特集 心と体で学ぶ場所
心と体で学ぶ、人生にとって大切なことvol.04|失いかけた伝統芸能。継ぎゆくなかで育つもの

地域の文化や伝統芸能の価値を見直そうという動きが、日本の田舎の各地で広がってから、ずいぶん経つような気がします。
かつては地域であたりまえのように営まれてきたはずの祭りや民俗行事や風習やさまざまな生活の知恵というものが、継ぐ者もないままにだんだんと廃れてゆくこと。それは地域全体がどんどんと過疎化して元気をなくしてゆくのとパラレルで、長く息づいてきたそうした文化こそが地域の命であり宝であること
わたしたちの祖父母さらにその先の先祖たちはきっと、地域や集落という日常の共同体のなかで、そしてまた山や森や畑というフィールドで、生きる術をみずから進んで学び身につけそして次代に伝えてきたはず。人がしあわせに生きていくためのたくさんの知恵も、地域の行事や芸能のなかに遺伝子のように埋め込まれていたのではないでしょうか。
失われつつあった地域の伝統芸能を、もう一度、子どもたちに学んでもらうことで「なにか」を育てようとしている、秋田県の小中学校を訪ねました。
写真:高橋 希 文:空豆みきお
上小阿仁村、
子どもが可愛いまち
わたしたちが取材に向かった秋田県のほぼまんなかに位置する上小阿仁村は、12月半ばのその日、前日から降り続いた雪に覆われて真っ白でした。
午後3時半。授業が終わり子どもたちがぽつぽつ下校し始めた上小阿仁小・中学校の校門前に、雪道に苦戦しながらようやっと辿り着いた私たちとちょうど目が合った小学校低学年らしい女の子が「こんにちは」と丁寧に挨拶してくれました。「こんにちは」とわたしたちも挨拶すると「さようなら」と挨拶してくれました。「さようなら」とわたしたちも挨拶すると、彼女は雪の積もった帰り道をひとり歩き始めました。
ブーツを履いて、手ぶくろして、ボンボンのついた毛糸の帽子をかぶって、背中より大きいくらいの赤いランドセルを背負って。せっせと坂道を下りてゆくそのしっかりとした足どりの後ろ姿がとても可愛らしく、幼いのになんと礼儀正しくまっすぐで、雪にも負けぬ強さをもっているのだろう、と泣きそうになりました(これ、ほんとに)。
上小阿仁小・中学校は、その名の通り、小学校と中学校が統合した学校です。2007年4月、ふたつの小学校を統合し、さらに上小阿仁中学校と併設して現在のようなかたちとなりました。取材当時の全校生徒は小中合わせて88人。各学年10人くらい。人口減少の進んでいる村の小さな学校ではありますが、校舎の雰囲気はとてもよいものに感じました。

上小阿仁小・中学校の校舎の一部には秋田の天然杉も使われていて、その空間は明るさと優しさに満ちている。放課後を迎えた生徒たちは、勉強したり、部活をしたり、それぞれの時間を笑顔で過ごしていた。
吹き抜けのあるオープンな空間に、明るく溌剌とした活気が満ちている。ここでは、小さい子たちの面倒を中学生が見てくれたり、中学校の先生が小学生に教えることもあったり、小中が一体化しているからこその豊かな交流があります。さらにこの学校でのユニークな取り組みのひとつが「特色ある教育」というテーマのもとに行われている「郷土芸能の伝承」です。
八木沢番楽。
復活した伝統芸能の灯
番楽(ばんがく)とは、秋田で受け継がれてきた神楽のこと。八木沢番楽は、上小阿仁村の南端にある八木沢集落で200年以上も昔から伝えられてきたとされる伝統芸能です。集落が開拓されると同時に旧阿仁町の根子集落から伝えられた根子番楽を原型としながらも独自の発展を遂げたとされています。しかし、集落で長く続いてきたこの番楽も、1990年頃には過疎化や後継者不足によって演者がいないという危機を迎えます。
八木沢番楽保存会の佐藤敏雄さんは「集落に子どもがいなくなってからも番楽を絶やしてはならないと、ほかの集落の子どもたちにでもなんとか伝えようと八木沢まで来てもらったり、こちらから迎えに行ったり、ほかの集落まで教えに行ったりといろいろやってはきたのです。でも、せっかく教えても大人になればみんな村を出て行ってしまいました」とその頃のことを話してくれました。

