特集 「生活」から
始まるものづくり
デザイナーから職人へ。 家族で移住した別府で 竹細工を生業にする。

大分県・別府市にある「竹工芸・訓練支援センター」を訪れた。実習室にいる男女10人がもくもくと作業を進めるなかでただ1人、正座をしながら作業する男性が目に映る。実直な姿勢で手を動かす、横山修さんは、すでに若き職人のような雰囲気をまとっていた。
東京でデザイナーとして働いていた頃の横山さんの姿とは違うのかもしれない。手や足にはマメができていることもかまわず、ただひたすら竹と向き合い、手を動かしている。その姿を見ながら、今のほうが横山さんらしいんじゃないか、そう思えた。
大分県で唯一の伝統工芸品に指定されている「別府竹細工」。その昔、湯治場として栄えた別府に滞在する際の日用品として使われるようになり、その後土産ものとして人気を集め、別府の地場産業に発展したという。昔から多くの人に愛用されてきた竹細工の技を絶やしてはいけないと、別府には、日本で唯一の竹細工の職業訓練校がある。
デザイン会社を辞め、竹細工を学ぶために家族とともに別府へ移住した。ゆっくりと考えながら、迷いながら訥々と話す横山さんの、その実、見え隠れする芯の強さに少し驚いた。
“竹細工を生業にしながら、別府で暮らしていく”
そんな未来を、真っすぐに見据えている横山さんの傍らには、いつもおおらかな奥さんの芽理さんと3歳になるすずちゃんがいる。これからどうなるかまだわからないけれど、きっと「なんとかなる」。そう言ってくれる人が近くにいるだけで、なんとも心強い。
湯けむりが立ち上る山のふもとの一軒家で、横山さんは職人の顔から優しいお父さんの顔になった。
写真:熊谷直子 文:薮下佳代
ものづくりへの思いをあきらめ、
グラフィックデザイナーの道へ
別府に住んで1年半が経ちましたが、毎日、竹細工と温泉三昧です。別府には山と海があって、何より環境がいい。実家の松本にどこか似ているような感じもあって、落ち着くというか。家族で過ごす時間も多くて、今の収入は訓練校から支給される給付金だけですが、仕事に追われていた東京での生活よりもずいぶん暮らしやすいですね。

横山さんの自宅にて。自身がつくった作品など、竹細工がいっぱい。編み方によって種類もいろいろ。
高校までは長野県の松本市に住んでいました。卒業後は、靴の職人になりたくて、東京にある靴の専門学校に行こうと考えていたんです。今までスニーカーしか履いたことがなかったから、高校生になって初めて、しっかりした革靴を履いたとき、ものすごく感動して。革なのに足にフィットするはき心地や、形の美しさに驚きました。けれど、靴の専門学校は不合格。どうしてもあきらめきれず、浅草の靴職人さんを訪ねたりもしましたがすべてダメでした。そこで発想を変えて、靴にも活かせるであろう設計やデザインを勉強しようと、デザインの学校に入ることにしたんです。でも、なぜかコンピューターグラフィックス専攻に入学してしまって(笑)。デザインの勉強が楽しくて、靴職人への道はいつのまにかうやむやになり、卒業後はデザイン会社で働くことになりました。
自分らしい生涯の仕事とは。
これからの働き方を手探り
小さなデザイン会社だったので、広告もパッケージもエディトリアルデザインも、いろいろやりましたね。デザインの仕事って、自分がつくりたいものをつくるのとは違うし、制約があるのが前提。でもだからこそやりがいもありました。けれど、広告のデザインって影響力はあっても、あっという間に消費されてしまうのがくやしかった。そんなこともあって、30歳を前にして、デザイナーの仕事をこれからも続けるべきなのか迷いが生まれてしまったんです。
ちょうどその頃、大きな仕事を手がけることになりました。とあるゲームソフトのパッケージデザインだったんですが、ゲームの開発から関わってアートディレクションを担当しました。2~3年かけたこのプロジェクトが終わったとき、やりきった感じがあって、「もういいかな」と思えたのも大きかった。
僕は誰かに指示を出すことより、自分で手を動かすほうが好きなので、どちらかというと職人気質。長いスパンで世の中に残っていくものがつくりたいと思っていたし、もっと直接的なリアクションがほしくて。だんだんと、ものづくりがしたいと思うようになっていったんです。

