特集 奈良県・東吉野村
山村に灯りをともす人たち
プロダクトを開発して作って売る。 拠点を定めずに動きながら 奈良の山奥で、今現在を営む
目の前に、大きな清流が滔々と流れる奈良県・東吉野村の小川集落。そのなかでも、川沿いに立つ見晴らしのいい一軒家が菅野大門さんの家だ。軒先には、たくさんの薪が積まれ、これから迎える冬の準備が始まろうとしていた。
奥さんの真理奈さんと、3歳になる息子の間太くん、家族3人の東吉野村での暮らしは、もうすぐ3年目になる。それまでは大阪府堺市を拠点にデザイン事務所兼ショップを構え、プロダクト・デザイナーとして活動していた菅野さん。商品を開発して、作って、売る。その一連の流れに携わり、プロジェクトの中心でありながらも、自らの拠点はどこでも構わないのだと気がついた時、“移住”が現実になった。それから、友人であり、9年前から東吉野村に移住している坂本大祐さんを何度か訪ねるうち、「この地に住みたい」と思うようになる。
「どこでだって生きていける」。そう話す菅野さんは、こだわりがあるようで、いたってマイペース。そんなラフな生き方、働き方を見ていると、深い山村での暮らしの“自由さ”を教えてくれる。それはきっと、どこに住んでいるか、どんな仕事をしているかではなくて、心のあり様そのものが、枠にとらわれず自由なんだろう。
写真:松木宏祐 文:薮下佳代
通い続けた村で惹かれた
美しい川沿いの一軒家
今暮らしている物件は、この川が決め手でした。2階からの眺めもすばらしくて、訪ねて来てくれる人もよく窓際のソファに座って外の景色を眺めていますね。やっぱりきれいな川が目の前にあるのは、東吉野で暮らすひとつの特徴でもありますから。
子どもが生まれてからは、環境がいいところ、広いところに住みたいと思っていました。そんな時、友人の坂本大祐さんがすでに東吉野村に住んでいて、何回か遊びに来ているうちに、いいところだなって思って。坂本さんに「家を探してるんです」と話をしたら、「じゃ、物件一緒に見に行こうや」って言ってくれて。すぐには見つからなかったんですけど、ある時、役場の情報でいい物件があるらしいということを坂本さんから聞いて、見に行ってみたらこの物件で、即決したんです。
坂本さんとのそもそもの出会いは、僕が大阪府堺市でデザイン事務所兼ショップにいた時、その近所で坂本さんの弟さんがコーヒー屋をしていたのがきっかけですね。その時、すでに坂本さんは東吉野に移住していたんですが、うちのお店にも遊びに来てくれて、すぐに仲良くなりました。その縁があって、僕も東吉野に遊びに行くようになったんです。
それまでは“東吉野村”の位置さえ知らなくて(笑)。堺から東吉野までは車で1時間30分くらいかかるんですけど、坂本さんは一度東吉野に帰っても次の日には堺に来ていて。すごい頻度だったので初めは驚きました。けれど、今では僕も移動は全然苦じゃなくて、車中で音楽を聴きながら考えごとをしていると、思考が整理されてくるというか、リセットされるいい時間でもあるんですよね。だから、たとえ距離があったとしても、行く気があればどこにだって行けると思えました。それを、そばで実践してる先輩がいてくれたから。半年に1回くらいのペースで2〜3年通って、この物件と出会って、2013年11月に東吉野に移住しました。
どこにいるか、より
だれといるか、が生む自信
堺では、好きなものを集めた雑貨店をやりながら、自分でものを作って売るというプロダクト・デザインを生業にしてきました。自分で作ったものを展示会に出して、バイヤーさんが買ってくれるのですが、だんだんと「欲しい」と言ってくれるバイヤーさんと出会うことができて、全国に販路ができていったんです。徐々に商売が軌道に乗り出してくると、今いる堺以外の場所でもできるんじゃないかと思い始めて。
展示会場はほぼ東京がメインでしたが、ほかにも人づてで少しずつ販路を見い出だせたのも大きくて、人とのつながりがあれば生きていけるという自信も生まれました。だから、東吉野に来る時も、誰もいなかったら来てないと思いますよ。坂本さんがいたから、なんかおもしろいことが一緒にできるんじゃないかなって思えた。
