特集 だまされない人たち

「遠い春のリッコーホ」 2019.4.20の坂本大三郎を追って

 

坂本大三郎(以降「ダイザブ」と呼ばせていただきたい)が山形県西川町の町議会議員選挙に立候補する。そんな噂が噂ではなくどうやら本当の話らしいと仲間内でザワザワしたのは2019年4月3日のことである。

その10日前の3月23日、私はダイザブとふたり、山形市内の「とんがりビル」で待ち合わせ、「ちん豚」というとんかつ屋でかつ丼を頬ばり、「フォーラム山形」で津軽三味線の名人・高橋竹山を追ったドキュメンタリー映画「津軽のカマリ」を見たのだが、そんななかでのダイザブとの会話には選挙の話題などひとかけらも出なかった。

後から聞いた話から察するに、すでにそのときのダイザブの胸中には「町議会議員選挙に出る」という気もちが明確な輪郭をもって存在していたようである。もしかするとちょうど決意を固めたときかもしれない。友人ならば相談してくれても良さそうなものだが、考えてみればダイザブから相談を受けたことなど皆無だし、元々そういう間柄ではないのかもしれない。それにたとえもし相談されたとしても、なんとも反応のしようがなかったことだろう。

ダイザブの行動は私にはしばしば予想外で唐突で謎である。

私の知る限りのダイザブはやろうと思ったらとりあえずやってみるという、知的好奇心と行動がダイレクトに繋がった人である。

出身は千葉で、東京で仕事をしていたのに、山伏という存在に興味をそそられて東北のなかでも特に秘境めいた出羽三山に足を踏み入れ修行して自ら山伏となり、山里の暮らしに息づく生活の知恵と技術を体得したくて自ら月山の麓に移り住んだ。

アーティストとして版画を彫り文章を書き、アートフェスやトークイベントに登場し、ときに山の樹液を採り、山菜を採り、動物の毛皮をなめし、山ぶどうのジュースを作り、雑貨屋をやり……と、ふつうの現代人にはやや理解しがたい行動を積み重ねて連結し、それを仕事へと昇華させてこの私たちと同じ現代に生きて生計を立て、妻も子供もいる暮らしを営んでいる。

そんなダイザブが西川町の町議会議員をめざすと聞いて、「『ちょっと選挙というものに出てみたい』という突発的衝動に駆られてしまっただけじゃないのか」という不安が脳裏をよぎった。さらには、「選挙に勝てるかどうか」より、「議員に当選してしまった後で『飽きたからもうやめる』なんて言い出したりしないだろうか」とそっちの方が心配だった。

でもなんにしろ、手を挙げたというのなら、エールを送り、良い結果を祈りたいと思った。とはいえ私の暮らす山形市内からはちょっと離れた場所でのこと。リアルタイムの情報が耳に入ることもなく、どんな戦いがはじまったのかもどんな日々を送っているのかもわからぬまま日々は過ぎ、ダイザブの立候補表明からわずか3週間も経たぬうちに選挙の日はすぐそこまで来ていた。

4月20日、土曜日。統一地方選挙を翌日に控えたこの日、ダイザブの選挙活動なるものを見るため西川町へと車を走らせた。『雛形』の取材である。私がまちに辿りついたときダイザブは昼飯が終わったところで、志津という温泉街の集落にある奥さんの実家に戻って休んでいた。

月山の懐であるそこは4月も半ばだというのに見渡す景色にはまだこんもりと分厚い雪が残っていた。ダイザブは椅子に深く腰をおろし、ひとり静かに残雪に覆われた白い山の風景を見つめていた。

午前中から西川町の集落を選挙カーで回っていたらしく、静かで重い疲れに包まれているようだった。午後からはまた午前とは別の集落に選挙カーを走らせるというので、私はその車の後をそっと邪魔しないように付いて回らせてもらうことにした。

選挙カーはトヨタの白のアクア。
ダイザブのマイカーであった。

両側のドアにダイザブの顔写真と「坂本大三郎」の文字が印刷されたマグネットシートが貼ってあり、屋根には手づくりの拡声器が取り付けてあった。車に乗り込む前によいしょと肩からかけたタスキには、マジックで丁寧に「坂本大三郎」の文字が書かれていた。

ダイザブの顔を見るといつも口の両端の上からひゅっと垂れているヒゲが剃られて無くなっていて、身体はこれまで見たこともないスーツらしきファッションに包まれていた。まだ雪も多いから足元は長靴で、選挙事務所らしきものは奥さんの実家の母屋であるらしくそこには小さめのポスターが控えめに1枚貼ってあった。

準備期間も圧倒的に短く、お金も多くかけることができないなかでの、ダイザブなりの選挙への適応の仕方はいちいち興味深かった。未だかつて見たことのないような手づくり感に溢れた選挙用の大道具小道具たちから漂う、その等身大で、創意と工夫で乗り越えていこうとする態度は、とても好ましいものに思えた。

