特集 「とんがりビル」の住人たち
移動しながら見えるものを大切に。 山伏として、いまの暮らしを考える
山形県の中央にそびえる出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)は、古くから山岳信仰の場として知られており、「西の伊勢参り、東の奥参り」とも伝えられる霊山。坂本大三郎さんは、その山で修行する山伏だ。月山のふもとに住み、時間さえあれば、自宅近くの山へと入るという。
山伏でありながら、イラストレーターや文筆業もこなす坂本さんは、ほかにもこけしや版画制作など、その活動は多岐にわたる。山形を離れ、取材やフィールドワークなどで日本各地をまわることも多い坂本さんが、とんがりビルの1階に「十三時」という雑貨店をオープンしたと聞いた時、少し驚いた。一体、どんなお店なのだろう、と。
お店には坂本さんが集めてきた、わらじやカゴなど、人が山とともに暮らし、そこから生まれたものが並んでいた。
山伏は、自然と人をつなぐ媒介者であり、かつてはものづくりや交易、芸能など何でもできるオールラウンダーだったという。坂本さんもそんな昔ながらの山伏に倣い、店を始めた。そして、山と暮らしをつなぐ媒介者として、今日も店に立つ。
写真:志鎌康平 文:薮下佳代
人と自然から生まれた文化を
伝えるお店「十三時」
お店に並ぶのは、人と自然のかかわりのなかで生まれてきたもの。たとえば「カゴ」。いまお店に並んでいるのは、ボルネオ、九州、千葉で実際に使われていたもので、ほかにも雪のなかで歩く「かんじき」や「草履」もあります。
商品を見て「これって何ですか?」と聞かれることも多いですね。猟師さんに譲っていただいたイタチや熊の毛皮、大峰山に転がっていた鹿の頭蓋骨、そしてこれは熊の背骨。誰に見せるわけでもなく、個人的にずっと集めていたもので、こうしてお店というかたちで人に見せるのは初めて。僕がいままで旅して集めてきたものなので、1点ものが多くて、その時にしかないものが結構あります。なかには売り物じゃないものも……。
お店を持とうと思ったきっかけは、こうした山の文化を伝えたかったから。山形で暮らしているうちに、だんだんと暮らしの技術や山の知識がついてきたので、いつか何かの形でアウトプットしたいなと思っていました。いま自分が拠点にしている月山の周辺は、限界集落みたいなところも多くて、山の文化がなくなってしまう前にどうにかしないといけないなという気持ちもありました。
かつて「奥参り」という文化があって、昔、「西の伊勢参り、東の奥参り」といわれていたんですが、出羽三山は、たくさんの参拝者が訪れる場所でした。でも、いまはそういうことを山形の人自体も忘れてしまっています。そういった豊かなものが眠っている場所に、いまはお年寄りしか住んでいなくて、もう地域が無くなってしまう寸前にまできているんです。そうなってしまったら、山の文化や自然との関わりのなかで生まれて来たさまざまなものがついえてしまう。その波にどうやったら対抗できるかと考えた時、やっぱり経済だと思ったんです。山にずっと続いてきた文化を、経済的な価値に変化させる場所を作ってみたくて。
わらじを編むおじいちゃんがいるんですが、ものすごく高い技術を持っていて、普通の人がやると3〜4時間かかるのを、そのおじいちゃんは10分やそこらで作っちゃう。でも、1個作っても400円くらいにしかなりません。技術があっても、それがお金にならないとやる人がいなくなりますし、後継者も生まれない。そうした問題をどうにかお金に換算できる仕組みづくりを、実験的にやってみたいんです。
山伏なのに「店なんかやって」と言われたりすることもあります。昔の山伏は、「半聖半俗」と言って、聖は山、俗は世間のことですが、その間を行ったり来たりしていました。山にいながら、里にも下りて、山と里を行き来しながら、自然と人を結びつけていたんですね。たとえば、山のものを里のものと交換したり売買したり、市場の原型のようなものを始めたのは山伏ですし、山伏は物流や貿易にかかわりを持っていました。さまざまな所に移動しながら、薬草や珍しいものを交換したりもしていました。「富山の薬売り」は、立山修験道の山伏と関係が深いといわれています。
また、出羽三山にお参りに来る農家の人たちは、宿坊に集まり、自分たちの種を持ってきては良い種と交換したり、農業の情報交換をしたりしていたそうなんです。山伏や山の文化というのは、そういったある種のメディアとして情報伝達の機能が生まれる場所であり、そこでは知恵の交換が行なわれていました。僕もお店でいろんなものづくりのワークショップをやっているんですが、カゴや縄編みなど、「自分たちのところではこういう編み方もやっているよ」と教えてくれたりして、いまに生きた知恵の交換が行なわれています。
かつての山伏のように、
何でもこなしていく
