特集 「とんがりビル」の住人たち

土地の味覚と旬に出会える場所。 四季を味わう“まちの食卓”を作る。

「とんがりビル」にかかわる人々には、Iターン移住者やUターンが多い。食堂「nitaki」のマネージャー松田 翔さんもその1人。

厳しい板前の世界で修業を繰り返しながら、ある時ふと、別の世界へと飛び出した。洋食の料理人やケータリングなど和食とは違う料理の世界を体験し、いまは山形の旬の食材を提供する食堂「nitaki」で、生まれてはじめて触れる山形の在来野菜と向き合いながら、料理を作る日々。

季節ごとに、地域ごとに違う食材を使って料理を作ること。それはグローバルとは対極のローカルでしかできない仕事だ。けれど、それは突き詰めれば、世界のどこに行っても変わらない。その土地にある食材をおいしく調理する。それが、松田さんが山形で見つけた仕事だった。

近くの産直で仕入れた野菜を詰め込んだ重いリュックを背負い、ロードバイクで颯爽と駆け抜けていく松田さんを見ていると、山形の町で自分の居場所を見つけた“自信”のようなものを感じた。

写真:志鎌康平 文:薮下佳代

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和食一筋の職人の道へ。
30歳を目前に転職

今年、33歳になります。地元は宮城県の田舎の方の生まれです。高校の調理コースを卒業しました。県内でも珍しく専門分野がある高校で、被服、保育もあって、調理コースは1クラス。男子はたった3人で、あとは全員女子でした。卒業後は、秋保温泉のホテルに日本料理の調理師として就職して、4年間ほど働いていました。

親方の紹介で東京へ拠点を移した後は、都内のホテルや懐石料理店で働いていました。けれど、30歳を前にして「そろそろいいかな」と思ったんです。日本料理とは違う世界を見てみたくて。ずっと裏方の仕事をしていたので、お客さんを目の前にして、料理を出すということがほとんどなかった。お客さんが見えないことで、誰のために作ってるんだろうと思い始めた時があって。料理長のために仕事しているのか、ただ店をまわすために働いているのか、なんでこの仕事をしているのかさえわからなくなってきてしまって。どうして料理人を目指したのか、そんな根本的な問いまで持ち始めてしまったんです。

自分の父親が板前だったので、小さい頃からずっと料理人になりたいと、それしか考えていませんでした。幼い頃からずっと憧れていた仕事について、ずっと真っすぐ思い続けて来た気持ちが、30歳を前にして初めて迷いが出てしまって。

ちょうどその頃、震災があって、僕は東京にいたんですが、何もできなかったという想いも強くありました。ただ料理を作るだけじゃなくて、もう少し人の役に立つような、貢献できる仕事ができたらいいなと思うようになったんです。けれど、レストランや料理屋では、まずお客さんに満足してもらうのが最大の目的だったので、そこからもう一歩先まではなかなか難しかった。

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ケータリングを通してみた、
いままで知らない料理の世界

東京の大きいホテルにいた頃、比較的自分の時間が作れる仕事環境だったので、Facebookで見つけた「CUEL」というケータリング会社で、料理の手伝いをしていました。板前の世界は専門性が高いこともあって、いつのまにか考えが似てきてしまう。だから、いままで会ったことがない人たちから外の話を聞けることはとても新鮮で、料理に対する考え方が変わるきっかけになったように思います。

ケータリングという仕事のおもしろさに出会い、仕事の休みの日には必ずヘルプの仕事を入れていました。お客さんのリクエストに合わせた料理提案と空間作りがケータリングの仕事ですが、毎回お客さんによって違うので新鮮で。人に合わせてメニューを考えるのもはじめてのことでしたし、現場に行って準備をしたり、サーブしたり、料理人が厨房から飛び出すなんて、それまでなかった経験なので、すごくおもしろかったですね。

ホテルの調理場で働きながらフードコーディネーターの学校に通って、スタイリングを勉強したり、週末にはケータリングの手伝いに行ってということを2年くらい続けていました。一度、転職したのですが、もっと仕事の幅を広げたいと思っていた時、フードデザイナーズネットワークの中山晴奈さんのFacebookで、「nitaki」のスタッフ募集を見かけたんです。中山さんは料理だけじゃなく、食にまつわるさまざまなことをしているのは知っていたので、きっとおもしろい食堂になるに違いないと、直感ですぐにメッセージを送りました。中山さんと会って、「すぐに来て欲しい」と言われて「じゃ、行きます」と返事をしました。

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未知の食材と向き合う
その土地ならではの料理

「nitaki」のオープンが4月1日だったのですが、前職のこともあり、すぐには引っ越しできませんでした。オープンに立ち会った後、一度東京に戻ってから、自分1人で来ました。その後、奥さんも2カ月遅れで山形へ。実は、猛反対されていたんですよ(笑)。奥さんには相談しましたけど、僕が押し切ったというか。仕事をやるなら、自分がやりたいと思えることをしたい。それにはもうここしかない、ほかにはないからと説得しました。

