特集 まちの流れが動くとき
山口県萩市

建物の佇まいに合わせた店づくり。 心に作用するものを伝える 萩市のギャラリー&カフェ

江戸時代に建てられた風情ある旧家、大正時代に増築されたシックな洋館を取り囲むように、手入れが行き届いた庭が贅沢に広がる。山口県・萩市の歴史ある古民家で、ギャラリー&ショップとティールーム「俥宿 天十平(くるまやど てんじゅっぺい)」を運営している中原万里さんは、いまから20年前に大阪からUターン。車夫のご主人との出会いから、思いがけずお店をオープンするまで、「伸るか反るか」の覚悟で万里さんが見つけた、自分に合う仕事とは?

写真:加瀬健太郎 文:藪下佳代

_SEN9352自分の力を試す決断

山口市にある短大を卒業後、親の勧めのまま、地元の企業で働くこと5年。企業に就職して、結婚したら専業主婦になると当然のように思っていた万里さんだったが、「もっと自分の可能性を試したい」と、会社を辞める決断をする。

大阪に住んでいた妹の家に居候しながら、デザイン会社のアシスタントとして働き始めた。ある日、コピーを書いてみないかと言われ、その後はコピーライターの仕事をまかされるようになった。

「仕事を進めていく中で、まわりの人たちとの情報量の違いにがく然としました。たとえ今から自分が寝ずに知識を詰め込んだとしても、彼らには到底追いつけない、その時はそう思っていました」
それから1年半後、大きなプロジェクトのメンバーにも選ばれた万里さんだったが、突然、萩に帰ることを選択する。

「萩でタウン誌をつくっている人に、記者を探しているから帰ってこないかといわれたんです。デザイン会社での仕事はおもしろくてやりがいもあったんですが、あともう少しというところで、踏ん張りきれませんでした」

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ご主人との出会いが
思いがけない方向へ

萩にUターンし、タウン誌の記者兼編集者として働き始めた万里さんは、車夫の中原省吾さんと出会い、人生が大きく変わっていく。インターネットもまだない時代に、25歳で人力車で千葉県から萩市にやって来た省吾さんは、地方紙にも大きく取り上げられる有名人だった。

自分の人生を自分の力でコントロールしようとしていた当時の万里さんは、枝葉ばかり気にしていて、風が吹くたびに自身が揺れ動いていたという。

「でも、彼はそういうものには目もくれず、幹や見えない根ばかりを見てる人。そんな彼に憧れ、自分にないものに惹かれたんだと思います。急に自分を変えることはできないけれど、自分のいいところ、悪いところに自覚的になったんです」

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現在高校生の息子さん、環さん。忙しい時期は、省吾さんの人力車の手伝いをする。この日も電話でお父さんから呼ばれて、走って向かっていった。

お互いに町づくりに関心があって、友人としておつき合いしていくうちに、気がついたら結婚していたという。万里さん32歳、省吾さん34歳の時だった。

その後、萩の観光地である城下町で、省吾さんの人力車の休憩所兼待合所となる場所を探していたところ、20年間放置されていた立派なお屋敷がみつかり、すぐに入居できることになった。人力車を引く車夫という仕事は、一生安定して稼げる仕事ではないと思い、万里さんは仕事を辞めず働き続けるつもりだった。けれど、思いがけず借りられた広大なスペース。ここから何ができるだろうと考えはじめた。

「2人とも手づくりの器や和紙などが好きだったんです。萩は観光地ということもあって、萩焼だけを置いているお店が多かったので、私たちは他県のものも含めて、長く使える雑貨を販売できたらいいなと、仕事を辞めて、思い切ってお店を始めることにしたんです」

萩の古い街の佇まいを知ることができる貴重な場所。150年もの間この場所が辿って来た年月や、守り続けて来た人の営みがいまに残っている。


場所の佇まいに合わせたお店づくり

今から20年前にオープンしたお店「俥宿」は、風情ある建物と丁寧に選ばれた品々で多くの人を惹きつけた。しかし、入居して1年後に建物が文化財に認定され、出なければいけなくなる。

