特集 いま、自ら仕事をつくる人
地域の人との関係性を築くフィールドワーク。編集とデザインを ローカルに落としこんでいく
今、目の前にある暮らしこそが、豊かでかけがえのないものであることに人はしばしば気付かない。それはあるとき、外側から生まれ育った土地の暮らしを見つめることで発見できるのかもしれないし、仕事や子育てなどに追われる日常のなかで、自らの手を動かして“できること”を実践したときに、ふとどこからか与えられるようにして、気付くものでもあるのかもしれない。
山梨へのUターン移住を機に“山梨の今を伝える”フリーマガジン『BEEK」を創刊したアートディレクターの土屋誠さん。山梨の人、もの、場所を丁寧に切り取った『BEEK』は、創刊からわずか2年で、県内外にその評判を広げる人気のフリーマガジンに。最新号となる第4号では1万部を発行し、書店や飲食店、公共施設などを中心に県内100カ所、県外にも50カ所以上で配布している。
編集・ライティング、デザイン、カメラに至るまで、雑誌づくりの行程すべてをひとりで手がける土屋さん。自身のライフワークでもある『BEEK』はどのようにして生まれたのか。そして、土屋さんが東京での暮らし、山梨での暮らしを通じて、感じたこととはーー。
写真:砺波周平 文:根岸達朗
雑誌づくりを学ぶため、
山梨を出ていく
東京でフリーのアートディレクターとして活動していた土屋さんが、家族とともに八ヶ岳南麓の山梨県・北杜市に移り住んだのは約2年前。山梨の石和温泉に実家がある土屋さんはそこで24歳まで暮らし、その後10年間の東京生活を経て、Uターン移住した。
「東京での暮らしが長くなってきて、そろそろ戻りたいなという気持ちが出てきたんです。子育ての環境も自然が多い方がいいし、僕自身、実家がぶどう農家で自然のなかで育ったので、四季の移り変わりを感じられる暮らしがしたいと思っていて。よく“『BEEK』をつくるために戻って来たの?”なんて言われるんですけど、そういうわけじゃないんです」
山梨ののんびりとした空気が自分に合っていると感じ、地元を出る気はまったくなかったという土屋さん。「温泉が好きで、仕事帰りに温泉入れるなんてすごい幸せだなと思っていたので(笑)」と、山梨の大学を卒業した後も県内に残り、地元でしばらくアルバイト生活を続けていた。
「ただ、昔から雑誌が好きで、雑誌をつくれるようになりたいっていうのがあったんです。当時の『relax』や『STUDIO VOICE』にはすごく影響を受けていて、雑誌がつくれる職業って何だろうって。そのとき編集の仕事とか分からなくて、とりあえずデザインからはじめてみようと思って」
その後、土屋さんは地元の企業に就職しタウン誌のデザイナーになるも、雑誌の仕事は東京で幅広く経験を積む必要があると考え上京。デザインの仕事をはじめたが、雑誌好きが高じて気が付いたら企画や編集、撮影の業務にも携わるようになっていた。そして6年間の会社員時代を経て2011年、デザイナーとして独立する。
顔が見えない仕事から、
誰かの手に届けるものづくりへ
「当時はとにかく声をかけられた仕事は断らずに受けてたんですけど、2年目にあまりの忙しさに体を壊してしまったんです。街で自分がデザインしている雑誌を見ている人にも会わないし、反響も届いてこないから、誰のためにやっているのか分からなくなってしまって。ただひたらすら消耗されるものをつくっているような感じがしたんですよね」
体調を崩したことをきっかけに仕事をセーブし、少しずつ自分の暮らし方、仕事の在り方を見つめるようになったという。
「2人目の子どもが生まれる頃、よく山梨に帰ってきていて、こっちでもなんかやれたらいいなって。山梨と東京なら移動もすぐできるし、場所が変わってもそんなにやることは変わらないんじゃないかなと思ったんです」
現在の住まいと子どもの保育先を見つけて、山梨に移り住んだのは2013年5月。フリーランス3年目、34歳のことだった。
関係づくりのための
“フィールドワーク”
