特集 シャムキャッツ夏目くん、
ギターをつくるのだ

出会えば、動く。 この町を拠点に音楽文化を育むために。

静かでどっしりとした雰囲気は、まさに職人。でも、ひとこと、ふたこと、ギターや音楽、町について話が始まると、とたんに言葉があふれてくる。

ギターブランド〈VINCENT〉のオーナー小川浩司さんの頭の中は、音楽のことでいっぱい。どうしても、どうしてもなりかったギター職人になるために長崎から岐阜へたどり着いた。自分が夢中になるものに出会えば、それに向かって動く。自分が体感する時代や日々の変化をとらえて迷いながらも、動いていく。たっぷりの情熱、燃料は満タン。

小川さんは今、とことん夢中になったギター製作の経験を土台に、新たに動き出している。人と町と出会いながら、音楽のある暮らしを作り続けることについて、聞かせてもらった。

 

写真:大森克己 文:菅原良美

どうしてもここで、
ギターを作りたい

〈VINCENT〉は、ギター&アザーズをかかげているブランドです。ギターを起点に音楽文化を根付かせていきたいし、ギターを弾くライフスタイルを取り巻く様々なものごとに関わっていきたいと思っていて。

名前の由来は、ひとことで言うと“色々縁のある名前”で(笑)。長崎に暮らしていた高校時代に、初めてしっかり話した外国人の名前がVINCENTさんだったり、70年代のミュージシャン、ドン・マクリーンの好きな曲名が「VINCENT」だったり、屋号に悩んでいた時に妻と行ったラーメン屋さんで偶然その曲流れてきたり……長くなるのでやめておきます(笑)。縁があって、VINCENTという名前を屋号にしました。

子どもの頃から、ものづくりが好きでした。工作が好きで、本棚を作ったり。バンドブームの時に音楽を好きになり、高校三年生の時に初めてヤイリギターを買って、漠然とこれを作る人になりたいと思い始めて。でも、通っていた高校が進学校だったので、大学に行かずに職人を目指すことに対して両親に反対されました。きっと遊びの延長に見えたんでしょうね。

でも、どうしてもギターが作りたいという気持ちを諦められず、反対を押し切り説得して長崎から東京の専門学校に行かせてもらって。就職先を具体的に考える頃は、はっきりと「ヤイリギターに入りたい」と思っていましたね。

当時、ギター工房は日本に5ヶ所ほどあったのですが、その中でもヤイリは一番手作業の行程が多い工房で。もう自分にとっては、ヤイリ以外選択肢はなかった。でも一向に求人は出ないし、待っててもダメだと思い、直接ヤイリに電話して聞いたのですが、採用の予定はしばらくないと言われて。それでも諦められなかったので、当時の先代の社長に手紙を書き、1ヶ月後くらいに面接の連絡をもらって岐阜まで行きました。面接と言っても、社長と話すだけで(笑)。長崎出身の事やヤイリに入ることしか考えていない思いをそのまま話して採用してもらえたことは、うれしかった。

先代の矢入一男氏の意志を受け継ぎ、ヤイリのクラフトマンを率いる3代目の社長、矢入賀光さんと。

何もわからずに入社し、最初は寮生活。常にどこかの部屋からギターの音が聴こえてくるような環境でした。入社して1年はギター製作をやらせてもらえなかったので、小刀など道具作りを最初に教わって。その後、当時ミニギターを専門で作る部署があって、そこに所属してギター作りを学びました。最初は全然仕事ができなかったので、終わってから、ベテランの職人さんの仕事を見に行ったりして。みんなすごく熱を持ってやっていました。

ヤイリには、日本各地からリペアをするギターが届くのですが、著名なアーティストのものもたくさんあって。それをじっと眺めてました(笑)。90年代の終わり頃、多くのミュージシャンが長い全国ツアーに出ていたので、ツアーから戻ってくるギターも色々修理が必要で、パーツやジャックを交換したり。そのギターを見ながら、プロのミュージシャンがステージで使う楽器のメンテナンスに携わりたいと思うようになりました。僕がよく見に来るし質問したりするので、数年後、当時アーティストのギターのリペア担当をしていた松尾浩さんという先輩に「この仕事に興味ある?」って声をかけてもらって。

