INTERVIEW
  • 赤いバックパックを背負って、 屋根裏にお引っ越し。 自分で自分を守れる場所へ

鳥取県

ふっと動くとき

何かに突き動かされるように、風の知らせにこたえるように。その瞬間をつかまえて、しなやかに住処を変えた女性たちがいる。あたらしい暮らしをつくりだす彼女たちの、どこまでも自然体で、力強い姿。3人が暮らす鳥取県を訪ねました。

赤いバックパックを背負って、
屋根裏にお引っ越し。
自分で自分を守れる場所へ

鳥取県
内山依津花さん
画家
居住地: 静岡県浜松市→沖縄県那覇市→鳥取県東伯郡
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誰にでもこの世界のどこかに、もうひとつの故郷があるという話を聞いたことがある。旅に出る人は、知らず知らずのうちにそんな場所を探しているのかもしれない。

静岡県浜松市に生まれ育った内山依津花さんは、自分の居場所を探していた時期に鳥取県東伯郡にある湯梨浜町と出会う。そこには若い人とお年寄りが緩やかにつながりいとなむ暮らしと、旅人を受け入れるオープンな気風があった。

今、内山さんはゲストハウスとシェアハウスを併設する施設で働きながら、湯梨浜に暮らしている。アーティストでもある内山さんは、かつておもちゃの卸し問屋だった建物の屋根裏部屋を、アトリエ兼住居に変えてしまった。彼女がつくりあげた暮らしには、これからの暮らし方のヒントが詰まっていた。

写真:阿部 健 文:宮越裕生

“安全”だと思える場所

小さな温泉町、湯梨浜町は鳥取県の真ん中に位置する東郷湖のほとりにある。この湖の底からは温泉が湧き出していて、寒くなると湖面から湯けむりがたつそうだ。冬は一面雪景色になるというけれど、雪のなかにある湖の底からこんこんと温泉が湧いているなんて、不思議な感じがする。

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湯梨浜町へは、鳥取砂丘コナン空港から車に乗り、日本海に面した道路をひたすら西へ走り、40分ほど。駐車場に降り立つと、一瞬にして温かい光と静けさに包まれる。湖へとそそぐ水路のへりを歩き、吸い込まれるように町のなかへ歩いていくと、通りには大正、昭和の頃からそのままの姿を保つ家屋や商店が並んでいる。

内山さんが働くゲストハウス「たみ」は、古い家が並ぶ通りにあった。なかにはカフェがあって、宿泊客やシェアハウスの住人、近所の人たちが集う場にもなっている。玄関を入ると、女の子がひょっこり顔を出し「こんにちは」と迎えてくれた。内山さんだった。

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内山さんは沖縄県立芸術大学を卒業し、一旦故郷の浜松に戻った後、この町に越してきて住居兼アトリエをかまえた。最近は、半日仕事をして、残りは作品制作という生活だ。

大正元年に建てられた家屋の奥に入り、木でできた簡素な階段を上がっていくと、顔を出したところに天井の高い屋根裏部屋が広がっていた。そこが、内山さんの家だ。壁際には天井まで棚が築かれ、懐かしいおもちゃがぎっしり詰まっている。奇跡的に残されていた、昔と今のはざまに浮遊しているような空間だった。 img_9831
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ソファや冷蔵庫、机など、足りないものはほとんどすべてご近所さんからもらい受け、シンクは、解体したばかりの家から貰ってきたものを大家さんと仲良しの水道屋さんに取りつけてもらった。ほかの土地からやってきた女の子が、長いこと閉ざされていた倉庫の奥に自分の場所を見つけて住みはじめるなんて、誰が想像していただろう。

細長い部屋を二つに分け、半分はアトリエ、もう半分はキッチン、リビング、寝室として使っている。

細長い部屋を二つに分け、半分はアトリエ、もう半分はキッチン、リビング、寝室として使っている。

旅のそばにある暮らし

内山さんは、大学生の時からあちこちを旅していた。旅をすると、いつも作品のこと考えてしまう。沖縄の大学へ行くと決めたのも、「こんなところで絵を描いたら気持ちがいいだろうな」と思ったことが大きな理由のひとつだった。でも、鳥取へ越してきた時はそんな感覚だけではなかった。

