特集 誰かのはじまりを
支えあうまち、雲南市

住民が考え、動き、変わっていく。雲南で起きている“チャレンジの連鎖”とは。

島根県東部に位置する山あいのまち、雲南市。出雲神話のふるさととしても知られる自然に囲まれたのどかなこの地が、「日本一、住民発のソーシャルチャレンジが生まれるまち」として全国から注目を集めていることを知っていますか?

2004年に6町村が合併して生まれた雲南市は、東京23区とほぼ同じ面積で、人口約4万人のうち、高齢化率が36.5%という超高齢化が進む地域。そんな日本の25年先を行く「課題先進地」と言われる雲南では、いま、「チャレンジ」というキーワードのもと、行政と住民が連携して地域の課題を解決する好事例が次々と生まれているのです。

その特徴は、1人の中心人物が先導しているのではなく、大人も子どもも、地元住民も移住者も、それぞれが自分にできることを考え、実行に移していること。

百聞は一見に如かず、ということで、現地を訪ね、新たな挑戦を始めた人々に話を聞きました。そうしたら、本当におもしろいまちだったのです、雲南。

写真・文:飛田恵美子

新しい“自治”のかたちをつくる

東京から雲南までは羽田空港から飛行機で1時間半。出雲縁結び空港からレンタカーを借りて、まず向かったのは雲南市役所。チャレンジできるまちの下地をつくってきた中心人物、佐藤満さんに話を聞きました。

まちが変わるきっかけとなったのは2004年。6町村が合併し、雲南市として生まれ変わるにあたり、各エリアの住民・議員・行政職員が顔を付き合わせて、まちのあり方について真剣に議論したといいます。

雲南市政策企画部部長の佐藤満(さとう・みつる)さん。雲南生まれ雲南育ち。

「住民から寄せられた声は、大きく分けるとふたつ。“これまでは気軽に村長室に行けたけど、まちが大きくなったら声が届かなくなるんじゃないか”“このまま少子高齢化が進んだら地域が立ち行かなくなるんじゃないか”というものでした。その不安を解消するために、雲南市内30の地域で、住民が地域づくりに参加できる組織『地域自主組織』が生まれたんです」

「地域自主組織」とは、従来の自治体を小規模にした、地域ごとの多世代型チームのようなもの。1組織あたりの世帯数は平均400世帯。世帯主だけが会合に出席する11票制ではなく、女性、子ども、若者、お年寄りといった幅広い世代や立場の人が関わることのできる11票制を採用しているのが特徴です。

地域自主組織という仕組みができたことで、住民はさまざまな取り組みを始めました。一例を挙げると、商店が無くなった地域でマーケットを開き、無料送迎や配達サービスを提供したり、幼稚園の放課後に預かり保育を始めたり、独居高齢者への声かけ・見守りを行ったり……。

その後、各地域自主組織で集まってお互いの取り組みを紹介する場が設けられるようになり、防災や教育などテーマごとに関連する人が集まって議論をする「円卓会議」へと進化しました。

エリアごとの地域自主組織が集まって行う「円卓会議」の様子。

「たとえば防災では、『災害が起きてから行政の手が入るまでは時間がかかる。職員だけでは手も足りないだろう。十分な備蓄をして災害時の体制をつくろう』『崖の上に住んでいる高齢者や言葉のわからない外国人と日頃からコミュニケーションを取っておこう』と、地域住民が自ら考えて動いていくわけ。めちゃくちゃすごいと思わん? もちろんそこには市の防災担当職員や多文化共生職員も出席して、政策に落とし込んでいくんです。

これからの地方自治はこうあるべきだと思いますよ。市民が自分たちに必要なことは何かを考えて、行政が政策化する。議会は、それがちゃんと市民の意見を反映したものになっているか、非効率的なものになっていないかをチェックする。もう、机にかじりついて政策を形にする時代じゃないんじゃないかな」

