特集 “偏差値”を育てない、
豊岡市の教育
子どもの新たな可能性を引き出す、演劇を用いたコミュニケーション教育
かつては地域社会のなかで自然に培われていた、「相手を理解し、自分を主張する」ことのできるコミュニケーション能力。密な地域社会の減少や核家族化などで、子どものコミュニケーション不足が危ぶまれる一方、グローバル化とともにその重要性はさらに高まっている。そこで豊岡市では「コミュニケーション教育」として、演劇的手法を用いた日本ではまだ珍しいユニークな授業を展開。しかも、再来年度には、市内すべての小中学校で導入されることになっている。その授業風景と、プロジェクトに携わる演出家・平田オリザさんの思いもレポートしよう。
第三者を“イスから立ち上がらせる”難しさ
コミュニケーション教育と聞いて、どんな内容を想像するだろう。近年、その重要性が注目されているのだが、学校の授業でわざわざコミュニケーションを教える必要なんてあるの?と思う人もいるかもしれない。目的や意義など難しい話はあとにして、まずは豊岡市内の学校で試験的に行われている授業の様子をお届けする。
豊岡市立弘道小学校5年生、39人のクラス。講師はNPO法人PAVLIC(パブリック)の理事長を務め、演劇の要素を取り入れたコミュニケーション能力育成のワークショップを行っている、“たーにゃ”こと田野邦彦さんだ。
この日、2時間続きの授業で子どもたちに課せられたミッションは、「イスに座っているたーにゃを立たせること」。ランダムに組んだ4人チームの各メンバーには、次の役割が与えられる。
Aさん=チームの作戦を観察してまとめる役(いわば演出家)
Bさん=練習のときに本を読む役(いわば演出助手&役者)
Cさん=出演して、しゃべる役(いわば役者)
Dさん=出演して、しゃべらない役(いわば役者)
簡単に言うと、この4人で場面設定やセリフを考え、練習をして、本番の90秒以内に田野さんをイスから立たせることができたら大成功。田野さんは子どもたちの考えたシチュエーションに合わせ、どんな役柄にもなって即興で演技をする。
ただし、そう簡単にイスから立ってくれない。たとえば「高いところにあるものを取ってください」と言っても、「あなたがイスを使えば届きますよ」などと、何かにつけて言い訳をして座り続けようとする。あくまでも田野さんが、「自然とイスから立ち上がりたくなる」方法を考えなければいけないのだ。
ひと通りルールを説明すると、グループ分けをして作戦会議が始まった。配役でもめて肝心の場面設定になかなか行き着かないチーム、ウケ狙いに目的がすり替わっているチーム、しーんと静まり返っているチーム……。見ているこちらがハラハラしてしまうが、はたして田野さんを立たせることはできるのだろうか。
説得だけでは人の心は動かせない!?
いよいよ本番。緊張気味の演者と、期待に胸を膨らませる観客側の児童。劇場と化した教室で、実際に子どもたちと田野さんが繰り広げたお芝居を、ふたつほど書き起こしてみよう。
【ミッション】
座って本を読んでいる人(田野さん)を立たせる
【役割】
Aさん=チームの作戦を観察してまとめる役(いわば演出家)
Bさん=練習のときに本を読む役(いわば演出助手&役者)
Cさん=出演して、しゃべる役(いわば役者)
Dさん=出演して、しゃべらない役(いわば役者)
【チーム1】
Cさん「注文はカレーでよろしいでしょうか?」
田野さん「はい、カレーでお願いします」
Cさん(Dさんに向かって)「じゃあ次の仕事、とりあえずこれ運んで」
(カレーを運んできたDさんが、田野さんの前でお皿をひっくり返す)
田野さん「うわー熱っ!」
Cさん「すみません、すみません!」
田野さん「この服高かったのに、超ヘコむわ~」
Cさん「すみません。イスを拭くのでどいてください」
田野さん「えっ、イスにもこぼれたんですか? だけどイスよりまず僕の服でしょ!」
Cさん「シミになるので、早く変えないといけないんです!」
田野さん「いやいや、シミになるのは服も同じですよ!」
Cさん「前に来たお客さんにも同じことをしてもらっているんで……」
田野さん「同じことって。どういう教育してるんですか!」
Cさん「お詫びに無料サービスをするので、何かリクエストをお願いします」
田野さん「えー、この状態で!? じゃあチョコレートパフェでいいですよ」
Cさん「はい、わかりました」
(Dさんがまた田野さんに向かってパフェをこぼす)
田野さん「うわー熱い! いや、冷たい!」
~時間切れ終了~
【チーム2】
Cさん「先生、本を読んでないで、保育士の仕事をちゃんとしてください」
田野さん「ああ、はい」
Cさん「先生も子どもをきちんと見てくださいよ。あっ!」
(ふたりの前を走っていくDさん)
Cさん「子どもがストーブに触ろうとしています」
田野さん「ちょっと追いかけて!」
Cさん「あなたが行ってください!」
