特集 ふっと動くとき

なんとなく選んだけど性にあった。 漆作家の直す、つくる暮らし

はじめてその家と出会ったのは、Instagram。正方形のなかの日々のいとなみと、風景が少しずつ変わっていく様子を見て、「この家を育ててみたい」と思った。それが修復師である河井菜摘さんと、現在暮らす鳥取県倉吉市の家との出会い。

当時京都に住んでいた河井さんは、家主が家の買い手を探していると知り、思い切って鳥取へ引っ越すことを決心する。それから、普段は鳥取をベースに、定期的に京都へ通う生活がはじまった。

河井さんは「漆」という、塗料になり接着剤になり、時には絵の具のようにも使える自然素材を用いて、修復、漆と金継ぎの教室、作品制作と、多様な活動を展開している。

修復の仕事は、時間を巻き戻すような感覚で壊れたところを直していくこと。鳥取に引っ越してからは、家を直し住みよい家に育てている。また、今年の秋からは東京にも拠点をもつ。「山と町を行き来する生活は暮らしを豊かにしてくれる」という河井さんの、漆に惚れこみ、どこまでも広がっていく世界に迫った。

写真:阿部 健 文:宮越裕生

家を育ててみたい

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倉吉は古代より伯耆国(ほうきのくに)の国府がおかれ、栄えた町。三方を川に囲まれた町には支流が入り込み、あちこちに江戸時代末期から戦前につくられた白壁土蔵や町家が残っている。その町のここそこに、歴史ある骨董店や若い人がいとなむ店があり、今と昔の文化が同居している。河井さんが暮らす倉吉市関金町の山の上までは、倉吉の町なかから車で1時間弱。家の西側には伯耆国の富士山と呼ばれる大山があり、もう少し南、蒜山(ひるぜん)の向こうは岡山県だ。

関金町へ越してきたのは、2015年の春。この場所に移住してきた1番の理由は、直観的に「この家を育ててみたい」と思ったことだった。そして引っ越してから、少しずつ家に手を加えてきた。大工さんに頼んだところもあるけれど、漆喰の塗り変え、襖と建具の入れ変え、作業机や棚などの家具づくり、トタン屋根のペンキを塗りなどはすべて自分ひとりでやってしまったという。

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この家のもとの持ち主は、以前「雛形」に登場いただいたことがあるゴロゥちゃんというデザイナーの女の子だ。ゴロゥちゃんは結婚を機にこの家を引っ越していき、その後に越してきたのが河井さんだ。2人はもともと面識があったわけではなく、Instagramを通じて知り合った。

「私はゴロゥちゃんの山の暮らしが好きだったんです。典型的な田舎暮らしではなく、山で『ふつうの暮らし』をつくっている感じが私の感覚に近くて。ゴロゥちゃんのInstagramを見ていたからここに住みたいって思えたんですよね」

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デザイナーのゴロゥちゃんが描いた、家のイラスト。河井さんはひとりで屋根にのぼり、赤だった屋根を白に塗り変えた。「当時はなんでもできる人になりたいという気持ちがあったんです。でも屋根に登るのはさすがに恐かったので、もうやめようと思いました(笑)」と、河井さん。

デザイナーのゴロゥちゃんが描いた、家のイラスト。河井さんはひとりで屋根にのぼり、赤だった屋根を白に塗り変えた。「当時はなんでもできる人になりたいという気持ちがあったんです。でも屋根に登るのはさすがに恐かったので、もうやめようと思いました(笑)」と、河井さん。

投稿を見ていくうちに、その家が鳥取の山奥にあるということ、近くに温泉があること、冬にはどれだけ雪が降り、雪かきがどれぐらい大変かといったことなどを知っていく。しばらくたってゴロゥちゃんが家主を探していると知った時、河井さんはすぐにメールを送った。

「メールで周囲の環境や家の値段を聞いてみたらすぐに返事が返ってきて『家は70万円ぐらいで売れたらと思ってるんですが改修にもお金がかかるだろうし、キリよく50万円ぐらいにした方がいいかなあと思っているところです。もっと安くする気もあります。車がない方だったら車を置いていこうかなとも考えています』と書いてあったんです。それからやりとりをしているうちに、結局45万円になって。メールの感じもすごく魅力的だったし、45万円で家を買うなんておもしろすぎる(笑)と思って、ゴロゥちゃんにも会ってみたいと思いました」

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当時河井さんは、京都で漆と蒔絵の専門学校に通いながら、修復師として働きはじめていた。Google Mapsで調べてみると、京都から鳥取までは車で4、5時間。行き来できない距離じゃない——そう思い、家を買うことにしたという。当時はペーパードライバーだったというけれど、なんとかなるという気持ちだった。そして普段は鳥取に暮らし、月に2度車を走らせ、京都へ行くという生活がスタートした。

「2拠点の生活は、自分のなかの通りが良くなる感じがします。1カ所に居ると滞ってしまうところが、呼吸がしやすくなるというか。出会う人も多くなるし、定期的に京都へ行くことでリズムも生まれるし。もともと意図していたわけではなかったのですが、自分のしたかった生活スタイルが手に入ったという気がしますね」

