特集 だまされない人たち
長野県の小さな集落を拠点に、 日本全国を飛び回って “今”を撮り続ける写真家

深い森のなかで泉の水面が音も立てずに緩やかな波紋を広げている。ありのままの姿で厳かに佇む自然の神秘を前にして、相棒の老犬を連れたその人は、今そこにある瞬間をカメラに収めて、小さくひとつ呼吸をした。
八ヶ岳南麓の古民家で家族4人と暮らす写真家の砺波周平さん。長野と東京に拠点を持って活動する砺波さんが、家族、そして写真とともにある暮らしを通じて感じてきたこと。
写真:土屋 誠 文:根岸達朗

目の前にある出来事を
撮り続ける
砺波さんは北海道育ちの36歳。長野県諏訪郡富士見町に奥さんの志を美さんと2人の娘、愛犬・雨太郎とともに暮らしている。八ヶ岳南麓の雄大な山々に囲まれた小さな集落。この土地に軸足を置いて、写真を撮りながら生活を始めたのは2010年。
「今の家は、妻が保育士として働く『森のようちえん ピッコロ』の関係で、知人から紹介してもらったんです。初めはかなりボロボロで、大家さんからは壊してもいいと言われていたんだけど、直すことにして。僕たちは今あるもので工夫しながら暮らすことが大切だと考えているし、ずっとそんな感じでやってきたから」
かつては青森県の十和田市で、「お化け屋敷のようだった」という古家を直しながら、戦前生まれの人しかいない小さなコミュニティのなかで、暮らしていた砺波さん夫婦。
大工仕事が得意な志を美さんが家を直し、その作業を手伝いながら、砺波さんは日々、目の前に起こるあらゆる出来事を撮り続けてきた。それは写真家として、生きている実感を得られる“濃い時間”でもあった。
「大変なときも、二人の関係が崩れそうになったときも、それも含めて日々の暮らしだと思ってシャッターを切っていました。写真って決してポジティブなものだけを表現するものじゃないから、精神的には大変でしたけどね」
そんな砺波さんにとって、写真を撮ることは「自分の足下を見ること」でもあるという。それは自然や人の営みを撮る写真家で、師匠でもある細川剛さんから学んだことだ。
「細川さんには毎日怒られていました。お前は憧ればかりを表現しようとして、足下の世界を見ていないって。僕にはその意味がずっと分からなくて……。でもあるとき、ふと何気ない日常が美しく見える瞬間があったんです。それを捉えることができたときに、初めて細川さんに認めてもらえて。それから僕はあの人みたいになりたいとかこうなりたい、みたいなものは全部捨てて、素の自分から見える世界を切り取ればいいんだ、と思えるようになったんです」
憧れを捨て、欲求を捨て、人と比べて生きることをやめたとき、砺波さんは「初めてまともに写真が撮れるようになった」と振り返る。すべてを取り払って、ありのままの自分で写真を撮ること。それはフリーのカメラマンになった今でも、大切にしていることだ。

2年前の冬に「やっと出会えた」という富士見町高森区の水源にて。愛犬・雨太郎を連れて、雨の日も雪の日もこの場所を散歩し、撮影するのが砺波さんのライフワークになっている。
長野にいるのは月の半分
日本各地を飛び回る
「お金がないと、廃材をもらったり、物々交換をしたり、必要なものを工夫しようとするから、本当はずっとお金に頼らない暮らしをしたかったんだけど、子どもができて、職業として写真をお金に換えていかなくちゃって思ったんです。でも、僕は細川さんのもとで、ずっと写真家としての在り方に向き合ってきたから、自分がちゃんと社会に通用するような写真が撮れるか分からなくて」
仕事としての写真を学ぶために、一度は東京に出ることも考えたという砺波さん。しかし、青森の濃密な暮らしを捨てて、東京で暮らすイメージはどうしても持つことができなかったという。
そんなあるとき、砺波さんは山梨の別荘地に、志を美さんの家族が所有していたもののまったく使われていなかった山小屋があることを知る。縁もゆかりもなかった山梨へ来たのは、2007年のことだ。
そこで砺波さんは仕事としての写真を学ぶために地元の写真館に就職。料理、ポートレート、スナップ、ウェディングまで、あらゆる撮影仕事を経験する。
「このときの経験が、自分に少しずつ自信を付けさせてくれたと思っていて。僕は結構慎重なタイプなので、いきなりフリーになるとか、思い切ったことってできなかったんです」
約2年間の写真館勤務を経て、砺波さんはフリーのカメラマンになる。“みつばち先生”の愛称で知られるローカルデザイン研究者の鈴木輝隆さんとの撮影や、「細川さんが連載していて大好きな本だった」という季刊誌『住む。』の撮影など、声がかかればどこへでも全国各地を飛び回る日々。志を美さんが働く「森のようちえん ピッコロ」との関わりのなかで、今の住まいにも出会うことができて、仕事の拠点は長野の自宅と東京・八王子に構えた事務所になった。現在、長野にいるのはひと月の半分ほどだという。