移住する時の不安……ですか? 僕自身、この仕事はどこででもできるって思えた時点で不安はなかったですね。それに自分の工夫次第でなんとか生きていけると思っていたので、たとえお金がなくても、仕事を選ばなければなんとかしてお金は稼げるだろうと。そうやって生きていこうと思えたら、すごく自由になれたというか。
僕の中では「都市/地域」という分け方もないし、東京でも、地方でも、なにかおもしろいことがありそうな場所だから、住んでいるだけ。東吉野村に住もうと思ったのも、坂本さんがゆるくてのんびりしてる人だから、自分と重なる部分があって、一体どんな生き方をしてるんだろうっていう興味もありました。自分では、お金がなくても生きていけると思ってるけれど、果たしてほんまかな?という思いもどこかにあって。だから、ここで暮らして体験してみようという思いもあったんです。
作って、試して、使って、作る。
暮らしあってのプロダクト
東吉野村に来てからは、仕事の時間は圧倒的に少なくなりましたね。お金を稼ぐために働く感覚がなくなりました。でも、やらなきゃいけないことはたくさんありますよ。薪を集めて、薪割りしをして、子育てもそう。いまは、商品がコンスタントに売れているので、その間に次の商品を考えている感じです。
移住してから作った和紙のプロダクトは、隣の吉野町に住む、植 貞男さんという和紙職人さんとの出会いがきっかけでした。この辺一帯は、「吉野和紙」で有名な土地で、きれいな川がある吉野では何百年も前から和紙が作られていたそうなんです。奈良県庁職員の福野博昭さんという方に「おもろい作り手のおっちゃんがいるから紹介するわ」と軽いノリで紹介されたのが植さんで、ほんまにおもろいおっちゃんで(笑)。「こんなん作りたい」というアイデアを話したら、「いっぺんやったろか」と次の日には試作ができていて。こっちが追いつかないぐらいエネルギッシュなので、2人でいろいろ試作した中から和紙のコースターと照明が生まれました。
植さんは楮(こうぞ)という和紙の原料を育てるところからやっていて、紙になるまでの工程を見ると本当に手間ひまがかかっています。実際に作る現場を近くで見ることで、プロダクトのアイデアも湧いてきますし、作って、使って、試して、そこからまた反映して、そうやって自分の暮らしの中から生まれる商品作りが、こっちにきてからできてるように思いますね。
拠点を定めず仕事を生み出す
いまの時代に生きる僕らの特権
学生時代に、あるコンペに出品したプロダクトがグランプリをもらって、その賞金を資金にデザイン事務所を設立したんです。その時はまだ21歳で、右も左もわからず事業を始めてしまって。資金もだんだんと底をつき、最初は4人いたスタッフも最後には2人だけに……。プロダクト・デザインって、試作から商品になるまで最短でも3カ月や6カ月、年単位で商品ができていくので、それまでお金が入ってこないんです。だから、小さいノベルティを数万円で請け負ったり、そうやってつないでいたんですけど、それもだんだん苦しくなってきて。
それで、まずは人に来てもらって商品を見てもらえる場所を作ろうと、2009年に堺で事務所兼ショップをオープンしました。会社からデザインの発注を受けて、プロダクトを作る仕事もいくつかしましたが、僕らが仕事を受けていた中小企業のメーカーは何かを作っても販路を持っていなかったので、販売できなかった。たとえいい商品ができたとしても、その商品が世に出ることがないということが度々あって。だったら、自分で販路を開拓していこうと、積極的に展示会に出てみることにしたんです。
とある展示会で、サンプルで作ったカードケースを自分で使っていたら、それを気に入ってくれた東京の雑貨店のバイヤーさんが、後日連絡をくれて取引が始まりました。その後も頻繁にオーダーをくださって。その頃から、自分が個人的に欲しいと思って作ったものだとしても、販路に乗せることができれば、きちんと売れるんだという手応えを感じました。
今では国内外に130店舗くらいの販路を持っているので、今度はその販路をいろんな人に使って欲しいと思っていて。たとえば、今まで販売先のなかった中小企業のメーカーも、僕に依頼をくれたら、その販売ルートを使えるし、友だちの商品も一緒に販売できる。これまで築いてきた販路を、いろんな人の商品を売る販売ルートとして使ってもらいたいなと考えています。