助手席にダイザブが座り、運転はお義父さん。後部座席のお義母さんはウグイス嬢を務めるらしい。白く小さなふつうの乗用車にちょっと毛が生えたような感じのその選挙カーらしからぬ選挙カーで、西川のまちへと漕ぎ出してゆく。

志津の温泉街から、まずは大井沢という集落へ。山道を、川沿いを、車も人もめったに通らない道をうねうねと突き進んでゆく。選挙活動をするためには当然ながら人が暮らす集落まで移動して人に会わなければならないが、その移動にかかる時間や距離は実際に人に会っている時間よりもずっと長かった。

西川町は広い。町の総面積393㎢のうち95%は山地で、可住地面積は3%のみ。人々はみな川沿いの奥に集落をつくってぎゅっと小さく寄り添って生きている。西川町の広い土地のほとんどは誰も住んでない土地で、さらに過疎化が追い討ちをかけている。

大井沢。その次は本道寺。さらにその次は入間…。どの集落に辿り着いても、第1ムラビトを発見するまでは「本当にここで人に出会い、支持のお願いができるのか」と(私が)不安になった。なんとなく人の気配が漂いはじめるところにまで近づくとクルマはややスピードを落とし、立ち並ぶ家々に向けてマイクのスイッチが入る。

「坂本大三郎、坂本大三郎でございます。若い世代のアイディアを町政に活かしていきます。坂本大三郎をよろしくお願いいたします。坂本大三郎、坂本大三郎でございます……」

拡声器から発せられるお義母さんのその声は、静かな家々の上にぽっかりと広がる大きな空と山々に響きそして消えてゆく。

たまにムラビトが姿を現わすとクルマは止まる。ドアがパッと開いてダイザブがツトトトーっと小走りでその人の元に駆け寄って、頭を下げながら笑顔で握手を求める。お義父さんお義母さんも走り寄ってみんなで笑顔で挨拶を交わす。

西川町。山形県のちょうどどまんなかに位置する、有名な出羽三山のひとつである月山の麓のまちである。

山形市と鶴岡市を結ぶ国道112号線という主要道路が通っている。両市を結ぶそのちょうど中間地点のあたりの、ひたすらうねうねとした山道がつづくあたりのまちである。冬はものすごい雪深さで、積雪は大井沢では2m、志津では5mにもなる。まちの人口は1980年には9,500人。2017年は5,600人、そのうち65歳以上の割合はじつに40%を超える。

実際、選挙活動中に、若者の姿を見ることは稀で、ダイザブが挨拶したそのほとんどすべてはお年寄りだった。日本のローカルが抱える人口減少と高齢化のモンダイは、このまちでも日常の光景としてかなり鮮明に浮かび上がっている。

それにしても。ダイザブは本も数冊書いている作家だし、県内外で幅広くアート活動を展開して有名なカルチャー誌にもしばしば取り上げられたり寄稿したり、この『雛形』でも連載を持っているくらい名を知られた“有名人”の部類のひとであるというのに、そのことを知っている人、理解している人はこのまちにはほぼ皆無なのではないのか、という気がした。ご高齢の方ばかりだし、カルチャー雑誌を置いてそうな本屋すら見当たらないまちでは仕方がないこと、といえばそうなのかもしれないが……。

もう長い間このまちに親しんできたし、6年前からはすっかり定着までしたというのに、まだまだこの西川町でのダイザブは地元の人たちにとって何者かわからない「未知の人」であり「よそ者」である。山形のなかでも特に山奥に息づいてきたこのまちは、血縁地縁の濃いまちであり、都市化されることのなかった閉ざされたまちである。だからこそ、ダイザブが「素晴らしい」と感じて自ら移住を決断したほどの古い生活の知恵や技術や文化が生き残ってきた稀有な場所であるわけなのだが。

その素晴らしさに気づいて、その素晴らしさを大切にしたいと願い、未来のためにと一歩を踏み出したそのまちでこそ、当の本人の存在が知られておらず、未だ受け入れられていないという事実は、とても皮肉なものと私の目には映った。

ダイザブがこの町に来たことをきっかけにして、有名人やメディアも含め数多くの人がこの町を訪れてきたというのに、その事実さえ知られていない。

選挙カーによる集落巡りを終えたその夜。

本道寺という集落の集会所で、ダイザブの演説会がひらかれた。ここに集まった10数名の人たちを前にダイザブが語ったのはおよそ次のようなことであった。

「今回、町議会議員選挙に立候補した坂本大三郎です。お忙しいところ、お集まりいただき本当にありがとうございます。

この西川町は少子高齢化、人口減少が全国でも特に顕著で切実な問題として差し迫っている土地です。10年後には1,000人、20年後には2,000人減って、そのさらに数年後には今の人口の半分以下になると予想されています。

