特集 東京の自然と。
“酪農王国”の復活を目指す八丈島。天気に左右されない、酪農の可能性をさぐる。

2つの山が連なり、まるでひょうたんを横にしたかのような形の八丈島。都心から最短でアクセスできる“南国”には、自然散策を楽しめる山々がそびえ、温泉が湧き、冬になるとザトウクジラがやってくる海があります。
自然資源に恵まれた島の中でも、漁業や農業だけでなく、地形を活かした酪農に力を入れている八丈島。かつては“酪農王国”と呼ばれたほどで、その歴史が途絶えそうになったとき危機を救ったのが、島のホテル経営者である歌川真哉さんと、移住者で乳製品づくりをしている魚谷孝之さんでした。天気に左右されることなく、さまざまな加工品に展開することができる、酪農。その可能性を支える、八丈島の人と自然の力をさぐります。
文:兵藤育子 写真:松永 勉 編集協力:東京都
30頭足らずの牛が支える島の新名物
東京から南へ287キロ。羽田空港から飛行機で1時間弱でアクセスできる八丈島は、黒潮の流れが生み出す紺碧の海に浮かび、ここにしかないもの、ここだから価値のあるものが多い島です。
伊豆諸島の特産といえば、明日葉、くさや、島焼酎などがおなじみ。八丈島もご多分にもれず、それらは伝統的な特産品なのですが、自生する八丈カリヤスなどの草木で染めた黄八丈は、この島独自の絹織物。鮮やかな黄色と樺色、黒を基調としていて艶やかな光沢を放ち、江戸時代後期には人形浄瑠璃や歌舞伎の衣装に用いられて一大ブームを巻き起こしたそうです。
こうした伝統工芸品がある一方で近年、島の新たな名物となっているのが、八丈島乳業の乳製品 。なかでも「八丈島ジャージープリン」は、放送作家の小山薫堂さんがラジオで絶賛したことで、全国から問い合わせが殺到。これを目当てに、島を訪れる人もいるほどなのです。ほかにもジェラートやソフトクリーム、モッツァレラチーズ、ヨーグルトドリンク、そして常時生産はしていないものの、島の焼酎蔵とコラボレートした焼酎ジェラートや焼酎チーズなども人気なのだとか。

2016年にオープンした「ジャージーカフェ」。黒を基調とした店内では、八丈島ジャージープリンやソフトクリーム、ジャージー牛乳などのほかに、ジャージー牛乳で作ったベシャメルソースをたっぷりかけたホットドックや、リコッタチーズを使ったベーグルサンドなども販売。
島には雄大な牧場が広がっているのかと思いきや、案内してもらったところは、目の前に海が迫り、起伏に富んで岩肌が露わになっているような、一般的な牧場のイメージとは異なる、野趣溢れる雰囲気。
「ここで暮らす牛たちは、山地(やまち)酪農の考えも取り入れた八丈島独自の自然放牧で育てているので、牛舎はなく、台風が来ても自分たちで安全な場所を見つけて、木の下などで雨風をしのいでいます」と説明するのは、牛の飼育と乳製品づくりを担当する、八丈島乳業の魚谷孝之さん。30頭弱の牛はすべて、乳牛として日本でメジャーなホルスタインではなく、茶色い毛を持つジャージー牛。国内の酪農では、1%にも満たない品種です。

ジャージーは好奇心旺盛で、人懐っこいのも特徴。こちらをじーっと見つめて、臆せず近寄ってくるほど。
「ジャージー牛は、ホルスタインよりも体がひと回りほど小さいのですが、食欲は同じくらい。しかも乳量はホルスタインの半分以下だったりするので、実をいうと酪農家にあまり好まれないんです。
でも体が小さいぶん、斜面を登ることができるので、傾斜の多い八丈島の地形に合っていますし、名前や簡単な単語の意味を理解できるほど賢いので、自然放牧に適しているんです」
たった30頭弱の牛たちが、島の特産を生み出していることに驚いたものの、さらに意外だったのは、八丈島における酪農は新たな産業ではなかったこと。かつては酪農王国と呼ばれるほど盛んに行われていたのです。
誇るべき酪農の文化を絶やさないために
八丈島で酪農が始まったのは、明治初期。それ以前も農作業や運搬、あるいは闘牛などのために牛が飼育されていて、1774年(安永3年)には629戸に対して牛の数は835頭、1860年(万延元年)は1029戸に1351頭もいたという記録が。飢饉のときは貴重な食料となり、島の人々の命を救いました。
大正時代には乳量世界一の牛を輩出し、1939年(昭和14年)には森永乳業八丈島工場が設立。戦後、坂下地区では全国的な開始より10年も早く、学校給食に牛乳が導入されたそうです。

