特集 誰かのはじまりを
支えあうまち、雲南市

地域を生きた教材として、子どもが学び成長していく。雲南から始まる新しい教育のかたち

子どもが地域の大人に見守られ、さまざまな出会いを力に変えて育っていく。ひと昔前は当たり前のようにあったことが、現在では失われつつあります。親と学校だけが子どもの教育を背負ういまの状況に、息苦しさや疑問を感じている人もいるのではないでしょうか。

 

こうした中、島根県雲南市では2015年に教育NPOカタリバを誘致し、さまざまな形で子どもが地域に関わり、チャレンジすることを応援する取り組みを始めました。その結果、雲南ではいま、子どもが地域の大人の力を借りながらまちの課題に向き合い、解決するための行動を考えるという新しい動きが起こっています。

 

雲南にIターンしてこの事業を進める、カタリバの鈴木隆太さんと池田隆史さんにお話を伺いました。

写真・文:飛田恵美子

「公教育の魅力化」と「不登校支援」
ふたつの事業で雲南の教育現場を変える

まずは簡単に、背景の説明を。雲南市は中山間地域にある人口4万人弱のまちで、高齢化率は36.5%。日本の25年先を行く課題先進地と言われています。苦境に際し雲南市が見出した活路は、住民のチャレンジを応援し、課題“解決”先進地となることでした。

そこで、まちの将来を担う子どもたちにオリジナルで質の高い教育を提供し、地域の課題を解決できる人材を育てようと、カタリバが誘致されました。カタリバは、学校に多様な出会いと学びの機会を届け、社会に10代の居場所と出番をつくる活動を行う認定NPO法人。全国各地でユニークな教育プログラムを展開しています。

雲南市温泉地区の廃校を活用した「おんせんキャンパス」。

2015年、カタリバと教育委員会は教育支援センター「おんせんキャンパス」を開設し、「公教育の魅力化」と「不登校支援」というふたつの事業を始めました。鈴木さんは教育魅力化コーディネーターとして市内の高校に出入りし、池田さんは市内の不登校児童生徒のサポートを行っています。

それまで雲南とは関わりがなかったというふたり。なぜ雲南に来て、こうした事業に携わることを決めたのでしょうか。

カタリバの鈴木隆太さん。

「僕は大学時代にカタリバでインターンをしていて、4年生のときに東日本大震災の支援で宮城県の女川に行きました。職場体験プログラムのコーディネートを担当したのですが、女川は甚大な被害を受けた地域なので、職場なんてないんですよ。でも、地域の人たちは『復興していく様子を子どもたちに見せたい』と話していて。

僕自身は東京で生まれ育って、まちに対する思い入れはそれほどありませんでした。女川に来て、子どもが育っていくまちのこと、教育のことに思いを持っている大人がたくさんいることを知って、『いつかこういう人たちと仕事がしたいな』と思いました。それがいまの仕事の原体験になっています。

大学卒業後は一般企業に就職したのですが、3年経った頃にカタリバで働いていた友人から『雲南に拠点をつくるからやらないか』と誘われ、転職・移住しました」(鈴木さん)

カタリバの池田隆史さん。

「僕は元々、新潟で中学校の教員をしていました。担当している生徒の中にも不登校の子がいて、いつも『教師として何ができるだろう、そもそも自分との関わりだけで本当にいいんだろうか』と自問自答していました。学校がすべてじゃないし、もっと多様な学びの場があってもいいんじゃないかと。

一方、僕自身忙しさから体調を崩してしまって。休養中に、学校外で教育に携わっている方々に出会い、『こういう人たちと学校が協働できればいいのに』と強く思ったんです。それがきっかけでカタリバに転職し、岩手県の大槌町で放課後の学習支援をしていました。程なくして雲南で不登校支援事業を立ち上げると聞き、迷わず雲南に移住することにしました。自分が一番取り組んでいきたいテーマだったから」(池田さん)

地域の中に自分の“出番”を見つける

鈴木さんは雲南市内の高校で週に1〜2回行われる「総合的な探究の時間」を担当しています。これは生徒が自ら課題を発見し、解決に向けて探究することを促す授業です。

通常の授業や部活動の指導だけでも忙しく、常に時間に追われている教員には、子どもを地域とつなげるようなことまで手が回りません。そこで、鈴木さんがこの授業を受け持ち、子どもの興味に合わせてさまざなジャンルの人や物事を紹介しているのです。

