特集 奈良県・東吉野村
山村に灯りをともす人たち
奈良の山村と東京。 二拠点で生活を作りながら 土地と深く関わる写真を撮る
働く場所と住む場所。それが都市と地域といった離れた場所だとしても、自分にとって必要な場所なのだとしたら、
日本各地を飛び回りながら、東京でフリーランスのカメラマンとして活動する西岡潔さんと、会社員として多忙な日々を送っていた愛さんは、今年9月、夫婦で奈良に住まいを移した。仕事の拠点として東京に事務所を借りながら、これから二拠点生活を実践しようとしている。
「10年前からずっと考えていた」という移住を決意にするにあたって、背中を押してくれたのは、意外にも会社勤めをしていた愛さんだった。カメラマンとして場所にとらわれることなく働けるとはいえ、東京に残りたい気持ちもあった。
「5年後の東京オリンピックに向かって、東京の街が大きく変わろうとしている。その変化に興味があるし、ちゃんと見届けて、写真に収めておきたいんです」
やりたいことをやるために、自発的に動ける移住という選択をした西岡さん夫妻。それぞれのやり方で、迷いながらも、動くことで人生が変わりはじめた2人に、東吉野での暮らしについて話を聞いた。
写真: 松木宏祐 文:薮下佳代
都市を拠点にしながら
10年間探し続けてきた移住先
今から4〜5年前、とある雑誌の撮影の仕事で、初めて奈良県東吉野村に来ました。移住者の暮らしの取材だったのですが、その頃は大阪に住んでいて、東吉野村と聞いても、どんなところかまったく知らなくて。たしか2月だったかな、めちゃくちゃ寒くて。ものすごい山道を通って来たので、こんなところには絶対住まれへんなと思ったのを覚えています(笑)。
大阪と東京を拠点に仕事をしながら、10年間ずっと移住先を探していました。日本各地、仕事で行った先々で探す中で、奈良県に来ることがよくあったんです。奈良は知り合いも多いですし、歴史も古く、史跡や聖地もあちこちにあって、個人的にずっと興味がある土地でした。母方も以前、三輪山の近くに住んでいたこともあって、お墓もあるから、いつか奈良に住みたいなとは思っていたんです。だけど、どこか迷いがあってなかなか動けなかった。そんな時、東吉野に「OFFICE CAMP」ができて、これからここがおもしろくなりそうな感じがしたんですよね。遊びに来てみたら、すぐに奥さんがこの場所を気に入ってくれたんです。川がとてもきれいだって。ずっと決めきれずにいたけれど、彼女が「行こう」と言ってくれたのが大きかったですね。
1日をがむしゃらに生きる
自然のなかで営む暮らし
西岡愛さん:付きあっていた時から、『いつか奈良に住みたい』と聞いてはいたけれど、その“いつか”はいつなんだろうって思っていて(笑)、こんなにすぐに移住することになるとは思っていませんでした。私は千葉県出身で、ずっと関東で育ってきたから、奈良に来たのは修学旅行以来。でも、なんとなく奈良に住むのも楽しいだろうなって思っていて。学生の頃、新潟に住んだり、秋田では化学肥料を使わずに畑をやっていたこともあって、その時は、朝起きたらまず雪かきから始まるような生活を送っていました。
たった数ヶ月ですけど、そういう自然と共存する暮らしを体験した時に、“生きてる感じ”がすごくしたんですね。人間の暮らしって、もっとこう、がむしゃらだよなって。ただ漫然と過ごす1日じゃなくて、1日を迎えるための1日みたいな、1日の価値に重みがあった。もちろん大変でした。でもその生活のほうが、生きてることを感じられたというか。そういう暮らしもいいなと思ったけれど、自分1人で行く勇気はありませんでしたね。
東京以外の土地で暮らしてみたい気持ちは、結婚する前からありました。住む場所に合わせて仕事も変えればいいと思っていたので、暮らす場所を変えることに躊躇はなくて。でも私は会社員の経験しかないので、仕事を探す時に、せっかくなら地元の会社で働きたいと思いました。東京にいる時から、ハローワークで東吉野の求人を探していたけれど、3社しか情報がみつからなくて。でも、まずはそのなかの1社に応募してみたんです。
