特集 “創造的過疎地”
神山町で暮らす

ゆるく元気でタフな土地。 移り住んだ神山町で始めた “実験する宿”

行動力がある。意志がある。好きなことがある。目的がある。
理想の暮らしを見つける。だから、移住をする。
それはとても素晴らしいことだと思う。
だけど、ここではそういう話しが聞きたいわけではなくて。

大きなドラマがあるわけではなく、淡々と。基本的には流れに身をまかせて。
人並みに悩んだり迷ったり、自分のペースで思考して、今ここにいる。
気がついたら、生まれ育った場所とはまったく違う土地で暮らしていた。

偶然出会った神山町の魅力にみるみるはまり、7月にオープンしたばかりの宿泊滞在施設、「WEEK 神山」の中心スタッフとして日々忙しく暮らす、樋泉聡子さん。
東京で生まれ育ち、美大に通い、会社員を経て、理想の場所神山町で宿をはじめた。
まるで、行動力があって、意志があって、好きなことを……

「でも、私にそういう強いものはなくここにいるんです」

あくまでも穏やかに、ゆったりした口調で理想論を切り捨ててくれました。

ここには成功のための方法論も、ありがたい失敗談もないけれど、
樋泉さんの“誰かを迎え入れる存在になりたかった”という真ん中にある気持ちが
自身の行動につながり、動く彼女を周りの環境が迎え入れている日常が見える。

こんな、たおやかな女性に迎れてもらえる宿、とても心地よいだろうなあ。

写真:森本菜穂子 文:菅原良美

専門性を極めるよりも
ひとつの“好き”を続けていく

徳島に来てはじめて本場の阿波踊りを見た時、めちゃくちゃかっこいいなぁって感動しました。もし、ここに移住したら阿波踊りがしたい!と思い、神山町に移り住んでからすぐ、ここに唯一残ってる「桜花連(おうかれん)」に入りました。連って、ひとつの家族みたいなんです。年齢問わず、ちびっこからおじちゃんおばあちゃんまでいて。踊ればみんな一緒になれるところが好きなんです。

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生まれも育ちも東京です。2011年に神山町に来たので、ここでの暮らしも5年目か……あっという間でしたねえ。
大学は、東京の美術大学に通っていて、空間デザインを専攻していました。その後、ゲームやおもちゃを制作している会社のネットワーク部門に就職。キャラクターのモバイルサイトや、ECサイト、ウェブコンテンツの企画・制作などに携わっていました。遊び心やエンターテインメント性を大切に考える会社ならば楽しく働いていけるのではないかと。安易ですね(笑)。空間デザインは好きで、大学で勉強もしていたけれど、職業にして「この道を極めるぞ!」というよりは、趣味でずっと何かやっていれば良いかなあと思っていた。特に理由なく、自然とそう思ってきたんです。

自分が働く場所は、自由に選ぶ
思い描く方向へ

会社を辞めてからは、半年ほどあちこちあれこれしながら動いていました。そのあと、もう一度就職を考えて、どこで働こうかと考えた時に、「どこに行ってもいいんだよな」と思えた。会社員の時は、誰に何を言われるわけでもなくずっとこの場所にいるものだと思っていたけれど、どこにも就職しないでいた経験が、働く場所はどこだっていいんだって自由にしてくれた。
もともと旅が好きで、知らない場所に行くと「ここで暮らしたらどうかな?」って想像することが楽しくて。でも、“暮らす”という体験にまで踏み込むことはなかった。でも働く場所が自由だと思えた時、地方でも海外でも、自分が思い描く方向に行きたい!と思いました。そこからまた仕事を改めて探していた時に、日本仕事百貨神山塾の存在を知りました。

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人との距離、風通しの良い町の空気
神山町が教えてくれた暮らし

私が神山町に来た頃は、まだサテライトオフィスはなくて。ちょうど古民家を改装して、wi-fiを飛ばして企業にサテライトオフィスの希望を募集するような流れが出てきた頃でした。そんな時期だったこともあって、「なんかおもしろそう!」といろんな想像がふくらんで(笑)。最初のイメージでは、もうちょっと手つかずの場所だと思っていたので。とは言っても「ここに転職するぞ」と思うと、すごく大きな決断で、不安やプレッシャーも大きかった。「神山塾」は期間が半年だったので、その間に地方でどんな働き方や動きがあるのか勉強できるのはすごくいいなと思って。
「神山塾」を終えたあとも、神山にもっといたいという気持ちが強くて。人と人との距離感とか、アーティスト・イン・レジデンスがあるので、外の人が出入りしている町の空気が本当に居心地よくて。まあ、うまくいかなければ出ていけばいいし……って全然出て行くつもりはなかったんですけど(笑)。これまで思い描いていた暮らしや、働き方が神山塾で経験した半年間でどんどん現実のものに変わっていった。だから、住まいさえあればなんとか暮らしていけるだろうと思って。仕事はそれからでいいかなって(笑)。一人暮らしもしたのですが、2軒目に借りた家の状態が良くなくて、修繕しながら住んでいたんですけれど、私ひとりの力ではとてもじゃないけど住めなかった。