「こっちに住みはじめて、山梨の地に根ざした暮らしや人のことが、県内や県外の人に伝わっていないなと感じたんです。東京だと埋もれてしまってできないことも、ローカルな場所だからこそできることがあるんじゃないかなって思って、山梨の日常を発信するメディアをつくりたいなと。それに、メディアをつくれば、それを持っていろんな人に会いにいける。地域の人との関係性を築くひとつのツールになるんじゃないかと思ったんです」
フリーマガジン『BEEK』を本格的につくりはじめたのは、移住の2カ月後。知りたいテーマを特集し、会いたい人に会いにいく土屋さんの“フィールドワーク”が始まった。
「実際に住んで自分の足を使って調べてみなければ山梨の本当の“今”は分からなかったですね。同年代で活動している人がこんなにいると思っていなくて、刺激を受けました。地域の生産者さんや職人さんに出会うなかで、昔は当たり前だと思って価値が分からなかったことも、それがものすごいことなんだって気付かされて。うちで使う調味料が全部山梨のものになったのもフィールドワークのおかげです」
地域で暮らす人々を取材し、記事にし、山梨のことを学びながら完成した本は、できる限り自分の手で届けに行く『BEEK』のフィールドワーク。そのときの出会いをきっかけに、県内に暮らす人や企業、自治体などから、リーフレット、カタログ、ウェブサイトのデザインや編集の相談を受けることが増えていった。
「東京だと、仕事をお願いしてくれる人との間に“人”が入ることがほとんどだったけど、こっちは100%直接話ができる。まったく関係ない話で盛り上がったり、そこから“何か一緒にやろうよ”と声をかけてもらえたり、写真を撮らせてもらう代わりに野菜やコーヒーをいただいたり。東京じゃ考えられないことだけど、そういう関係をつくれるってすごく豊かなことだなと思います」
“編集とデザイン”を
ローカルに落とし込む
気付けば、東京よりも山梨の仕事が多くなっていた土屋さん。少しずつその土地に暮らす人との交流が育まれ、お互いの顔が見える関係性のなかで、地域の仕事がつくられていった。土屋さんにとって、『BEEK』をつくることも、地域でデザインや編集の仕事をすることも、“山梨を伝える”という目的は同じ。それを伝えるツールが、たまたま経験のあった、デザインや編集、写真だったという。
「編集とかデザインって本当はもっと身近なものだと思うんです。でもなんか敷居が高くなってしまっていて、頼みづらい状況が生まれている。デザインって“かっこいいものをつくること”と思われがちだけど、僕は地場にあるものをそのままのいい形で人に伝えていくことだと思っています。地方だと、販路や流通方法、設置先とかのアウトプットも自分たちで開拓しなくちゃいけない。だから、メディアである『BEEK』があることで、広めていく手助けもしたいし、僕みたいな人に気軽に相談してもらえたらうれしいなと思っています」
山梨に戻ってきて2年。一度この地を離れた土屋さんには、時間をかけてでもまだまだ知りたいことがたくさんある。
「『BEEK』が個人的な動機からはじまったインディペンデントな活動である以上、広めていかなければ意味がないと思っていて、5年はこのフィールドワークを続けたいと思っています。こっちでは“仕事”という単位ではなくて、自分のできることをやって生活をしている人たちが多くて、オン・オフの境界もあまり感じません。僕自身もそういう感覚で動いていて、日々出会う人や会話の中からどんどんアップデートされています。目標は、生まれ育った山梨を語ることができるデザイナー。それができるようになるまで、地道につくり続けていきたいですね」
やまなしの人や暮らしをつたえる
フリーマガジン『BEEK』
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体裁:オールカラー、B5サイズ、32ページ
発行:年2回刊
配布場所:書店や飲食店、公共施設など、県内約100カ所、県外約50カ所
編集・発行:BEEK DESIGN
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特集
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