搾乳後、人が誘導することなく、一列になって放牧地へ戻っていく牛たち。群れでコミュニケーションを取りながら暮らし、子どももみんなで育てている。
しかしながら流通が発展して、本土の安い乳製品が島内で販売されるようになると、酪農家の数は徐々に減少。乳量が確保できなくなり、2007年(平成19年)には八丈島農協が乳製品製造から撤退してしまいます。そして翌年、楽農アイランドという会社があとを引き継ぎ、のちに自社牧場を経営することに。
その5年後、たまたま旅行で八丈島を訪れていた魚谷さんは、前々職の経験を生かしてここでチーズ作りをやろうと直感。2013年4月に移住し、楽農アイランドで働き始めました 。かつてのように大きな牛舎を構えてホルスタインを飼育するのは難しかったため、ジャージー牛を島外から連れてきて、自然放牧に転換します。
「でも、ジャージー牛は乳量が少ないので、牛乳がおのずと高級品になってしまうんです。以前のように気軽に買えなくなってしまったので、島での売り上げは思うように上がっていきませんでした」と、魚谷さん。
2014年、ついに経営が立ち行かなくなってしまった楽農アイランド。ひと昔前は酪農王国とまでいわれた八丈島から、牛乳が消えてしまう危機を救ったのが、ホテル経営をしていた歌川真哉さんでした。

八丈島の酪農文化をリードする、リードホテル&リゾートの代表・歌川真哉さん(左)と八丈島乳業・魚谷孝之さん(右)。
「ホテルマンが牧場を経営するなんて、チャレンジングだと思われるかもしれませんが、結果的にこうなったというのが正直なところです。
ホテルの朝食や夕食で提供していた島の牛乳がなくなるのは、私たちとしても痛手ですし、観光地としての魅力も下がってしまう。自分たちが努力すれば、八丈島の誇るべき酪農の文化を守ることができるかもしれない、という思いでトライしました。酪農のことをよく知り、乳製品の加工もできる魚谷くんがいたことは大きかったですね」
2014年12月、今度は楽農アイランドの事業を引き継ぐ形で八丈島乳業株式会社が設立しました。

目の前に海が広がるリードパークリゾート八丈島の食堂。一般ではほとんど流通していない八丈島のジャージー牛乳、ジャージー牛乳を使ったフレンチトーストや自家製ヨーグルトが、朝食の人気メニュー。
天気に左右されない、島酪農の可能性
魚谷さんがこだわっているのは、「島の味」がする牛乳を取り戻すこと。
「初めて島に来て牛乳を飲んだとき、本土で飲んでいる牛乳と味に差がないと感じました。島で働き始めていろいろ話を聞くうちに、外からの餌にほぼ頼っている現状が見えてきました」

日本において通年自然放牧を導入している牧場はわずかであるため、八丈島乳業には全国から働き手の応募がある。全国の酪農家の平均年齢が55.1歳なのに対して、八丈島乳業の牧場スタッフは36.2歳。若い!

朝と夕方に2回ある搾乳&食事の時間になると、牛たちは自然と搾乳小屋の近くに集まってくる。 名前を呼ばれた順番に1頭ずつ中へ入り(たまに間違えるのもご愛嬌)、食事と搾乳を終えると、自ら小屋を出て牧場へと戻っていく。
そもそも八丈島で酪農が盛んだったのは、一年を通して牛の飼料となる草が豊富にあったことが関係していました。その伝統を取り戻すべく、現在は明日葉や八丈ススキ(マグサ)、八丈カリヤス、サツマイモのつるなどを飼料として与えながら、えさを確保するための畑やルートを整備し、数年後には自給率が100%となるよう目指しています。
八丈島に限らず、島という環境には酪農が適していると魚谷さんは常々感じています。漁業や農業は天候に大きく左右されがちなのに対して、酪農は天候を問わず搾乳ができ、工場も稼働できる。さらには耕作放棄地に放牧することで土地の有効活用ができ、牛のいる牧歌的な風景は観光資源にもつなげることができるのです。
「あと牛乳は、明日葉やサツマイモなどほかの特産品とコラボレーションしやすいんです。いろんな産業を牛乳というひとつの風呂敷で包むことができるのが、島の酪農のよさだと思っています。乳牛だけでなく肉牛の生産も実現したら面白くなると思うし、八丈島をまた酪農の島にしていきたいと思っています」