「1人じゃない。失敗してもいい」
まちとして若者を支えるために

ただ、地域自主組織を担うのは主に6070代。次の世代が育たなければ、まちの未来はありません。そこで、雲南市は2011年から「幸雲南塾(こううんなんじゅく)」を始めました。地域課題や自分の興味関心をもとに活動してみたいという若者の学びやチャレンジをサポートする次世代育成事業です。

2013年には幸雲南塾の卒業生が中間支援組織NPO法人おっちラボ」を立ち上げ、幸雲南塾の運営から、卒業生も含めてチャレンジがしやすいまちにするための生態系を耕すような動きを継続的に行うようになりました。

さらに、雲南市ではより若い世代の中高生や大学生の挑戦を促す取り組みも。東京に本拠地を構えて全国でキャリア教育を行う「NPO法人カタリバ」を誘致し、不登校児童・生徒の自立支援と、教育魅力化の一環として中高生が地域に入っていく授業プログラムを実施。近隣の大学生にも学びのフィールドを提供しています。

「幸雲南塾」を通して140人以上の挑戦者とおよそ60人の新規雇用が生まれ、3億円を超える経済波及効果があったと試算されている。

市内の木次地区にある「NPO法人おっちラボ」の拠点。

子どもや若者のチャレンジを応援するため、雲南市は2018年に「雲南スペシャルチャレンジ(スペチャレ)」という制度を新設しました。国内外の研修や留学に行きたい学生、起業創業したい若者に対し、ふるさと納税や企業寄附によって資金を提供する制度です。ふるさと納税が子どもや若者の挑戦の予算になるとは!

「行政は税金も制度も自分たちのものと勘違いしがちだけど、本来は市民のもの。ふるさと納税だって市民のお金なんだから、市民がやりたいことを実現するために使うのが当たり前でしょう。チャレンジする子どもや若者に、『ひとりじゃないよ、みんな応援しているよ、失敗していいよ』って伝えたいんですよ。口だけじゃなくてね。

例えば、中1の子が貧困と福祉を学びたいってカンボジアに行って『カンボジアは貧しいけど、人の豊かさは日本よりもあると思った』なんて言ったり、進学を諦めていた高校生がインターンをして『今の自分が社会に出ても何もできない、力をつけるためにやっぱり学びたい』と帰ってきたこともあった。そうしたら、『そういう子だったら、ぜひうちに来てほしい』と入学金や授業料を免除してくれる大学が現れた。どっちもすごいよな」

スペチャレ1期生が始めた「ショッピングリハビリ®」。高齢者が買い物を通して自然に心身機能を高められるサービスで、介護予防事業として雲南以外の自治体にも広まっている。

雲南市では、地域自主組織を主体とした60代以上のチャレンジを「大人チャレンジ」、幸雲南塾に代表される社会人のチャレンジを「若者チャレンジ」と名付けています。更にいま、ここに「企業チャレンジ」を加え、「日本一チャレンジが生まれるまち」を目指す「雲南ソーシャルチャレンジバレー構想」が進んでいます。

こうしたチャレンジを促す風土を確たるものにするため、雲南市は2018年4月に「チャレンジ推進条例」を制定しました。

「市長も議員も職員もいつか変わる。そのときに時計の針が元に戻ってしまわないための条例です。『第3条、市民は、チャレンジに取り組む権利を有します。第4条、市長は、雲南市におけるチャレンジの取組を理解し、必要な支援に努めなければなりません』。方針の違う人がトップに立っても、これがあれば市民は『条例に書いてあるじゃないですか』と言える。通してくれた議会もすごいよな。感謝しているんです」

来春で定年を迎える佐藤さん。市役所職員として、ご自身もたくさんのチャレンジと失敗を繰り返してきました。

「雲南には、木次乳業の佐藤忠吉さんという、有機農法の草分け的存在のおじいちゃんがいるんですよ。戦後の食糧増産時代、農薬や肥料をたくさん撒いて生産性と効率を上げようという時代に、『食は人の命と体を守るものだから』と有機酪農に取り組み、日本で初めてパスチャライズ牛乳の開発に成功したすごい人。

