COLUMN
晴耕雨読のはなし

vol.1 PM5:00 ビールなう

【晴耕雨読】せいこううどく
①田園で世間の煩わしさを離れて、心穏やかに暮らすこと。晴れた日には田畑を耕し、雨の日には家に引きこもって読書する意から。
②昼間の食い扶持を得る仕事を「晴耕」、夜間や休日を利用したクリエイティブな副業的活動を「雨読」とし、二足のわらじを履くように2つを連動させ、日常を楽しもうというライフスタイルのこと。

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②のほうは、ぼくが勝手に策定したコンセプト。田舎に帰ったらそんな晴耕雨読の暮らしがしたいなあと思って、2009年頃、移住先の上海から出身地のいわきに戻ってきた頃に思いついた晴耕雨読の「新解釈」です。あれから5年経ちましたが、ぼくの今現在のライフスタイルは、その「晴耕雨読」そのもの。昼間は蒲鉾メーカーの広報担当として働き、夜間や休日は様々な企画を立ち上げたり取材したり記事を書いたりしながら、いわき市小名浜で「晴耕雨読」の暮らしを満喫できているような気がします。

 

唐突な話で、初めて聞く人にとってはピンと来ない「晴耕雨読」だと思いますが、この暮らしの中に、地方での暮らしを満喫するヒントや、日常をどこまでも楽しむコツを、ぼく自身がいくつも見つけることができました。そこでこのコラムでは、今回から6回にわたって、ぼく自身の晴耕雨読の暮らしを紐解きながら、皆さんと一緒に、これからの「地方でのライフスタイル」を考えていきたいと思います。どうぞ最後までおつき合いください。

 

自分の地元に帰りたい。地方でゆったりと暮らしたい。でも、自分の経験を活かせる仕事が見つかるか不安だし、満足できる収入を得られるか心配。そんな方が少なくないのではないでしょうか。都市部での暮らしに慣れてしまうと、「田舎で働きながら暮らす自分」のイメージがどうにも湧きにくいものです。

 

実際ぼくもそうでした。大学を卒業した後、福島県内のテレビ局で報道記者として3年間働き、その後移住先の上海で雑誌編集者として3年ほど働きました。しかし、地元のいわき市は製造業が産業の中心なので、メディア企業が多いわけではないし門戸が限られている。仮に運良く入社できたとしても自分のやりたいことをやらせてもらえるとは限りません。ましてや、それでそれなりの収入が得られるのかはまったくの未知数だったのです。

 

当時、ぼくが一番関心があったのは「ローカルメディア」でした。その町に息づいた暮らしや風景、ローカルな食べ物などを取り上げたメディアを作りたいと考えていたのです。しかし、そうした記事はカネになりにくいというのもわかっていたので、「独立」して食っていけるとも思いませんでした。スタートアップの資金もないし事務所もない。貯金もなければコネもない。いやそもそも起業する「度胸」がない。
しかし、幸い「時間」だけはある。ハローワークに通ってみると、多くの会社の勤務時間が「8時〜17時」であり、残業も首都圏ほど厳しくはない。17時キッカリに終わるというのは、これはちょっと素晴らしいことです。仮にぼくが都内のメディア企業に勤めていたら、午後5時は「さあこれからもうひと踏ん張りだ!」と気合いを入れ直す時間。ところがいわきでは、さっさと退勤できちゃうわけですから。

 

ちなみに、今のぼくの仕事(蒲鉾メーカーの広報/営業職)は、朝7時半出勤で夕方4時半退勤。会社は家から車で10分のところにあるので、定時で帰れば5時前には風呂に入り、夏ならまだ日の沈まぬうちからビールをプシュっとできちゃう。ツイッターに写真付きで「ビールなう」とか投稿すると、東京の友人から「ぐぬぬ」とかリプライが届いたりするわけですよね(笑)。この「ゆとり」こそ地方の優位性ですし、やはりこれを利用しない手はありません。

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話を戻しましょう。まあつまり「タイムイズマネー」です。地方は東京に比べれば断然給料が低いけれど、時間だけはたっぷりあります。仮に夕方5時に定時退勤して夜の12時に就寝するとすれば、「7時間」もの自由時間がある。食事や風呂の時間を考慮しても、寝るまでの間に軽く5、6時間は確保でき、その時間集中して作業すれば、日中の仕事に匹敵するものができると考えたのです。ならば、昼間の仕事は「食い扶持を得る」ことで割り切ればいい。

 