都立八丈植物公園の八丈ビジターセンターの中にある、2017年12月にオープンしたばかりのジェラート屋さん「Gelateria 365」。明日葉、お芋、椎茸など、島でとれた新鮮な素材をたっぷり使ったジェラートは、観光客だけでなく島民にも大人気。
選択肢を少しずつ増やしていく
歌川さんは現在、「魅力ある観光地、八丈島を創る」という指針のもと、「八丈島 ホテル リード・アズーロ」「リードパークリゾート八丈島」という2つのホテルと八丈島乳業、そして「八丈島ジャージーカフェ」と「Gelateria 365(ジェラテリア サンロクゴ)」という2つのカフェを島内で展開しています。そんな歌川さんから見ても、手つかずの自然資源や観光資源はまだまだたくさんあるそうで、もったいないくらいなのだとか。
こうした八丈島のまだ知られていない魅力に着目したのが、さまざまな革新的なエンターテイメント体験をつくってきた、アカツキライブエンターテインメント。リードパークリゾート八丈島の敷地内に、満点の星空を優雅に楽しめる1日1組限定の「星降るプレミアムデッキ」をプロデュースしました。ウッドデッキの上に透明なシートに覆われたドーム状のテントを設置し、そのなかにソファやチェストを設えらえて、誰にも邪魔されず心ゆくまで星空観察をする空間を演出。アカツキライブエンターテインメントの小谷翔一さんは、プロデュースの経緯をこう語ります。
「都心からアクセスしやすいのに、これほど環境の変わる場所があるなんて、僕自身、八丈島に来るまで知りませんでしたし、僕が味わった感動をより多くの人に体験してほしいという思いがありました。
海や山など八丈島の自然の楽しみ方はバラエティに富んでいると思うのですが、島を代表するホテルであるリードパークリゾートさんに滞在しながら、贅沢に自然を満喫できればという考え方がベースになっています」

はじめて来たときから八丈島の魅力にハマったという小谷翔一さん。自然だけでなく、飲食店なども選択肢が多いのが八丈島の魅力なのだとか。
小谷さんが島と関わるようになったのは、地域の課題を解決する人材育成を目的に開催されている「八丈島熱中小学校」に特任用務員として参画したのがきっかけ。廃校した校舎を活用して、山形県高畠町からスタートしたこの社会塾の八丈島校の立ち上げ支援を行い、現在は講師として教壇に立つことも。これまで10回以上島を訪れている小谷さんは、楽しみ方ひとつ取っても選択肢が多いのが、八丈島の魅力だと言います。
「たったひとつのもので劇的に変わるのを期待するのではなく、名物や体験、滞在のしかたなど選択肢が少しずつ増えていくことで、トータルとしての魅力が上がっていくのだと思いますし、星降るプレミアムデッキもそのひとつになればいいですね」
これに対して歌川さんも、「たしかに大きな目玉がひとつあって、それを中心に集客を図る観光地もありますが、八丈島はそうじゃない。小さな魅力がたくさんあって、いろんな楽しみ方をできることがよさなのだと思います。ちなみに、八丈島の星空は本当にきれいですよ」
来島する人のさまざまなニーズに対応するために、LINEを活用して『島コンシェルジュ』というチャットサービスも同時にスタート。
「友だちが住んでいるところに遊びに行くのって、はじめての土地でも安心感があるじゃないですか。『今晩のごはんどうしよう?』とか『明日欠航しそうなんだけど、そっちの天気はどう?』など、島に住んでいる友だちに気軽に相談するような感覚で、利用していただけると嬉しいですね」(小谷さん)
「こういったサービスをやっていただけると、ホテルサイドとしてもありがたいですし、これまで二の足を踏んでいたような人にも気軽に来てもらえるようになることを期待しています」(歌川さん)
島の新たな魅力としてもうひとつ外せないのが、冬になると周辺の海にやって来るザトウクジラ。2015年頃から現れるようになり、丘にいながらホエールウォッチングのできる貴重な場所として、観光のオフシーズンの目玉になりつつあり、歌川さんも小谷さんも期待しているのだとか。
東京というイメージからは想像もできないほど豊かな自然が、八丈島の産業を支え、観光資源としても私たちに多くの恵みを与えてくれているのです。
星降るプレミアムデッキ
リードパーク・リゾート八丈島のホテル敷地内に登場した、1日1組限定の星空観察スポット。360度透明なシートで覆われたテントでゆったりくつろぎながら、八丈島の星空を楽しむことができる。搾りたての八丈島ジャージー牛乳で作ったホットミルクなどの特別メニューも提供している。
利用料金(特別フードメニューを含む・税別):14,000円〜/4名 ※一人当たり3,500円〜
※リードパークリゾート八丈島に宿泊される方限定。宿泊費別途。
場所:リードパークリゾート八丈島(東京都八丈島八丈町三根5392番地)04996-2-7701
申込方法:リードパークリゾート八丈島をご予約される際に、空室があるかご確認ください。
お問い合わせ先:株式会社アカツキライブエンターテインメント 03-5944-9984
島コンシェルジュ
コミュニケーションアプリ「LINE」を活用して、島のおすすめスポットやアクティビティを紹介したり、予約の代行、決済などをしてくれるチャットサービス。初めて訪れる人でも八丈島を堪能できるよう、それぞれの滞在スタイルに寄り添った提案をしてくれる。
URL:http://shima-concierge.3place.jp ※現在は、八丈島の情報のみ対応。
Nature Tokyo Experience
豊かな山々に囲まれた多摩、青空と海が広がる島しょ。日本の中心都市の顔とはちがった、東京ならではの自然エリアに注目し、新たな体験型エンターテイメントを創出するプロジェクトをサポートする東京都の事業。
http://www.naturetokyoexperience.com/
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