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「大学を卒業してしばらく、どうしていいかまったくわからなくなってしまった時期があったんです。当時は沖縄でアルバイトをしながらひとり暮らしをしていたのですが、生活費を稼ぐのに精一杯で、絵を描いてもなんだかうまくいかなくて。結局、卒業して1年後ぐらいに『このままじゃダメになる』と思って泣く泣く実家に帰りました」

その時内山さんは、持っていたものをほとんど手離したという。
「もう『こんなもの』みたいな感じで、売り払ったり捨てたりしました。大好きだった本もバックパックも、母からもらった浴衣まで。たぶん、すごく追いつめられていたんだと思います」

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それから浜松の実家に戻り派遣の仕事をはじめたけれど、事務仕事が性に合わなかった。心のなかは喪失感で一杯で、作品をつくる余裕もなかった。そんな時、瀬戸内に住む人から「浜松に行くので会いませんか」という連絡が舞い込んだ。

「その方は瀬戸内にある宿のオーナーで、大学生の頃、瀬戸内芸術祭に行って会った時以来だったんですけれど、喫茶店で会うことになって」

そこで内山さんは、久しぶりに会ったその人に『千と千尋の神隠し』の「カオナシ」みたいだといわれる。

「『昔はあんなに楽しそうに笑っていたのに、なんて顔しているんだ』って。その言葉を聞いた時に、初めて自分は元気がないんだと気づいたんです。頬をパシーンと叩かれたような感じでした。それで、その方に『鳥取に、「たみ」っていうおもしろい場所があるから、一度行ってみなよ』といわれて。浜松に帰ってきて初めて、そうだ、どっかに行こうって思ったんです」

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その時は、鳥取に行って絵を描こうと思っていたわけではなかった。

「それまで、いつも作品をつくらなきゃと焦っていたんですけれど、そういう思いも全部捨てて、とにかく自分がやりたいことを素直にやってみようと思ったんです。

その人にも『作品をつくるだけがアーティストじゃない』といわれて、絵を描く前にひとりの人間として地に足を着けないと、と思って。それで絵を描きたいという気持ちが湧いてこないんだったら、もう描かなくてもいいじゃんって」

すぐにバックパックを背負って浜松を飛び出し、それから1か月間、「たみ」でヘルパーとして働く。ヘルパーの仕事は、半日程度ゲストハウスの仕事をすれば滞在費が無料になり、空いている時間は自由に過ごしていていいというものだ。

「出かけたい時は出かけるし、何もしたくない時は何もしないし、おいしいご飯も食べるし、人と喋りたくなったら喋るし…そういう風に過ごしていたらどんどん心が落ち着いてきて、次のことにクイッと頭が向いたんです」

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1カ月後。元気を取り戻した内山さんは、「たみ」の仲間に見送られ、また旅に出る。大阪、台湾、城之崎、一旦実家へ戻り、東京——その頃、内山さんはまた焦りだしていた。

「鳥取でのんびり過ごしていた時に『やっぱり自分は作品をつくりたい人間なんだ』と気づいて、そのためにはアトリエが必要だと思ったんですけど、着地点が見つからなかったんです。それで東京にいる時に、もうどこに住むか決めなきゃ、と必死で考えて……その時にはっと『鳥取だ』と思ったんです」

「鳥取に行って参ります」
赤いリュックひとつでお引越し

「鳥取に住む」と決めた内山さんは、すぐに実家へ戻り両親に「鳥取に行って参ります」と告げ、「たみ」の共同代表のひとりである三宅航太郎さんに「鳥取で家を探そうと思います。そのためにヘルパーをさせてください」とメールを書き、鳥取へ向かった。それから「たみ」に戻ってきた時の安堵感は、今でも忘れられない。

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「鳥取に夜着いて車を降りた時に、暗闇のなかにふわっと「たみ」の明かりが灯っているのが見えて『あ、ここだー』という気持ちになって、その時は涙が出るほど嬉しかったです。それで、必死で涙をこらえてヘコヘコしながら入っていったら、キッチンでいつものように料理をしていた女の子と男の子が『あ、依津花さんおかえりー』といってくれて」

でも、なぜ鳥取だったのか。内山さんに尋ねると、ひと呼吸おいて次のように答えてくれた。

「たぶん、私が知っている場所のなかで、鳥取が1番静かな場所だったんです。でもまったく静かなわけではなくて、『たみ』のような、新しい人が行き来する場所もあって、ふと刺激が現れては消えていく——そういう距離感が心地良かったんです。自分で自分のことを守れる安全な場所だ、鳥取なら大丈夫だ、という気持ちでした。」

