特集 ふっと動くとき

一度も踏み入れたことのない土地へ。住むことでしか描けないもの

はじめての町を訪れる時は、どんなところだろう、どんな人たちが住んでいるんだろう、とわくわくする。それがこれから暮らす町となれば、なおさら。

藤田美希子さんは、ドイツのミュンヘン造形芸術大学を卒業後、それまでに一度も訪れたことがない鳥取市鹿野町へ移り住んだ。引っ越しを決めたのは、友人の薦めに「いいな」と思ったからだった。それはふとしたひらめきのようなものだった。

その町には深い森と城下町と、世代や出身地を超えてつながり、まちづくりに取り組む人たちの暮らしがあった。藤田さんはそこで、新たなイマジネーションと出会う。ドイツで森をモチーフに絵を描いていた彼女は、鹿野の森に入った時に畏れを抱いた。その森の不思議な魅力は、若きアーティストの心をドイツから鳥取へとつないでくれた。

現在は山のそばの一軒家に暮らし、ホステル「Y Pub & Hostel」で働きながらアトリエへ通う日々。そして時々、まちの人たちの集いにも顔を出す。彼女が鳥取で見つけた暮らしから、未来の描き方を探る。

写真:阿部 健 文:宮越裕生

日本の地方に可能性を感じて、一路鳥取へ

藤田さんがドイツから鳥取へ来たのは、2016年6月。鹿野のことは、ドイツ東部の都市・ライプツィヒのプロジェクトスペース「日本の家」(※1)で会ったアーティストから聞いた。その人によると、鹿野では地元の人たちと外から移り住んできた人たちが協働でまちおこしを行っていて、おもしろいことが起きているという。

※1ライプツィヒ日本の家」:ライプツィヒにある空き家をセルフリノベーションしたスペース。空き家を「日本」というテーマを用いて人々が集いアイデアやものが生み出されるクリエイティブな「家」として再生することを目的としたプロジェクトに取り組む。

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「ドイツの大学を卒業した後、日本のどこに住もうか迷っていたんです。住むなら都心や実家のある千葉でなくて、一度も足を踏み入れたこともない山陰や瀬戸内に魅力を感じていました。ドイツにいた時に、日本の若い人たちが地方に移りはじめているという話が聞こえてきて、それはゆっくりな動きかもしれないけれど、自然な流れだと感じていて、私もちょうどその時、日本の地方で何か新しいことができるんじゃないかなと思っていたんです

そんな時に、以前鹿野に住んでいたアーティストの宮ちゃん(宮内博史さん)から、『鹿野に行ってみなよ』って言われて、すーっといいなと思えたんです。空き家がたくさんあって、アトリエを安く借りれるというのも魅力的でした」

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ミュンヘン造形芸術大学では、現代アートの世界で活躍するアーティストでもある教授に師事していたという藤田さん。大学内は教授の意見が絶対、という世界。「ドイツのスタンダード」を教えこまれ、みんなの前で絵を酷評されたことも度々あった。それでも、ドイツと日本のはざまで自分の表現を探り続け、卒業制作は良い評価も受けた。「鹿野にいこう」と思ったのは、約6年間の学生生活が終わり、ほっととひと息ついて「自然の流れにまかせていきたい」と思った頃だった。

移住者と地元の人が混ざり合う町

鹿野の町は、山と田んぼのなかにある。町の中心部には城跡があり、その周りをお堀と町屋地区が囲む。町のここそこには京格子の町屋や白壁の家があり、家々の間を400年以上昔につくられた水路が流れる、優しい空気に包まれた静かな町だ。

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藤田さんは今年の4月、宮内さんをはじめとする「日本の家」のメンバーたちと共に鹿野へ来た。藤田さんは住む家を探しに、日本の家の面々は鹿野のまちづくりをリサーチすることが目的だった。そして彼らと「八百屋barものがたり」という飲食店を訪れた時に、その後一緒に暮らすことになるひとりの女の子と出会う。

「町のほぼ真ん中に八百屋barものがたりという移住者の方がはじめたお店があって、そこが外から来た人や町の人たちが集まる場所になっていたんです。そこでまこちゃんという女の子と出会い、話しているうちにお互いに家を探しているということがわかって、『じゃあ、一緒に家を探して住もうか』という話になりました。まこちゃんは鳥取環境大学に通う学生で海外のことやドイツにも興味があったので、はじめから話が合ったんです」

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さまざまな出会いを生んだ場所「八百屋barものがたり」。料理は鹿野を代表する食材を使った料理を提供している。赤いシャツを着ているのが店長の成瀬 望さん。

