REPORT

言葉のゆらぎや、感覚の距離を対話の糸口に。美術作家・関川航平さんが表現の可能性を見つめ直す。

東京都
美術作家の関川航平さんによる本誌連載『目の泳ぎ』は、移住をテーマに生まれたこの『雛形』のなかで、日常の各所にも様々な「移動」をめぐる豊かな世界が宿ることを教えてくれる。

2019年夏、その関川さんが「まぶたのうらの踊り」と題したワークショップを行った。場所は東京都墨田区、築80年の長屋を改修したsheepstudio。地域の文化資源を活用して学びの場を創出するアートプロジェクト「ファンタジア! ファンタジア! -生き方がかたちになったまち-」内のプログラムだ。ここで関川さんと参加者たちは「言葉」をめぐる試行錯誤を毎週土曜、3日かけて展開した。

言葉は毎日のように私たちの身体を出入りし、コミュニケーションを支えている。一方で、同じ言葉でもそこから想起されるものは様々で、それがすれ違いを呼ぶこともある。でも、そのゆらぎを可能性ととらえ、たとえばダンスのように感じることも可能だろうか? 言葉を見つめ直したひとときを、関川さん、そして企画者である青木彬さんのコメントと共に紹介したい。

視界を文章に置き換えて
自他の違いと接点とを知る

1日目(2019727日)は、まず関川さんと参加者の皆さんによる自己紹介からスタート。言葉を使う作家、子どもたちと接する仕事に従事する人、企業の企画担当者など、背景も参加動機も様々だ。その後、さっそく皆でワークに取り組む。まずは一同が囲むテーブルを対象に、「机の上で起こっていることを15分間で記述する」ことに挑戦。できたものを皆で読み合うと、机の上の文房具や食器の色やかたち、数まで几帳面に記す人もいれば、それらを風景のようにとらえて詩的な言葉を紡ぐ人や、机の周りの光や風を感じとった人もいる。同じものを目にしても、何をどう言葉にするかは十人十色であることが浮かび上がった。

続くお題は「この部屋の半分で起こっていることを記述する」。皆で部屋の片側に移動し、もう一方の側、大窓から陽光が射すスペースで起きることを記述する。時間は同じく15分。今度は関川さんがおもむろにそこで飛び跳ね、音楽を再生し、室内にあるモノを動かしたりもする。対象が広がったせいか、参加者の文章にもさらに個性が現れた。関川さんの謎めいた行動に引き付けられた文章もあれば、窓の外の街の営みに目をとめた文章も。なかには室内の描写から、いつしか自らの心情や記憶を語り出す人もいる。部屋に流れたクラシック曲を知っている人と初めて聴く人など、経験による思考の違いを感じる場面もあった。

関川さんとキュレーターの青木彬さんがこのワークショップを考案した背景には、どんな思いがあったのだろう。

美術作家の関川航平さん(右)と、キュレーターの青木彬さん(左)。

青木:今回のワークショップは「新しい対話のためのプラクティス」というプログラムの一環で企画されました。言葉というのは、同じ内容でも感じ方は多様ですし、たとえば少し順序を入れ替えるだけでもそのイメージは変わる。そこで今回は、ある種の文章講座のように一方向的に「何かを与える/受け取る」場ではなく、言葉のそうした性質を通じて講師と参加者の皆さんが対話しながらアイデアを交わし合えたらおもしろいのではと考えました。

関川:タイトルを「まぶたのうらの踊り」としたのは、音で観るダンスのワークインプログレス」(神奈川芸術劇場、2017-2019年)というプロジェクトの記録集を読んだことがきっかけのひとつです。そこでは視覚障がいを持つ人々がダンスを観賞するための「音声ガイド」を、ダンサーが自らの振付について抽象的に語ったもの、視覚障がいを持つ人々と研究会が作成した視覚的客観性を重視したもの、能楽師による空間全体を抽象的に把握したもの、という3パターン作成し、それらを比較しながら鑑賞する様子が紹介されていました。言葉によってイメージが伝達されることの可能性について非常に示唆に富む内容で、それが頭に残っていて、今回のワークショップでは「言葉だけでダンスを踊る」みたいなことは可能だろうか?と考えたことが出発点でした。

