vol.9
日常は浜通りにつながる
前回のコラムでは、ぼくが有志たちと定期的に開催している福島第一原子力発電所沖での魚釣り調査プロジェクト「うみラボ」について紹介しました。海の汚染について調べようと原発沖で調査するうちに、福島県沖の魚の生態やおいしい食べ方なんかも知ることができてとても興味深かったと、そんな話を書いたはずです。
もう1つ、大きな発見がありました。エネルギーのことです。
うみラボの調査船は、いわき市北部にある久之浜(ひさのはま)漁港を出発すると、福島第一原子力発電所のある大熊町へと北上するのですが、道中で、広野火力発電所、福島第二原子力発電所を経由して第一原発に到着します。
さらに、双葉郡楢葉町の沖10キロのポイントには「洋上風力発電設備 ふくしま未来」があり、ここを経由していわきに戻るルートを取ることもできるのですが、改めてこのルートを俯瞰してみると、火力発電所、原子力発電所、廃炉作業中の原子力発電所、さらには洋上風力発電設備まで含まれているんです。
ちなみに、いわき市に目を向ければ、常磐地区では常磐炭鉱の遺構を見ることもできるし、市内の内陸部には水力発電所が点在していたりします。福島県浜通り地域だけで、ここまで深く、そして広くエネルギーのことを考えることができる。すげえなと。
広野火力発電所も、福島第二も福島第一も、その経営母体は「東京電力」です。つまり、首都圏の電気を、福島の発電所が作っているということ。電気がなければ現代社会は立ち行きません。社会を裏から支えているのは、紛れもなく福島県浜通りでなんですよね。
そのことを、改めて突きつけられました。
なんっちゅう負担を、我々はこの地に押し付けてきたのでしょう。
東京電力広野火力発電所。現在絶賛フル稼働中。
粛々と廃炉にむけての作業が続けられる福島第一原子力発電所。
東京に住んでいた頃、電気が福島県産だなんてこと、自分でもほとんど意識することはありませんでした。スイッチ押せば当たり前に電気は流れてくるけれど、そのスイッチは浜通りにつながっていたんですね。そのことに、まったく気づくことがありませんでした。
さらに加えると、当該地域にある発電所は、さきほど列挙したものだけではありません。第一原発のさらに北に目を向ければ原町火力発電所、相馬共同火力発電所がありますし、いわき市南部には常磐共同火力勿来発電所があります。さらに南に目を向ければ常磐那珂火力発電所もありますし、東海村の原子力施設もあります。
このエリアはいわゆる「常磐線」や「常磐自動車道」が通る「常磐地区」です。つまり、常磐が、紛れもなく日本の快適や便利を支えてきた。その重い事実に、ぼくはぶち当たりました。
福島第一原子力発電所が爆発事故を起こしたことで、「首都圏にさまざまなものを押し付けられ、搾取されてきた福島の歴史」みたいなものがしきりに語られるようになりました。戊辰戦争の敗戦から福島はずっと東京の植民地だった。これからは、自立し、福島独自のものを作っていかなければいけないのだと。
それはもっともな意見だと思いますが、供給地としての過去を強く否定してしまったら、私たちには何が残るのでしょうか。地道にエネルギーを作ってきた人たちの「奴隷」としての歴史しか残らないじゃないですか。「植民地」だなんて過去を否定するのではなく、「供給地」としての重さを認め、そこを出発点として未来を考えなければならないのではないか。私はそんな風に考えるようになりました。
霧で隠れてしまっているが、右側が風力発電のための風車。
例えば、福島の米や野菜について市場関係者に話を聞くと、「ブランド化されてないのが福島のブランドだ」と語る方が意外にも多いんですね。価格や出荷量が安定しているからこそ日常の食卓を支えられるんだと。年に1回しか食べられないブランド品じゃなく、毎日手軽に食べられる「コモディティ品」を作るのが、福島県の役割だったんですね。
福島県だけではありません。同じ常磐エリアの茨城県も特にそうです。
茨城県の生産量日本一を並べてみましょう。レンコン、ピーマン、なす、みずな、ちんげんさい、秋冬はくさい、春レタス、夏ねぎが生産量日本一。鶏卵も生産日本一です。魚で言えばマイワシとサバの生産量が日本一です!!
地味だあ〜(笑)
でも、地味であるがゆえに目立たず、人知れず食卓を支えてきた。その事実からは目を背けることはできません。日本中の食卓支えてるってすごいことです。それなのに、茨城県って「魅力度ランキング」が低かったりする。
ほんとに魅力がないんでしょうか。茨城が生み出すものを当たり前に消化するだけだった私たちが、その魅力を見落としてきただけだと思うんですよ。魅力がないわけじゃない。それを魅力だと思えなかったぼくたちにこそ問題がある。そして、そんな風に日本一の産品を当たり前に作れる県って、つまりそれこそ「豊か」さそのものなんじゃないかと思うんです。
生産品が「ブランド品」ではなく、日常に埋没する「コモディティ品」だから魅力がないように映ってしまう。ブランド品のほうがよく見えてしまうんですね。当たり前に日常を支えている商品だから、当たり前すぎて感謝の気持ちもなければ、その存在すらほとんど意識することがなかった。常磐エリアというのは、東京にとってそんな場所です。
でも、それって知っておくべきことだと僕は思います。なぜなら、日常を支え続けている常磐を忘れるということは、日常へのまなざしを放棄することと同じだからです。自分の命を育んでいるはずの日常の食が、ますます遠く離れ、忘れ去られてしまうからです。逆に、別に日常は支えてはいない高級店のアレやソレばっかり追い求めてしまう。
もちろん、生産者側の精神的な自立は必要でしょうし、これまで以上に広報やPRをしていく必要も出てくるでしょう。相互の関係を可視化あるいは体験化できる仕組み、例えばスタディツアーなどを展開していくことも求められるでしょう。安易に忘れられるコモディティだからこそ、「伝える」ことからは絶対に逃げられないと思います。
しかし、生産者が「伝えようとする」こと以上に、消費者としての私たちは「知ろうとする」ことを続けていかないといけません。自分たちの日常生活が、何によって支えられているのか、知ろうとする姿勢が大切なのではないでしょうか。
知ろうとすればするほど、常磐や福島やいわきに、つながるはずです。
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小松理虔
小松理虔/1979年福島県・いわき市小名浜生まれ。大学卒業後、福島テレビに入社し3年間報道記者をつとめ、2007年に上海へ移住。日本語教師、日本語情報誌の編集・ライターなどとして活動後、2009年に小名浜へと戻る。2010年4月にウェブマガジン『TETOTEONAHAMA』を創刊
http://www.tetoteonahama.com/
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(更新日:2015.07.01)