特集 食のある風景

種を守り継ぐために。種が持つ物語。【種採り農家・岩崎政利さんのお話】<前半>

日本で流通する野菜の1%にも満たないという「古来種野菜」とは、その土地になじんで育ってきた野菜の種を毎年採りながら、長い間守り継がれてきた品種のこと。

それは、見たこともないような多種多様なかたちと、いままで食べていた野菜とはまったく違う味や風味をもったエネルギーに満ちています。

そんな日本が誇る多様な野菜と、種を守り続けている農家の営みを、まずは知ってほしいと、オーガニックベース代表の奥津爾さんとwarmerwarmerの高橋一也さんが共同主宰しているのが、古来種ファーマーズマーケット「種市」。2013年から開催され、今年で6回目を迎えました。

2018年2月3日(土)、4日(日)、吉祥寺・キチム、西荻窪・松庵文庫で開催された「種市」には、在来・固定種の野菜(古来種野菜)が一堂に集まり、1日目には、長崎県雲仙市で35年もの間、種採り農家を続けてきた岩崎政利さんのトークイベントが開催されました。

日本の畑ではいまどんなことが起こっているのか、種との関係性はどんな風に取り戻すことができるのか。岩崎政利さんのお話から、種を守り継ぐとはどういうことなのかを考えます。

文:薮下佳代 写真:松永 勉

種を植えて、実になって、
花が咲いて、種を採る。

長崎県雲仙市在住の種採り農家の岩崎政利さんは、種採り農家のパイオニア。雲仙の風土に根ざした約50にもおよぶ在来・固定種の野菜の種を、35年もの間、奥様とおふたりで守ってきました。
野菜はできたものを買い、自分でつくるときも種は“買う”ことが当たり前ですが、昔は自家採種をし、その土地の気候や風土に合わせた種を継いできました。

岩崎政利さんの種取り

ネギの種は、この球形のネギ坊主のなかに入っている。種が熟すまで畑に置いておき、種を採るという。花が咲く時期が異なるため、1人で約50種もの野菜の種を採り続けるのは並大抵のことではない。(写真:繁延あづさ)

その畑の美しさと、種採りの営みの尊さに感動して、吉祥寺在住だった奥津さんは家族で雲仙市に移住。引っ越して驚いたのは、地元に岩崎さんの種を継ごうとしている農家がいなかったことでした。岩崎さんの活動をなんとか受け継ぎたいと、県内在住の若手農家を集め、毎月1度、勉強会を開くことにしました。

岩崎さんのような種採り農家を目指す若手の農家は現在4名と、奥津さん、地元のデザイナーの古庄悠泰さん、福岡在住の八百屋「金子商店」の金子尚生さんらでスタートしました。ほかにも九州の農家さんを中心に、岩崎さんの種採りを継ぐ若手農家が増えつつあります。

長崎県内に住む若手農家が集まり始まった「雲仙 たねをあやす会」のメンバーたち。世話人である奥津さん(右から2番目)は、「1人の農家が守ってきた、その景色を僕らで中継ぎしていけたら」と語る。(写真:繁延あづさ)

長崎県内に住む若手農家が集まり始まった「雲仙 たねをあやす会」のメンバーたち。世話人である奥津さん(右から4番目)は、「1人の農家が守ってきた、その景色を僕らで中継ぎしていけたら」と語る。(写真:繁延あづさ)

奥津さん:種採りとしての技術的なことに加えて、食べてもらう人へどうやって届けるのかという流通の問題、そして、そもそもどうして種を採っていくべきなのかということについて、グループ内で共有していく時間を大事にしています。

種を採るということは本当に大変なことなんです。岩崎さんは1つの野菜の種を採るのに最低でも50本、多いものは400本ほどの母本を選定して種を採っていく。岩崎さんは10カ所くらい飛び地で畑を持っているんですが、その理由は種が交雑しないように。ミツバチが行ける距離だと交雑してしまうので花同士が見えないようにしている。自然に花を咲かせて種を採るためには、50種類もの種の植える時期をずらして、しかも交雑しないよう飛び地の畑を行ったり来たりしながら、一年間、計算しながら種を採る必要があるんです。

でも、岩崎さんもよくおっしゃることですが、生業として続いていかないと意味がない。理想だけ追い求めて、辞めていった農家さんもたくさんいる中で、まずは生業として独立すること。そのうえで自家採種の野菜を継いでいく。理想と現実の間でうまくバランスを取りながら生き残っていくためにはどうしていけばいいのかということを、いろいろディスカッションをしています。

