INTERVIEW
  • 山形で山形を描く。「ふるさとは絵本のような」【山形ビエンナーレ2018】 荒井良二×宮本武典対談〈前編〉

山形ビエンナーレ2018×『雛形』

私と山形、それぞれの旅へ

主催者、アーティスト、スタッフ、それぞれの視点を交差させて「山形ビエンナーレ」を深堀りする連載企画。三者三様のジャーニーのおはなし。

山形で山形を描く。「ふるさとは絵本のような」【山形ビエンナーレ2018】
荒井良二×宮本武典対談〈前編〉

山形県
荒井良二さん(芸術家・絵本作家)、宮本武典さん(山形ビエンナーレ・プログラムディレクター)

居住地: 東京都、山形県
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「記憶ってすごく曖昧だよねえ。何が本当だったんだろうね」

真夏の山形、夕方の5時半すぎ。ミンミンと歌う蝉の大合唱をBGMに、山の中をずんずんと進む、芸術家であり絵本作家の荒井良二さん。ここは、荒井さんが約50年ほど前によく遊んでいたという場所。荒井さんの幼い頃の記憶をたどりながら一緒に歩いてみる。山、神社、巨樹、石仏、木の棒、陶窯……荒井さんはじっと見つめたり、触ったり、感触を確かめながら、楽しそうに歩く。記憶を巡る時間の中で、「ああ、思い出すものがあるなあ」と笑い、「もうちょっと行ってみようよ」と声をかけてくれた。

現在開催中の「山形ビエンナーレ2018」。2014年より、2年に一度行われるこの芸術祭の芸術監督を務める荒井良二さんは、山形県出身の絵本作家。はじまりは、2010年、ビエンナーレの前身となる展覧会「荒井良二の山形じゃあにぃ」から、この土地で育ち、この土地を出たひとりの作家のふるさとを描く旅がはじまった。

今回は、「じゃあにぃ」から「ビエンナーレ」までを荒井さんと二人三脚で作りあげてきたプログラムディレクターの宮本武典さんとともに、今開催されている「山形ビエンナーレ2018」までの旅のみちのりについて話してもらった。

写真:志鎌康平 文:菅原良美

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終わらずに続いていく
僕たちの「山形ビエンナーレ」

荒井良二(以下、荒井):ようし、ゆるりといきましょうか。

宮本武典(以下、宮本):はい(笑)。これまで、山形ビエンナーレを“こういう芸術祭ですよ”ってあまり具体的に説明したり語ってこなかったじゃないですか。参加アーティストについても、どういうテーマで決めているんですか?とよく聞かれますけれど。

荒井:よーく聞かれる!(笑)。でもそれは、ほかの芸術祭と比較しての質問なんだよね。「なにか違うんじゃない?」という前提をもとに質問されているような感じがするな。

宮本:そうですね。アーティストの作品に魅力を感じて、「すごく良いな、呼びたいな」という感覚から始まるので、あまり論理的に答えられないところもあって……でも、今日はそこにどんな軸があって形になってきてるかということを、参加してくださるお客さんに伝えたいなと思って。
初回のビエンナーレは、勢いで形にしていったところが大きくて。2回目は初回にできなかったことにトライしてみました。3回目となる今回は、ビエナーレ自体のキャラクターが定着してきたような気がしています。

荒井:そうだね。

宮本:それもやり続ける中で変化してきたことでもあるので、今日は荒井さんが「山形じゃあにぃ」から、この土地で芸術祭に関わってきて、どんな経験や変化を経て今に至るかをお聞きできたらと思っています。

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荒井:はい。これまで「ビエンナーレ」に興味を持ってくれる人に、あえて分かりやすいキーワードを作ってこなかったんだよね。それは、僕ら自身も毎回積み重ねていくにつれて、その辿ってきた道のりを見つめているからで。ふだんの個人の活動でも、最初から目的を決めて、こうやっていくぞ!と力強く明言するのはあまり好きではないの。まずやってみて、その痕跡を振り返りながら「ああ間違っていないな、外れていないな」という感覚を自分が受け取る。そうして見えてくるもを確かめていくことが多いから。

