特集 まちの流れが動くとき
山口県萩市

15年かけて集めた廃材を使って、 暮らしの中から、 家と家具をつくり出す

山口県・萩市郊外に、まるで映画のセットのような大きな倉庫がある。そこが家具職人・中原忠弦さんのアトリエ兼ショールームだ。家具はもちろん、キッチンのシンクも風呂もトイレも、この空間にあるものはほとんど自作。しかもすべてに廃品を利用している。
屋根裏には秘密基地のような住まいがあり、忠弦さんはそこで暮らしながら、毎日家具の制作に打ち込んでいる。製材所の家業を継ぎたくなくて、10年以上ふらふらして、やっと見つけた生業。そんな忠弦さんが作る無骨でかっこいい家具たちは、どうやって生まれるのだろうか。

写真:加瀬健太郎 文:薮下佳代

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元作業場だった空間に少しずつ手を入れた、ショールーム兼アトリエ。屋根裏には住まいがある。

仕事が続かず、飲み歩く日々

実家は、山口県・萩市郊外にある中原木材工業。忠弦さんは4人兄弟の長男だったが、家業は継がず、高校卒業後は都会に憧れて大阪へ出た。その頃、大好きだったバンドがレザーブーツを履いていた影響で、“靴”の仕事に携りたいと思っていた。

「靴の会社だと思って入ったのに、一足も扱っていなくて。入社してから気がついたんですが、『靴』と『鞄』の漢字を読み違えて、『鞄』の会社に入社してしまったんです(笑)。いまはもう笑って話せますけど、このことは30歳になるまで恥ずかしくて誰にも言えませんでした」

鞄の卸問屋で勤めはじめて1年半が過ぎた頃、実家に台風19号が直撃。現在の忠弦さんの住まいとなっている倉庫の屋根が吹き飛ぶ被害が発生した。

「一回リセットしようと、その台風を理由にして、萩に帰って来たんです。だけど、特にやりたいこともなくて、飲み歩いてばっかりでしたね。」

広島で働いていた友人のもとへ遊びに行った時、自分も何か技術を身につけようと、家電製品の販売や修理をする会社へ入ることにした。しかし、ここも1年半であっさり辞めて、再び実家へと戻ることになる。

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屋根裏の住まいにて。映画のDVDや書籍、珈琲やお酒の瓶などが雑多に並ぶ。

家にあったゴミから生まれた家具

今度は、親の勧められるままに、職業訓練校のインテリアデザイン科へ行くことに。けれど、バンド活動に励み、毎晩朝まで飲み歩く毎日。授業はほとんど居眠りしていて覚えていない。「ノミやカンナの研ぎ方だけ覚えてますね(笑)」

そんな時、実家の木材所から出る4cm×60cmの端材を使って、何かを作ってみないかと親から提案された。倉庫には何千本とあり、廃棄するしかない中途半端な端材。それを使って棚や椅子を作ってみた。

「いま考えるとどうしようもないものでしたけど、テレビの取材が来たりして少し話題にもなりました。」

木材所には、端材のほかにも壊れた機械がたくさんあって、その中から使えそうな機械のサビを落とし、使えるように修理したりしながら、細々と家具を作りはじめたら、「家具を作って欲しい」と頼まれるようになった。端材ではなく、きちんと木を仕入れて、新たに家具を作り始めた。

忠弦さんの手にかかれば、送風機はストーブに変わる。廃材は見事に新たな命を与えられ、その空間になくてはならないものになる。

シンプルな椅子の精妙さ

その頃もう30歳を超えていた忠弦さんは、やりたいことだけをやる時期はもう終わったと感じていた。家族からも稼ぐことを求められた。

「いろんな家具を一度ちゃんと見ようと思って、萩出身の家具デザイナーが京都にいると聞いて、会いに行ったんです。そうしたら、まずはきちんと家具の構造を知った方が良いと教えてもらい、そのためには家具を一度バラしてみろと言われました」

早速、ヤフーオークションで、ボロボロの椅子を一脚買った。シンプルな4本足の椅子。シンプルなかたちなのに、バラして見ると、一本一本足の形が異なり、何mmかずつ微妙に大きさが違うため、寸法を取るのに時間がかかった。複雑な作りをしているのに、組み立てるとシンプルな形ができあがる。「すごいな」と、家具の奥深さに驚いた。