オーガニックベース代表の奥津邇さん。岩崎さんと出会ったことをきっかけに、2013年、家族で長崎県雲仙市に移住した。

オーガニックベース代表の奥津邇さん。岩崎さんと出会ったことをきっかけに、2013年、家族で長崎県雲仙市に移住した。

多品種を少量栽培する小さな農家は、大規模農家に流通面でも価格面でも負けてしまいます。また、宅配で一般家庭へ直接届けるにしても、年々配送料は上がり、直売所へ持って行っても、在来・固定種の野菜は手間ひまがかかるとはいえ、高く売れるわけでもないのです。そうした問題が山積しているなかで、どうやって差をつけ、生業としていくのか。
新規就農を目指す若手農家が、それでも種採り農家の道を歩もうとするその背景には、「種採りの素晴らしさに直に触れて感動した思いがあるから」と、奥津さんは言います。

奥津さん:種採りの風景というのは、昔から変わらない景色なんですね。種を植えて、実になって、花が咲いて、種を採る。その一連の営みは人間が栽培作物を始めた約1万年前からずっとやってきたことなんですよね。

野菜の花が咲く、その風景は本当に美しくて、畑に足を踏み入れた時、心打たれるんです。その風景を守りたくて、そういう場所がこれからもあり続けられるようにという、ただその思いだけでやっています。

僕らの活動は「雲仙 たねをあやす会」といいますが、「種をあやす」という言葉は岩崎さんが使っていらっしゃる言葉で、種をもむ作業が、赤ちゃんをあやすようだから。その言葉からもわかるように、種を守る背景には必ず人がいるんだということ。その言葉ひとつに僕らの活動のすべてが集約されていると感じています。

種が持つ固有の物語

大根といっても、スーパーで見かけるのは細長くて、根元が青い「青首大根」がほとんどですが、その昔は全国で100品種もの大根が育てられていたといいます。「種市」で販売されていた大根も、その多種多様なかたちや鮮やかな色合いに思わず見とれてしまうほど……。岩崎さんはその在来・固定種の大根のなかでも6種ほど育てており、その一つひとつに固有の物語と岩崎さんの元へとやってきた背景がありました。

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岩崎さん:野菜のなかでも手間のかかる野菜のひとつが大根で、種をあやすのが本当に大変なんですね。莢(さや)がとても固くて、なかなか種が落ちてくれないんです。
今育てている大根は6種類になります。地元雲仙の在来種の「雲仙赤紫大根」、石川県の伝統野菜の「源助大根」、強い赤い色でとても素敵な「五木赤大根」は、とある農家さんから種苗交換をしていただきました。芯が赤い「紅芯大根」は、中国から来た種でして、なかなか雲仙の土地になじんでくれませんでした。もう辞めようかと思ったこともありましたが、10年くらい過ぎた頃、見事に芯が赤い大根になってくれまして、私の畑と私に対してやっとなじんでくれたかという思いでした。

種採り農家の岩崎政利さん。まるで自分の子どものように、野菜のこと、種のことを優しい語り口で話されるのが印象的だった。岩崎さんが作った野菜が購入できるとあって、イベント会場ではあっという間に売り切れていた。

種採り農家の岩崎政利さん。まるで自分の子どものように、野菜のこと、種のことを優しい語り口で話されるのが印象的だった。岩崎さんが作った野菜が購入できるとあって、イベント会場ではあっという間に売り切れていた。

宮崎の椎葉村のクニ子おばちゃんにもらった「平家大根」は、野大根のようなすごく荒っぽい大根でして、しかも農家泣かせなんですね。大根の実が全部土の中に入ってしまっていて、なかなか土から抜けない、ものすごい生命力の強い大根です。800年という歴史の中で守られて来た大根で平家の伝説もあったりと、これだけロマンのある大根はそうそうありません。

鹿児島の消えいく在来種のひとつとしていただいた「島大根」はとても大きな大根でして、今の消費者ではなかなか扱いづらいだろうと思って冷蔵庫に入れて種を眠らせていたんですね。ですが、もう一回取り出して作ってみたら非常においしい。その間に時代も変わりまして、大きな大根でも受け入れてくれるレストランやシェフが増えていて、この大根を活かせるということがわかった。まだ選抜をくり返しながら育てています。

「種市」のイベント自体にあまり触れていないので、「当日は〜」って感じで1、2行で様子を入れられたらと思います!