八木沢番楽保存会の佐藤敏雄さん。受け継ぐ者のなくなった八木沢集落の伝統芸能を、なんとか残そうとしてきた数々の苦労や思い出話を語ってくれた。
そして、八木沢番楽の歴史はここでいちど途切れることとなります。
それから20年の歳月を経て、2010年頃のこと。保存会の敏雄さんたちを訪ねたのは、当時の上小阿仁小・中学校の校長先生だったそうです。「子どもたちに郷土の芸能を教えてあげてほしい」。この依頼をきっかけに、上小阿仁村の学校教育という枠組みのなかで、八木沢番楽保存会の方たちの指導の下、地域おこし協力隊からのサポートももらいつつ、生徒たちが演者となって、失われつつあった八木沢番楽を復活させる、という村人みんなでの復活劇が始まったのでした。
以来、八木沢番楽は、上小阿仁小・中学校のなかで、「小沢田駒踊り」「大林獅子踊り」とともに、郷土の伝統芸能を学ぶ課外活動のひとつとして練習が続けられ、毎年の夏から秋にかけて地域の祭りや学校祭で披露されているのです。2012年にはKAMIKOANI プロジェクト秋田という芸術祭でも披露され喝采を浴びました。
音とリズムと踊りが、
幼い記憶に刻まれたその先に

八木沢番楽を学ぶ、小学4年から中学3年までの生徒たち。こうして見るとみんなちゃんと正座している……こういう作法や行儀のよさを自然と身につけているのも、芸能を学んだがゆえのものなのだろう。
私たちが取材するというので、この日、練習の時期ではないのにもかかわらず、演者となる生徒たち7人と、八木沢集落の2人の師匠さんと、地域おこし協力隊の方とがわざわざ集まってくれました。生徒たちは小学4年から中学3年までいろいろ。なんで番楽をやろうと思ったの? と尋ねると、
「おもしろそうだったので」
「動きが激しくて、ジャンプとかあって、かっこいいかなと思って」
「見たことはあったけど、なんだかよくわからなくって、やってみたいと思いました」
とのこと。
……みんな意外と肩の力が抜けているというか、「僕らが受け継ぎます!」みたいな悲壮な決意なわけでもなく、単純に「おもしろそう」という自然な姿勢なのがいい。チームのなかで一番の年長者の子は、
「ぼくは弁慶をやっているんですけど、衣装も本当の弁慶みたいなかっこいい衣装で、長い刀を持ちますし、おもしろいです。リズミカルなお囃子と激しい踊り、牛若と弁慶の息の合ったところが魅力だと思います。お師匠がたは優しく、いい演技をしたときは褒めてくれます」と話してくれました。

お囃子に合わせ、扇子をきらめかせ踊る子どもたちの表情は真剣そのもの。師匠たちの顔つきも厳しい。ときには跳んだり跳ねたり、激しい動きも見せながら、子どもたちの八木沢番楽は躍動していて、確かに命が吹き込まれている。
みんな照れてるけど、優しくてすごく素直。ここでは、師匠たちに教えてもらうだけではなく、じぶんが先輩になれば小さい子に教えてあげるのが自然なルールで、ただ自分が教えてもらって終わりではなく、教えられたことを小さい子たちにまた伝えていくということが伝統となっていく。それがきっと八木沢番楽の魂なんだろうと思いました。
保存会の敏雄さんは「覚えようとしなくとも、小さい時からずっと見てきたから踊りはすぐに覚えたものだ」とじぶんの昔の記憶を語ってくれましたが、番楽にはきっとマニュアルなんてなくて、先輩たちの姿を見てはかっこいい動きを盗み、真似して、覚え、じぶんのものにしてきたのでしょう。ここには本当の「学び」の本質があるような気がします。それを、子どもたちに伝えていきたいのかもしれません。

子どもたちが演技を終えた後のお師匠ふたり、佐藤金次郎さん(左)と佐藤敏雄さんの笑顔。「うれしい」と言葉に出しては言わなかったけど、子どもたちの八木沢番楽を見れば、やっぱり心底うれしいはず。
200年愛されてきた八木沢番楽は、きっと、ものすごくかっこいい。そのかっこよさに、子どもたちはたぶんうっすらと気づいて、じぶんを動機づけたのではないでしょうか。大人になれば子どもの頃の記憶の多くを失ってしまうけど、大人になっても忘れることのできない原風景のようなものもあって、伝統芸能である番楽の記憶もその近くにきっとあるのです。音とリズムと踊りが、子どもたちの幼い身体と心のまんなかに響き、刻まれてゆく。大きくなった子どもたちはいつの日か、地域と分かちがたく結びついている自分という存在を再発見するときがきっと来るはず。
学ぶべきこと、学ばなければならないことはまだまだ地域にちゃんとある。そのことを、わたしたちはこの取材を通して改めて学ばせてもらいました。
新しい命が吹き込まれた八木沢番楽。
夏の季節が来るたびに、また上小阿仁村で出会えるはずです。
編集協力:秋田県
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