特集 食のある風景
消費ではなく「食べ支える」。地域の食文化を守り継ぐ関係性のつくり方。〈シェフ・イン・レジデンスYOSANO〉
2018年8月27、28日と9月25日、京都府・与謝野町で開かれた「シェフ・イン・レジデンス YOSANO」。徳島県・神山町の農業の会社 フードハブ・プロジェクトによる“地産地食”の取り組みを、与謝野の食に関わる人たちに共有する3日間となりました。
前編の記事では、講座のようすと神山に滞在中のシェフ・David Gouldさんによるディナーのようすをレポート。後編では、「シェフ・イン・レジデンス YOSANO」の講師を務めたフードハブ・プロジェクト支配人 真鍋太一さんと、与謝野町商工振興課 松本潤也さんの対談をお届けします。
お二人が「シェフ・イン・レジデンス YOSANO」を通して感じた手応え、次のステップとして考えていることは?
前編:神山町から与謝野町に“地産地食”の手法をインストールした3日間。〈シェフ・イン・レジデンス YOSANO〉
写真:浜田智則 文:杉本恭子
〈神山フードハブ・プロジェクト〉真鍋太一×〈与謝野町商工振興課〉松本潤也対談
神山町と与謝野町、
遠く離れたふたつの町の出会いは?
松本さんが、フードハブ・プロジェクト(以下、フードハブ)を知ったのは、2017年のこと。与謝野町を訪れていた、フードハブ農業長の白桃薫さんとの出会いがきっかけでした。実は白桃さんは、神山町役場の職員。フードハブには“出向”というかたちで参画しています。
松本潤也さん(以下、松本さん):「僕も行政の人間ですから、役場の職員でありながらフードハブに関わっている、白桃さんの動きにすごく興味を感じたんです。その後、真鍋さんにもお会いして、神山町へ視察に伺いました」。
「初めて訪れた神山で、印象に残ったことは?」と聞くと、「かま屋が国道沿いにあったこと」という答えが返ってきました。松本さんは、「もっと、山のなかにあるような、森に抱かれているロケーションを想像していた」そうです。
松本さん:「同時に、ロードサイドに建つ『かま屋』を見てすごく納得感もありました。フードハブは『地元の人に向けて』『日常の食を』とずっと言っているので、それを実現するための場所は、町の人が毎日通る国道沿いになるんだろうな、と」。
視察を経て、松本さんは「同じ仕組みを与謝野町にもつくれないだろうか?」という思いを抱きます。「小さいものと小さいものをつなぐ」「消費ではなく、地産地食で食べ支える」などのキーワードに深く共感したからです。
松本さん:「与謝野町は、2015年に産業振興につなげるための地域ブランド戦略のマネジメント体制をつくり“みえるまち”というコンセプトや施策方針を打ち出しました。この仕事に携わるなかで直面したのは、『どうすれば、住民の皆さんにこの考え方を浸透させ、行動につなげてもらえるのか』という課題でした」。
フードハブ・プロジェクト支配人 真鍋太一さん(以下、真鍋さん):「たしかに、地域ブランディング構想は外からつくっていくものごとだから、地域の内部に浸透するまで時間がかかると思います。我々は、あえて住民側にフォーカスして『地産地食』から立ち上げてきたんですね」。
地域ブランディングにおいては、町の“見せ方”を考えることを通して、町の自然環境や産業の強みに目を向けていくプロセスも重視します。しかし、なかなか町の人たちにその真意が伝わらないことに、松本さんは悩んでいました。そんななか、フードハブの「地産地食」の考え方は、地域のなかの“温度”を高める手がかりに感じられたのです。
“妄想”を構想段階に進めて、
スタートラインに立ってほしい
「シェフ・イン・レジデンス YOSANO」のワークショップ設計において、真鍋さんはふたつのことを意識していたそうです。ひとつは「関係性を残す場にすること」。
真鍋さん:「フードハブでは、立ち上げのときから『関係性を続けていくこと』を大事にしてきました。仕入れも、ものづくりも、建築家も、一回発注して終わりではなく『ずーっと続けていけそうかどうか』をルールとして決めていたんです。関係性が残ることは、事業を生むキッカケにもなりますから」。
もうひとつは、「多様な視点が生まれる場になること」。
真鍋さん:「生産者、農家さん、料理人、販売する人など、できるだけバラバラで多様なメンバーを集めてもらい、違う視点に出会えるように設計していました。アイデアって生まれるというよりは、気づくプロセスだと思うから」。
自由な発想を生むには、「場に委ねて、信じること」も必要だと言う真鍋さん。グループワークでの打ち解けた空気、のびのびと発言するディスカッションを通じて、新しい芽が顔を出しました。
松本さん:「今回の講座では、事業計画までは行かなくていいから、まずはスタートラインに立ってもらうことを目指していました。自分のなかの“妄想”を構想段階にしてもらうところまで持っていきたいと思っていたんです」。
3日間のプログラムとして実施された「シェフ・イン・レジデンス YOSANO」では、最終日に「プログラムを通じて自分自身の企画(グループ可)」の発表が行われました。なかでも「スタートライン」を感じた発表をいくつか、写真とキャプションでご紹介します。
特に、「かや山の家」の青木さんの「刺激のなかで、自分の役割に気づいた」という発言はとても印象的でした。いつもと違う視点、枠組みが持ち込まれたことにより、参加者それぞれが「いつもの自分」の役割をも見直す瞬間を味わっていたのではないでしょうか。
食べることで見えてくる
地元の“資産”がある
3日間のプログラムのハイライトは、田んぼでのディナー体験。「与謝野の食べ物を、与謝野の田んぼで食べて、こんな気持ちになれる!」という驚きと感動を、参加者のみなさんは口々に話していました。