たとえば、芸術作品や政治的イシュー、あるいは同じ土地の印象をめぐっても、様々な感じ方があることを私たちは日常的に経験している。この日は、それがひとつの部屋の観察という小さな世界でも、人によってかなり異なることを実感した。いわば、同じものについて書いた言葉を読み合う、という形での対話。それは、自己紹介で語られた各参加者の背景とも相まって、穏やかながら不思議な体験だった。

他者への想像力を
言葉にして重ね合わせる

2日目(83日)、最初のワークは「思いついた単語(短い文)を10秒以内に書く」、さらに「思いついたことをキャンセルしながら10秒で文章を書く」の2つ。前回のようにゆっくり言葉を探すのとは対照的に、思いつくまま自分の中から言葉を繰り出し、シャッフルする。書いた後からその意味を咀嚼するような体験も生まれそうだ。

(写真提供:ファンタジア!ファンタジア!事務局)

(写真提供:ファンタジア!ファンタジア!事務局)

さらに「他人の視線を書く」ワークでは、参加者Aさんが参加者Bさんの視点を想像しながら文章にし、そのBさんはCさんの視点で……という形で、リレー式に他者が見ているものを言葉にすることを試みた。互いの目と目が合えば、自分を見ている視線を想像することにもなる。これまでのように自ら感じたままを綴るのとはまた違う、他者への想像力から生まれた言葉たち。それらがレイヤーのように重なり合っていく。

(写真提供:ファンタジア!ファンタジア!事務局)

世界の感じ方は人それぞれ、というのはごく当たり前のことで、私たちはその前提で言葉を交わし、互いの接点や差異を探りつつコミュニケーションしている。ただ、ともすればその「当たり前」を忘れたまま、衝突や横滑りを繰り返しているのが現代とも言えないだろうか。

そう言えば関川さんの作品には、「当たり前」を少しだけずらすことで、立ち止まって考える機会をくれるものも多い。壁に粘土で言葉を「書く」ことで、必然的に通常よりずっと遅いスピードで文章を考える状況をつくった、《以外の見る》(2017。文化施設のエントランスで「うずくまる」「咳をする」など何でもない日常行為を1分間ずつパフォーマンスし続けた《一分間の事象》(2016。そのことをふと思い出した。

関川:僕はそれを「めくれる」という言葉で表すことが多いのですが、たとえばずっと音を流しつづけていたラジオが、通信の不具合で突然止まって何も聞こえなくなったとき、そこで初めてふだんは意識していなかった電波という、状況を下支えしていたものの存在を考えるような。この「めくれる」という感じは事故や災害のようなネガティブなものだけでなく、ポジティブにも生じ得るのではないか。そうしたことはよく考えます。

青木:3日間のワークショップで、アーティストが何かをつくるときの追体験や、そこに並走するような体験もつくれたらと考えていました。一方で、先ほど言ったように皆で考え、気づき、受け取り合うことを重視するうえで、関川君は良い意味での「無の時間」も与えてくれる期待がありました。ワークショップのファシリテーターは、やはり周囲に気配りしながら進めていくのですが、ずっと手取り足取りがベストとは限らない。その点で彼は言葉を尽くしてコミュニケーションすることもあれば、(特定方向への誘導ではなく自由な思考のために)しばらく自分が無になることもできるのじゃないかなと。実際、そういう時間は今回のワークショップを通しても、いくつかあったと思います。

価値観の出どころから表現欲まで
言葉をめぐる対話の先に――

最終となる第3回目(2019810日)では、各参加者が「グッときたことを記述する」というワークを実施した。誰かの仕草や言動、情景、モノのたたずまいなど、かなり主観に依る部分が大きそうなお題。グッとくる対象や出来事そのものを述べる人、そこで得た感覚を主軸に伝えようとする人、またはその双方について言葉を尽くそうとする人。これまで以上に、それを言葉で共有する難しさと、可能性とを考えさせられる。

ここで参加者から、そもそも「グッとくる」とは本質的にどういうことか?を問いかけるような動きが起きる。さらに話題は「これをこう書くと良い」という方法論的なこと以前に、私たちは「何を書けば良いのだろう?」という、より本質的な領域へ。関川さんからは、見たものや心情の描写だけでなく、言葉を紡ぐことでそれまで届かなかった領域に手を伸ばすような、表現への欲望を語る場面も。いくつもの言葉が交わされ、壁のホワイトボードシートが文字で埋まっていく。ただし、当然というべきか、ひとつの「結論」は出ないまま終了時刻が訪れた。