とある会社の総務なのですが、資材を輸入するのに英語も必要だということで、自分が今までやってきたことをちょっとは活かせるんじゃないかと応募してみたら、採用が決まりました。2年ぐらい求人を出していたそうなんですけど、ずっと応募者がいなかったそうで、まさか30代の人が東京から来るなんて!と驚いていました。お互いによいタイミングでしたね。
最初に面接を受けた時に、工場の見学もさせていただいたんですけど、都心での働き方とぜんぜん違っていて。お祭りの日には、仕事の途中で、パートのお母さんが家に提灯を下げる時間だからと家に帰るそうなんです。それを聞いて、なんだかゆるくていいなあって(笑)。他にも、お餅を用意しないといけないから明日は休みます、とか。暮らしと仕事が近いというか、こっちでは提灯もお餅も、生活のなかの大事な一部。だから、もちろん休む理由になるし、休む時はお互いさまなんですね。私もここに住んでどういう働き方ができるのか、いまからすごく楽しみです。
震災後、大阪から東京へ
自分自身の“写真”と向き合う
5年前までは大阪に住んで仕事をしていましたが、2011年2月に東京に拠点を移しました。大阪で駆け出しの頃からずっとやっていた『L magagine』という雑誌がなくなって、ほかにもどんどん雑誌が休刊したりするなかで、次のステップがみつからなくなってしまったんです。雑誌が好きだから、この仕事を続けたいという思いが捨てきれなくて。これからを考えるタイミングで、東京で借りている事務所が空くから使わないかと知り合いから声をかけてもらって3人で借りることになったのですが、先に僕が引っ越しをした直後に震災が起きてしまった。それで結局、僕だけが借りることになりました。
震災後はもちろん営業に行けず、身動きがとれない日々で。だけど、ここでじたばたせずに、自分にできることをするしかないと思いました。東北に行って現状を知ること、これまで自分が撮ってきた作品を整理すること……その中のひとつとして、ニコンが主催する「Juna21」というコンテストにも応募しました。「マトマニ」という作品シリーズだったのですが、テーマは目的地にならない場所にある“間”のような風景のなかに、ある種のイメージなのか、記憶のなかの風景なのか、不思議に心惹かれる場所。そうした“間”のある風景をテーマに10年間ずっと撮り続けてきた作品でした。それで、初めて賞をいただくことができたんです。
それまでは、カメラマンとして仕事をしながらも、自分自身の作品となる写真も撮っていて。どちらに対しても撮影する自分の意識は変わらないけれど、仕事か作品かによって、写真の扱われ方が変わってしまう。その状況を変えたいと思いつつも、自分の表現では伝えきれないのかと葛藤があったんです。だけど、賞をいただいたことで、これまで自分が長い間撮ってきた写真が間違ってなかったと認めてもらえたような気がして。評価されたこともありがたいけれど、それ以上に、写真を通して社会とコミットできているという実感から、自分がシャッターを押すこの感覚に自信が持てた。それからは、自分の作品を通して撮りたいものを理解してもらった上で仕事をもらえるようになりました。賞はきっかけのひとつですし、まだこれからですが、写真家として自信を持って踏み出すことができたんです。
東吉野に引っ越してからは、奈良での仕事もクライアントとより良い信頼関係をもってできるようになりました。写真でも、自分の暮らしもそうですけど、もっと自発的に動ける場所が欲しかったから、移住したのは正解でしたね。いずれはもっと見晴らしのいいところに、アトリエ兼スタジオをつくりたいなと思っています。気持ちがいいところで仕事したいと強く思っているので、ここでしか撮れない空間を見つけて、みんなに来てもらえる場所をつくりたいんです。他のカメラマンにも、「ここで撮りたい!」と思ってもらえるような、特別な場所がつくれたらいいですね。
地域で生きていくために
写真という形を残して伝えていく