ディナーで出された料理は、地元の生産者のみなさんにもインパクトがあったようです。たとえば、「スモークした無農薬黒豆と九条葱」というメニュー。九条葱の生産者の方は、「同じまちで作っていても、こういう出会い方があるとは思わなかった」「こんな料理方法があるとは!」と驚き、とても喜んでくれたそう。
松本さん:「今回のプログラムの事前リサーチをしていたとき、ある生産者さんに『自分たちはつくることはできるから、なんとか食べることにつなげてほしい』と言われたことが強く印象に残っています。“地産地食”という言葉は知らなくても、農家さんはそういう思いを持っておられるんですね」。
真鍋さん:「しっかりした生産者さんが複数あることは、与謝野町にとってものすごい資産だと思いました。一方で、山側にはお母さんたちが自分たちの畑で野菜をつくって『たくさんできたからって売るのは恥ずかしい』という、昔ながらの農村的な文化も残っている。もっと自分たちのまちの資産に気づいてもらえるといいですね」。
真鍋さんは、与謝野の資産である「食」に気づかせるには、「つくる」と「食べる」の接続が必要だと考えています。田んぼでのディナー体験は、まさに「つくる」が「食べる」につながる瞬間を演出したものです。
松本さんは、「3日間の講座で、『つくるから食べる』までをつなぐ仕組みを見てもらえた」と手応えを感じています。
松本さん:「3日目の発表会で、『自分がやる』『いつまでに実現したい』と、自分ごとに置き換えて話してくれた人が出てくれたのはうれしかったです。良い芽が出てきているので、育つ環境をつくっていくことが次のステップになると思います」。
与謝野町では、町内でつくる有機質肥料「京の豆っこ」を用いた自然循環型農業に取り組んできた結果、町内産の「丹後産コシヒカリ」は高い評価を受けています。この実績に、「与謝野で、与謝野を食べる」という“地産地食”を組み合わせたとき、より地元に根ざした食の循環が生まれることが期待できそうです。
「日本的な食を残す」という
フードハブのチャレンジ
農業従事者の高齢化、後継者不足による耕作放棄地の増加など、日本の中山間地域では共通する課題が持ち上がっています。神山町でのフードハブの取り組みは、他の地域においても課題解決のヒントになる可能性があります。
「シェフ・イン・レジデンス YOSANO」は、フードハブの枠組みを与謝野町に“インストール”して、与謝野流にローカライズする“アップデート”をしてもらう試みでもありました。
真鍋さん:「ここまで深くやれたのは初めて。みなさんの反応を見ていて、自分たちの立っているところ、向かう方向性はたぶん間違っていないと感じましたし、可能性を感じました。ただ、やはりフードハブの仕組みを根付かせるには時間が必要だと感じました。今回、与謝野で見つけた芽を育てていくために、どう関係性を続けていけるのかは、次のステップとして考えたいと思います」。
「フードハブの枠組みを自分の町にも取り入れたい」と手を挙げる地域があれば、できる範囲で関わっていきたいと話す真鍋さん。その背景にあるのは、「日本のどこの田舎にもある課題を、小さいものと小さいもの、少量生産と少量消費をつなぐことで解決したい」という、フードハブにかける思いです。
真鍋さん:「日本的な食文化って、間違いなくあと10年以内でなくなっていくと思います。もちろん、記録としては残るだろうけど、リアルに語れる人はいなくなってしまう。たとえば『こんにゃく作ったことある?』って聞かれて、『あるある』って言える人はほとんどいなくなるんじゃないかな。食べるものが変わると、地域への愛着がなくなってしまいます。だから、仕組みをつくって残す必要があると思うんです」。
味噌・醤油、へしこ、ぼた餅、ばら寿司——ふと「シェフ・イン・レジデンスYOSANO」で耳にした、文化とともにある食べ物の名前を振り返ってみました。いずれも「過去にそうだった」「おばあちゃんから聞いた」話として語られていて、現在の日常ではなくなっていました。
もともと、日本の(あるいは世界中の)食文化は、「小さいものと小さいもの、少量生産と少量消費をつなぐ」ことで育まれてきました。大量生産・大量消費の食生活は、日本の地域(あるいは世界中の地域)に固有の、ローカルな食文化を覆い尽くし、息の根を止めてしまいそうになっています。
真鍋さん:「フードハブは、日常を通じて地域への愛着を失わせない、育てていく仕組みなんです。“食”は、命をつなぐ栄養的な側面と、快楽的な美食という背反する見方があるけれど、生活の真ん中にあるものです。フードハブは真ん中を行こうとしています」。
松本さん:「生活の真ん中にあるものとして食を捉え直したときに、食を通じて地域と関係性を持つことが、暮らしを豊かにすることにつながると思います。『まちの人たちの日常を豊かにしたい』という願いを、『地産地食』という言葉に置き換えると、すごく伝えやすいものになりました。自身がそうであったように、参加者の皆さんも今回の取り組みを経て、それぞれの日常の見え方も変化したのではないかと思います」。
フードハブが伝えようとしていることは、誰にとってもごく当たり前にある“日常”を手応えのあるものに変えていくことです。神山町、与謝野町だけでなく、どこで暮らしていてもいい。「今、口に入れたものってどこでつくられているんだっけ?」と思うことから、自分の生活の真ん中にある“食”を通じて、地域や社会とのつながりが見えてくるはず。
晩ごはんの時間にでも、もう一度この記事のことを思い出していただければ幸いです。
撮影協力:与謝野町産業創出交流センター
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