さまざまな出会いを生んだ場所「八百屋barものがたり」。料理は鹿野を代表する食材を使った料理を提供している。赤いシャツを着ているのが店長の成瀬 望さん。

その後藤田さんは一旦実家へ帰り、二人はそれぞれに引っ越しの準備を進めていた。それからしばらくして、まこちゃんから家が見つかったという知らせが届いた。

「不思議な縁なんですけれど、今住んでいる大家さんとまこちゃんは、大学で出会ったんです。大家さんは、鳥の卵の引き取り手を探していて、相談に行った大学でまこちゃんと知り合って。

それからいろいろ話しているうちに大家さんが息子さん夫婦のためにリフォームした家が空き家のままになっているということがわかって。その後は、あれよあれよという間にその家に住むことが決まっていきました」

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その家は城下町から自転車で数分のところにある、山と田んぼのあいだにあった。2人で暮らすには十分すぎるくらいの広さだけど、藤田さんも野中さんも一目見て気に入り、借りることに決めた。

「鹿野には空き家から出た家具や家電を集めて置いてある場所があるんですけれど、必要なものは全部そこで見つけて、鹿野のお父さんたちにトラックで運んでもらいました。大家さんは、敷金や礼金は0円、家賃は1万円でいいといってくださったので、新生活をはじめるための費用はほとんどかかりませんでした」
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タイミング良くよい物件にめぐり会えたふたり。それにしても、これほど移住者に開かれた町も、めずらしいのではないか。鹿野には、廃校になった学校に旗揚げした劇団「鳥の劇場」や古民家を利用したパン屋さん、雑貨屋さんなど、移住者に空き家を貸し出し、活用している例がたくさんある。また、「BeSeTo演劇祭 鳥取」や「週末だけのまちのみせ」など、年間を通じてさまざまなイベントを行っている。

移住者のサポートを行っているNPO法人「いんしゅう鹿野まちづくり協議会」の理事・大石進さんは、昔からまちづくりに関わってきた。鹿野に若い人たちが集まってくることをどう思いますか?と聞くと「うーん。若い人でも年寄りでも、いいんじゃない」とおおらかに答えてくださった。
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同団体の活動にたずさわる向井健太さんは、自身も大阪、沖縄をへてこのまちへやって来た、移住者のひとりだ。

「僕は学習塾を主催しながらまちづくりに関わっています。鹿野は、誰かひとりが町を引っ張っていっているという感じでもなくて、何人もキーマンがいるという感じなんです。町のなかに『みんなでまちづくりをしていこう』という雰囲気がありますね」

このまちでは、本当に多様な人たちが、主体的にまちづくりに参加している。そのつながりのなかに、藤田さんもいた。

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駅まで30分の自転車通勤
山と町を行き来する暮らし

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仕事帰りに、農作業の合間に休憩していたおじいさんたちに遭遇。お茶をすすめられ、ちょっと休憩。瞬く間に溶け込んでしまう。

駅から自宅までを自転車で移動中、農作業の合間に休憩していた地元のお父さんたちにお茶をすすめられて。瞬く間に溶け込んでしまう。

アーティストとしてひとり歩きをはじめたばかりの藤田さん。今は、鳥取駅近くのホステル(素泊まりの宿)とパブを併設する施設「Y Pub & Hostel」でアルバイトをして生計を立てている。Yまでは、自宅から最寄り駅まで自転車で30分(!)、電車で20分。通勤は結構ハードだけど、仕事仲間と過ごす時間や町から受ける刺激など、得るものは多い。

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宿泊客の臼杵貴志さん。「鳥取の山と町と人が好きで、30年間神戸から通っています。老後は鳥取に住みたいですね」

宿泊客の臼杵貴志さん。「鳥取の山と町と人が好きで、30年間神戸から通っています。老後は鳥取に住みたいですね」

「ここにはいろんな人が集まってくるので、スタッフと話すのも、お客さんと話すのも楽しいですね」

Yはゲストハウスとカフェを併設する「たみ」を運営する「うかぶLLC」が運営する施設。今年の1月にオープンしたばかりだが、すでに旅行者や地元の人たちが集う拠点になりつつある。

ふらりとパブにやって来た近所のレコードショップ「ボルゾイレコード」の店長・前垣克明さんは「今まで、外から来た人と地元の人が集まれるような場所がなかったので、こういう場所ができて良かった。若い人たちが集まって、リアルな情報がやりとりされているのがいいですね」と話してくれた。スタッフの中には「何か新しいことをはじめたい」という人たちも多い。

Yのスタッフ、小林巧三さん。「来年、Yの目の前に飲食店を開きます。ずっと店をやりたいと思っていたんですけれど、Yで働いたことが決め手になりましたね」

Yのスタッフ、小林巧三さん。「来年、Yの目の前に飲食店を開きます。ずっと店をやりたいと思っていたんですけれど、Yで働いたことが決め手になりましたね」

Yのスタッフ、中居磨美さん。「普段は広島に住んでいるのですが『中国地方わかもの会議』に参加したことがきっかけで鳥取に友達ができたので、夏休みの間だけアルバイトに来ました」