最近のテレビ番組でどこかの山奥にポツンとある一軒家を面白おかしく放送してますけど、このまち全体がそうなってしまうことが現実になろうとしています。そういう危機に直面しているのに、今回の選挙に立候補された方々がすべて60代70代の方だったということが、僕が声を上げなければならなかったキッカケとなりました。

年配の方々の意見はもちろん大切ですが、もっと若い50代40代30代さらには20代の声も汲み上げながらこの町の行く末を考えていかなければならない時期に差し迫っている…、というか、今すぐにでもそうしなければ、この西川町は失くなってしまうんじゃないか、と感じました。

ぼくはもともと千葉生まれで、この山形に縁を持つことになったのは13年前のことです。好奇心から山形に来て、山伏の修行に参加しました。山伏という存在、出羽三山の文化をとても面白く感じました。それから、大学の先生を訪ね、この出羽三山の文化のことや古い日本の民俗を学びました。『山形だけでなく日本そしてアジアの文化の核心に触れるものが非常に多くこの出羽三山に残っている』と教えられ、さらに自分でも文献や資料に向かううちにそれが本当であると知りました。

貴重な文化が息づくこの土地を残していかなければいけない、とぼくは思います。決して大げさではなく、ここにあるものは人類の遺産です。以前、韓国の研究者の方から『かつて中国や韓国から日本に渡ってきて、中国や韓国ではすでに失われてしまった文化が山形には残されている』というお話もお聞きしました。この出羽三山を中心として古い由来を持つ文化がそれはもう感動的なほどに残っているのです。

この土地にずっと暮らしていた方たちは、当たり前にあるものだから『大したことない』と感じているのかもしれませんが、そうではないんです。ここにある出羽三山の文化も、ふだんの生活のなかにある手仕事も、山菜とりもカゴづくりも、世界的に見てもものすごく貴重なものです。先月アメリカの〈ディスカバリーチャンネル〉というドキュメンタリー番組のチームが取材に来ましたが、『200年ほどの歴史しかない自分たちの国の文化に比べて、途方もなく長い蓄積と素晴らしい文化がこの土地に根付いている』と、とても羨ましがっていました。

海外の人たちが羨やむこの文化をもっと上手に世界に発信していけば、ここにやって来たいと思う人はたくさんいます。先日は台湾からも取材がありました。山伏修行を体験したり、月山スキー場で遊んだり、感動して帰っていきました。この西川のまちの人はとてもシャイで『この土地にこんな素晴らしいものがあるんだよ』って言うことが苦手みたいですけど、町のパンフレットだってポスターのデザインだって、本当はもっと魅力的なものにできるはずです。

そんな想いから今回こうして手を挙げました。議員になることをまず実現させなければ一歩前に進めませんので、ぜひここにいるみなさんにご支援をいただきたく、選挙活動の最終日、ここで立会演説会を開かせていただきました。

どうぞみなさんご支援よろしくお願いいたします」


これからどんなまちづくりを目指すのか、そのビジョンや政策について、普通の政治家らしい話はほとんどなかったけど、ダイザブの語り口はまっすぐだった。正直な想いが素直に伝わるような感じで良かった。

10数名の聴衆は、好意的に耳を澄ませてくれていたように見えた。演説の最後、ダイザブが「あと、ちょっとみなさんに聞いてみたいことがあります」と言って膝を前に乗りだし聴衆に問いかけたのは、政治的なこととは程遠く、

「『鮭の大介』という民話がこの土地に根付いていたらしいのですけど、皆さんの中にご記憶の方はいますか?」

という、在野の民俗研究者としか思えない質問だった。ダイザブは結局ダイザブであった。おじいちゃんおばあちゃんはその質問に気さくに応えてくれていた。そんなふうな30分ほどの演説と交流を終えて、選挙前日の夜が更けた。

4月21日日曜日、選挙当日。その夜、西川町役場で開票作業が始まり、22時30分、ダイザブの落選が伝えられた。有効投票数3,903、投票率84%という状況のなか、ダイザブの得票数は112票。定数10のところ候補者は12で、ダイザブが当選するにはあと130票くらいは必要だったみたいだ。

ダイザブが落選したことは、残念な事実である。またザワザワと当日のうちに様々な場所へとその情報は伝わったことだろう。

本人も家族も、その結果に傷ついたり疲れてしまったりしたことだろう。けれども、私は思うのだけれども、確かに落選はひとつの結果ではあるのだけれど、この春の立候補というひとつの出来事の意味がこの選挙結果にすべて帰結したとは限らないのではないだろうか。

例えば、「誰も若い者が手を挙げない状況のなかで、じぶんが手をあげるしかなかった」から立候補したというダイザブに対して、少なくとも私はリスペクトの念を強めた。ダイザブ自身に新しい箔がついたような気もする。