宮本:僕としては、荒井さんを中心にビエンナーレを作ってきているので、その“外れないように”という感覚に対して気をつけていました。はじまりの「じゃあにぃ」から「ビエンナーレ」までずっと、連作のような気がしているんです。だから毎回「ビエンナーレ」が終わっても、それは“終了”ではなく、全何話かのうちの一話が終わりました……さあ次回は!?というような(笑)。

荒井:そうなんだよねえ(笑)、いっつも終わらない。

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宮本:「ビエンナーレ」について、よく話すエピソードですが、最初に僕から「山形でなにかやりませんか?」と声をかけたら、「故郷に錦飾るみたいでなんかやだなあ」っておっしゃっていたのが入り口でしたね。

荒井:そうだね(笑)。まったく知らない土地のほうが作品は作りやすいから。なまじっか知っていることや、子ども時代に過ごした記憶が根っこにあると、ものを考えたり作ったりする上で邪魔になることがあって。もちろん役立つこともあるけれど、すんなり制作に入っていけなくなるところがあるんだよね。

宮本:アーティストは、旅人とか異邦人であるほうが土地と結びつきやすいですね。

荒井:そのほうが自由度が高い。子ども時代に過ごした感覚が、その“自由”を狭めてしまうことを直感してしまうのかもしれない。まったく知らないことーーー未知ってやっぱり楽しいじゃない? とは言っても、山形のこともほとんど未知だけどね。自分が山形のことをどれだけ知っているのか紙に描いてみたりすとると、全然知らないのよ(笑)、でも18歳に出てるから、当然だよなあって。でも僕の中に“知っているか、知らないか”という尺度があって、山形に対して相当意識していたんだなって気がついた。

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宮本:僕はそれがすごく面白いと思っています。2年に一度、外からひとりの芸術家が地元に戻ってきて。自分も家族も社会も変わっていくし、自分とふるさとの距離も伸びたり縮んだりしている。昔と今では、浮かぶ顔も、風景が語りかけてくることも変わってくるし。そうやって変化していくことが当たり前のふるさとを、形式的にとらえることは簡単かもしれないですが。

荒井:うん、うん。

宮本:そこを突き詰めていくと、わかったようなことは簡単に言えない。まったく知らない土地で無邪気に遊べたとしても、自分の両親や先祖が死んでいった土地で何ができるんだろうと考えるから。そういった、ふるさとと自分の関係のようなものが荒井さんが作るものに常に反映されている気がしています。その中で僕は、簡単じゃない・綺麗事じゃない部分をテーマにすることを大事にしていて。単に地方礼賛を言うのではなく、悩みや喪失感が何層にも重なった物語になっていると思うから。

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一緒に創造を楽しめる
遊び場であること

宮本:実際に、2010年に「荒井良二の山形じゃあにぃ」(以下、「じゃあにぃ」)をやってみて、どう感じましたか?

荒井:うーん、この規模でやるのはいいなあって思った。僕が関わるとしたら、規模を大きくしていくことにはこだわらないから。

宮本:どんどん大きなお祭りにしていきたいわけじゃないってことですよね。

荒井:うん、きりがないしね。

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宮本:
山形では「山形国際ドキュメンタリー映画祭」を隔年で開催しています。作品のテーマとして切実な社会の現実に迫ったものも多くあります。記憶や記録という過去を見つめなおしたり、光りを当てているすごく大切なもので。でも「ビエンナーレ」は映画祭のない年に開催するので、その切り口とは別にしようと。荒井さんとともに、みんなで新たに生み出すことをやる。なるべく自由に一緒に創造することを楽しんだり、遊べるかということを思っていました。

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荒井:そうだね。遊び場とか原っぱとか、「ビエンナーレ」では開かれたものを作りたいと思っていたな。アートの愛好家たちだけではなく、地元の人や学生など、直接興味を持っていない人でも、なんか楽しそうで入ってしまう、というような場所作りというのは意識していた。だって僕らが遊ぶんだったら、そのほうがいいよね。

宮本:荒井さんご自身の作品も、あまり形を決めずにやっていますね。形を決めてしまったら、それをなぞっていくだけになってしまう。だから、なるべく決めずにどこまでやれるかという挑戦でもあって。僕らのようなマネージメントする立場でも、いろんな材料を用意して、いざ荒井さんが「さあこれをやるぞ」となった時に、一気にみんなで動けるようにスタンバイしておかないといけなくて。そこは鍛えられました(笑)