今は、奈良県大和八木にある福祉作業所に発送業務を外注もしています。全国の130店舗との取引は、FAXかメールで注文が入って商品を発送するのですが、結構な作業量になるんです。自分一人ではできない部分を地元の作業所に発注することで、少しでも地域に還元できるんじゃないかと考えて、在庫の管理や発送だけでなく、商品の組み立てや梱包もお願いしています。そうしたシステムを作り上げるまでには、何度も作業所に通って、時間をかけてやりとりしながら、少しずつ課題をクリアしていきましたね。今では安心しておまかせできるようになったので、とても助かっています。
2015年春からは、新しくできたシェアオフィス「OFFICE CAMP」の運営にも関わっていて、入り口付近のスペースで、オリジナル商品も販売させてもらっています。この場ができたことで、東吉野にいながら全国だけでなく海外からもいろんな人が遊びに来てくれるので、毎日がものすごく刺激的。
こんな山奥の集落に住んでいても、道路などのインフラが整っているので、東京からの荷物も翌日に届くし、インターネットがあるからどこからでも注文を受けることができる。これって昔だったら考えられないことで、何もない山村で生きていくには、食べ物ひとつ自分で作っていかないといけなかった。でも、今は必ずしもそうじゃない。地域にいながら僕のような仕事や暮らしも成り立つし、やり方次第ではどこでだって生きていけると思うんです。それは、ずっとここで生きてきた人や関わってきた人たちが、美しい川を守りながらも必要な利便性も高めてくれたからこそで。すごく感謝しています。なんていい時代にいるんだろうって(笑)。そう考えて、動くほどに、長い人類の歴史のなかで僕らが生きている今が一番おもしろい時代だなって思うんです。
デザインオフィス「エーヨン」
http://www.designofficea4.com/
OFFICE CAMP HIGASHIYOSHINO
http://officecamp.jp/
- 菅野大門さん かんの・だいもん/1983年・福島県生まれ。大学進学を機に神戸へ。プロダクト・デザインを学び、学生時代から商品作りを行う。21歳の時、デザインコンペで「faces stamp」という商品がグランプリに選ばれる。以来、商品のデザインや開発を行う。2009年、大阪府堺市で事務所兼ショップ「エーヨン」をオープン。その後、デザイナーの坂本大祐さんと出会い、2013年11月より奈良県・東吉野村へ家族で移住。現在は、雑貨の商品開発と販売を生業とし、国内外約130 店舗への販路を活かし、オリジナル商品を全国に展開している。現在、坂本さんとともに「OFFICE CAMP HIGASHIYOSHINO」のスタッフとしても活動。
山村に灯りをともす人たち
特集
山村に灯りをともす人たち
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- プロダクトを開発して作って売る。 拠点を定めずに動きながら 奈良の山奥で、今現在を営む
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菅野大門さん (
プロダクト・デザイナー
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- どこにいても学び続けること 文化的拠点の“ない”場所で 「知」をどう生み出すか考える。
- 青木真兵さん (古代地中海史研究者・関西大学博物館学芸員)
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- 奈良の山村と東京。 二拠点で生活を作りながら 土地と深く関わる写真を撮る
- 西岡 潔さん、愛さん夫妻 (写真家、会社員)
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- 移住は、ないものをねだるのではなく自分の暮らしをつくるためのプロセス
- 坂本大祐さん (デザイナー)
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- 多様な“個”を小さな村で継いでいく 今この土地を選んだ僕らの役割
- 坂本大祐さん(デザイナー)・和之さん・邦子さん