日本の住まいをテーマにした季刊誌『住む。』(農山漁村文化協会)。表紙の写真は、砺波さんが撮影した美術史家・鈴木廣之さんの自宅。[写真:本人提供]
地域の仲間から刺激を受けながら
写真と向き合う
しかし、
「仕事は全然否定してないんです。僕はみんなで何かひとつのものをつくるという活動も好きだし、いろんな人と関わりながら仕事をしてくことで、自分を客観的に見られるようにもなるとも思っていて。自分一人の世界観もいいけれど、それだけだと自己満足みたいになっていくから。でも、最近は気付くと仕事に偏りすぎてしまう自分がいる。だから、そろそろ個人のことをちゃんとやりたくて」
作家としての芯から少し離れていっている。そう感じたとき、砺波さんは“会いたくなる存在”として、北杜市にある「ギャラリートラックス」を作った木村二郎さんの弟子で、現在は長野県在住で、空間設計や家具制作などを手がける徳永青樹さんと迫田英明さんの名前を挙げる。

砺波さんの自宅からもほど近い、建築家・迫田英明さん(写真手前右)が設計したビニール張りの建造物「Physis+」。クラシック音楽が無限ループで再生される室内では、大量の多肉植物が日々成長している。

建築ユニット「ground line」の代表・徳永青樹さん(写真中央)が、パン職人・西村公孝さん(写真左)のために、廃材を組み上げて設計したパン小屋「Santeria」。トタンに描かれたダイナミックなグラフィティはアーティストKAMIさんによるもの。
「彼らは誰にも媚を売ることなく、自分が信じているものをきちんと表現してきていると思う。師である木村さんから学んできたこと、独立してそれぞれに体得してきたことを、曲げずにやり続けているんですよね。そんな彼らに会うと、僕も原点に立ち戻れる」
身近な環境に刺激を受ける存在がいること。それは写真家である砺波さんにとって、この土地に暮らすことで得られたかけがえのない財産だ。
「僕はいつも写真家としての自分の姿に揺れ続けてきたような気がする。でも、最近はそうやって揺れている感じもいいかなって思うんです。それもまた素の自分であることに違いはないし、自分のなかのひとつのストーリーでもあると思うから。それは家族との暮らしも同じこと。これから先、我が家も良いことばかりではなく、悩んだり悲しんだりすることもあると思う。それでも僕は写真を撮っていきたい。それが、写真家としての自分の宿命なのかなって思っています」
WORK これまで関わった仕事の一部をご紹介
-
-
- 鈴木輝隆さんとの「タウンプロモーション」
- 砺波さんがカメラマンとして関わっている青森県鯵ヶ沢町、北海道東川町のタウンプロモーション。鈴木輝隆さんとアートディレクターの三木俊一さん、コピーライターの是方法光さん、江戸川大学の学生らと5年計画で取り組んでいる。
-
-
-
- ブックレット「大山」
- 山岳信仰の対象となっている大山(神奈川県)のPRの一環で、写真と映像を撮影。四季を通じて大山に通い、撮り貯めた作品がブックレット、ウェブ、ムービー、小田急伊勢原駅の壁面とサインなどに使われている。
-
-
-
- パン屋「Santeria」
- パン職人の西村公孝さんと設計を担当した徳永青樹さんの「Santeria」創作現場をみて、「写真に残したい」と撮影を開始。それから、パンや廃材、撮影など、それぞれの持っているものを与え合う関係性が続いている。
-
特集

最新の記事
-
ニュース【ウェブマガジン「雛形」更新停止のお知らせ(2022年4月30日)】ウェブマガジン「雛形」は、2022年4月30日をもって、記事の更新を停止いたしました。 (「ウェ […]
-
特集迷いながら、編む。 ーメディアの現在地どんな人にも、暮らしはある。すぐには役に立たないようなことも、いつかの誰かの暮らしを変えるかもしれない。/雑誌『暮しの手帖』編集長・北川史織さん北川史織さん(雑誌『暮しの手帖』編集長)
-
特集迷いながら、編む。 ーメディアの現在地立場をわきまえながら、どう出しゃばるか。「困っている人文編集者の会」3名が語る、本が生まれる喜び。柴山浩紀さん(筑摩書房)、麻田江里子さん(KADOKAWA)、竹田純さん(晶文社)
特集
ある視点
-
それぞれのダイニングテーブル事情から浮かび上がってくる、今日の家族のかたち。
-
一番知っているようで、一番知らない親のこと。 昔の写真をたよりにはじまる、親子の記録。
-
「縁側」店主河野理子どんなものにもある、“ふち”。真ん中じゃない場所にあるものを見つめます。
-
「読まれるつもりのない」言葉を眺めるために、“誰かのノート”採集、はじめます。
-
不確かな今を、私の日々を生きていくために。まちの書店さんが選ぶ、手触りのあるもの。
-
美術作家関川航平ほんのわずかな目の動きだって「移動」なのかもしれない。風景と文章を追うことばの世界へ。
-
徳島県・神山町に移り住んだ女性たちの目に映る、日々の仕事や暮らしの話。