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それから鳥取にいる時は、漆喰を塗り替えたり、薪で風呂を炊いたり、畑を耕したり、はじめてのことに挑戦する日々。自分で暮らしをつくっていくこと、家を育てていくことのおもしろさを噛みしめていた。河井さんは「漆はというのは不思議な素材で、いろんな表情があって、生きもののように変化していくんです」という。彼女にとっては、家も生きもののようなものなのかもしれない。

教室の部屋に窓がほしくて、大工さんに取り付けてもらった窓。古材を利用した不均一な厚みのガラスが美しい。「まだまだ直したいところがたくさんあるので、家はまだ育て中です」と河井さん。

教室の部屋に窓がほしくて、大工さんに取り付けてもらった窓。古材を利用した不均一な厚みのガラスが美しい。「まだまだ直したいところがたくさんあるので、家はまだ育て中です」と河井さん。

家を買ってから動き出した、
山あいの暮らし

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引っ越して数ヶ月後には倉吉市の支援を受け、自宅で金継ぎと漆塗りの教室もスタートさせた。

「引っ越してくる時に、市役所の移住をサポートしている課の方が、『この辺りは限界集落なので事業をはじめると補助金が出ますよ』と薦めてくださって。当初は家で教室をすることは全然考えてなかったんですけど、補助金のおかげで教室をはじめることができたんです。家を買うって決めてから、いろんなことがスムーズに進んでいって、もともと鳥取に知り合いはいなかったのに、ここの土地に縁があったというか、恩恵を受けているような気がしますね」

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教室の日は、普段は静かな山の奥に、1時間以上かけて生徒さんたちが通ってくる。河井さんの教室では、生徒さんが金継ぎか漆のいずれかを選び、習えるようになっている。ほとんどの生徒さんが「壊れたうつわを直したい」と、金継ぎを学びにきているようだ。
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金継ぎは陶磁器の割れたところを漆で継ぎ、継ぎ目に金の粉を定着させる修理方法。「漆は塗料として使われるほか、強い接着力があるので昔から接着材としても使われてきました。金継ぎは漆を使う技法なので、金継ぎをすることで漆のことを知ってもらえるのがいいですね」(河井さん)

金継ぎは陶磁器の割れたところを漆で継ぎ、継ぎ目に金の粉を定着させる修理方法。「漆は塗料として使われるほか、強い接着力があるので昔から接着材としても使われてきました。金継ぎは漆を使う技法なので、金継ぎをすることで漆のことを知ってもらえるのがいいですね」(河井さん)

「この家は人生で1番いい買い物だったんじゃないかと思っています。周りの環境もいいし、お水もいいし。この辺りは集落の雰囲気も良くて、外でペンキ塗りをしていると近所の方がおすそ分けを持ってきてくれたりするんです。

私が間違って人の家の山葵をとってしまった時はちゃんとそれを教えてくれるし、いつも程良い距離から見守られている感じがして助かっていますね。周りに見習いたい暮らしをしている人たちがたくさん住んでいます」

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漆が教えてくれたこと

河井さんが漆をはじめたのは、些細なきっかけからだったという。

納屋を改装してつくった仕事部屋。窓から山や山葵畑が見える。

納屋を改装してつくった仕事部屋。窓から山や蕎麦畑が見える。

「京都市立芸術大学の専攻を選ぶ時に、陶芸・染織・漆があって、そのなかで漆だけがどうやってつくられているのかわからなかったんです。それと、漆の科にはおもしろい作品をつくってる先輩も多かったし、自由な雰囲気がしたんですよね。

それから大学、大学院を卒業して3年間ぐらい、当時は作家志望だったので京都造形芸術大学で副手の仕事をしながら、作品をつくって発表したりしていました。でも、何か違うなと思っていたんですよね。作品をつくっていても、あんまり社会とつながっている実感がもてなくて。

そんな時に入った茶道具の卸会社で古美術品の修復にたずさわることになって、その仕事をしているうちに『修復で食べていきたい』と思って、漆と蒔絵の学校に入り直したんです。漆って一度かたちをつくったら、変えることができなくて、だから漆を塗り重ねていく作業には根気がいるんですよね。なんとなく専攻したのですが、自分の性に合っていたんだと思います」

鯛の歯でつくった、金を磨くための道具。「固すぎず、柔らかすぎず、湾曲面を削るのに調度いいんです。道具はつくるものという感じですね」(河井さん)

鯛の歯でつくった、金を磨くための道具。「固すぎず、柔らかすぎず、湾曲面が磨くのに調度いいんです。道具はつくるものという感じですね」(河井さん)