都会に住んでいる時は、個人で自由に生きてきたから、人とのつながりが希薄だったんですよね。今年で39歳なんですけど、この歳になると、これからどうやって生きて死ぬのかなということをよく考えるんです。だから漠然と、“何か”を残しておきたいなというのがあって。目に見えないものでもいいんですけど。
たとえば、地方にいると都市と違って、人との関わり合いが自然に生まれるじゃないですか。さっき家の近くの駐車場で、なわとびをしていた子どもたちがいましたけど、毎日顔を合わせていると自然としゃべるようになるし、もっと仲良くなったら、いつか写真を教えてあげることもできるかもしれない。地域に根ざしながら生きていくためにも、僕なりの関わり合い方で、いい関係が築けていけたらいいなと。それがいつか形として残っていけばなって。
写真って、“間”をつなぐツールだと思っていて。言葉もそうだと思うんですけど、人に何かを伝えるのに、写真ってわかりやすいじゃないですか。土地の魅力でも、ここに生きる人でも、写真を撮って形に残すことで、何かを伝えることが僕にはできる。写真ってどこの土地でも必要とされるものだからこそ、地域に住んでいる人が撮ることで、より伝わる写真になればいいなと思う。ここでしか撮れないものは確実にあって、ここに住んでるからこそ撮れることもある。“住む”って、そういうことだと思うんです。それは儲けるためにやるのではなくて、ここに住みながら、その関係性のなかで自然にできたらいいなと思っています。
地方発信の媒体もいつかつくってみたいですね。東京発信の媒体って膨大な情報をセレクトしているから、編集しすぎずに、さまざまな情報がごちゃまぜになった媒体があってもおもしろいのかなと思う。たとえば、近所のおっちゃんの他愛のない話の隣のページには、村外の写真家が撮ったかっこいい写真があったりとか。そうやってこの土地から発信できるものがつくれたらいいねと、「OFFICE CAMP」の坂本大祐くんたちとよく話をしています。
「やろうぜ」って言えば「やろうよ」って言ってくれる人がすぐ近くにいるって、めちゃくちゃ心強いですよ。東京はある意味すごく自由だけれど、自分でできることと、できないことがあって。だけど、ここにいても何でもやれるんじゃないかなって思えるというか、地方にいるのにものすごく可能性を感じるんです。東京に住んでいると、仲のいい友人がいてもなかなか会えなかったりしません? なんだかんだ忙しかったりして。でも地域にいると、みんな近くに住んでいるからすぐに会えるし、お互いの持っているものを分け合うのが当たり前だから、アイデアも出し惜しみしたりしないし、もらってもまたお返ししての繰り返しで。こういう、この土地に住んだことで生まれた感覚も活かしていきたいと思っています。
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西岡 潔さん、愛さん夫妻
にしおか・きよし/1976年、大阪府生まれ。大阪を拠点に、書籍、雑誌、広告などのカメラマンとして活動後、2011年2月より、拠点を東京に移す。2012年ニコンサロン主催の公募写真展「Juna21」にて三木淳賞奨励賞を受賞。2009年より雑誌『L magagine』(京阪神エルマガジン社刊)で、連載「そうだ聖地へ行こう」を担当し、雑誌休刊後も『Meets Regional』にて「フロム聖地」にタイトルを変えて同連載を続ける。『気持ちのいい聖地』(青幻舎)、『いいビルの写真集 WEST』『いい階段の写真集』(パイ・インターナショナル)、『生きた建築 大阪』(140B)などの書籍の撮影も担当。2015年9月から奈良県・東吉野村へ夫婦で移住をし、東京・阿佐ヶ谷にある事務所と二拠点生活を始める。
https://nishioka-kiyoshi.squarespace.com/
山村に灯りをともす人たち
特集
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