竹を細く裂いて、素材となる“ひご”をつくり、ひたすら編んで形にしていく。横山さんが1年目につくったざるは、昔からある定番の形。しっかりとしたつくりで長く使える。
民藝への興味から
再び、ものづくりの職人を志す
実家のある松本は、昔から民藝の文化が根付く町。でも実際に民藝ってなんだ?といわれると答えられなくて。調べていくと“クラフト”という外見ではなく、奥にある民藝運動や精神性に興味が湧いてきたんです。
何をやりたいかと考えていたとき、東京・表参道にある「Zakka」というお店で、とてもきれいな竹かごに出会いました。それが「別府竹細工」でした。竹かごというと、荒っぽくて野趣的な農具のイメージが強かったんですけど、頑丈でありながらしなやかなさもあって、何より美しかった。その佇まいに衝撃を受けて、どうしたら竹細工職人になれるのか調べたら、別府に訓練校があることを知ったんです。
奥さんに「別府に行きたい」と話をしたとき、「仕事にしないといけないの? 趣味じゃダメなの?」と言われました。けれど、一生の仕事にしたいという思いを伝えたら、最後には「なんとかなる」と励ましてくれました。結婚して10年、僕の意思が固いことはよくわかっていたみたいで。早速、お互いの両親にそのことを伝えると彼女の両親は猛反対。子どもができたばかりだったので「これからどうするんだ?」と。訓練校に通っている間は給付金がもらえるんですが、奥さんもしばらくは子育てで働けなくなるし、親が言うことももっともでした。一度保留にして、きちんと納得してもらえるよう準備してから、もう一度チャレンジしようと考えたんです。
それから、東京で期間を2年と決めて、まずは貯金。次に別府の組合がやっている東京の竹細工の教室に通ったり、竹細工の産地・岩手県一戸市にある鳥越地区に何度も通って編み方を教えてもらったり……。その2年間の集大成として、今後どうやって竹細工を商いにするかを「創業決起書」としてまとめて、彼女の両親にプレゼンをしたところ、正式にお許しをいただけて(笑)。いまではすごく応援してくれています。
訓練校の定員は10名で、倍率は2~3倍くらいでしたが、無事合格。受かっても落ちても、別府に移住しようと思っていたので、その3日後に引っ越してきました。東京の教室に講師で来ていた伝統工芸士の森上仁さんにそう伝えたら、「うちに来ればいいよ」って言ってくださって、いまも学校が終わった後に通って教えていただいています。
竹細工をつくるだけじゃなく、
これからの“あり方”を考える
平日の朝8時~夕方4時まで学校で実習を受けて、その後は師匠の森上さんのところに行って試作する毎日です。2年目の今は、自分のオリジナル商品を考えながらつくる実習をしています。職人のアイデア次第で何でもつくれるのが別府竹細工の魅力なので、技術の高さだけじゃなく、デザインを生み出す独創性も必要。
それが2年目の課題ですね。実は、一昨年から訓練校が2年制になりました。卒業後は独立する人が多いのですが、1年目で習う基礎訓練だけで、その後自営していくのは厳しいらしくて。だから、2年目は、商品開発や企業経営、会計など、商品づくりから販売まで、竹細工を生業としてやっていくためのスキルを身につけることができるようになっています。
かごやざるなどの竹細工は、かつてはどこの家庭にもある日用品でしたが、昭和30年代に安価なプラスチック製品が登場してからは買い手が激減、いまでは作り手も全国的に減少しています。岩手の鳥越も一番若手で50代、伝統工芸に指定されている岡山の勝山竹細工の作り手もあと1人しかいなくて、松本は6年前に最後の方が亡くなられたそうです。作り手は高齢の方が多く、どこの産地も危機的状況なのですが、そのなかでも別府には訓練校があるぶん、若い作り手が育っています。けれど、みな職人になれるかというとそうでもない。ほとんどが続けられなくて辞めていってしまっている厳しい現状があるんです。

訓練校での作業風景。「壁面空間を飾る」という課題で「ハンガーフック」をつくる横山さん。
もうひとつ、難しいのは値付け。定番のかごやざるをつくるのに3日ほどかかりますが、商品の価格が3日分の工賃になるかというとそうではありません。販売価格を単純計算で決めることができない。その手間を買い手の方に知っていただくのも必要だけど、それを強く打ち出し過ぎても、なんだかかっこ悪いじゃないですか。だから、まず何より「買いたい」と思ってもらえる“商品力”をつけないといけないなと思っていて。つくっても買ってくれる人がいないと始まりませんから。
自分がワクワクするものをつくることが大前提ですが、竹の素材としての可能性を、もっともっと深堀したいと思っています。現代の暮らしにも受け入れられる竹細工って何だろう?と考えたとき、僕は「求められているもの」ではなくて、「欲しくなるもの」をつくりたい。ニーズに合わせたものだけではなく、相手の欲している、その先にあるものを提案したい。それはいままでの需要になかった、新しい形になるのかもしれません。まだこれからですが、僕なりの挑戦です。