探究の時間は、まず地域の大人を80人ほど学校に呼び、「トークフォークダンス」を行うことから始まります。フォークダンスのように大人と生徒が輪になり、11で数分間対話することを繰り返します。生徒は自分がいま何に興味・関心があるのかを話し、大人はそれに耳を傾け、質問やアドバイスをします。こうしたワークを通して生徒は自分自身を掘り下げ、探究の時間で取り組むテーマを決めます。

探究は4人1組のチームで行いますが、授業時間内に終わらないこともしばしば。そこで週に1度、希望するチームが課外活動を行う「放課後チャレンジラボ」を開催。この中で地域の人を呼んでディスカッションをしたり、まちに出て調査したりします。

「雲南の人たちはとても協力的で、農林業に関心のあるチームが森林バイオマス事業に取り組む『グリーンパワーうんなん』の現場に行ったときは、おじさんたちがノリノリで準備してくれていました。間伐体験など普段できないような体験をさせてもらい、なぜ雲南で林業が栄えたのか、歴史を遡って教えてくれて。生徒たちは『何もないと思ってたけど、すげえじゃん雲南!』と、地元の価値を見直していました。

医療福祉をテーマとするチームは、雲南で訪問看護を行う『コミケア』が開く健康サロンに参加させてもらったんですが、おじいちゃんおばあちゃんは『孫が来た』と大喜び。看護師を目指していたある生徒は、『地域の中で医療に携わることもできるし、いまの自分でも役に立てることはあるんだ』と気づいてハッとしていました。そうやって地域の中に自分の“出番”を見つけるんです」(鈴木さん)

雲南市には、ふるさと納税を使って中高生のプロジェクトを支援する『雲南スペシャルチャレンジ』という制度があります。この制度に応募するチームも現れ、実際に多文化共生について活動するチームの生徒は韓国へ研修に行きました。

「韓国の先進事例を見てきた生徒は、『雲南も多文化共生に取り組んでいるけど、道路標識や公共機関のサインなどハード面はまだ全然追いついていないし、外国人が地域に参画できる仕組みが必要だよね』と話していました。これから市に具体的な提案していくそうです。

生徒が学校の外に出て学びや気づきを得て、それをまた学校の中に持ち帰って探究していく。それも世界と比較しながら。ダイナミックでおもしろい教育の循環が生まれていると思います」(鈴木さん)

こうした取り組みによって、市が行ったアンケート調査で「ふるさとが好き」と答える高校3年生の割合が、3年間で67%から92%へと増加。また、中学生の市内高校進学率が2年で60%から68%に上向きました。

「これまで、意識の高い子ほど市外の高校へ進学する傾向があったんです。でも、高校の魅力化に取り組んだことで、好奇心旺盛で物事に積極的に取り組む子たちが地元の高校を選ぶようになった。これは大きな希望だと捉えています。

市内には大学がないので、高校卒業のタイミングで市外に出て行く子は依然として多いですが、卒業生に高校の授業に関わってもらうこともしていて。『雲南はおもしろいから関わっていきたい』と、イベントや休みの度に帰って来てくれています。ゆくゆくは彼らの中から、未来の雲南の担い手が生まれるかもしれません」(鈴木さん)

不登校の時期を通して、
子どもが自分を見つめ直す

 

一方、池田さんは、カタリバの拠点であるおんせんキャンパスを中心に、不登校の子どもたちをサポートしています。ここでは対話形式の授業を行うほか、家から出られない子どもに対しての家庭訪問や、学校には行けるけれど教室に入れない子どもに学校の保健室や相談室を使って勉強を教えています。

池田さんらが行う不登校児のサポートの特徴は、地域・行政・学校と密に連携を取っていること。農作業やものづくり、地域行事への参加など、多様な体験活動を実施しています。学習や体験活動の様子は毎日レポートで学校と共有。再登校の際に、スムーズにバトンタッチできるようにしているのです。

