ある視点

最終回 これからの日常の生産者たち
今年1月に始まり、半年間にわたって連載してきた「晴耕雨読の話」も、今回が最終回になります。まずは、これまで連載をお読みくださった皆さん、これまで半年間に渡って、わたしの駄文を掲載してくださった雛形編集部の皆さんに御礼申し上げます。ありがとうございました。
で、最後に何を書こうとかと考えたら、やっぱりこれしかないなと思って、テーマは「小名浜のこれから」。これまで9回にわたって書いてきたことをぐるっとまとめつつ、小名浜の今後のことについていろいろ夢想してみようかなあと思っています。最後なので、最後までお付き合いくださいね。
思い起こせば、これまでいろいろな事例を取り上げつつ小名浜での暮らしぶりを紹介してきましたけれど、ずーっと言ってきたのは、要するに「日常の暮らしをいかに楽しむか」ということでした。だって、日常生活が楽しかったらほかに何も要らないじゃないですか。とてもヘルシーだと思うんです。
日常生活の楽しみ方については、連載のvol.01からvol.06まで、小名浜で僕が取り組んできたことを例に挙げて詳しく紹介してきました。具体的には「地域の中での場づくり」をテーマに書いたつもりです。小名浜以外でも実践できる具体的な手法を紹介したのは、「大きな1つ」に依存する社会ではなく、僕たちが主体的に「小さな集まり」をつくり、それらがたくさんつながっていく社会のほうに、未来を感じるからです。
僕がなぜこんなに「楽しむ」ことにこだわるのかと言えば、やはり震災が大きなきっかけです。今いるこの土地で、自分の人生を楽しみながら人生を全うしなくちゃいけないなと、いつも考えてしまうんですよね。天国にいる人たちが、「お前はしっかり生ききってるか?」って、見ているような気がするんです。
東日本大震災では2万人近くが命を落としました。皆さんきっと、これからの人生で叶えたい夢や、やりたいことや、楽しみたいあれこれをお持ちだったと思います。僕たちは、だから、犠牲になった方たちの分まで、しっかりと生ききらなければならない。でなければ、天国で合わせる顔がないと勝手に思っています。
楽しむことにこだわる理由はもう1つあります。福島第一原子力発電所の廃炉の問題です。原発事故の後始末。おそらく50年60年では終わらないでしょう。僕が生きている間に、原発事故の後始末は終わらないかもしれない。つまり、死ぬまでずっと、もしかしたらその後も、原発の後始末と付き合っていかなければならないってことです。
けれど、50年も60年も怒り続けられるかというと難しい。怒りや憎しみといった感情は消えることはないかもしれませんが、こと、いろいろな人たちを巻き込んでいくには、ポジティブな動機が欠かせません。それが「楽しむ」ということなんです。楽しいとかおもしろいとかおいしいとか、そういうポジティブな動機が“当事者性と持続性”を生み、より長い関心を引き出すことができると考えています。このことは、連載のvol.08でも詳しく書いています。
また、この連載では、福島が都市部の日常生活を支えるいろいろなものを生産していることをとりあげました。福島をはじめ多くの地方都市が、僕たちの便利で快適な日常を支えていたことを知りました。しかし実際は、それがあまりに当たり前のことになっていて、その存在が意識されることはほとんどありません。
でもね、震災で、多くの人たちが「当たり前って当たり前じゃなかったんだな」と気がつくことができたはずです。ならば、その気持ちを持ち続けて、“日常の当たり前”を問い直すことができたら、その問い直しはきっと福島につながってくるはずだと思うんです。だって、僕たちの日常を、福島が作っているわけですから。福島とは、日常という産物をつくる「生産者」なんですね。
もし、その“問い直す”という行為が、「楽しい」や「おいしい」と一体であるなら、僕たちの日常はどんどん楽しくなっていく。そして、楽しくなった結果、福島を忘れないでいることにつながっていく。つまりこれは“生産と消費のあり方を考える”ということでもあるのですが、そういう回路をどれだけ作っていけるかが勝負なのかもなあ、なんてことを考えています。
