REPORT

高松から神山へ、語り合って旅をした。「暮らしが仕事。仕事は仕事。
小野哲平×早川ユミ×真鍋太一」

香川県
約20年前に高知県の山あいに移り住み、ともに暮らしをいとなみながら、それぞれの表現活動を続けてきた、陶芸家・小野哲平さんと布作家・早川ユミさん

2019年7月19日(金)から8月6日(火)まで、高松「まちのシューレ963」にて、二人展「「土がある。布がある。それぞれの旅。」を開催。出張企画として徳島・神山の「かまパン&ストア」でも作品を展示しました。

本記事では、これらの展示にともなって高松と神山で行われたトークイベントを追いかけて取材。ふたつの地域を移動するなかで、ふたりが見聞きして感じたこと、出会った人たちと交わした言葉を記録しています。前編ではトークイベントでの対話を、後編ではふたりへのインタビューを記事としてまとめました。

時間の経過とともに、取材者である私とふたりの関係性が深まり、語られる言葉も変化していきました。二日間の濃密な旅のようすを、この記事でみなさんと共有したいと思います。

梅の苗木と梅干しのお値段、
同じ1,000円ならどっちを選ぶ?

雨足が強まりはじめた、7月19日(金)の19時。「まちのシューレ963」の会場では、哲平さんとユミさんを囲むように、参加者のみなさんが輪になって座っていました。満員御礼です。

この日のテーマは、「暮らしが仕事、仕事は仕事」

もとになったのは、民芸運動の中心を担った陶芸家・河井寛次郎の「暮しが仕事、仕事が暮し」という言葉です。

聞き手は、5年前に徳島・神山に移り住んだ真鍋太一さん。地域の農業を次世代につなぐフードハブ・プロジェクト(以下、フードハブ)という会社をつくり、今は28人の仲間と一緒に働いています。

三人は、2015年に東京・シボネ青山で開かれた哲平さんの個展「OPENNESS 器はひらかれている TEPPEI ONO」で出会いました。以来、真鍋さんが高知にあるふたりの家を訪ねるなど、親しいおつきあいが続いているそうです。

真鍋:哲平さんとユミさんが一緒に暮らしはじめたとき、哲平さんのお父さんであるセツローさんから、河井寛次郎の「暮しが仕事、仕事が暮し」という版画が送られてきたそうですね。

ユミ:そう。ふたりの暮らしがはじまったとたん、この版画がうちにぽろりとやってきて。台所の水屋(食器棚)の前に置いて、毎日を過ごしていました。最初は「古臭い版画だな」と思っていたけど、「うつくしい暮らしが仕事」「うつくしい仕事が暮らし」と、言葉遊びのように考えていると自分のなかにすーっと入ってきたんです。暮らしが変われば仕事が変わるし、仕事が変われば暮らしも変わるんじゃないかって。

真鍋:ユミさんは「暮らしが仕事」、哲平さんは「仕事は仕事」だと考えていると伺いました。ユミさんがおっしゃっている「暮らしが仕事」とは?

ユミ:たとえば、1,000円出して梅干しを買えばすぐに食べられますよね。一方で、1,000円あれば梅の苗木を買うこともできます。

梅の苗木を植えてお世話をしていると、やがて自然の贈り物をたくさんくれます。3〜4年経つと花が咲いてすごく美しいし、ニホンミツバチの蜜源になる。5年もすれば実がたくさんなりはじめます。今、20年が経って、うちでは8本の梅の木から100kgくらいの実が採れるんですね。

1,000円で梅干しを買うのがお金の経済だとしたら、梅の苗木を買って植えるのは人間的な経済。私は梅の苗木を植えて、人間的な経済を選びたいなあと思うんです。

真鍋:でも、苗木を買って植え育てるのはすごく手がかかるわけですよね?

ユミ:暮らしは1日で成り立つものではなくて、長い長い繰り返しの連続のなかにあります。また、暮らしの知恵が他の誰かに伝わっていくと、未来の梅干しになる可能性もありますね。そこが大事かな、と思います。

今も僕は、自由を得るために
作り続けているのだと思う

「暮らしが仕事」と、田畑で野菜や果物、お米を育てながら、布の作品を”ちくちく”するユミさんにとって、仕事は暮らしとごく自然につながっているようでした。一方で、哲平さんは「自由」という言葉の関わりのなかで、「仕事は仕事」を語られました。

哲平:僕は今、この年齢になって、なぜこの仕事を始めたのかを振り返ると、10代の頃に感じていた理由もわからずに管理される不自由さから、どうやって抜け出すかということが大きかったんだと思います。

どうしたら、自分の人生を自由に決められるのか、自由に生きられるのか?と考えたときに、「この先に行けば自由に生きていける」と思うことを仕事にしていきたかったんです。

真鍋:今も、その不自由さを感じることはありますか?

哲平:今も僕は、自由を得るために作り続けているし、いい仕事をしなければ不自由になることはわかっています。感動が起きない仕事をしていたのでは自由は得られないと思っていますね。僕は、芸術には人を自由にする力があると信じているんです。

真鍋:ユミさんは今の話をどんな風に聞いていましたか?