人間の社会も人参の世界も、まったく同じ

大根だけでもこれだけの話があり、ほかにもかぶ、かぼちゃ、青菜など約80もの野菜それぞれにも、誰からもらったもので、どういった野菜なのかという逸話があるのだとか。そんな種を知り尽くしたようにも思える岩崎さんですが、種が持つ多種多様な世界を知らず、種から気づかされた出来事があったといいます。

岩崎さん:種採りを始めた当初は、「いいものを作りたい」「よりいいものにしたい」と考えていました。最初に種採りに取り組んだのは「黒田五寸人参」で、毎年毎年、選んで種を採っていくんですけれども、究極の美しいものだけを選抜していけば、最高の人参ができるに違いないと思っていたんですね。

そうやってずっと種採りをくり返していたら10年目に種が取れなくなったり、すごく弱々しい人参になってしまった。私はこの時、在来の種の世界をまったく知らずにやってきてしまったんだということを痛感しました。この会場にも男性がいたり女性がいたり、多種多様な人たちがいらっしゃいますけれども、そうした世界が在来種の世界にもあるとは知らなかった。人間の社会も人参の世界も、まったく同じだったということに気がついたんです。野菜とつきあってきて10年が過ぎた時にやっと、野菜ひとつひとつが持つ個性が見えて来たんですね。

イベントでは、若手の種採り農家たちの野菜が買えるマーケットと、料理家や人気パン店によるフードの提供もあり、普段なかなか手に入れることのできない古来種の野菜が食べられる貴重な機会に。「ただのファーマーズマーケットと違って、種を守ろうとする同志たちが集まる市なのです」と、種市の共同主宰者である高橋一也さん。

イベントでは、若手の種採り農家たちの野菜が買えるマーケットと、料理家や人気パン店によるフードの提供もあり、普段なかなか手に入れることのできない古来種の野菜が食べられる貴重な機会に。「ただのファーマーズマーケットと違って、種を守ろうとする同志たちが集まる市なのです」と、種市の共同主宰者である高橋一也さん。

農家に必要なのは、「感性」

そうした大切なことは「種が教えてくれた」という岩崎さん。「ひとつの種を継ぎ始めて10年は守ってみないとその種のことはわからない」という岩崎さんの言葉に込められた思いも、こうした実体験があったからでした。毎年毎年、種を継いでいくからこそ見えてくる農家の人たちだけが見ている世界は、短い時間のなかでは見えない、とても豊かな世界が広がっているように思います。岩崎さんが農家にとって必要なのは「感性」だという言葉にも、こうした思いが込められていました。

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岩崎さん:どんな在来種でも守る人が変われば、少しずつ色が変わったり、形が変わったり、食感も変わったりしていくものなんです。そこに在来種の多様性というか、すばらしい世界があると思っています。

そういうふうに種の個性を活かして育てることができる人は感性が豊かな農家なんだと思います。種を守る人はそういう感性を大事にして、楽しみながら自分の感性で野菜の本来の姿を見抜いて育てていく。それが大切なんじゃないかなと。

自分の種で野菜を生産して、それを販売して生業としてやっていけたら、そんなすてきな農業の世界はないんじゃないかと思うんですね。在来種というのは一般の人に食べてもらう機会がまだまだ非常に少ない。個性ある在来種を一般の人に食べてもらうには、私たち守る生産者が感性を磨いて、多様な姿を今の時代に合う姿に変えていくことも必要なんじゃないかと思っています。たとえば、大きすぎるものは小さくしたり、食感を変えたり。

今の時代に合うような形や味にアレンジしていく。種を“守る”ということは、この時代のなかで“食べてもらう”ということでもありますから。

第3部では「かえるすたいる Yamada野菜」の山田一生さん(中央)、「池松自然農園」の池松 健さん(右)、岩手県盛岡市で農業を営む田村和大さん、「蒜山耕藝」の高谷裕治さんら、若手農家も交えて岩崎さんとの対話も。

第3部では「かえるすたいる Yamada野菜」の山田一生さん(中央)、「池松自然農園」の池松 健さん(右)、岩手県盛岡市で農業を営む田村和大さん、「蒜山耕藝」の高谷裕治さんら、若手農家も交えて岩崎さんとの対話も。