そうしてぼくは、市内のメディア系の企業で働くことを諦め、ハローワークに通い、2009年の秋には地元の木材商社の営業として働くことになりました。昼間は食い扶持を得るために働き、夜間や休日を使って「自分のやりたいことをやる」という「晴耕雨読」の暮らしをスタートさせたのです。

 

もちろん、昼間の仕事は一生懸命やります。しかし、夜も一生懸命やります。何しろ自分がやりたいことなので、勝手に力が入ってしまう。ぼくの場合はローカルウェブマガジンの制作です。仕事が終わると、市内のさまざまな人やイベントや取り組みを取材したり、記事を書いたり、あるいはさまざまな人に寄稿をお願いしたり、それらを構築してウェブマガジン上に掲載したり。自分のやりたかったメディアはこれだ! と言わんばかりに毎日嬉々として作業を続けました。そうしてできたのが「TETOTEONAHAMA」です。

 

人に会って取材するわけですから名刺も必要です。「TETOTEONAHAMA編集長 小松理虔」と書いた名刺を作ってみました。すると不思議なことに、その名刺で様々な人に会え、「へえ、ウェブマガジンやってらっしゃるんですねえ」なんて、「ウェブマガジンの編集長をしている小松さん」が少しずつ広がっていく。会社も存在しない、法的には何の認可もない勝手な「TETOTEONAHAMA編集部」なのに、もともとそういう編集プロダクションがあったかのように実体が生まれ、社会の中にその存在が広がっていくわけです。(そうして今回の連載の仕事も頂けました。)

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ぼくの本名は「浩二」と言います。もちろん、晴耕(昼間の仕事)の名刺は本名です。しかし、晴耕の仕事環境というのはどうしても「業界外」の人たちとは結びつきにくい。名刺ホルダーを見ればわかります。現在は蒲鉾メーカーに勤めているので、水産加工業者や市場関係者、おみやげ屋さんなどの名刺が並んでいます。言い換えれば、「社会での階級が固定されてしまう」のが晴耕です。

 

しかし、雨読の活動で交換した方の名刺ホルダーには別の世界が広がっている。むしろこちらの名刺のほうが会いたい人に会える。名刺の多くは「普通に仕事しているだけでは絶対に出会えないであろう」人たちの名刺ばかり。業界や商売とはまったく関係がないわけですから、階級を易々と突破し、流動的になります。この連載もそうですね。雨読には「自分を拡張する機能」が備わっているのかもしれません。小松浩二(晴耕)と小松理虔(雨読)は同一人物であるのに、まったく違う世界が広がっている。これは「晴耕雨読」の面白さの最たるものかもしれません。

 

好きなことを仕事にする。それは大変すばらしいことです。しかし、それが難しい場合の生き方もあったほうが健康的。仕事にしないからこそ弱く続く、ということもあると思うのです。カネを気にしなくて済むので、思い切り自分のやりたいこと、突き抜けたことを実験的に続けられる。「しがらみ」も関係ありません。その「突き抜けた部分」に共鳴してくれる人も必ずいるもので、カネから解放されているがゆえに、そこからまた、新たなつながりが生まれてきたりもする。そうして結果的に「副収入」も生まれたりするわけですね。

 

もちろん、カネを否定はしません。当然大事です。昼間の「晴耕」の時間をしっかりと作るからこそ最低限の収入を得ることができ、ようやく「雨読」が続けていけるわけですから、「晴耕」と「雨読」別々では成り立ちません。やはり「晴耕雨読」と四字熟語になることで初めて成り立つライフスタイルなのだと思います。

 

しかしいずれにしても、このような「晴耕雨読」のライフスタイルは、やはり「時間」がもたらしてくれるものであり、その「時間」が「昼間の仕事が定時に終わる」ことからもたらされるものだと考えると、やはり「地方」のほうが実現しやすい。家族の暮らす土地で、あるいは自分の住みたい土地で、やりたいことをやり、会いたい人に会え、時間にも余裕が生まれ、夕方5時にビールが飲める。ぼくはとてもいい暮らしだと思うんですよね。

 

そんな晴耕雨読の暮らし。次回からはさらに多角的に、さらに深く考えていこうと思います。さて、次回はどんな風に取り上げようか。ゆったりとしたこの雨読時間、ビールでも飲みながら考えてみようと思います。

 

つづく

晴耕雨読のはなし
小松理虔

小松理虔/1979年福島県・いわき市小名浜生まれ。大学卒業後、福島テレビに入社し3年間報道記者をつとめ、2007年に上海へ移住。日本語教師、日本語情報誌の編集・ライターなどとして活動後、2009年に小名浜へと戻る。2010年4月にウェブマガジン『TETOTEONAHAMA』を創刊
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