荒井:鍛えてる意識ないよ〜(笑)

宮本:ですよね(笑)、でも即興的にみんなで遊び場を作るというか、実際に砂場を作ったり、映画を作るワークショップをしたり、子どもたちともの作りをしたり。単に楽しく遊ぶということではなく、みんなで一緒に作る遊びのような。よく荒井さんも「これは展覧会ではなくて、展覧会を作るワークショップだ」っておっしゃっていますね。

荒井:そう。ビエンナーレは、関わってくれる芸工大の学生ボランティアさんがいて成り立っているから、こちらも発想がどんどんワークショップ的になる。これが通常のボランティアさんだったらもう少し変わっていたかもしれない。それは、ビエンナーレを2回やってきて思ったんだけどね。

宮本:今回もそうですけど、荒井さんは現地に滞在して作品を作っていくので、その過程で話し相手も必要ですよね。でも決してアートのプロじゃなくて良い。作っているのは芸術家の荒井さんだけど、周りの人たちの意見や反応が荒井さん自身が作るものに影響を与えていますよね。そういう意味だど、荒井さんにとってもワークショップだし、周りのみんなも“アーティストと一緒に作っていく”というのを感じているんですよね。

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荒井:僕の中で専門的に作り上げたくないところがあって。じゃあアマチュアかっていうとそうではない。非常に説明が面倒臭いんだけど(笑)、「ビエンナーレ」に来てくれる人は、専門家ではなく一般の方のほうが多いから、そういう日常の感覚を持った人をどれだけ楽しませることができるかということを考えたいなと思うの。でも、考えすぎてエンターテインメントになってしまうことも嫌だから、どちらにふれるか針の位置が微妙なところなんだよね。

宮本:はい。ワークショップに“見本”はなく、荒井さんのようにやることも正解ではない。それぞれが意見をもって参加して、影響を与えあっていく余地を残すというのかな。

荒井:そうだね、余白かな。それを嫌う人もいるとは思う。世の中、余白がどんどんなくなってきているから大変だよねえ(笑)。白黒はっきり分けて考えている人が増えているような気がするんだ、どうなんだろうなあ。

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東北を知る、感じる
旅をする
きっかけに

宮本:2011年に東日本大震災があり、リアルな現実に直面したことで、僕たちのワークショップへの捉え方も変わりましたよね。そこから、荒井さんと“東北”との関わりも変わってきて。ワークショップをやったり、みんなと作るということで、どんな風に被災地の現状に関わっていくことができるのかと悩みながら。

荒井:そうだね。

宮本:僕らは、6月の初頭に被災地で泥かきや物資を運ぶ、物理的な支援を進めていて。荒井さんとも何ができるか考えていた時、まずは行ってみないとわからないので、塩釜のギャラリーでワークショップをやりました。本当はライブペインティングの予定だったのですが、荒井さんは一向に描き始めない(笑)。会場には地元の方しかいなかったのですが、ずっと喋ってましたね。

荒井:あの時はね、喋るしかないって感じがみんなからなんとなく伝わってきたんだ。もちろん絵を描いていいんだけど、話すこともすごく大事なことだから。でも話したくて、話そうと思って話したわけではなくて、結果的に話しちゃったんだけどね。宮本さんが途中であせって「ちょっとそろそろ…」ってね(笑)。最初はこちらから話し始めたけど、だんだんとみんなが当時の状況を話してくれて。ぽつりぽつりとね。それを聞いていたら、どんどん時間が過ぎていったんだ。

宮本:そこに来てくれた30代くらいの女性たちが、「久々にお化粧をして色のある服を着ておしゃれしました」というような事を言ってくださったことが印象的でした。

荒井:ああ! そうだったね。

宮本:そのあとは石巻にも行ったり。

荒井:うん。一度行ったけれど、ここはまだ何もやらなくていいかなって思った。テニスボールを打っている女の子を見て「ああ、まだだなあ。今この子はまだテニスボールを打っていたほうがいいな」って。

