特集 食のある風景

医療系メーカーの営業マンが、300年の歴史ある「仙霊茶」の畑を継ぐまで。

時勢が変わりはじめているのをなんとなく肌で感じていても、「それなら」と気軽に方向転換できる人は、きっとそう多くはない。それが未体験の世界であるならなおさらだ。

兵庫県の中央部に位置する神崎郡神河町。野村俊介さんは、古くはこの地域から京都の宝鏡寺に奉納していたという「仙霊茶」を栽培する農家として暮らしている。長年務めた会社を辞めて、はじめは朝来市に新規就農者として移住。そして、あるきっかけからこの茶園と出合い、今年の春から神河町に移って本格的に栽培を始めたばかりだ。

写真:高橋マナミ 文:石田エリ

特に不満のなかった会社を辞めて
新規就農者になる

「ただ自分が機嫌よくいられるかどうかを物差しに、目の前に現れた選択肢を選び取ってきただけなんです。気づいたら茶農家に流れ着いていました」。

これまでのことを飄々と語る野村さんの話を聞いていると、それまでの生活が一変するような場所へ移住したことも、特別大きな決断だとは捉えていないように見えた。

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視界が緑で埋め尽くされるような、山あいのなだらかな斜面いっぱいに広がる茶畑。この神河町の総面積の8割が山林で、水源に恵まれ、昼夜の寒暖差もある。お茶栽培にはこの上ない風土なのだというが、一人で切り盛りするには途方に暮れてしまいそうな広さだ。けれど、この景色を見た瞬間、野村さんは迷いなくこの茶園を引き継ぎたいと手を挙げたのだという。

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「実は、最初にこの茶園を見にきたのは自分のためではなかったんですよ。36歳で脱サラしたあと、新規就農で生姜と胡麻農家の道を歩み始めていたんですが、周りには『あっさり転身した人』という風に映っていたみたいで、前の職場の後輩なんかが『僕も人生に迷ってて野村さんのように生きてみたい』と訪ねてくるようになって。その中の一人に茶農家になりたいというやつがいて、たまたまこの茶園が新規就農者を募集していると聞いて、紹介するためについて行ったんです。それが、いざ茶園を目の前にすると、当の本人はピンとこなかったみたいで、逆に僕がすっかり一目ぼれをしてしまいました(笑)」

聞くと前職は、医療機器を製造するかなり安定的な会社の営業担当だったという。会社に不満があったわけでもなく、そのまま働いていても不自由なく暮らせていたけれど、いくつかの小さなきっかけが野村さんの向かう先を自然と変えていくことになる。

背丈を超えるほどの高さまでのびた茶葉を、整枝機で刈り取っていく。茶摘みは2人での作業が必要なため、SNSでアルバイトを募集。そんなフットワークの軽さも野村さんらしい。

放棄され、背丈を超えるほどの高さまで伸びた茶の木の枝を、トリマーで落としていく。茶摘みは2人での作業が必要なため、SNSでアルバイトを募集。そんなフットワークの軽さも野村さんらしい。

「僕は神戸生まれですが、入社して以来ずっと東京勤務で、10年目で神戸の本社に異動になったんです。それで、かねてから著書を読んでいた哲学者で武道家の内田樹さんが神戸で開いた『凱風館』という合気道の道場に通うようになりました。この道場に行くと、エネルギッシュな自営業の人が多いんです。弁護士や大学の先生、小さな出版社を経営している人……そういうインディペンデントに生きている人たちと接しているうちに影響を受けた部分もあると思います。それに、あの頃は安倍内閣が解釈改憲に大きく踏み出したときでもあった。僕自身、それまで政治には大して興味がなったんですけど、あのニュースにすごく不穏なものを感じたというか。これからはもっとインディペンデントに生きないと。どうすればもっと時勢に左右されない強い生き方ができるだろうか、という思いがふつふつと湧いてきました」

 

農家の友人は、サラリーマン以上に
悠々自適な暮らしをしていた

野村さんの中にそんな動機が生まれていたとき、たまたま出席した高校の同窓会で米農家の友人と再会する。これが追い風になって、いくつかの点が一本の線へとつながっていく。