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この土地で暮らし続けて
誰かを“迎え入れる”存在になる

東京にいる頃は常に自分がどこかに“行く”存在だったのが、ここにいると“迎える”存在になる。いつもどこかで迎え入れてもらっていたので、その立場に憧れていたから、この神山で暮らしていきたい気持ちが強まったのかもしれない。私が移れば、みんなも遊びに来れるので、そういう拠点をつくりたいなと思っていました。旅の行き先に知っている人がいると全然違うものになる。私も“人”がきっかけで旅に行っていたので、自分がここにいることで、誰かにとって動くきっかけになってくれたらうれしいなと思っています。「親は反対しなかった?」と聞かれることがありますが、うちは両親や姉家族が一番喜んでくれているんです(笑)。

神山塾のあとは、「グリーンバレー」に就職して2年間働きました。その頃、古民家を都心の企業に貸し出す「サテライトオフィスプロジェクト」が県主導で発足して、グリーンバレーを拠点にPRしていくことになって。私はその担当で、県内外の問い合わせの窓口やプロモーションをする中で、本当にたくさんの人に出会いましたね。サテライトを開設したいという企業の方が全国から視察に来てくれるので、そのアテンドをすることで、この土地のことをより深く知っていきました。

私は「宿をやりたい」なんて大きなことは考えてなくて、自分の親しい人たちにとっての旅の拠点がつくれたらいいな思っていたんです。まずは自分の家から、その延長でいつか場づくりができたらなと漠然と思っていて。名前のついた場所じゃなくて、自分のできるペースで自由にできる空間。それもあって、山の上の家を借りたのですが、家のメンテナンスや仕事をやりながら空間をつくることは、なかなかむずかしくて。

そんな中で、神山で宿をつくる話が持ち上がり、代表の隅田に声をかけてもらって、一緒に会社を立ち上げることから始めました。それは、自分が想像しているよりも開かれた大きなつながりのある「宿」。でも、学生時代に空間デザインをやっていたこと、旅を続けてきたこと、この神山に来たこと、これまでの経験がここにきて役立つのかも!?(笑)という予感がして、やってみようと思いました。

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「WEEK 神山」の裏には山々が広がっている。オーナーの隅田徹さんと。

「WEEK 神山」の裏には山々が広がっている。オーナーの隅田徹さんと。

こだわりの器たちは、徳島市内の民藝店「東雲」さんのセレクトによるもの。手前の青い器は、もともとこの家に眠っていた骨董品。

「WEEK」の食卓を彩るこだわりの器たちは、徳島市内の民藝店「東雲」さんのセレクトによるもの。手前の青い器は、もともとこの家に眠っていた骨董品。

新しく、変わリ続ける
これからの仕事・働き方を実験する宿

宿の名前は「WEEK 神山」(以下、WEEK)です。コンセプトは、“いつもの仕事を違う場所で”。宿泊つきのワークショップや、テレワークとかサテライトワークを始めたばかりの人に向けたレクチャーや、セミナーもやりたいなと思っています。いろんな仕事、働き方をしている人たちにとって“実験”の場になっていけたらなと。ひいては自分たちにとっても仕事の実験の場になる。宿はどんどん変わっていくと思うので、それを楽しんでいきたいと思っていて。私たちスタッフは全員宿経営の経験がないので、設計も、家具もなにもかもそれぞれプロの方にアドバイスをいただいて、つくっていきました。なるべく神山の作家さんのものを使って、近い関係性の中で生まれる空間を目指しています。

キッチンスペースのプレイベントでは、西海岸のバークレー「シェ・パニース」のシェフ、ジェローム・ワーグが訪れ、料理のワークショップを行った。

キッチンスペースのプレイベントでは、アメリカ西海岸のバークレー「シェ・パニース」のシェフ、ジェローム・ワーグが訪れ、料理のワークショップを行った。

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WEEKでは、食事をすごく大事に考えています。使う食材は、なるべくこの近くで収穫できるもの。神山は生産者さんが近くにたくさんいるので、そこを活かしたいです。素材をいろいろな調理法や味わいで楽しんでいただきたいので、夜の食事は日替わりでシェフを変えていこうと思っています。自分たちも移り住んできて、いろんな方に料理を食べさせてもらって季節の味わいをより深く身近に感じる喜びを知ったので、その体験はここに宿泊してくださった方にもしてほしくて。それと、私たちは単純に食べること飲むことが大好きなので(笑)、神山で場をつくるなら、食を通して伝えられることがあると思っているんです。