「不登校の子どもはもちろん、そのご家族のサポートも大切にしています。子どもが学校に行かなくなると、保護者の方も地域の行事やママ友の集まりに参加しにくくなり、家族全体が孤立していく傾向があるんです。それを防ぐために、定期的に保護者の勉強会や懇親会を開催し、横のつながりをつくれるようにしています」(池田さん)

子育ての葛藤や学びを共有し合う「保護者カタリ場」の様子。

目指すのは、子どもたち一人ひとりが「自分にとってのベスト」を叶え、自立すること。再び学校へ行くことを目標にする子もいれば、中学の間は自分のペースで学び、高校からの復帰を目標にする子もいます。なお、これまで7割以上の子どもが再登校を叶えたといいます。

「中学で学校に行けなくなったけれど、地元の高校に進学し、そこからは皆勤賞になった子もいます。成績もトップで、『人に教えるのが好きだから教員になりたい、でも一度は地元の企業で社会人経験を積んでみよう』と、自分で調べて自分で考え、進路を決めていました。

その子はおんせんキャンパスに通い始めてから、それまで漠然と興味のあったことに次々と挑戦していったんですよ。卓球にハマってラケットを買ったり、家で生き物を育てたり。この時期に『自分で考えてやってみる』という体験をしたことが、自分の意志で進路を考えて決めることにつながったのかもしれません。

印象的だったのは、保護者の方が『この子にこんな一面があったんだ』と話していたこと。不登校になる前は、本人が何かに興味を示しても、『どうせすぐやめるでしょ』と受け流していたそうです。現代は親も子も忙しく、時間の制約もありますからね。それが、不登校になってある意味でゆとりが生まれた。『子どもの興味や成長に気づけて本当によかった』とおっしゃっていたことを覚えています」(池田さん)

不登校になったことで、自分を見つめ直す時間が生まれ、家族との関係性も変わった——。これまで不登校に対して、私自身漠然とネガティブなイメージを抱いていましたが、考え方次第では子どもにとってすごくいい時間になるのかもしれない、と思いました。

既存の教育が悪いわけではありませんが、決められた内容を、決められた順番で、決められたスピードで教えられることで、本来好きだったことや自分から物事に取り組んでいく意欲を見失ってしまう子もいるのでしょう。自分の興味・関心に合わせ、自分のペースで学びを得ていく時間を必要としている子が、実はたくさんいるのかもしれません。

「別の子は、おんせんキャンパスに通いながら音楽を始めて、地域に師匠と呼べる人を見つけ、ライブで演奏するまでになりました。同年代ではなくて、大人と一緒に演奏しているんです。高校を辞めそうになっていた時期もありましたが、『将来音楽関係の仕事に就きたいから』と専門学校を目指し始めました。好きなことが見つかったこと、さまざまな形で音楽に携わる大人と出会えたことが大きかったんじゃないかな。

子どものうちはさまざまなサポートが受けられるけど、大人になったら自分の力でやっていかないといけない。そのときに、地域の中にいろんなつながりがあれば、セーフティネットになるかもしれません。おんせんキャンパスのプログラムでも、できるだけたくさんの出会いをつくってあげたいと思っています」(池田さん)

地域の課題が子どもたちの生きた教材となり、物事を解決していく力を育む。子どものチャレンジを地域の大人たちが全力で応援することで、まちに愛着を持つ次の世代が育っていく。

ふたりのお話を聞き、雲南ではいま、健やかな循環が生まれようとしているんだな、と感じました。でも、これは雲南に限定される話ではないはずです。地域の子どもたちが育っていく手助けがしたいと思っている大人は、全国にたくさんいるはず。

雲南で起こっている新しい教育のかたちが、ほかの地域にも広がっていくかもしれません。

 

※この記事は、一般財団法人澄和によるジャーナリスト支援プログラムの採択を受けて取材しました。


地域を生きた教材として、子どもが学び成長していく。雲南から始まる新しい教育のかたち
右/池田隆史さん 左/鈴木隆太さん(認定NPO法人カタリバ)

いけだ・たかふみ/1979年新潟県生まれ。数学の教員として公立中学校で12年間働いた後、2014年にカタリバへ転職。2015年、雲南に移住。

すずき・りゅうた/1988年東京生まれ。株式会社LIFULLで営業を担当した後、2015年にカタリバへ転職、雲南に移住。
(更新日:2020.02.06)
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