食べる人がいるから、
守ることができる。

日本の流通における在来種が占める割合は、1%もありません。育てても、その販路や流通の問題が多々あり、岩崎さんも昔は販売に苦労されたこともあったそうです。ただ、それには食べてくれる人がいるから作っていくことができたのだいいます。
つまり、種を守る作り手と、それを販売する流通に携わる人、そして食べる人。それらがどれひとつかけても循環していかないのです。では、種を守っていくにはどうすればいいのか。それは消費者である私たちも一緒に考えていかなければならない問題です。

農家が作った在来作物をどうやって販売し流通させていくか。在来種の野菜を販売する福岡県の「金子商店」などの八百屋の存在も欠かせない。

農家が作った在来作物をどうやって販売し流通させていくか。在来種の野菜を販売する福岡県の「金子商店」などの八百屋の存在も欠かせない。

岩崎さん:私が農家をやっていて、一番素敵だなと思うのは野菜の花の時期なんですね。花が咲くといろんな生き物たちが花に集まってくる。いつも見慣れた野菜ですが、花の瞬間だけはすごく美しい花を咲かせる。特に在来種の花はとても美しいんです。そうした美しい野菜の花の世界を感じた時、野菜に対して本当に頭が下がります。

唯一、作物に一番近づける瞬間であり、農家だから出会えるすてきな出会いだと思うんですね。その美しさに確信があったから、ここまで続けてこられた。最初は暴れん坊で見栄えも悪くて、手のかかる野菜も手間ひまかけて育てていくなかで、野菜の性格を知っていく。そうやって淡々と種採りを繰り返していくなかで、人が作物を愛おしく感じられる瞬間が花が咲いた時なんですね。

できるだけ長く種採りを続けていけば、最後は野菜の長所や短所を知り尽くして、野菜のいいところが生かせる、そんな関係が生まれます。それを次の世代に継いでいけたら、きっとその地域、風土、その人自身になじんでおいしいものになっていくし、いずれは食文化になっていくはずです。
本当に気の長い話ですが、こうして種を守るには、食べてくださる人が必要なんです。誰も食べる人がいなくなってしまったら在来種は絶えてしまいます。なかなか店頭に並んではいませんけれども、在来種の野菜に目を向けてくださる人が増えれば、農家にとっても励みになるのではないかと思います。

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PROFILE
岩崎政利
いわさき・まさとし/1950年、長崎県生まれ。体を壊したことをきっかけに35年ほど前から有機農業に切り替え、野菜の自家採種を始める。現在では50種類以上の野菜の種を採っている。農民の手による自家採種と、在来種や固定種を中心とした種を守る運動を広げている。「スローフード長崎」代表。著書『岩崎さんちの種子(たね)採り家庭菜園』(家の光協会)『つくる、たべる、昔野菜』(新潮社)

奥津 爾
おくつ・ちかし/2003年に吉祥寺にて奥津爾・典子の夫婦で「オーガニックベース」を立ち上げる。2013年、雲仙市小浜町へ家族とともに移住。 現在は雲仙・吉祥寺・福島の3拠点で活動。「台所から人生が創られる」という信念を持って全国各地で料理教室を企画し、子育てや食と健康に関する書籍や動画を企画制作。福島では「食堂ヒトト」を運営。 2013年から古来種ファーマーズマーケット「種市」を主宰。雲仙では岩崎政利さんや地元の若手農家とともに「雲仙 たねをあやす会」を結成し、種を次代へ継ぐ活動続けている。http://www.organic-base.com

a975A6580b_2>>後半:「種を守り継ぐために。台所からできること。【奥津典子さん、根本きこさんのお話】」はこちらから

 

 

 

種市
2013年の春から始まり、今回で6回を数える。warmer warmer 高橋一也さんとORGANIC BASE 奥津爾さんによる共同主宰。「世界に誇る日本の野菜の多様性と、種を守り続けている農家の営みを一人でも多くの方に伝えたい」という想いからはじまり、在来種・固定種の野菜(=古来種野菜)を農家さんから直接買える、今までにないファーマーズマーケットとして人気を集める。
HP:https://www.organic-base.com/topic/tane/about.htm

種を守り継ぐために。種が持つ物語。【種採り農家・岩崎政利さんのお話】<前半>
(更新日:2018.03.01)
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