特集 宮崎県・日之影町
眩しいほどにいい話

竹かごの「用の美」の伝統を継ぐ|ひのかげの、眩しいほどにいい話その②

のどかな田舎の風景に目を凝らせば、ずっと昔から伝えられてきた知恵や豊かさが潜んでいるのがわかる。「田舎にはなにもない」なんて思っている人の目にはきっと深い霧がかかっている。

海抜1000メートル超の山々が連なる山間部の町・日之影(ひのかげ)町を初めて訪れたとき、平野部がほとんどないこの土地には商店街もスーパーも見当たらず、一体この町の人たちはどうやって暮らしているのだろうと不思議だったけれども、だんだん見えてきたのは、ここに生きる人たちの暮らしはこの町の山や川や自然と深いところで分ちがたく結びついている、ということだった。

2015年12月、日之影町と高千穂町、五ヶ瀬町、諸塚村、椎葉村が、「高千穂郷・椎葉山の山間地農林業複合システム」として国際食糧農業機関(FAO)により世界農業遺産に認定された。世界農業遺産とは「伝統的農業や農法や農村文化や景観等の保全や継続を目的として認定する制度」。ずっとずっと昔から長く伝統として受け継がれてきた、この地域の山間地の地形や特長を生かした自然調和型の農林業や、神楽や歌舞伎のような農村文化が、世界的に見てもユニークで素晴らしい遺産であると認められたということだ。この土地で生きる人の営み、農業、そして文化の豊かさに、もう一度しっかりと目を向けてみたい。

写真:小板橋基希 文:空豆みきお

l1019626img_6503

暮らしのまんなかに「竹かご」があった

日之影の町のほとんどを占める急峻な山々には、美しく壮大な棚田が広がっている。驚くほど見事な石垣が積まれている田んぼもある。地形をうまく利用した畑もある。農業は昔から今に至るまで日之影の町の重要な産業のひとつだ。

この「険しい山の斜面において営まれる農業」において重要な役割を担う道具、それが〈かるい〉と呼ばれる竹の背負いかごである。〈かるい〉は「背負う」という意味の方言「からう」に由来している。この背負いかごにはお弁当や鎌も入るし収穫物も入るからすごく便利で、畑へ行くときには欠かすことができない。背負いカゴであればいつでも両手が空いているので、山の斜面の上り下りなどのときにも手が使えるから都合が良い。仕事をするために、生きていくために、なくてはならない必需品なのだ。この〈かるい〉はずっと昔からこの町の竹を原料に、この町で作られてきた。いつしかそれを専門とする竹細工職人も生まれた。「こんな大きさの、こんなふうなカゴを作ってほしい」という依頼人それぞれの要望に合わせて、竹細工職人はひとつひとつ手づくりしていったのだという。職人たちは各々が技術を競い、究めていったので、彼らが作る竹細工はとても実用的で、丈夫で、繊細で、美しかった。実際、この取材の間にも、何十年も前に作られた竹かごが今も大切に使われている場面に出くわすこともあった。〈日之影町竹細工資料館〉に展示されている道具の数々の芸術的な美しさは感動的だ。竹かごを愛する人なら、この町の有名な竹細工職人であった、廣島一夫さんと飯干五男さんの名前を聞いたことがあるかもしれない。彼らは日之影が生んだ竹細工の名匠であり、全国さらに世界にまで名を馳せたスターであった。

img_6464

日之影が誇る日本の名工、故・廣島一夫さん。15才の頃から約80年に渡って竹細工づくり一筋に生きてきたレジェンドだ。

移り住んで、この町の伝統の技を継ぐひと

美しい竹かごの町・日之影に育まれたこの技と伝統を継ぐ、おそらくただひとりの現役の職人である小川鉄平さんは、2000年に単身日之影にやってきた移住者だ。日本中の職人さんの手仕事を見て学び巡る旅をしていたところ、日之影で〈かるい〉づくりの名人である飯干さんに出会い、弟子入りを決意し、暮らし始めた。3年ほどのあいだ飯干さんから直接の手ほどきを受け、その技術を学んだ。ときにはもう一人の名匠・廣島一夫さんとも会って言葉を交わすこともあったという。

img_6566
img_6609

名匠ふたりの技を知り学んだ職人は小川さんの他にはほとんど見当たらない。小川さんはのちに独立し、以来、お客さんからの注文に応じた竹細工づくりで暮らしている。日之影で結婚もした。お子さんも生まれた。仕事も途切れることはない。都会からの注文も多いけれど、日之影とその周辺の村にはいまだに「かるい」の注文をくれる人が少なからずいて、なかには「かるいがなくては外出する気にもならない」という年配の住民もいるのだという。〈かるい〉をはじめとする竹かごはナイと困る、欠かすことのできない暮らしの必需品であり、これだけモノの豊かなはずの現代においてさえ他のナニモノにも代えがたい代物なのだ。小川さんが日之影を初めて訪れたときに見た光景もそうだった。山道を歩くおばあちゃんが〈かるい〉を背負っているのを見て感銘を受けたことを小川さんは今もはっきりと覚えている。「〈かるい〉は今も、暮らしのなかに生きている現役の道具なのだ」と。

