特集 問いながら、
変わりつづける私たち

強さと弱さを知っているからこそ
子どもたちを守ることができる。

「やまのこ保育園(以下、やまのこ)」は保育の専門外の経験を持ったスタッフも積極的に受け入れている。カメラマン、ガーデンデザイナー、美術館職員など、さまざまな経験を持った個性豊かなメンバーだからこそ、多彩な視点で子どもたちの成長を見守ることができると考えているのだ。なかでも、金井一朗さんの経歴は特に意外なものだった。

プロの格闘家として活躍後、保育士へと転身。横浜から鶴岡へと引っ越し、「やまのこ」へ。そんな彼の大きな転機となったのが東日本大震災だった。「生」と「死」を目の当たりにし、人の一生に寄り添う仕事がしたいと考えた時、「生」そのものである子どもを育てる現場で働こうと決めた。

一朗さんが子どもたちを見守る優しいまなざしは、今までの経験に裏打ちされた一途な強さから生まれたものなのだろう。

写真:志鎌康平 文:薮下佳代

プロ格闘家として活動するなか、
震災をきっかけに保育士の道へ

一朗さんが、鶴岡で好きな場所のひとつだという湿地帯へと連れて行ってもらった。取材時には青々とした田んぼと緑が生い茂る山並みが広がり、木陰では気持ちのいい風が通り抜けていく。休みの日には小学1年生と年長のお子さんを連れて、ザリガニを取りに遊びに来るのだという。

「この景色も流れる空気も好きな場所ですね。見晴らしもいいし、危ない場所ではないので、子どもたちの心配をしなくても自由に遊ばせることができるんです。僕はここでじっくり集中できるし、マインドフルネスにもいいんですよ。子どもがいるとなかなかそういう時間って取れないので」

優しい物腰の一朗さんだが、Tシャツからのぞく太い腕やしっかりとした体つきから元格闘家の雰囲気が見え隠れしていた。東京都出身で、高校を卒業後は格闘家になりたくて横浜にある道場に住み込みで入門。「パンクラス」という団体に所属し、1年後にはプロデビューした。10 年ほど活躍し、2011年の最後の試合をもって引退。団体でチャンピオンの座にまで登りつめた一朗さんだったが、プロの格闘家を引退し、保育士へと転向しようと思ったのはなぜなのだろう。

「プロ格闘家といえども、生活は苦しくて。格闘技のインストラクターの仕事も並行していました。団体でチャンピオンになったんですが待遇が変わらなかった。対戦相手もさらに強くなるし、もっと練習に専念しないといけないはずなのに、急に自分を信じられなくなったというか、この道で続けていっていいのかな?と迷いがすごく大きくなって、がんばれなくなってしまったんです。それまでは夢中でやってこれたけれど、力が出なくて、勝てなくなりました。それでもしばらく続けていたのですが、震災があって、完全に折れてしまいました。生活も苦しいままだし、チャンピオンになったものの自分のことを誰も知らないし、ボランティアに行く心の余裕もないし。僕は何をやっているんだろう?って。それでも、“僕はこの道でやっていくんだ”と信じることができていれば続けられたと思うけれど、その強さは僕にはなかった。別の道を探すしかないと思いました。28歳の時でした」

現役時代の一朗さん。「ファンの頃から観ていた強豪選手相手に競り勝った、キャリアの中でも印象に残っている試合です」(本人提供)

震災を経て、これからの生き方や働き方について、このままでいいんだろうかと立ち止まって考えた人もいるかもしれない。住まいや人間関係などを見直し、自分が何を大切にしているのかに気づいて、今までとは違う方向へと舵を切った人もいる。一朗さんもまさに悩みに悩み、自分に何ができるだろうと考えた。

「震災で亡くなった多くの人の“死”を思うと、とてもこわくて。これからどんな仕事をしようかと考えた時、死に意味を持たせられる納棺師の仕事か、次の未来を作る子どもたちの生活に関わる仕事かで悩みました。どっちも大事だなと思って。自分にできるのはどちらだろうと考えた時、これからを生きる人と関わっていく保育士という仕事を選びました」

 