千葉で生まれ育って、東京でイラストレーターとして活動していました。いつしか山伏の文化っておもしろいなと思い、山形に通うようになったんです。山の文化や手仕事、自然のなかで生きていく技術や知恵を学びたくて、山形に住みたいと思うようになりました。肘折温泉にある「つたや旅館」の柿崎雄一さんに相談したら、「うちの屋根裏部屋使っていいよ」といわれて居候することになって。山形に住んでから結婚することになり、去年、子どもも生まれました。
出羽三山で修行している山伏なので、山形は僕にとって大切な拠点のひとつです。けれど、仕事で移動することが多いので、いまは山形に住みつつ、実家の千葉と日本各地を移動するのがおもしろいですね。子どもがもう少し大きくなれば、一緒に連れて行けるなと思っています。山伏も昔はいろんな場所に移動していたそうです。いまみたいに短時間では移動できないので、歩いていたので大変だったと思いますが、いまは安く、早く動ける時代だからこそ、移動することに抵抗はないですね。
決まった仕事があるわけではないので、生業は何かといわれると困るのですが、雑誌や新聞に原稿を書いたり、「アカオニ」と一緒に仕事をする時は、絵を描いたり版画をしたり。最近は写真も撮っています。今年は、芸術祭や美術展で、ダンスの公演をやったりも。もちろんお店も運営しています。
実は、昔の山伏も、いろんなことをやっていました。たとえば、山に入ったら、わらじを編めないと困りますし、お祭りがあれば芸能もやります。僕は自分が興味あることを、これまでの山伏たちの生き方と同じようにやっているだけ。山伏だったら当たり前のことなんですが、現代だとユニークに見えるかもしれません。
出羽三山には、信仰や狩猟の文化、土地に伝わる生活の技術が残っていて、いまもその土地の暮らしに影響を与えています。けれど、そこだけにずっといると見えないことがある。
たとえば、注連縄は、僕の住んでいる地域だと作る人が決まっています。だからほかの人が作ってはいけないという人がいる。けれど、違う地域では、地元の人が集会所で作っていたり、誰でも作れるんです。そういう文化の違いを知ることで、自分はどういう選択をしていけばいいのかを考えることができます。自分が生きて行くなかで、もしくは自分の子どもたちに何かを伝える時に、どういうふうに伝えればいいのか、僕なりに答えを出すためにも、いろんな角度から物事を見たいんです。
僕にとっていろんなことをやることも、いろんな場所に移動することも、自然なこと。山形はおもしろくて学ぶべきことがまだまだありますが、これからももっと移動していきたいと思っています。
土地に根づく文化を
責任を持って引き継ぐこと
僕は自分が文化の継承者だとは思っていません。ある面から見れば、壊してるといえるかもしれない。山伏はかつていろんなことをやっていました。だから僕にとっては、雑誌に原稿を書くことも山伏的な仕事だと思っています。でも、いま現在の山伏の人たちからみれば、
時代によって、文化のかたちは変わっていくもの。けれど、表面的に変わっても、根っこの部分というのは変わらないものがあると思っています。時代によって変わりながらも、その中から変わらないものをどうやってつかみ取るか。それが自分のテーマでもあります。昔からこうだったと言うだけじゃなくて、自分はこう思うということを必ず添えたいと思っていて。情報がさまざまに氾濫している時代なので、後世の人たちを惑わせてしまわないようにと考えています。
文化って単純にずっと続くものではなくて、
十三時|とんがりビル1階
電話:090-2952-0013
営業:12:00〜19:00(日によって変更あり) 不定休
http://www.13ji.jp
- 坂本大三郎さん さかもと・だいざぶろう/1974年、千葉県生まれ。芸術や芸能の発生や民間信仰、生活技術に関心を持ち、東北を拠点に山伏として活動。春には山菜を採り、夏には山に籠り、秋には各地の祭りをたずね、冬は雪に埋もれて暮らす。イラストや文筆業もおこない、著書に『山伏と僕』(リトルモア、2012年)、『山伏ノート』(技術評論社、2013年)がある。2016年、とんがりビル1階に「十三時」をオープンし、店主を務める。
特集
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- 移動しながら見えるものを大切に。 山伏として、いまの暮らしを考える
- 坂本大三郎さん (「十三時」店主、山伏、イラストレーター、作家)
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- 土地の味覚と旬に出会える場所。 四季を味わう“まちの食卓”を作る。
- 松田 翔さん (食堂「nitaki」マネージャー)
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- 初めて暮らす“山形”で、 ひたむきにデザインを考える
- 難波知子さん、佐藤裕吾さん (デザイナー)