漆を塗るための刷毛。柄の奥まで毛が入っており、鉛筆を削るように、柄の先を削りながら使っていく。毛は、なんと人毛。コシのある海女さんの髪の毛が適しているそうだ。

漆を塗るための刷毛。柄の奥まで毛が入っており、鉛筆を削るように、柄の先を削りながら使っていく。毛は、なんと人毛。コシのある海女さんの髪の毛が適しているそうだ。

鶴の羽からつくったゴミとり。漆塗りの仕上げに、ゴミを取り除く時に使う。

鶴の羽からつくったゴミとり。漆塗りの仕上げに、ゴミを取り除く時に使う。

漆の作業をするための机。机のなかに道具を収納できるようになっている。三角形の板は鯨の髭からつくった、筆をしごくための道具。

漆の作業をするための机。机のなかに道具を収納できるようになっている。三角形の板はヒノキの板や鯨の髭からつくった、下時をつけたり筆をしごくための道具。

河井さんはこれから「共直し(ともなおし)」という技法に力を入れていきたいと思っているという。共直しは、古美術品の欠けたところや剥落してしまったところを、まわりの質感に似せて直す修復方法だ。「古美術品を現代の新品のように直してしまう修理屋さんもいるのですが、私はもとの時代感を現出させながら直したいんです」と、河井さん。共直しは、その作品が生まれた時代や先人の仕事にふれられる貴重な機会でもある。

河井さんは数年前から、東京との縁もつないできた。暮らしに寄り添う品々を扱うショップ「縷縷(るる)」で、金継ぎのワークショップをしに行ったことをきっかけに、今年の秋から東京にも部屋を借り、修復のスタジオ兼漆と金継ぎの教室を開くことにした。

「毎日使うものは、自分で直せた方がいいんじゃないかなと思っています。美術品の修復はプロにオーダーするのが一番いいと思うんですけど。なので、私に金継ぎをオーダーしてもらうなら、教室に参加してもらって、自分で直せるようになってもらった方がいいかな、と。教室をやっているのはそういう理由です」

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河井さんの暮らしのなかでは、日用品を使うことも、直すことも生活の一部になっている。そんな毎日が、一本の芯が通った有機的な暮らしを編み上げていく。それはもしかしたら、とても合理的なことなのかもしれない。

今年は東京で、もうひとつ楽しみなことがある。河井さんの漆の作品がキヤノン写真新世紀(第39回公募)の優秀賞に選ばれたのだ。入賞作品は、10月末に開催される「写真新世紀 東京展2016」に展示される予定だ。

キヤノン写真新世紀の入選作は漆の板に感光性をもたせ、ピンホールカメラで風景を焼きつけたもの。写真は入選作と同じ方法でつくったテストピース。光を反射させると、漆黒の板の上に風景が浮かび上がる。

キヤノン写真新世紀の入賞作は漆の板に感光性をもたせ、ピンホールカメラで風景を焼きつけたもの。写真は入賞作と同じ方法でつくったテストピース。光を反射させると、漆黒の板の上に風景が浮かび上がる。

既製品の「ジップロック」のケースの上に麻布や漆の下地をつけて張り子のように脱型し(脱乾漆技法)、漆を塗り重ねた作品。もってみると意外に重みがある。

既製品の「ジップロック」のケースの上に麻布や漆の下地をつけて張り子のように脱型し(脱乾漆技法)、漆を塗り重ねた作品。もってみると意外に重みがある。

土に還る素材からつくられた紙の器「WASARA」に漆を塗り重ねた猪口とタンブラー。こちらは持ってみると、びっくりするほど軽い。

土に還る素材からつくられた紙の器「WASARA」に漆を塗り重ねた猪口とタンブラー。こちらは持ってみると、びっくりするほど軽い。

漆の作品をつくることと、漆を用いて直すこと。その両方の経験を積んできた河井さん。今の暮らしのなかでは、漆と対話すること、直すこと、つくること、そのすべて関係し合っているようだった。そんな日々の積み重ねが新しいひらめきにつながっていく。

「私は、ものづくりも、山で暮らすことも、どれも同じように工芸の視点で見ているように思います。一つひとつの行程を積み重ねて、その経験を自分の肌で知覚して、つなげていく作業というか。いまの暮らしをはじめてから自然と仕事もひろがっていったので、これからも楽しみです」

編集協力:鳥取県

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なんとなく選んだけど性にあった。 漆作家の直す、つくる暮らし
河井菜摘さん かわい・なつみ/1984年、大阪府生まれ。京都市立芸術大学、大学院、京都市産業技術研究所にて漆工を学ぶ。2015年に独立し「共直し」と漆を主軸とした修復専門家として活動。陶磁器、漆器、竹製品、木製品など日常使いのうつわから古美術品まで600点以上の修復を行う。修復の仕事と並行して、漆でのものづくりを行うほか、漆と金継ぎの講師としても活動している。
HP:http://kawainatsumi.com/
Instagram:https://www.instagram.com/nano.o.o/
Twitter:https://twitter.com/nano_723

 
(更新日:2016.09.14)
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何かに突き動かされるように、その瞬間をつかまえて住処を変えた鳥取県で暮らす3人の女性たち。あたらしい暮らしをつくりだす彼女たちの、力強い姿を追う。
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