田野さん「危ないでしょ! あの子の担任は誰ですか?」
Cさん「あなたです!」
田野さん「私なの!? でもあなたが行ってきてよ」
Cさん「私、走るの遅いんです。先生のほうが速いと思います」
(Dさんが戻ってくる)
田野さん「今度はどうしたの?」
Cさん「肩の骨が折れてます!」
田野さん「ちょっとそれ、まずいでしょ」
Cさん「あなたの責任です。クビにしますよ」
田野さん「どうして後輩のあなたが、そんなことを言うのよ!」
~時間切れ終了~
という感じで、10チームの白熱した演技に爆笑やため息の連続。実際に田野さんを立たせるというミッションをクリアしたチームは残念ながらなかったが(実はこれ、大人でもなかなかできない難題なのだ)、子どもたちは充実した顔をしている。
「チーム1は、一生懸命働いているDさんを怒ったほうが、助け舟を出したくなって、たーにゃの気持ちを動かせたかもしれない」「チーム2は、Cさんが後輩ではなく上司など偉い立場の人だったら、もっと違う展開になったかもしれない」などとすべてのチームを評価したあと、田野さんはこんな言葉で授業を締めくくった。
「人の気持ちは、説得では動かないかもしれないことを覚えておいてください。相手に共感したときに初めて一緒に何かやりたいと思うようなこともあるので、みんなが共感し合えるような関係づくりを心がけながら、4月からは6年生として下の学年を引っ張ってほしいと思います」
自己肯定感が大きな自信へ
ランダムに組まれたチームではうまくいかないことも多々あるが、子どもたちがお芝居を作り上げていく過程で田野さんが気をつけているのは、助けすぎないこと。
「通常の授業であれば、きちんと発表できるレベルまで先生が手助けをすると思うのですが、コミュニケーション教育ではどんな人とでもなんとかやっていこうとするプロセスがむしろ大事。たとえ失敗してもそれが次に生かされれば、子どもにとっていい気付きになるのです」
授業を見学した先生からはよく、「普段おとなしいあの子が、こんなに積極的だなんて」とか「作文の苦手な子が、自分のセリフを夢中になって書いている」などと驚きの声があがり、子どもの新たな一面を発見する場にも。
「『この子はこういうことが得意だ』『この子は◯◯的存在だ』などとある種のキャラ化をしたほうが、クラスの運営はスムーズにいくかもしれません。だけど固定化した関係性をこの授業でいったんバラバラにして、新たな面を引き出すことで、子どもたちの活躍できる可能性が増えるのです」
拍手をもらったり、ウケたりした経験は自己肯定感を高め、大きな自信へとつながっていく。
世界標準の教育が受けられる町に
豊岡市ではこのようなコミュニケーション教育を、平成27年度から試験的に実施。初年度は5つのモデル校で行ったが、平成29年度にはすべての小中学校で、小学6年生と中学1年生の授業として実施を目指している。
しかも外から講師を招くのではなく、教員が今紹介したような授業を行うのだ。このプロジェクトの中心となっているのが、豊岡市の芸術文化参与を務めている劇作家の平田オリザさん。平田さんはかねてからコミュニケーション教育の普及に尽力しているのだが、演劇を取り入れることでどんな効果が期待できるのだろう。
「日本以外の多くの先進国は、中学や高校の選択必修として『演劇』の授業があるんです。国立大学にも演劇学科が設けられていて、コミュニケーションツールとして演劇を利用するというのは、ごく当たり前のことなんですよね。最近、演劇の役割として注目されているのが、“合意形成能力”。一定時間内に話し合いをして、アウトプットしたり、自分の役割をきちんと果たしたり、誰に何を伝えるかを意識したりする能力のことで、演劇はこれらを楽しみながら身につけることができるんです」
コミュニケーション能力は本来、学校の外で自然と身につけられるものだった。しかし近所づきあいの減少や核家族化などで、大人や見知らぬ人と接触する機会の少ない子が一定数存在するようになっている。
さらにグローバル化によってその重要性は高まるばかりで、“コミュニケーション下手”であることが個性にも言い訳にもならない時代になりつつある。だからこそ学校でコミュニケーション教育を行う必要が生まれたわけで、ユニークな授業の背景にはこんな意図があったのだ。
「私は城崎国際アートセンターの芸術監督でもあるのですが、豊岡で育つ子どもには、アートとコミュニケーション教育の両輪で世界標準の教育を提供することを行政とともに目指しています。豊岡は東京標準ではなく、世界標準で常に物事を考える町ですから」
そんな教育を受けた子どもたちがどのように育ち、どんな未来を築いていくのか。いきいきと発表する子どもたちの姿を見ていると、想像しただけで楽しくなる。
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