肘掛けは絶妙なカーブを描いている。出来上がった家具を自分で実際に使ってみては、変化を加えていく。

肘掛けは絶妙なカーブを描いている。出来上がった家具を自分で実際に使ってみては、変化を加えていく。

インスピレーションの源は、バンド、映画、キャンプ

「それから、作るものには、今までの自分の好きなものや経験を詰め込もうと思ったんですよね。ぼくは、バンドと映画とキャンプが好きで。バンドといえば革ジャンだから座面にレザーを使ってみたり、『スター・ウォーズ』や『ターミネーター』が好きだったんで、ロボットの形をまねてデザインしてみたり、キャンプ道具は軽くて機能的だから、重ねて持ち運びしやすいものにしたり」

そうやって、自分だけのオリジナルの家具ができあがっていった。東京へ行った時、ほかの高価な家具と自分が作ったものを比較してみると、「自分で作ったもののほうが断然よくて」不思議に思ったという。流行や常識にとらわれず、「自分の好きなものを作ろう」と心に決めた。

忠弦さんオリジナルの椅子。左の椅子は、スタッキングができるため、車に積んでキャンプにも持って行ける。ロボットの形を真似たフォルムがユニーク。

左の椅子は、スタッキングができるため、車に積んでキャンプにも持って行ける。ロボットの形を真似たフォルムがユニーク。

暮らしの中から生まれるもの

「家具は道具だから、時代が変わっても、何年も使い続けられる無駄のないデザインが一番いい。それに、作り手が実際に使ってみたものじゃないと、お客さんの信用は得られない。ものを作る人にはその責任があると思うんです。商売は信用が一番ですからね」

家具は使う人がいて初めてわかることがある。忠弦さんは、家具が暮らしにどうとけ込むか、どうやって使われるかが大事だと考え、「見て、使ってから買ってほしい」と、自宅の倉庫をショールームとして開放している。

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「ぼく自身がちゃんと説明できるものを売りたいんです。今ここに住みながら、家や家具を作っていて、ぼくの暮らしを見てもらうことで、家具の魅力を伝えられたらと思っています」

忠弦さんが住むこの空間にあるものは、作った家具以外、すべて人からもらった廃材。ゴミとして捨てられていたものを「何かに使える」と思って15年間かけて集めた廃材がいま、忠弦さんの暮らしを作っているのだ。

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家具のアイディアや気になる言葉はすぐにメモをする。植物を使った鼻風邪の治し方など、暮らしのメモも。

家具がなくても豊かな世界

「ここに住み始めてから、音とか光とかが研ぎ澄まされている感覚があります。太陽の光や月の位置、風とか雨とか、そういうものに敏感になってくるんです。暮らしの中で、何が本当に必要なのかなと考える時、作るものが変わっていくような気がします。それがわかるまで、ずいぶん時間はかかりましたけど」

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ものがあふれる時代にものを作るということ。そのことに対して責任を持つ。
「ぼくにとって家具は手段のひとつ。究極、家具はなくてもいいと思っています。家具は生活をちょっと豊かにするものだから、家具がなくても豊かな生活って何だろうって思っていて。実はぼくは地べたに座るのが一番好きなんですよ」そう言って笑う忠弦さんは、少年のようだった。

アトリエ兼住まいになっている倉庫の外観。「この近くに、人が住めるような住居を作って、もの作りができる村を作ってみたい」と、忠弦さんは話す。

中原木材工業
山口県萩市大字椿東中津江378
☎︎090-7547-3666
https://www.nakaharamokuzai.com/
※ショールームに行く際は、事前にお電話を。

15年かけて集めた廃材を使って、 暮らしの中から、 家と家具をつくり出す
15年かけて集めた廃材を使って、 暮らしの中から、 家と家具をつくり出す
中原忠弦さん なかはら・ちゅうげん/1974年、山口県・萩市生まれ。中原木材工業の3代目。大阪へ就職するもすぐに実家へUターン。その後、独学で技術を身につけて家具職人として独立。現在は、受注生産でオーダー家具を制作・販売する。
(更新日:2015.05.25)
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1軒のゲストハウスに始まり、美容室やカフェなどが次々とでき、まちの景色が変わりつつある山口県・萩市。変化の渦をつくった人々が語るこれからの萩とは。
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