松尾さんは61歳になるヤイリの現役の職人。ヤイリギターは、もともと木琴やカスタネットなどを作る<矢入楽器製作所>だったので、松尾さんより上の世代の方々は、ほとんど元家具職人でした。先代が1965年に社名を<ヤイリギター>として、アコースティックギターの製造に力を入れて、シフトしていくと同時に、70年代のフォークブームが訪れて。それに影響されて、ギター職人を目指した第一号の世代が、松尾さんたち。僕も職人として育ててもらいながら、たくさん影響を受けました。ライブにも連れて行ってもらいましたね。「ミュージシャン、は弾いてる楽器の生の音ではなく、モニターから聞こえる音を聞いているので、その違いを聞かせてもらいに、ステージに行かせてもらえ!」とか(笑)。

小川さん趣向が垣間見えるのCD棚。さまざまな年代のロックアルバムが並ぶ。

僕は、ギター自体も好きだけど、幅広いジャンルの音楽が好きで聞いていたので。意外と職人さんだとそういうタイプは少ないんです。アーティスト担当になると音楽的な話を分かち合えないとできない仕事なので、その辺りも大事にしていました。当時、BIGINさんが自分たちでギターを持って、電車で来てくれてました。メンテナンスも人に任せるのではなく、自分で理解していたいというか。探究心がある人は、ここまで来てくれるんだなと思いましたね。

時代の変化と
自分自身の変化

2000年前後はCDがすごく売れていたし、音楽業界も楽器業界も潤っていました。それが少しずつ低迷して行って、レコード会社や音楽事務所も続けられないところも増えてきて……僕もそれまで担当していたミュージシャンのギターについては、会社同士でやりとりできていたのですが、直接ミュージシャンと連絡を取ることが増えたり。時代が変わっていきました。ミュージシャンが独立して自分たちでフリーに近いスタイルでやるのなら、僕らもそれに合わせて変化していかないと対応できなくなるなと思って。今回、夏目さんが頼ってくれたことに対して動けたように、フットワークは軽くいたかったんです。

それと、ヤイリだけに限ったことではないのですが、ここ10年くらいで日本のメーカーのギターを使うミュージシャンが減ったことに対して、少しでもこの状況を変えていくために自分にできることは何かと長いあいだ考えていました。でも、ヤイリを辞めて独立したからといって自分ひとりに何ができるんだろうって。

ずっとモヤモヤ考えていた時、尊敬していた先代が亡くなり、どこか自分の中で踏ん切りがつきました。ヤイリギターと関わりながら独立して自分で動きたい、と。僕は売り方やアーティストとの関わり方を自分なりに新しくしたかったので、自分ではギターを作るのを辞めて、製造はヤイリにお願いし、それを売っていこうと思って。素晴らしいギターを作る、確固たるヤイリの技術をもっと活かしていく企画を自分がしたい、と。


音楽を通じて
地域をつないでいく

美濃加茂市に住んで13年になるのですが、ヤイリにいた10年は、日々工房と家の往復で町との関わりはほぼありませんでした。美濃太田駅から歩いてすぐの場所に「ワンダーランド」という本屋があって。僕は、ここの店主の渡辺修さんの事が大好きで。

2016年12月に亡くなってしまい、今は看板だけが残っています。初めて行ったのは、6年ほど前で、ヤイリの先輩の松尾さんに誘ってもらってライブを観に行きました。最初は、ちょっと近寄りづらいお店だなと思っていたのですが(笑)、行ってみたらおもしろい本や古いレコードがたくさんあるし、世代も職種もバラバラな人が集まってみんな楽しそうにしていて。その時は、ちょうどライブもやっていて。楽しそうな輪の中に、「美濃加茂の町をもっと良くしたい、おもしろくしたい」って話題があったり。ワンダーランドで、いろんな人と出会って話して、町に居場所ができたような気がします。僕にとってずっと大事な場所です。

美濃加茂の町の文化的拠点を育んだ「ワンダーランド」の店主、渡辺修さん。(写真提供:修さんの息子、憂樹さんより)