立ち上げたプロジェクトがうまくいかず悩んでいたとき、忠吉さんのところに行ったら相談もしてないのに『失敗のない人生は失敗だ』と言ってくれてね。市役所ってのは減点主義で、成功しても褒められなくて、失敗すると責められるわけ。忠吉さんの言葉で『失敗を恐れて挑戦しないよりも失敗したほうがいい』と心が軽くなったな。

次にプロジェクトを始めたときに忠吉さんからかけられたのは、『人前でションベンするような恥かけ、それを10年続ければ本物だ』って言葉。俺も単純だから、『なんだ、10年やればこのプロジェクトも本物になるのか』と奮い立ってね。

90%以上進んでいたプロジェクトが土壇場で潰されて、5年後にほかのまちで成功しているのを見たりとか、悔しい思いはいっぱいしましたよ。いまはその分、頑張っている若者を見ると『守ってやらないとな』と感じるね」

佐藤さんはインタビュー中、何度も「すごいと思わん?」「おもしろいと思わん?」と言っていました。それはすべて、地域の人や若手職員、市長や議員、警察に学校、教育委員会と、ほかの人の姿勢に向けられたもの。チャレンジする人やそれを応援する雲南の人々を、心から誇りに思っていることが伝わってきました。

まちに関わる入り口はたくさんあっていい

こうした雲南の動きを、現地で暮らす若い世代はどう見ているのでしょうか。NPO法人おっちラボを訪問し、スタッフの平井佑佳さん、村上尚実さんに話を聞くことにしました。そもそもふたりは、なぜおっちラボのスタッフに?

平井佑佳(ひらい・ゆか)さん。雲南生まれ雲南育ち。島根県庁で嘱託職員として働いた後、幸雲南塾4期に参加。2015年におっちラボのスタッフに。

「やっぱりどこかにずっと、『地域に育まれた』という感覚があって。私、高校に5年通っているんですよ。いじめなどの明確な理由があったわけではないのですが、気持ちが向かず、行ったり行かなかったりで。

そんな自分を責める気持ちがあったんですが、雲南の里山風景を眺めている間は後ろめたさを忘れることができました。山々の間に転々と家があって、おじいちゃんおばあちゃんが畑を耕していて。その人たちの存在があるからこの景色があるんだと思うと、それがすごく尊いものに思えて。大きくなってそういう暮らしを次の世代につなぐ助けができたら、どれほど幸せだろう、と感じました。

高校を卒業すると、みんな市外に出ていきます。確かに、楽しいことは外にあるんです。ここで待っていても楽しいことは降ってこないし、誰かが困りごとを解決してくれるわけじゃない。でも、そういうのを外に求めていたら、いつまでも探しまわる人生になってしまうんじゃないか、という気がして。小さくても自分の手で楽しいことをつくりだしたり、困りごとに対して何かできるようになれたらいいなと思って、おっちラボに入りました」(平井さん)

村上尚実(むらかみ・なおみ)さん。松江生まれ神戸育ち。島根大学を卒業し、出雲市の社会福祉法人で3年半働いた後におっちラボへ合流。

「私は親が雲南出身で、子どもの頃から長期休みには雲南市内にある祖父母の家に来ていたんです。大学在学中に東日本大震災があって東北に通うようになったんですが、ああいう大きな出来事に直面した人たちと過ごしていると、否が応でもこれからどうやって生きるかを考えるんですよね。私の答えは、『雲南で祖母と暮らしていきたい』というものでした。

ただ、仕事が忙しく職場も出雲だったから、雲南でいろんな動きが起こっていることは知っていたけどずっと参加できずにいたんです。

元々まちづくりに関心があり、ニュースを見ながら『もっとこうなったらいいのにな、でも言うだけじゃ世界は変わらないよね』と思って大学で行政学を学んでいました。それが社会人になって、言うだけの人間になっていた。このままじゃ嫌だなと思って転職したんです」(村上さん)

