素晴らしさが静かに深く伝わってくる。
〇〇と縁〈ふち〉

河野理子

本屋兼ブックカフェ「縁側」店主。福岡の夜間保育園で保育士として働き、福岡市にある「Rethink Books」という期間限定の本屋でアルバイトをしたのち、祖父の介護のために、豊前市へ移住。ZINEの制作や冊子編集などの仕事もしながら、本に出会える陽だまりのようで吹き溜まりのようなお店「縁側」を営む。2021年3月末で「縁側」の店舗閉店。現在は結婚を機に北陸に移住し、個人本屋でアルバイトをしながら祖父母との暮らしをまとめた冊子を製作している。

「縁側」だった場所は、現在「まんなか」という名前で、米粉で作ったたこ焼き「こめころ焼き」やドリンクを出す、駄菓子屋さんのような集いの場となっている。
www.instagram.com/comecoro.maruchan

(更新日:2021.03.23)

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