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スタッフはみんな移住者なので、自分たちがここに来て受け入れてもらってきました。だから神山の人と土地に恩返しをしていきたい。なので、地域にひらかれた存在−−−もちろん“宿”という顔をしているけれど、人がいて場所がある、その関係はシンプルでありたい。あと、神山はごはんを食べるところが少ないので、訪れた人が安心して食べて飲める場所にしていきたいです。感覚としては、私が神山でホームステイをしていた家が大きくなって、公共の場になっているイメージでつくっていきたいな。神山の外から来る人だけじゃなくて神山の人も入れられる場所にしたい。だから一階の食堂は、地域のダイニングテーブルにしよう!って話したり。宿って旅の中でも滞在時間が長い場所だと思うので。生活に近いというか、だからこそ、自分たちが触れてほしい地元のものづくりに出会う場所になればといいなと思っています。

この日の夜は、近くの農園の野菜をたっぷり使ったサラダやニョッキ、かつおのタリアータ、すだち鶏の炭火焼など土地のうまみがたっぷり味わえるプレートを。

この日の夜は、近くの農園の野菜をたっぷり使ったサラダやニョッキ、かつおのタリアータ、すだち鶏の炭火焼など土地のうまみがたっぷり味わえるプレートを。

そのままの土地の姿が
生活することを教えてくれる

移住するには、大きな覚悟とか生きていく目的みたいなものが明確でないといけないと思われがちですが、私はそういう強いものはなくここにいます。地方によっては「ここに骨を埋める覚悟はあるのか?」と言われることもあるようですが、神山町はとてもゆるくて寛容な人が多いので、移住してきた人たちがすんなりと入れるような居心地のよさがあるんです。

神山では、生活する家の状態が整っていないことが多いので、一からつくっていくようになるとおのずとタフになっていくんです。すべてお膳立てされた環境が用意されている都会にあるような物件だったら、人は来やすいかもしれないけれど、定着はしないかもしれないですね。今、暮らしている人たちは、ないものはつくる、ということを楽しめる人や、あるものをおもしろがれる人が多いんじゃないかな。神山のそのままの姿が、人が定着しやすい状況をつくってくれているのかもしれない。過剰なサービスもなければ、環境も整いすぎていない。町を支えるグリーンバレーもおっちゃんたちが始めた組織だし、根底は楽しいからやっている。過疎化・高齢化の課題もあるけれど、周りのおばあちゃんたちはすごく元気だし、淡々と暮らしている人も多いです。

生まれも育ちも神山町!有機農業に取り組む「里山の会」のみなさん。右端は「WEEK」の大家・南さん。

生まれも育ちも神山町!有機農業に取り組む「里山の会」のみなさん。右端は「WEEK」の大家・南さん。

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現実的に未来を考えると一番“人”が必要。どんなに豊かな自然があっても人がいないと、住めなくなる。神山が続いていくには、若い世代が気づいていくことが大切だなあって。30代前半くらいで、自分の働き方とか生きる場所を考えると思うのですが、地域に興味持つ人たちを見ていると、そう考える年齢がどんどん若くなっている気がします。学生の中にもいますしね。「WEEK」は、働き方の実験の場なので、これからを考えて動く人の背中を押すような、若い世代の人にとってそんな存在になっていきたいと思っています。

WEEK 神山
住所:徳島県名西郡神山町下分字地野57
電話:050-2024-4956
「いつもの仕事を、ちがう場所で」をコンセプトにした長期滞在型の宿。築70年の古民家を再生した食堂棟(地野の食堂)を中心に、滞在者がそれぞれの仕事や、趣味に打ち込み楽しめる環境つくりをしている。隣地には、神山町のNPOが運営するコワーキングスペースがあり、こちらも利用可能。
http://www.week-kamiyama.jp

ゆるく元気でタフな土地。 移り住んだ神山町で始めた “実験する宿”
ゆるく元気でタフな土地。 移り住んだ神山町で始めた “実験する宿”
樋泉聡子さん といずみ・さとこ/1980年、東京都生まれ。都内の美術大学で空間デザインを学び、企業に就職。フリーランスを経て、2011年に神山塾2期生として神山町に移住。卒業後、NPO法人「グリーンバレー」の広報を務めたのち、神山町に7月にオープンした宿「WEEK 神山」の立ち上げメンバーとして携わっている。http://www.week-kamiyama.jp https://www.facebook.com/weekkamiyama
(更新日:2015.08.17)
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神山町で暮らす
靴職人、自給自足のピザ職人、宿で働き始めた人、起業を目指す人……新たな暮らしや働き方を模索する人たちが、徳島県・神山町に導かれる理由とは。
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