VINCENTを始めてから、町との関わりが増えましたね。大きなきっかけとしては、毎年美濃加茂市が企画運営していた音楽イベントをリニューアルする時に声をかけてもらったことです。美濃加茂市は、かつて“姫街道”と呼ばれていた通りがあったり、それにちなんだ女性を主役にしたイベントもあって。町としても、女性の起業家をサポートしたり、“女性が輝けるまち”として様々な取り組みをしているので、音楽イベントも女性ミュージシャンをメインに呼ぶものにしよう、と。正直、それまでは町の政策も全然知らなくて(笑)。イベント企画を通じて、町の人や町のことを知っていきました。それでスタートしたのが「minokamo HIME ROCK」です。ちょうどその頃、共通の知り合いを通じて出会った高田良三さんや仲間を募ってはじめました。高田さんは隣の可児市の工務店勤務で、ものすごく音楽が好きな人。高田さんとの出会いも大きいですね。

高田さんと小川さん。美濃加茂市と可児市の境にある〈リバーポートパーク美濃加茂〉で待ち合わせ。

高田:小川さんとは初めて会った時から、同世代だし好きなミュージシャンの話でめちゃくちゃ盛り上がって。僕は東京生まれ東京育ちなのですが、子育て環境と仕事の関係で、2010年に妻の実家がある可児市に移住してきました。僕もずっと音楽が好きで、この町で音楽イベントをやりたいなと思っていたんです。

小川:最初は、隣町の可児市で音楽イベントやっている人がいるんだ!ってうれしくて。このあたりの地域だと、自分たちでことを起こさないと、なかなかライブもみれないから。会って話してみたら、僕と同じように移住してきて地元の方ではなかった。お互い、客観的にこの地域を見てるので、そのあたりの感覚も少し似ているんです。

実際に町でやってみて、ブッキングや集客の難しさも改めて感じました。でも、都市ではなくこの地域だからできることに挑戦したいし、有名無名に関わらず、新しい音楽との出会いの場にしたい。そして長く続けていくイベントにしたい。この町で、ライブを観る、音楽を聴くという文化を作っていきたくて。まず、この町に暮らす人が「行きたい!」って思ってもらえるものにしたいんです。

みのかも文化の森で行われた「minokamo HIMEROCK 2019」の様子。(小川さん提供)

高田:誰が出演するかは大事ですが、「minokamo HIME ROCK」に来れば良い音楽が聴けるぞ、というものにしていきたい。岐阜県内の各地で良い音楽イベントがたくさんあるので、この町を拠点にしながら、周辺のイベントに行ったり一緒に何か企画したり、繋がりを持てたらうれしいです。
小川さんと出会ってから、小さくても自分たちのスペースを持ちたいと思うようになりました。月に数回でも自分たちが好きで伝えたいミュージシャンを呼んでライブをやる、いつもの場所ができたら良いなって。VINCENTのギターも飾って。都市ではなく地域だからこそ、こうしていい大人になっても好きなことで遊べるのはかなって思っています(笑)。

小川:そうですね(笑)、あと、高田さんが僕と同じく美濃加茂市在住だったら、作るものも違ったと思うんです。隣町ではあるけれど、大きな木曽川を挟んでいるので心理的に、文化的にも距離があるように感じることもある。だからこそ、それぞれの町に暮らしながら、お互いに行き来して話し合ってイベントや場を作っていきたい。そういう地域同志のつながりも意識しながらやっていきたいと思っているんです。

 

出会えば、動く。 この町を拠点に音楽文化を育むために。
小川浩司さん 長崎県生まれ。1997年ヤイリギター入社。手工生産のギター職人として様々なモデルを制作。その後、アーティストリレーションを担当。主なアーティストは仲井戸'CHABO'麗市さん、山口洋さん(HEATWAVE)、宮沢和史さん(ex.THE BOOM)、ハナレグミ、岸田繁さん(くるり)など多数。オーダーギターの製作や、メンテナンス、リペアを行い信頼関係を築いてきた。2016年に独立。美濃加茂市に工房を構え、ギターブランド「VINCENT」をスタート。美濃加茂市の音楽イベントの企画・運営をするなど、ギターを中心に音楽文化を育む活動をしている。ギターと音楽と川釣りとバイクをこよなく愛す。
(更新日:2019.12.12)
特集 ー シャムキャッツ夏目くん、
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シャムキャッツ夏目くん、
ギターをつくるのだ
アーティスト・夏目知幸さんが理想のギターを求めて岐阜県・美濃加茂市のギター工房「VINCENT」へ! “鳴らしたい音”を目指すつくり手たちのものづくりとは。
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