また、ダイザブという誰も予想しなかった人物が選挙戦に名を挙げたことで、まちの若者の何人かが「次はおれも手を上げる」と心に決めたかもしれない。そんなふうに、ダイザブの立候補の影響は、まだ表面化されていないどこかで静かに波紋を広げているのかもしれない。

だから本当の帰結は、もっとずっと先の未来にしかわからないことだと思うのである。

西川町に限らず、隣人の存在があまりにも近しすぎるようなローカルの人間関係には重くどろどろとした側面がある。

あいつは誰で、どこの生まれで、父親はこういうひとで、母親はこういうひとで、じいちゃんはこういうひとで、ばあちゃんはこういうひとで、どこから嫁をもらい、仕事はなにをしていて、どんな仕事ぶりで、誰と仲良しで……という互いの属性を知り尽くした者同士ばかり。

それを語るのだって無感情ではなく、愛憎様々なリアルな感情がまとわりついている。知らないふりさえできないほどに、うんざりしちゃうほど丸見えなコミュニティ。他人に無関心でいることが許されず、しがらみがやけに重く絡みつく。他人への羨みは妬みと表裏一体。横の意識がやたらと強く、出る杭は打たれたり叩かれたり。

ダイザブが戦った選挙の土俵を固めていたものは、そういう性質の土地柄だったことはまちがいないと私は思う。

こういう土地での選挙で勝つためには、本当なら、周到な用意が必要だったはずだろう。これは私の勝手な推測だが、今回に限っては、ダイザブにとって重要だったのは勝つこと以上に「手を挙げること」だったのではないだろうか。

目の前にある自分の好きなまちが、大切なものを失いかけ、まさに滅びようとしているように自分の目に映ってしまったとき、どうしたらいいのだろうか。変えたい気持ちはある。信頼できる人に任せられたらそれが一番いいけれど、選挙に立候補している面々を見れば、むしろこのまちをここまで衰退させてきた流れに身を任せて来たであろう老人ばかり。これを見過ごせば、「それでオッケー」と賛同の表明をしたことになってしまうのではないだろうか。

これまでと何も変わることのない予感に満ちた顔ぶれが並んでいる候補者一覧を見てしまったダイザブは、それを見ないふりをすることも、スルーすることもできなかったのだろう。だから、立候補せざるを得なかったのだろう。

勝つための周到な準備などまるであろうはずもなく、選挙資金などハナからあるはずもなく、強力な地盤もなく、まちの人脈も協力者も十分にあるわけではないけれど、手を挙げなければならないから手を挙げたという正直なダイザブのアクションに対して、「えらい!」としか言いようがない部分も確かにあるような気がする。

そしてそんな完全アウェイのようなローカルな選挙戦のなかにも、ダイザブには寄り添ってくれた家族や仲間がいて、様々な創意と工夫で乗り越えるチカラがあって、票を投じてくれた112名もの町民がいたのである。

その事実の正しさと強さに比べれば、負けたことなどとてもささやかな思い出のエピソードにすぎないのではないだろうか。

さて、季節はまもなく夏を迎えようとしているが、月山には依然、雪がある。
その麓に暮らすダイザブを、是非、訪ねてみてほしい。

アーティストにして民俗学者、作家にして雑貨屋、山伏にして 1児のパパ。そして2019年春に選挙戦を戦い、危うく政治家にまでなりかけた坂本大三郎というヘンな人間があいも変わらずマイペースで山とともに生きていて、きっとあなたを山の奥のワンダーランドへと誘ってくれるはずである。

 

PROFILE
坂本大三郎
山伏、イラストレーター。千葉県出身。山伏との関連が考えられる芸術や芸能の発生や民間信仰、生活技術に関心を持ち、祭りや芸能、宗教思想の調査研究を行う。現在は山形・東北を拠点に自然と人との関わりをテーマに執筆・制作活動をしている。著書に『山伏と僕』、『山伏ノート』など。この夏、新刊の出版を予定している。twitter


空豆みきお

デザインカンパニーakaoni所属のコピーライター。山形在住。東京のデザイン会社でコピーライターとして勤務したのち、生まれ故郷の山形にUターン。現在は、取材やライティングに精を出しつつも、春は土を耕し種をまき苗を育て、夏は収穫したての枝豆でビールを飲み干し、秋は芋を掘ったり読書したりして、冬は雪かきという平和な日々を送っている。www.akaoni.org

 

(更新日:2019.06.05)
特集 ー だまされない人たち

特集

だまされない人たち
写真、言葉、演劇……etc.表現する人たちの作品や思考は、私たちの頭と心にゆらぎをもたらす。それぞれの活動や生き方を通して日常と社会の見方を考える。
「遠い春のリッコーホ」 2019.4.20の坂本大三郎を追って

最新の記事

特集

ある視点