人の役に立ちたい。その気持ちが一番強かった。地元のためになる仕事ができたらいいなとずっと思っていましたし、もっと自分の料理を食べてくれる人に近いところに行きたかった。いまは、お客さんを目の前にして料理を作っていて、おいしいとか、来て良かったって言ってもらえるし、肌で感じられるのが素直にうれしい。料理人として、お客さんからの反応を見られて、おいしいって言ってもらえることが、一番うれしいことなんだなと改めて感じています。

もちろん、いい反応だけではないわけで。どこが良くなかったのかを見直しながら、いままでとは違う方法を考える。お客さん目線での考え方、技術の押し売りじゃなくて、お客さんに「おいしい」と思ってもらう料理って何だろうって考えるようになりました。まだ東北に貢献しているとかぜんぜん言えないんですけど、自分自身の気持ちのありようが変わったかなと。だからこそ、やっぱりここに来てよかったなって思います

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厨房からは店内の様子が見える。お客さんとの距離が近くなった分、料理に向き合うことが多くなったという。

料理人としてのこれから。
父の味の記憶を引き継ぐ

「nitaki」で扱う食材は、ほとんどが山形の地場のもの。食材の買い出しは自転車で産直へ。地物の野菜がたくさんあって、ほしい野菜を伝えると取り置きしてくれたりするんです。ほかにも、真室川という地域で伝承野菜を作っている農家「工房ストロー」があって、週に2回ぐらい直送してもらっています。その時に採れるいいものをとお願いしているので、何が来るかは当日までわかりません。届いてからメニューを考えています。

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伝承野菜ってどうやって食べるんだろう? どんな味なんだろう?とわからないことだらけなので、農家さんにおいしい食べ方を聞きます。作っている人に聞くのが一番ですから。「勘次郎きゅうり」は、生じゃなく火を入れるとおいしいよとか、煮ても煮くずれしないので、スープとかの具で使うとおいしいよと教えてもらったり。すごく色がきれいなので、ちょっと焼くとさらにきれいになったり。知らない食材を扱うのは単純に楽しいです。いままでの経験もフルに使えますから。

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買い出しに訪れる産直へは自転車で向かう。並ぶ野菜は季節ごとに違うため、野菜の旬を通して季節を感じる。

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とんがりビルの横にある八百屋さんにも地物の新鮮な野菜が並んでいるため、ちょくちょく顔を出しては、店主と野菜の話をするという。

もともと食べることが好きでした。父親は料理人でしたが、家では母が料理を作っていたので、“父親の味”の記憶がなくて。料理の話をしたこともないんですよ。それなのに料理を仕事にする父にずっと憧れていました。せっかく一緒の仕事をしているのに、会ってもお互い気恥ずかしくて。もっと話ができたらおもしろいのにと、いまになって思うようになりましたね。

父親が仕事から帰ってくると、手が生臭かったのをよく覚えています。でも全然嫌じゃなかった。自分自身が魚を触って匂いを嗅いだ時に、こういう匂いだったなって、やっぱり父親も仕事してたんだなって思いだしたり。木の芽の匂いを嗅ぐと、「もう春なんだな」って日本料理をやっていた頃を思いだします。料理って、匂いや見た目で記憶をよみがえらせるもの。この食堂で出している料理も旬のものを扱っているので、移ろう四季に合わせて変化していきます。

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旬の地物野菜を使った人気のnitakiプレート1000円は日替わり。この日は、真室川の伝承野菜「八角オクラ」を使ったサラダを含むお惣菜が6種と、山形産の白米「さわのはな」、具沢山のお味噌汁つき。

これからは生産者さんに会いに行くとか、外に出たり、食材についてちゃんと勉強したい。自分が調理したものを食べていただき、おいしいねって言葉をもらうまでが料理だって思っています。若い頃は作るだけで楽しかった。いまはその先ですよね。食材がどういうふうに育っていて、どういう人が作っているのかが気になります。だから、山形に来てからというもの、時間がぜんぜん足りないんですよ。

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 nitaki |とんがりビル1階 
電話:023-634-8883
営業:11:00~22:00(21:30LO) 月曜定休 ※祝日の場合は翌平日休
http://nitaki.jp

土地の味覚と旬に出会える場所。 四季を味わう“まちの食卓”を作る。
松田 翔さん まつだ・しょう/1984年、宮城県生まれ。松山高校家政科卒業後、秋保温泉のホテルへ就職。その後、東京へ拠点を移し、板前修業を重ねる。日本料理から洋食の料理人へ転向し、「100本のスプーン」で働く。フードデザイナーズネットワークの中山晴奈さんと出会い、2016年4月、山形県のとんがりビルにある食堂「nitaki」の立ち上げスタッフとして関わり、移住。現在、山形市内で奥さんと2人暮らし。
(更新日:2017.03.22)
特集 ー 「とんがりビル」の住人たち

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「とんがりビル」の住人たち
山形県・山形市に生まれた新しいカルチャーの拠点「とんがりビル」。多彩なクリエイターが集う場から、エリアリノベーションがはじまっている。
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