引っ越しの荷物は、バックパックに入る分と、画材の入った段ボール2箱だけ。
「前に持っていたものはほとんど手放していたので、荷物はなかったんです。旅していたときも、このポケットには洋服、ここには飲み物とか、バックパックを部屋みたいに使っていました。この赤いバックパックは、鳥取にはじめて来る1週間前ぐらいに買ったんですけど、そのときに、この子と一緒に行くぞーって思って、特別な愛着があります」

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そして気持ちも新たに、鳥取でヘルパー生活を再開。今度は家を見つけるという目的がある。それからしばらくして、今住んでいる家と出会った。

「三宅さんから、いい倉庫があるよというのは聞いていて。ある日、偶然その建物に入ることができたんですけど、一目見て気に入ってしまって。すぐにここに住みたいと思いました」

もともと倉庫だったその場所は、もちろん人がすぐに住める状態ではない。それから大家さんを説得すること、約1か月。大家さんがついに「うん」といってくれると、すぐに内山さんの家づくりははじまった。
近所の人たち総出で取り組んだ片付け作業は、2日間ほどで完了してしまったという。
その後1カ月かけて、細かい部分を掃除したり、拾ってきたシンクを取り付けたり、トイレをつくってもらった。長い間締め切られていた物置きは、地元の人たちの協力のもと、少しづつ住空間へ変化していった。

旅をするように

内山さんは松崎駅前の「あすこっと」という喫茶店で新聞を読むことを日課にしている。テレビもインターネットもほとんど見ない生活を送っているだけに、社会で起きていることをじっくり眺める、大事な時間だ。

img_2185 img_2114img_2147 その日、翌日からはじまる個展の準備に追われている内山さんは「あすこっと」にいた。展覧会のタイトルは「Traveling Exhibiton(=旅をする展覧会)- それはもう こなごなの 粒子になって気流にのって飛んでいってしまった」。

「もっと自分が好きな旅をするように、柔らかく絵を描けないだろうかと思って、鳥取、浜松、沖縄を旅しながら制作を続け、発表していこうと思っています。でも今、展示のレイアウトにちょっと悩んでいるので、ご飯が喉を通らなくって…」
そういって、内山さんはお腹をおさえた。でも、これはきっと、いい緊張。

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次の日の朝、会場へ行くと、松崎駅の隣にあるはわい・東郷温泉観光案内所の前に子どもたちと内山さんが座り込んで蟻を眺めているのが見えた。この観光案内所が、今回の展覧会のひとつめの会場だ。近づいていくと、内山さんがぱっと顔を上げた。その顔は、昨日とは打って変わって晴れ晴れとしていた。

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これから鳥取、浜松、沖縄をめぐる制作の旅が始まる。今の内山さんには、生まれ故郷があって、大学時代を過ごした大切な場所があって、帰っていく場所がある。だからこそ強く、しなやかに生きていけているように思った。

建物のなかには白い布が張られ、透明のシートが重ねられている。内山さんはそこへ、新しく線を重ねていく。

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編集協力:鳥取県

赤いバックパックを背負って、 屋根裏にお引っ越し。 自分で自分を守れる場所へ

「ITSUKA UCHIYAMA TravelingExhibition」
-それはもう こなごなの 粒子になって 気流にのって 飛んで行ってしまった

【沖縄 編】
◻︎日程:2016年10月30日(日)〜11月6日(日)
◻︎時間:10:00〜17:00
◻︎会場:ナハウス屋上(沖縄県那覇市安里384-5 (栄町市場内))
◻︎関連イベント〈声をはこぶ – 沖縄編〉
11月6日(日)日没後
鳥取、浜松にて撮影された映像と音声を上映しながら野外屋上ライブドローイングを行います。
※入場無料
【鳥取 編】【浜松 編】は終了
HP:http://iu-travelingex.tumblr.com/
FB:https://m.facebook.com/itsukauchiyama/

赤いバックパックを背負って、 屋根裏にお引っ越し。 自分で自分を守れる場所へ
内山依津花さん

うちやま・いつか/1989年、静岡県生まれ。沖縄県立芸術大学美術工芸学部絵画専攻卒業。2015年より鳥取を拠点に活動。和紙や半透明の素材に興味をもち、ドローイングやコラージュなどの平面作品、もともとそこにあった空間を生かしたインスタレーション作品などを手がける。


(更新日:2016.09.13)
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