再び物件探しをする中で、いまの場所となる古民家と出合い、平成8年、「俥宿 天十平」としてリニューアルオープンを果たす。2ヶ月に1度展示内容が変わる和室のギャラリー兼ショップ・スペースでは、海外や日本の作家さんの作品が立ちならび、大正時代に増築された洋館はティールームになっている。

「場所が持つ空気を壊さず、建物の佇まいに合わせたお店づくりや使い方をしたいという思いは、20年前から今も変わっていません。時代がつくってきた奥行きは、20年やっただけでは到底醸し出すことはできませんので、そういうところが古いものの魅力ですね」

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大正モダンの洋館はティールームに。イギリス仕込みの焼きたてスコーンと紅茶がいただける。

作家さんと出会って知った、
“ものはものだけじゃない”

「自分がお店をやるなんて思ってもみなかった」という万里さんだったが、思いがけずお店をやることで、天職かもしれないと、後から気がついたという。

「自分がいいと思っているものを人にも共感してもらえることが、こんなにうれしいことだなんて、お店を始めるまで知りませんでした。
色んな作家さんを通じて感じるのは、ものはものだけじゃない、ということ。人によっては些細なものかもしれないけれど、その人のライフスタイルや価値観を一変させてくれたり、生活に何かをもたらしてくれるものというのは確実にあって、そういうものをひとりでも多くの人に感じてもらえたらと思っています」

日本の各地域に出向き、一緒に仕事をしたいと思う作家さんの作品を展示・販売している。


心に作用するものとの
出会いを分かち合う

知人がくれたという、店名の「天十平」という名前は、天は空、十は卍(まんじ)で交わるということ、平は地で、直訳すると、天と地が融合するという意味。いろんなものが溶け合って平和な地になるという思いを込めた名前だった。

「名前をいただいた時はまだそんな風に思っていなかったんですが、私はいろんなものや人を紹介するという役目をもらったのかなと。特にこのお店は、ものを扱っているから、ものと人をつなげること。ものだけど、ものだけじゃない、心に作用するもの。これからも、そういう出会いをいろんな人と分かち合えればいいなと思っています」

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萩出身のカメラマン、下瀬武雄氏の写真集『人間万才』。簡素で美しい暮らしの営みが記録されている。ティールームではこの貴重な一冊を読むことができる。

バッティングしない
地域の可能性

ゲストハウス、美容室、カフェなど、最近萩では志を持った人たちが様々なことに挑戦し始めている。20年前にUターンしてお店をはじめた万里さんは、彼らにとっては先輩にあたる。

「塩ちゃん(塩満直弘さん)たちが「ゲストハウスruco」を始めて、私自身もこの場所が持つ力を再認識するようになりましたね。
誰かがチャレンジして新しいことを始めて、それを違う人がマネをして始めたら、バリエーションはどんどん広がっていきますよね。地域にはチャンスがあると思います。やる気さえあれば何でもできる。だから、もっとチャレンジする人が育っていったらいいなと思っています。私も塩ちゃんたちとは違うかたちで、がんばらないと!」

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俥宿 天十平
住所:山口県萩市南古萩町33-5
電話:0838-26-6474
営業時間:10:00〜18:00(季節により変動)
定休日:水曜
HP

建物の佇まいに合わせた店づくり。 心に作用するものを伝える 萩市のギャラリー&カフェ
建物の佇まいに合わせた店づくり。 心に作用するものを伝える 萩市のギャラリー&カフェ
中原万里さん なかはら・まり/1961年、山口県・萩市生まれ。県内の短大卒業後、萩市内の企業で5年間働く。その後、大阪のデザイン事務所勤務を経て萩にUターン、タウン誌の記者に。平成7年に人力車の待合所兼ショップ「俥宿」オープン。平成8年に移転・リニューアルし「俥宿 天十平」を営む。HP
(更新日:2015.06.02)
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1軒のゲストハウスに始まり、美容室やカフェなどが次々とでき、まちの景色が変わりつつある山口県・萩市。変化の渦をつくった人々が語るこれからの萩とは。
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