宮本:お母さんを亡くした女の子でしたね。そんな風にして、月に一度くらい荒井さんとアカオニのメンバーとか石巻や塩釜で活動していた僕らの仲間でワークショップキャラバンのように東北を周っていた時期がありました。それも2010年に「じゃあにぃ」を作ったメンバーだったので、何かを押し付けるのではなくて、引き出して分かち合う時間を共有する場作りや関わり方をベースにできる人たちでやっていたことが、その後のビエンナーレにつながる動き方になっていったと思います。より関係性やコミュニティが作られていったし、荒井さんだけではなく、ミロコマチコさん平澤まりこさん、Gomaさんなどほかのアーティストも荒井さんが東北のいろいろな地域を回っていく旅に合流していく感じでした。
震災の翌年にやった2回目の「じゃあにぃ」が終わった頃、荒井さんから「『荒井良二の山形じゃあにぃ』の“荒井良二の”をそろそろとりたい」と。「みんなにもっと東北を見てほしいし、旅してほしい。タイトルに僕の名前だけついてると、自分だけ旅してることになっちゃうわない? “山形じゃあにぃ”って名前のフェスにしたらどうかな?」と。

荒井:僕も肩の荷を降ろしたいからね(笑)。でも、無責任じゃなく周りに対して「君も入らない?」って感じだったの。そういう感覚も必要なのかな、そういうきっかけを作れたらいいなと思っていて。その“きっかけ”は、誰もが受け取るわけではないけれど、受け取る人も必ずいる。ワークショップもそういう感覚でやっているから。ワークショップって人ぞれぞれ凸凹があって、その凸凹のまま帰るのがいいなって思って。集まった全員が回答に近いものをみんなで共有することより、それぞれ別々なものを受け取って帰るような場が好きだから。正反対のことを受け取ってもいい。とにかく“きっかけ”をひとつ作りたいだけなんだよね。

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◎続く〈後編〉では、震災後の創作やビエンナーレへの意識の変化、今年のテーマについてのお話です。

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みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2018


東北芸術工科大学が主催し、山形市で2年に1度開かれるアートの祭典。山形市旅篭町にある国の重要文化財「文翔館」を中心に、市内各所で多彩なプログラムを展開。3回目となる今回は「山のような」をテーマに、9月1~24日までの週末、金・土・日曜、祝日の計13日間にわたって行われます。

会期:2018年9月1日(土)~24日(月・祝) ※期間中の金・土・日曜、祝日のみ開催
会場:山形県郷土館「文翔館」東北芸術工科大学とんがりビル郁文堂書店BOTA theatergura長門屋ひなた蔵・塗蔵
料金:無料(一部イベントプログラムは有料)
アクセス:https://biennale.tuad.ac.jp/access
問い合わせ:023-627-2091(東北芸術工科大学 山形ビエンナーレ事務局)
URL: https://biennale.tuad.ac.jp

 

山形で山形を描く。「ふるさとは絵本のような」【山形ビエンナーレ2018】 荒井良二×宮本武典対談〈前編〉
荒井良二さん(芸術家・絵本作家)、宮本武典さん(山形ビエンナーレ・プログラムディレクター) あらい・りょうじ/1956年山形県生まれ。1990年に処女作『MELODY』を発表以来、数々の絵本、挿画を手掛ける。2005年には児童文学賞の最高峰アストリッド・リンドグレーン記念文学賞を受賞、日本を代表する絵本作家として国内外で活躍。絵本『あさになったので まどをあけますよ』で2012年に第59回産経児童出版文化賞大賞を受賞。2010年と2012年に郷里の山形市で個展『荒井良二の山形じゃあにぃ』を開催。「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」芸術監督。

みやもと・たけのり/東北芸術工科大学美術館大学センター教授・主任学芸員。1974年奈良県奈良市生まれ。展覧会やアートフェスのキュレーションの他、地域振興や社会貢献のためのCSRや教育プログラム、出版企画をプロデュースしている。とんがりビル「KUGURU」キュレーター、東根市公益文化施設「まなびあテラス」芸術監督。akaoniとの企画・編集ユニット「kanabou」としても活動中。
(更新日:2018.09.07)
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