Yのスタッフ、中居磨美さん。「普段は広島に住んでいるのですが『中国地方わかもの会議』に参加したことがきっかけで鳥取に友達ができたので、夏休みの間だけアルバイトに来ました」

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住むからこそ、向き合えるもの

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藤田さんが借りているアトリエは、鹿野城跡公園のすぐそばの廃校になった小学校の中にある。かつて教室として使われていたアトリエに入ると、しーんとした静けさに包まれた。窓の向こうにはお寺の森があり、そのもっと奥には、標高921メートルの「鷲峰山(じゅうぼうさん)」がある。

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「ドイツにいた時は『見えない未来を探る』というテーマで、ライプツィヒのまちづくりを森の中にたとえて描いていました。何もないところから自分たちで探り、未来をつくっていく若者たちを、森の中で家をつくっている子供たちにたとえていたんです。日本に来てからも森の中にインスピレーションを感じているんですけれど、鹿野の森には、畏れを感じます。鳥取出身の水木しげるが鬼太郎を描いたのがよくわかる気がしますね。ここには、私のモチーフの森がすぐそばにあって、絵に集中できる環境がある。絵をかくのにすごく理想的な環境です」

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鳥取へ来て、まだやっと2カ月が過ぎたばかり。でももう少しずつ、藤田さんのなかで新しい扉が開きつつあるような気がした。これから鹿野で、どんな作品をつくっていくんだろう。

「よく『どこにでも順応できるね』っていわれるんですけど、全然そんなことないんです。人見知りなところもあるし、落ち着いて絵が描けるようになるまで、3カ月はかかると思っています。今はまだ、土地に馴染むので精一杯ですね。

最近は、アーティストが一定期間その土地に滞在し制作をする「アーティスト・イン・レジデンス」も増えていますが、決められた期間内に作品をつくるのは私には難しいと思っていて。
住んでみるとその土地の良いところも悪いところも出てくるし、ここへ来て大変な思いもしたけれど、それは住んだからこそ思うことだし、それも大事なことだなと思っています。私は住んで、じっくり腰を落ち着けないと、描けないんです

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編集協力:鳥取県

ART WORKS 作品

  • 一度も踏み入れたことのない土地へ。住むことでしか描けないもの
    ミュンヘン造形芸術大学卒業制作
    貴方のかなしみに寄り添う/2016
    板に油絵 220 × 720cm
    日本の屏風絵から着想を得た全長7m の蛇腹型作品。鑑賞者は森の奥へと進むように絵を眺めていく。板の裏表に描かれた全12 画面の作品。
  • 一度も踏み入れたことのない土地へ。住むことでしか描けないもの
    「ボローニャ国際絵本原画展」入選作品
    Night athletic Ⅲ /2013
    紙に木炭、鉛筆
    高層マンションに住むスケーターの少年が友人と森の中の秘密基地へと入っていく。木炭画で描かれた5 枚続きの作品。
  • 一度も踏み入れたことのない土地へ。住むことでしか描けないもの
    絵本『Nachtschwärmer(夜を彷徨う人)』
    (Jaja Verlag / ドイツ / 2014)
    満月の夜、こっそりと家を抜け出した子どもたちが、森
    の中を彷徨い見つけたものとは...。油彩で描かれた文字
    のない絵本。
    2015 年ザールブリュッケンヨーロッパ青少年ブック
    メッセ出品 / ドイツ
  • 一度も踏み入れたことのない土地へ。住むことでしか描けないもの
    装丁画、挿絵『Strange light afar 』
    (Groundwood books/ カナダ/2015)
    日系カナダ人作家Rui Umezawa 氏の新訳による雪女、四谷怪談など日本の民話を集めた短編集。装丁画と本文の挿絵を担当。
    CBC Best Books of the Year 2015/ カナダ
    TPL Teens Summer Edition: Top Ten Local Reads 2016/ カナダ
一度も踏み入れたことのない土地へ。住むことでしか描けないもの
藤田美希子さん 1986年、千葉県生まれ。多摩美術大学絵画学科を卒業後、ドイツへ渡りミュンヘン造形芸術大学にてKarin Kneffel教授に師事。在学中にボローニャ国際絵本原画展(2014)に入選、絵本 『Nachtschwärmer(夜を彷徨うひと)』 (Jaja Verlag/ドイツ) を出版。2016年、ミュンヘン造形芸術大学のディプロムを取得後、帰国。鳥取を拠点に活動する。
http://www.mikikofujita.com/
(更新日:2016.09.15)
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ふっと動くとき
何かに突き動かされるように、その瞬間をつかまえて住処を変えた鳥取県で暮らす3人の女性たち。あたらしい暮らしをつくりだす彼女たちの、力強い姿を追う。
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