ユミ:自由ってずっと自由があるわけじゃなくて、自分たちが自由でいたいと思っていないと、どんどん不自由になっちゃうんじゃないかな。

今でも、学校だけでなく、社会のシステムそのものが管理されているよね。その管理を逃れて、どう自由に人間らしく生きていくのかというときに、種を蒔いたり木を植えたり、畑を耕すことによって私はすごく解放されたんだよね。

今の世の中は自然を排除して、土で汚れることをすごく嫌うでしょう。手に泥がついてもいいような生き方が、自由になれる一つの方法ではないかと思います。

哲平:ユミはいろんなことを幅広くやりたいんです。それに少しでも関わり出すと気になってしまうので、なるべく見ないようにしています。僕はもう一生、土の仕事だけできていればいいと思っていますから。

「土着」という言葉から
ふたりがイメージするもの

この日、ユミさんが選んだのもうひとつのテーマは「土着」。辞書を引くと、「その土地に長く住み着いていること。また、その土地に住みつくこと。根付くこと。(大辞林第三版)」と書かれています。

ユミさんと哲平さんは、「土着」という言葉からどんなことを語られたのでしょうか?

ユミ:「土着」は「土を着る」と書きますよね。私は土を着たいなあと思うんです。「土着」って土を触っている暮らしだと思う。人間は土に触れていないと生きられないんじゃないかと思っているんです。もし、病気になりそうだと思ったら土に触ってください。地球のエネルギーを直接感じることになるから、すごいエネルギーが入ってきます。

私の場合は、畑を耕したり草刈りをしたりして体を動かし、いろんな植物を観察することで感覚を研ぎ済ませて、自分のつくることに持ってきています。手で縫う仕事も、手の中でちくちくするのではなくて身体能力。実は、かなりスピード感もあります。哲平の土着はどうですか?

哲平:今日、土着という言葉を見たときに、なんか入ってくる言葉だなと思いました。僕がずっと、「自分の血の中にある表現方法はなんだろう?」と思って、この仕事を選んだのではないかと思っているんです。土を触って形にして、火で焼いて硬くするという方法が、自分の血のなかにあったような気がするんですね。

真鍋:なぜ、土と火という表現方法だったのでしょうか。

哲平:プラスチックや金属のような無機質なものではなく、土や火という生きている感じの素材を選ぶ理由が、自分のなかにあったのだと思う。

「会場に展示されているふたりの作品に触れてみてください」と真鍋さん。気になる作品を手に取りながら話を聞いた。

真鍋:最後に、おふたりが暮らしている家と仕事場と都市の関係性について聞いてみたいと思います。ふだんは人里離れた山のなかでものづくりをしながら、何に何度かは旅に出られますし、国内外の都市で展覧会も開かれていますね。

哲平:僕たちは都会を知っていて、そこで欲望を満たす経験もしていますから、ずっと山のなかだけで暮らすことはおそらくできない。最近思うのは、今の家がある暮らしは登山するときのベースキャンプみたいなものかなと思う。いつでも戻って来られる安心の場所をつくっておきたいというのはずっとあります。

ユミ:東京に出かけるたびに「同じ国なのかな?」と思います。電車のなかでみんなが怖い顔をしているし、すごく速く歩いている。帰ってくるとホッとして、畑で何かしら野菜を触りたくなります。

都会で暮らしている人も、お味噌や梅干しでもなんでも作るといいと思います。きっと自己肯定感にもつながるし、人間らしい暮らしになっていきますから。たしかに買うと楽だけど、豊かさを捨てている気がします。

フードハブのパン屋さん「かまパン」が出張。休憩時間にみんなでパンを味わいました。

「ディスカッションカード」の質問に答えるふたり。「土地との出会いは?」「お弟子さんのサポートは?」「仕事に迷う人へのアドバイスは?」などの応答がありました。

ふたりのお話を聞いた後は、いったん休憩。かまパンのパンをいただきました。その後は、参加者が記入した「ディスカッションカード」の質問に答える時間がつくられました。

「この質問をされたのはどなたですか?」と問いかけて、一人ひとりとやりとりをするふたり。匿名の誰かではなく他でもないその人と出会い、言葉だけではなく気持ちを交わそうとしているようすがとても印象的でした。

それは、とてもあたりまえのことのようでありながら、この世の中で失われつつある人との関わり方ではないかと思うのです。

哲平さんとユミさん、
初めての神山に出会う。

7月20日(土)は神山へ移動。フードハブの食堂「かま屋」に集合して、みんなで一緒にランチを食べました。哲平さんとユミさんは、神山に来るのは初めて。午後は真鍋さんの案内で、神山町内のお店や施設、フードハブの畑などの見学に出かけました。

フードハブ農業長の白桃薫さんに、フードハブの概要を説明していただきました。

そして、フードハブの畑へ。ユミさんとお弟子さんは「うちの畑でもできるかしら」と興味津々です。

昭和4年(1929)につくられた劇場寄井座。長らく閉鎖されていましたが、2007年にNPOグリーンバレーが再生。現在はアーティストのアトリエ、作品展示などに使われています。