真夏でも爽やかな風が吹く、湿地帯の敷地内にあるあづまやにて。一朗さんが着ていたのは現在は会員として所属する格闘技ジム「パンクラスイズム横浜」のオフィシャルTシャツ。引き締まった体は、鍛え上げられた格闘家そのもの。

家族との時間を第一に。
無理のない働き方を探して転職

保育士になるための受験資格がなかったため、奨学金を借りて専門学校へ行き、夜はアルバイトをしながら保育士と幼稚園教諭の資格を取った。在学中には子どもも生まれた。

卒業後は、神奈川にある児童自立支援施設で働き始める。家庭で問題があったり、非行や生活上の問題を抱えた子どもらの暮らしを支えていくことを目的とした施設で、居場所がない子どもたちにとって最後の砦のような、とても重要な場所だった。一朗さんはそこで2年間働く。

「下の子は養子なのですが、その子を迎えるタイミングで転職することにしました。妻1人で子ども2人を見るのは大変だろうと思って。児童自立支援施設は夜勤の仕事だったので、割のいい仕事だったけど続けるのは難しいかなと。家庭や子育てを第一に考えた時、自分の子どもとの時間を削って、他の子どものために仕事をするのは、ものすごく苦しくなるだろうなと思ったんです」

転職後は、保育園で働き始める。時間固定の派遣の保育士だったため、時給制でフルタイムだが決まった時間にきちんと帰ることができた。多くの保育士は拘束時間が長く、子どもがいる人にとっては難しい働き方のため、どうしても離職率が高くなってしまう。看護師の妻も病院勤務から訪問看護に変わり、残業や夜勤をなくした。一朗さん夫婦は、まず第一に子どものことを考え、その働き方を選んだ。それは家庭にとっても、仕事を長く続けていくためにも必要な選択だった。

保育の現場で働くことへの
不安と怖さと

保育園で働き始めてすぐ、一朗さんは保育士という仕事が自分には向いていない、と悩むことになる。

「子ども一人ひとりと遊んだり、一人ひとりの個性やキャラクターを深く知りながら、それと同時に全体を見渡して安全性を見るのが保育士の仕事です。けれど、そのバランスが本当に難しくて。実習の時からずっと、自分の見ている子どもになんかあったらどうしよう?という恐怖心がずっとあります。子どものように肩書きも何も気にしない、ありのままの人間を相手にできる仕事って他にないと思うんです。それと同時にすごくこわいという思いが今もずっとあって。

たとえば、今日みたいにとても暑い日は水分補給しているかどうか様子をよく見てないといけないし、自分の子どもを見るのと同じ感覚なんです。僕としては、楽しさや喜びよりも、苦しみや悩みのほうが大きい仕事ですね」

動き回る子どもたちにくまなく目を凝らし、体も心も全方位に集中する。ただ子どもたちと遊ぶだけでなく、安全かどうか常に見守る。改めて保育士という仕事がどれだけ大変なものか、気づかされた。

「意識してやっているうちはまだ本物じゃないというか。格闘技と同じで無意識に動けるようになってはじめて、そこから先にいけるんじゃないかと思っていて。そこに達するまで、どれくらいかかるんだろう(笑)。

訓練である程度身につくものもあると思います。けれど、格闘技と同じで、そこに到達するのが早い人もいれば、ゆっくり時間をかけていく人もいて。僕は後者だなという実感がありますね。一つひとつ、時間をかけて積み上げていくしかないのかなと覚悟しています」

今までの保育の経験と
「やまのこ」の大きな違いとは?

2018年4月、妻の実家である鶴岡に引っ越してきた。鶴岡に残っている妻の両親のことがずっと気になっていた一朗さん夫婦は、後悔する前に行こうと2人で決めた。終のすみかと決めるわけではなく、一度行ってみようと気軽な気持ちで。

「鶴岡に向かう電車のなかで求人募集をみていました。鶴岡に着いた日に面接をして、とある保育園で働くことがすぐに決まりました。そこで1年間働いてみたんですが、仕事の労力に給与が見合わず経済的に厳しいことがわかり、このままだと保育の仕事は続けられないと思うようになりました。それでほかの仕事を探し始めた時、『やまのこ』の求人をみつけて。今までの保育の現場とは違うなと感じて応募しました」