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「彼は朝来市で、米を自然農で栽培していると言いました。その当時、僕は自然農自体も知らなかったので、農薬も肥料もやらないと聞いて驚いたんですよね。おまけに『肥料をやらないというのは、田んぼに流れてくる水がすべての栄養分になる。だから、山から降りてくる水をよくするために、冬は林業をする』と。彼の話は、そのときの自分にはないスケール感がありました。興味が湧いて、そのあと彼の畑を訪ねたんです。今は4人目の子どもがいますけど、当時は奥さんと子ども3人と暮らしていて、2階建ての家も近隣の建て壊しになった家の建材をもらったりして、自分で建てたと。その上、農業で完全に独立生計を立てて家族を養っているという。普通に聞いたら相当大変そうですよね? でも『雨の日は仕事しない』とか『朝は8時起き』『土日は必ず家族サービスで休む』『妻は一切畑を手伝わない』って……こんな生き方があるのか!と。“農家=きつい仕事”というのはただの先入観でしかなかった。自分で食料が作れるというのは、紙幣にすら支配されていないんだな、と気づいたときに、もう僕の気持ちは決まってました」

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茶畑の脇には、あちこちに清流が流れている。

茶畑の脇には、あちこちに清流が流れている。

この直後に、あっさりと会社に辞表を出して朝来市へ移住。新規就労の道を歩み始めた。まずは、「好きだから」という理由で生姜と胡麻を栽培することにしたが、ゴマについては教えてくれる人がいなかったので、自分で日本各地のゴマ農家を訪ね歩いた。住む場所も、どうやって稼ぐかも、やりながら考える。それでもなんとかなっていくところが野村さんの不思議なところだ。

「朝来市に移住して間もない頃に、大きな民家が借りられるという話が持ち上がって、僕の話を聞いて実際に移住してきた若い子が2〜 3人いたので、シェアハウスにしようと、共同生活をしてました。酒が好きなんで、冬の閑散期は、近くの酒蔵で酒造りの手伝いもさせてもらったり。そうした縁から、古い酒蔵をリノベーションしたホテルの敷地にあった納屋で、「酒 ごぜる」っていうバーをやらせてもらうことになって。神河町に引っ越すタイミングで、前に働いていた会社の後輩が辞めてこっちに来たので、任せることにしました。朝来市での最初の2年間はそんな感じで、すべてが出たとこ勝負。計画的に進めたことは一つもありませんでした(笑)」

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竹田城跡地からほど近くにある、野村さんが現在もオーナーを務める日本酒バー「酒ごぜる」。カウンターに立つのは、会社の後輩だった山里佳世さん。朝来市にある酒蔵の日本酒「竹泉」「但馬」と、本文中の高校時代の同級生が営む「ありがとんぼ農園」のどぶろく「ほうすけらっぱ」などを扱う。下:左から、野村さん、「酒ごぜる」の共同創業者で、現在は「ココ鹿」というジビエ精肉業を営む高田尚希さん、野村さんと合気道の同門で、朝来市に移住し、現在は「竹泉」で蔵人として働く小松原駿さん、近所の郵便局員の村岸隆行さん。

竹田城跡地からほど近くにある、野村さんが現在もオーナーを務める日本酒バー「酒ごぜる」。カウンターに立つのは、会社の後輩だった山里佳世さん。朝来市にある酒蔵の日本酒「竹泉」「但馬」と、本文中の高校時代の同級生が営む「ありがとんぼ農園」のどぶろく「ほうすけらっぱ」などを扱う。下:左から、野村さん、「酒ごぜる」の共同創業者で、現在は「ココ鹿」というジビエ精肉業を営む高田尚希さん、野村さんと合気道の同門で、朝来市に移住し、現在は「竹泉」で蔵人として働く小松原駿さん、近所の郵便局員の村岸隆行さん。

風土の力に委ねながら、
無理せずおいしいお茶を作る

渋みのないすっきりとした飲み口で、あとからうま味がじんわりと広がる。茶園を引き継ぐと決めてから2年間、仙霊茶の茶園の他にも朝来市にある茶園でも修行し、ようやく自分の力で収穫したという「仙霊茶」は、なり行きでたどり着いたとは思えない味わいだった。