一方で、県外に暮らす人が福島について語ることは、ちょっと面倒なものになっているように思います。
ただでさえ福島に関する報道が激減する中、福島について語ると、イデオロギーや政治の問題に巻き込まれて、何らかのレッテルを貼られてしまうような事態になりやすくなっています。相反する極端な意見ばかりがSNSなどを通して空中戦で飛び交う状況に、「関わらないでおこう」と、一抹の面倒くささを感じる人もいらっしゃることでしょう。
震災直後から、粘り強く福島に関心を持って下さった人も、自分が県外に住んでいるということを気にされてか、「自分の発言で被災した人に迷惑がかからないか」と心配して、福島についてどう立ち位置を表明してよいかわからない、どんな風に福島を取り上げたらいいかわからない。そんな悩みを感じている人もいらっしゃるようです。
さきほど僕が言ったように“日常を問い直すことが福島につながる”って言ったって、そんなに実感を得られない人もきっと多いでしょう。でもね、そんな時だからこそ、やっぱり「百聞不如一見」なわけですね。行って、確かめて、人と会って、モノを食って欲しい。実際に「関わりを持つ」ことで、福島は「ヒトゴト」ではなくて「自分ゴト」になっていきます。誤った情報があれば、それもアップデートされることでしょう。
福島は、「課題先進地区」と言われるように、地方が抱えるさまざまな課題が、原発事故によってたちどころに炙り出されました。少子高齢化や移住の問題、農業や漁業など一次産業の問題、医療や教育の問題、いろいろです。しかし、山積みになっているからこそ、そうした問題を突破しようと、おもしろい人材がどんどん集まってきてもいるんですね。観光名所巡りも楽しいけれど、人に会いに行く旅も、おもしろいものです。
そして、そんな「少し面倒」なところだからこそ、楽しむ、遊ぶ、ということを大事にしていきたい。なので、僕はこれからも変わらず、自分の地元で、自分たちが楽しいと思うことだけを続けていきたいと思います。昨年娘が生まれたので、UDOK.もこれから託児所のようなところになるかもしれないし、そのうち寺子屋のようなところになっていくかもしれない。楽しいと思うことって変わっていきます。自分のライフステージに応じて、オルタナティブスペースも変わっていくべきなんです。
これまでの「地方からの発信」って、外の人に向けてばかりでした。震災後の福島もそうでした。県外の人たちに風評被害払拭をアピールしようとあの手この手で福島の情報を発信してきた。けれど、いくら外向きにアピールしても、内側の人たちがしらけていたら、旅に来た人たちを失望させてしまいます。方向が逆。内側に向けた発信がなくちゃいけません。
その地域が、いわば自己完結的にとことん何かを楽しんでいれば、楽しさが徐々に溢れ出していって外の人に伝わり、「なんか楽しそうだな」って人は集まってくれます。インターネットって、要するに「扉を開けっ放しにしておくため」の道具だと思うんです。今までは外に伝える拡声器的な役割が求められてましたけれど。これからは、ますます「内側への発信」が重要になります。
そんなわけで、僕個人は、今やっていることを事業化したりせずに、個人の欲求の赴くまま、来るもの拒まず、晴耕雨読の暮らしをまったりと楽しんでいくだろうし、その気がなくなれば終わることもあるだろうし、まあとにかく今の暮らしを楽しんでいきたいと思っています。で、そんな小さな集まりがたくさんつながって、アメーバのように増殖していくと、日本は、地方はどんどんおもしろくなっていくだろうなあ。小名浜も、その一部になれますように。
おわり
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小松理虔
小松理虔/1979年福島県・いわき市小名浜生まれ。大学卒業後、福島テレビに入社し3年間報道記者をつとめ、2007年に上海へ移住。日本語教師、日本語情報誌の編集・ライターなどとして活動後、2009年に小名浜へと戻る。2010年4月にウェブマガジン『TETOTEONAHAMA』を創刊
http://www.tetoteonahama.com/
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