「やまのこ」に一番魅力を感じたのは、「より良くしていこうということに、すごく柔軟な感じがしたこと」だった。

「これという型に合わせて進めるんじゃなくて、いいと思ったらみんなで相談しながら、やってみるという柔軟で自由な姿勢がすごいなと思ったんです。個人ならまだしも、組織の多くが変化を嫌うものだと思うし、そもそも変わることが難しい。だから、純粋にいいものを追求するために、どうすればいいのかを考え続けるのってすごく難しいことだと思っていて。それを『やまのこ』は組織でやっているんです。相手は子どもですし、一時的に保護者とは接するけれど、自分の正しさを信じ過ぎてしまって、視野が狭くなりやすい気がしていて。けれど、『やまのこ』はそうならないように、常に変化を受け入れていく、そんな印象を受けてすごく魅力的だなと思いました」

面接は、園のスタッフと会社の代表と2回行われた。“人を選ぶ”、その手順そのものも大事にしているんだなと、印象に残ったそうだ。

「ちゃんと一人ひとりを見てくれているんだなと思いました。スタッフの方との面接はいろんな質問をされましたね。『子どもの未来はどうなると思いますか?』なんて、今までじっくり考えたこともないようなことを聞かれて。後になってああ言えばよかったなと思って、深く考えたり、自分自身のことを問う時間でもあって、とても疲れたんですけどすごく面白くて。それがいまもずっと続いている感じですね」

「やまのこ保育園」では1〜2歳のこごみ組を担当する。常に目を凝らし、子どもたちの様子を気にかける。

面接を経て、「ここでがんばりたい」と思ったという一朗さん。「やまのこ」に入ってからは、常に考え、動き続け、それが、「本当に生きることにつながっている」という。

「どんなことも、どういう意味づけをするかだと思うんです。一つひとつ、これは何のためにやるのか、というのをちゃんと考えて、振り返る。思考停止にならずに考え続ける。それが『やまのこ』の魅力だと思います。園庭に手作りの竹の遊具があるんですけど、業者に作ってもらえば、年齢に合わせた安全なものができるかもしれませんが、危ないからなくすのではなく、どうしたら安全に遊べるかを考えるんです。

「やまのこ」の園庭にある竹の遊具は、近くの林から切った竹を使って保育者が組み、DIYで製作。安全か危険か、それは遊び方次第。子どもたちが経験から学び取っていく。

保育者同士でも、やり方を互いに吸収したり、影響し合う毎日で、常にリングの上みたいな気持ちで、気合いを入れてやっています。毎日すごい緊張感で不安もあるし、気を抜けませんが、だからこそ自分が鍛えられて強くなっていく感じがしていて。熟練された保育者さんのように無意識で体が動いたり、目線が動いたりするようになれたらと思って日々精進ですね。互いの価値観を尊重する、許し合うってすごく難しいこと。それを『やまのこ』ではやろうとしているし、そうあり続けていくためにみんなが努力しているんだと思います」

一朗さんはそう話しながら、時々困った顔をしていた。保育の大変さ、「やまのこ」で保育者として働く難しさを身にしみて感じているからこそ、簡単に「楽しい」とは言えないのだろう。けれど、そんな毎日もひっくるめて挑戦し続ける毎日を生きること。その日々はきっと充実し、楽しいことでもあるだろう。弱さを認めて、怖さを知っているからこそ、強くなれるんじゃないか。一朗さんを見ていると、そんなふうに思えた。

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強さと弱さを知っているからこそ 子どもたちを守ることができる。
金井一朗さん 「やまの保育園」スタッフ
1982年、東京都大田区生まれ。プロ挌闘家を目指して、高校卒業後、「パンクラス」へ入門。2009年には団体のチャンピオンに。2011年の東日本大震災をきっかけに保育の道を目指す。働きながら専門学校に通い、保育士の資格を取得。児童自立支援施設、保育園で勤務後、妻の実家がある山形県鶴岡市へ家族とともに移住。保育園で勤務後、2019年4月「やまのこ保育園」へ転職。1-2歳のこごみ組を担当する。
(更新日:2019.10.29)
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