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野村さんが作る「仙霊茶」。無農薬、無肥料と、ほぼ自然栽培。爽やかなのみ口で甘味とうま味がいいバランスの煎茶、天日で酸化発酵させた烏龍茶、香ばしい香りが口いっぱいに広がるほうじ茶、夏の終わりに摘んだ茶葉を使って作った紅茶を合わせた4種類。この日は真夏の炎天下の中、水出しの煎茶とほうじ茶を飲ませてもらったけれど、どちらも暑い日にはぴったりのすっきりとした味わいだった。

野村さんが作る「仙霊茶」。無農薬、無肥料と、ほぼ自然栽培。爽やかなのみ口で甘味とうま味がいいバランスの煎茶、天日で酸化発酵させた烏龍茶、香ばしい香りが口いっぱいに広がるほうじ茶、夏の終わりに摘んだ茶葉を使って作った紅茶を合わせた4種類。この日は真夏の炎天下の中、水出しの煎茶とほうじ茶を飲ませてもらったけれど、どちらも暑い日にはぴったりのすっきりとした味わいだった。

「もともと仙霊茶は、300年ほど前に神河の風土がお茶の栽培に向いていると見出したあるお寺の住職が、農家に片手間でお茶栽培をやらせたのが始まりだと言われているんです。神河町一帯の農家さんの家の裏庭に1、2畝ほど栽培されたお茶を収穫して、それを全部集めて選り分けて、京都にある天皇家ゆかりの尼寺だった宝鏡寺に納めていた。なので、その当時はこんな茶畑もなかったんです。それが、40年ほど前に農林水産省の基盤事業というのがあって全国的に茶園が増えたんですよ。僕が受け継いだこの茶畑は、そのときに山を開墾して作られたもので、20軒くらいの農家が生産組合を作って20年以上にわたって無農薬で栽培していました。それが、どこもそうですけど、高齢化や後継者不足で2015年に組合が解散してしまったんです。それで、地元の人や信用金庫、大学などが支援する形で新規就労者を募集することになった。僕が出合ったのはこのタイミングでした」

野村さんの茶畑は、これまでほかで見たことのある茶畑とは少し様子が違っているように見えた。畝が、いわゆる植木のようにピシッとしていない。「わりとワイルドですね」と言うと、「性格が出ますよね(笑)」と野村さん。

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「まだ就農して5年そこそこだから大きなことは言えないんですけど、ここは幸いずっと無農薬で育てられてきた畑だから、お茶も自然栽培に近い形で育ててみたいなと思っているんです。僕が米農家の友人に再会したときに抱いていたような、すごく苦労しないといい作物が育たないという農業への先入観は、実際に自分が農家になってみても、やっぱり幻想なんじゃないかなと思うんです。お茶の栽培は窒素肥料を与えることでうま味が増すと言われていますけど、それがお茶のおいしさの全てではないんじゃないかなと。300年前に見出されたこの気候風土があれば、人間の介入は最小限でも自ずとおいしく育っていくんじゃないかと思っているんです」

確かに、野村さんが育てた仙霊茶には、肥料を与えていなくてもしっかりとうま味があった。従来の方法に捉われすぎず、自分なりの答えを探し続けること。その積み重ねが、野村さんらしい仙霊茶へと味わいを深めていく。

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医療系メーカーの営業マンが、300年の歴史ある「仙霊茶」の畑を継ぐまで。
野村俊介 1978年、兵庫県神戸市生まれ。36歳で脱サラをして、朝来市に移住。新規就農者として生姜と胡麻の栽培をはじめ、夜は「酒 ごぜる」を経営。その後、継承者を募集していた神河町の仙霊茶と出会いから、受け継ぐことに。2年間の茶業の手伝いをへて、2018年春より神河町に移住し、本格的に茶園の運営を始める。
instagram:www.instagram.com/shunsuken
(更新日:2018.10.12)
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地産地消、食材の生産・伝承、コミュニケーションを育む料理や場所……「食」のこれからと真摯に向き合う人たちの姿から見えてくる、本来の豊かさとは。
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