そして夕方は、寄井商店街にあるフードハブのテストキッチンへ。神山の人たちとの夕食会を兼ねた、小さな対話の場がひらかれました。

“食べる”が真ん中!
小野哲平さん・早川ユミさんを囲む夕食会

まずは、「かま屋」のスタッフが用意してくれた生春巻をくるっと巻いて食べながら、全員が自己紹介。「いつどこから来て、今何をしているか」を話しました。だんだんお互いのことがわかるにつれて、みんなの表情が和んでいきます。

みんなのお腹が落ち着いた頃を見はからって、哲平さんとユミさんのトークがゆるっとスタート。友人でもある真鍋さんが心血を注いでいるフードハブを知って感じたことをそれぞれに語りはじめました。

ふたりが特に反応していたのは、フードハブが掲げる「社会的農業」という言葉。「景観を守り、地域の農業と食文化を次につなぐ農業者を育て、地域社会が活力を得る」農業と定義されています。

この日のメニューは、ユミさん直伝の「みんなで食べる生春巻き」。哲平さんのお皿を使っていただきました。

ユミ:フードハブの「社会的農業」は、私が考えてきた「人間的な経済」とぴったり合わさるような気がしました。うちのは、私たち家族とお弟子たちが食べられるものをちょっこり作り出している小さな農業。フードハブの社会的農業は、28人の人たちが暮らしていける生業になっている。規模は違うけれど、目指すところがとっても似ているんじゃないかと思うんです。

真鍋:そうですね。個人バージョンで、生態系としてやっているのがユミさんだとしたら、我々はそこから派生する経済循環までを含めた規模の農業的な話になってくると思います。

ユミ:フードハブは、土を触ったり、野菜を作ったりする経済をつくることを会社組織でやっているような気がして嬉しかったんですよね。みなさんは、うすうすこの資本主義が続くとは思えなくて、人間らしい経済があるといいなと感じて、この神山に移り住んでいるんじゃないかなと思うんです。お金がお金を生む経済ではなくて、もっと人間らしい暮らし。

哲平:みんなはどうして、世の中のレールに乗ってお金をたくさん儲けて、おいしいものを食べて、かっこいいものを買おうと思わなくなったの? それとも、今でもそうしたいと思っているの?

一同:笑

ところで、なぜみんなは
神山で暮らしているの?

ここからは、「みんなはどうして世の中のレールに乗ろうと思わなくなったの?」という哲平さんの問いに、一人ひとり答えていくかたちで進んでいきました。みなさんの答えを一部ご紹介します。

KULUSKAの藤本直紀さんは、服飾デザイナーとしてアパレル企業に勤めていたとき、大量生産・大量消費のものづくりに疑問を感じたそう。「顔が見える関係性のなかで、適正な量を無駄なくつくる」ことを志向するようになりました。また、子どもが生まれたときに、「子育てに良い環境」を求めて東京から鎌倉に引っ越します。

子どもと一緒にいる時間を考えると、仕事と暮らしをなるべく身近なものにしたいと考えて鎌倉で働くように。「その延長線上で、神山に移り住んできたという感じはあります」と話しました。

寄井商店街で珈琲豆焙煎所「豆ちよ」を営む千代田孝子さんは、横浜生まれ横浜育ち。「20歳になるまでなめくじを見たことがなかった」という都会っ子でした。ところが、葉山の秋谷海岸で暮らしはじめた友人を訪ねたとき、彼らが耕した畑の作物でごはんを振舞われ「こんな暮らしもできるんだ!」と開眼。千葉・いすみ市に移住しました。

大きな転機となったのは、2011年3月の東日本大震災。「何が一番大事なんだろう?」と問い直すなかで、いつか住んでみたいと思っていた徳島に引っ越し。友人の紹介で、徳島市内から神山へと移り住むことになったそうです(詳しくはこちらの記事もどうぞ)。

哲平さんは「なぜ、この人は神山にきたのか」を知ることから、この場にいる人たちと神山というまちに触れようとしているようでした。

ときに鋭く切り込んでくる哲平さんの(けど、あくまでやさしさがある)問いかけに、みんな少なからずドキドキしていたと思います。でも、真正面から迫ってくるふたりとの真剣なやりとりのなかで、期せずしてはじめて言葉にできたこともあったはず。それはきっと、かけがえのない瞬間だったのではないかと想像します。

おひらきになったあとも、場に生まれた熱はなかなかさめやらず。名残を惜しむ人たちが、あちこちで会話の花を咲かせていました。哲平さんとユミさんのほうも、一人ひとりとじっくり言葉を交わすことを心から楽しんでいるようでした。

さて、後編ではトークイベントのなかで浮上したさまざまなテーマをぐっと深めたインタビューをお届けします!こちらもどうぞお読みください。

 

写真:生津勝隆 編集・文:杉本恭子
(更新日:2019.08.28)
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