ふたりの仕事内容は、幸雲南塾の企画運営とコーディネート。これまで幸雲南塾は個人でエントリーする方式でしたが、今年はまちの課題にチームで取り組む形を取っています。

「そのうちのひとつにコミュニティ財団を設立するプロジェクトがあり、私はその伴走をしています。行政が税金を使って取り組むほどに認知されていなくて、スペチャレから資金提供してもらうのはハードルが高い。そんな小さなまちの課題に気づいた住民の方々が、出資を募り小さくチャレンジできる、そしてそれを住民同士で応援しあって実現を目指すのがコミュニティ財団です。

相続する家族がいなくて、自分の遺産がどうなるかを気にかけている高齢者もいると聞きます。ただ国に納められるのは虚しい、お世話になったご近所さんのために、地域の未来のために使ってもらえるならうれしい、という方の受け皿となれたら」(村上さん)

 

「チャレンジにやさしいまちと言っても、やっぱり活躍している人を良く思わない人もいます。もしかするとそれは、自分も地域に関わりたいのにできていなくて、それができている人を見ると、自分が否定されているように感じるからなのかもしれません。私も、最初は幸雲南塾のことを『一部の人が盛り上がってキラキラしている』と遠巻きに見ていたから。

行動に移せないのは、時間がなかったり、いきなり起業・創業というとハードルが高かったり、仲間づくりに慣れていなかったりするためです。だから、そういう人が参加できる仕組みをつくることが重要なんじゃないかな。

本当はみんな、誰かの役に立ちたい、喜んでもらいたい、という気持ちを持っているはず。それを形にするための入り口を、『自分たちの手で暮らしをつくっていけるんだ』という実感を持てる機会を、いろいろな形でつくりたいと思っています」(平井さん)

地域自主組織に、幸雲南塾に、スペチャレに、コミュニティ財団……。最初に聞いたときは、「雲南にはチャレンジを促す仕組みが色々あってちょっとややこしいなぁ」と混乱してしまいました。でもそれは、実践する中で見えてきた課題に柔軟に対応してきたからこそなのかもしれません。

どんなに画期的な仕組みや制度も、ひとつですべての課題を包括することはできないし、時代の変化と共に古びていきます。でも、「いま何が必要か」と考えて実行していく姿勢さえあれば、チャレンジの連鎖は形を変えて続いていくはず。

帰り道、雲南の山々を眺めながら車を走らせていたら、ふとドイツの詩人、カール・ブッセの詩が頭をよぎりました。

“山のあなたの空遠く 「幸」住むと人のいふ
ああ我ひとと 尋めゆきて
涙さしぐみ かへりきぬ
山のあなたになほ遠く 「幸」住むとひとのいふ“

「山の向こうに理想郷があると聞いて探しに行ったけど、見つからず泣きながら帰ってきた。でも、その更に向こうに理想郷があるとみんな言うんだ」という内容です。

雲南の人たちの姿勢は、この真逆。どこかにある“幸い”を探すのではなく、自分たちの手で、“幸い”をつくりだそうとしているのですから。

 

※この記事は、一般財団法人澄和によるジャーナリスト支援プログラムの採択を受けて取材しました。


佐藤満さん(雲南市 政策企画部 部長)

雲南生まれ雲南育ち。チャレンジできるまちのベースをつくってきた立役者。


平井佑佳さん(NPO法人おっちラボ スタッフ)
雲南生まれ雲南育ち。島根県庁で嘱託職員として働いた後、幸雲南塾4期に参加。2015年におっちラボのスタッフに。

村上尚実さん(NPO法人おっちラボ スタッフ)
松江生まれ神戸育ち。島根大学を卒業し、出雲市の社会福祉法人で3年半働いた後におっちラボへ合流。

(更新日:2019.12.27)
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