1本の竹を曲げることで水引のような形を自在につくり上げる。
「誰かの心に響くものをつくりたい」
デザイナーだった自分にできること
かつて僕が竹細工を見てそうだったように。誰かの“衝動”を起こしてみたいという願望があります。本のデザインも、たくさん並んでいるなかから、その一冊が目に留まるように考えられていますが、それと同じように竹細工も思わず目が留まって、「素敵だな」と心をぎゅっとわしづかみにするような、デザインとしての魅力も必要なんじゃないかと思っていて。好きな人、興味がある人にだけ向けてつくっていてもやっぱり買い手は増えていかない。だから、竹細工を使ったことのない人や、いままで触れたこともない人たちに「いいな」って思ってもらえるような、心に響く何かを与えられる商品をつくっていきたい。それは、デザイナーとして仕事をしてきた自分だからこそできることだと思っています。竹細工をつくっていると、ほんとに気持ちがいいんですよ。つくったぶんだけ形になっていきますし、何かをつくって、それが誰かに届く仕事っていいなって。見えない何万人に届けるよりも、顔が見える1人に届けたい。まだ学校に通っている身なのでこれからですけど、自分が楽しんでつくったものを買ってくれる誰かがいて、その方も喜んでくれる。そういう実感がある仕事ができるというのは、やっぱりいいものだと思うんです。
大分県立職業能力開発校 竹工芸・訓練支援センター
住所:大分県別府市東荘園3-3
電話:0977-23-3609
http://www.saiki-tc.ac.jp/take_kunren/
-
- 横山 修さん よこやま・おさむ/1980年、長野県松本市生まれ。デザイン系の専門学校への入学とともに上京。卒業後はデザイン事務所に就職し、広告、雑誌などのグラフィックデザインを手がける。2014年1月に退社後、同年3月より、大分県・別府市の竹工芸が学べる日本で唯一の職業能力開発校に入学するため、家族で別府に移住。2016年3月に卒業予定。
始まるものづくり
特集
始まるものづくり

-
- “ちょっと遠くへ引っ越す感覚”で、東京から鳥取の山奥へ。ふつうを重ねて生活をつくる。
- ゴロゥさん ( デザイナー、イラストレーター)
-
- デザイナーから職人へ。 家族で移住した別府で 竹細工を生業にする。
- 横山 修さん (大分県立職業能力開発校 竹工芸・訓練支援センター 竹工芸科訓練生)
最新の記事
-
ニュース【ウェブマガジン「雛形」更新停止のお知らせ(2022年4月30日)】ウェブマガジン「雛形」は、2022年4月30日をもって、記事の更新を停止いたしました。 (「ウェ […]
-
特集迷いながら、編む。 ーメディアの現在地どんな人にも、暮らしはある。すぐには役に立たないようなことも、いつかの誰かの暮らしを変えるかもしれない。/雑誌『暮しの手帖』編集長・北川史織さん北川史織さん(雑誌『暮しの手帖』編集長)
-
特集迷いながら、編む。 ーメディアの現在地立場をわきまえながら、どう出しゃばるか。「困っている人文編集者の会」3名が語る、本が生まれる喜び。柴山浩紀さん(筑摩書房)、麻田江里子さん(KADOKAWA)、竹田純さん(晶文社)
特集
ある視点
-
それぞれのダイニングテーブル事情から浮かび上がってくる、今日の家族のかたち。
-
一番知っているようで、一番知らない親のこと。 昔の写真をたよりにはじまる、親子の記録。
-
「縁側」店主河野理子どんなものにもある、“ふち”。真ん中じゃない場所にあるものを見つめます。
-
「読まれるつもりのない」言葉を眺めるために、“誰かのノート”採集、はじめます。
-
不確かな今を、私の日々を生きていくために。まちの書店さんが選ぶ、手触りのあるもの。
-
美術作家関川航平ほんのわずかな目の動きだって「移動」なのかもしれない。風景と文章を追うことばの世界へ。
-
徳島県・神山町に移り住んだ女性たちの目に映る、日々の仕事や暮らしの話。