青木:今回、皆さんの「言葉を使うこと」への動機もかなり多様で、ある課題について「自分の言葉への向き合い方からするとどうしてもできない」と打ち明けてくれた方もいたりするなかで、試行錯誤しながらの3日間でした。ただ、最後の回で「何を書けば良いのだろう?」という話題になった際、この問いをそぎ落としていくなかで、関川君が彼自身の表現欲について参加者と共有しようと試みた場面があったんです。そのとき、皆さんとても引きこまれていたように感じました。そこに至る3日間の過程があったからだとも思うし、アーティストという「もの珍しい」存在から何かを学ぶというより、互いにつながるものがあったとすれば、僕としてはうれしいです。

関川:ワークショップのまとめ方としてよくある「感じ方は人それぞれ」とか「何かしら持ち帰ってもらえれば」というのは実際その通りなんだろうけど、でもこちらがそう言うだけで終わらせるのも何か違う気がしていて。ワークショップ中もいろんな場面において、そうした「まとめる引力」から強く引っ張られるけれど、僕はもっと簡単に整理できないものに惹かれます。なので結果的にこのワークショップでは何か成果物が完成するわけでもなく、ただただ「時空が過ぎ去っただけだった」という見方もあり得る。僕は「時空が過ぎ去っただけ」って考えると何だかドキドキしますが(笑)。
なんにせよいろんな引力から離れようとすること、たとえば、言葉にできるからあたかも扱えるもののように語っていることは多いけれど、本当にそうなのか、とか。もうちょっと粘ればまた違う考えにたどり着いたりしたかも、という感覚は大事にできたらと思っています。

この3日間のワークショップで「まぶたのうらの踊り」が交わされたとすれば、それは整然と振り付けされた流麗なダンスではなかったと思う。むしろ手探りの動きを持ち寄った、ぎこちなさもある群舞のようなものだったかもしれない。ただ、ここで、このワークショップの根幹的なテーマが「新しい対話のためのプラクティス」であったことを思い出したい。

対話とはその相手が他者であれ自分であれ、けして定石通りのステップだけでは成り立たない。でもだからこそ、そこで交わす言葉が私たちをそれまでとは違う場所へ運ぶこともある。関川さんたちの3日間のワークショップは、言葉を見つめ直すことでそうした対話の可能性を探り合った「実践と練習」(プラクティス)だったように感じた。

文:内田伸一 写真:高田洋三

PROFILE

関川航平/せきがわ・こうへい
美術作家。1990年、宮城県出身。パフォーマンスやインスタレーション、イラストレーションなどさまざまな手法で作品における意味の伝達について考察する。近年の主な個展に2017年「figure/out」(ガーディアンガーデン、東京)など。グループ展に2018年「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」(国立国際美術館、大阪)「漂白する私性 漂泊する詩性」(横浜市民ギャラリー、神奈川)ほか。
http://ksekigawa0528.wixsite.com/sekigawa-works

青木 彬/あおき・あきら
インディペンデント・キュレーター。1989年、東京都出身。アートプロジェクトやオルタナティヴ・スペースをつくる実践を通し、日常生活でアートの思考や作品がいかに創造的な場を生み出せるかを模索している。社会的擁護下にある子供たちとアーティストを繋ぐ「dear Me」プロジェクト企画・制作。2020年1月にオープンした「喫茶野ざらし」共同ディレクター。「ファンタジア!ファンタジア!―生き方がかたちになったまち―」ではディレクターを務める。
https://akiraoki.tumblr.com

 

「ファンタジア!ファンタジア!-生き方がかたちになったまち-」とは

墨東エリアと呼ばれる墨田区北東部では、2000年代初頭の住民主導のアートプロジェクトなどがきっかけとなり、現在でも多くのクリエイターが集まる地域となっています。「ファンタジア!ファンタジア!―生き方がかたちになったまち―」(通称:ファンファン)は、そんな墨東エリアで2018 年から始まった“学び”をテーマにしたアートプロジェクト。この街に集まる人々とアーティストや研究者の対話を通して、墨東エリアを“学びの場”に見立て、豊かに生きる方法を探ります。
http://fantasiafantasia.jp

 

(更新日:2020.02.14)
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