img_6597

集落を巡り、竹かごに出会い、記憶を探って

私たち取材チームが日之影を訪ねた2016年の夏、小川さんは秋から始まる展示会の準備で忙しかった。「日之影の竹細工職人 廣島一夫さんの仕事」と題されたこのイベントでは廣島さんや飯干さんの竹かご約30点を、東京のギャラリーで展示する予定なのだという。この日、小川さんは、廣島さんの暮らした家があった樅木尾(もんぎゅう)という集落へと車を走らせた。標高700メートルにある、それはそれは山奥の、5軒ほどの家があるだけの小さな集落。昔から今に至るまでずっと使い続けられている竹かごを見るため、そして竹かごの持ち主に、展示会への協力をお願いするためだ。

img_6534
img_6528
img_6400

廣島さんの甥にあたる善正さんご夫婦は、時々こうして顔を見せる小川さんを、その日も笑顔で出迎えてくれた。まるで自分の息子を迎えるかのように〈あくまき〉や〈たけのこ寿し〉を作って待っていてくれた。廣島さんの竹かごづくりについていろいろ質問する小川さんにニコニコとして答えてくれていた。一夫さんの写真を見せてくれたり、昔話を聞かせてくれたりした。しいたけの選別につかう〈なばとおし〉という竹かごの話もしてくれた。「鉄平クンのような後継者がおるから(廣島一夫さんの)カゴの価値がこれからも伝わっていく」のだと、喜んでいた。

l1019649
img_6500
img_6479

まるで息子のように、小川さんを温かく迎えてくれた廣島善正さんご夫妻。食卓には、日之影の名物である「たけのこ寿司」が並んだ。話題の中心は、廣島一夫さんの竹かごづくりのこと。古い写真もたくさん見せてくれた。

隣の家の、うたこさんも、小川さんが来るのを、竹かごをいくつも用意して待っていてくれた。いつごろから、どんなふうに暮らしのなかで使われてきたものなのか、小川さんは質問し、うたこさんから昔話を収集していた。たくさん話すうちに、うたこさんは古い屋根裏部屋にもカゴがあることを思い出して、そこにあった別のカゴを見せてくれた。小川さんは目を輝かせながら「展示会の前に、改めてお借りしに伺いますね」と挨拶した。

img_6404

img_6425
img_6440

私たちがその日に見た小川さんは、職人というよりも、暮らしに息づく竹かごの文化や歴史をリサーチするフィールドワーカーだった。そして、移住者というよりも、竹かごを愛する日之影の人たちに愛されている地域の若者だった。

l1019651

山に学び、森に学び、先人に学んで

小川さんは今、竹細工職人として働くだけでなく、移住者としての自身の経験を生かして、日之影町の「移住定住支援コーディネーター」の役割も担い、行政の手伝いをしている。日之影町への移住を希望する人からの相談に応じたり、移住者の住居となりうるような空き家の調査をしたり、というようなことをする。移住して15年にもなる小川さんの豊富な経験が、移住を希望する人と移住者を増やしたい町とを繋ぐチカラになると期待されているのだ。

img_6614

さらに、小川さんがいま、こころのなかに温めているテーマは「子どもの教育」に関わることだ。「こどもの学びの場として、日之影の自然のなかで『森の学校』のようなものが作れたらすごくいいだろうなあと考えています。この町が世界農業遺産に認定された理由は、昔からの暮らしがある程度そのままに残っているからでしょう。おじいちゃんやおばあちゃんや昔の人たちが、山でどんなふうに暮らしていたのか。その知恵を学びながら、自分の足や手や道具を使って、火をおこしたり、食べ物を見つけたり、料理をしたり、失敗したりという体験を自分の体に刻み込んでいく。そんなことを、いつか、やっていきたいんです。子どもの教育は、移住を決める際の大きなポイントですしね」と語ってくれた。

l1019728

のどかな田舎の風景のなかには、ずっと昔から伝えられてきた知恵や豊かさが潜んでいる。日之影には大きな商店街もスーパーもないけど、それが一体なんだろう。目の前にある、たったひとつの丈夫で美しい竹かごに目を凝らせば、そこには素晴らしい知恵と伝統がギュッと凝縮されて命を宿しているのがわかるはずだ。もしその価値が時代とともに見えづらくなっているのなら、その靄を振り払って、もう一度見つけ出さなければならない。脈々と受け継がれてきた知恵と文化こそ地域の財産だ。それを先人たちから受け継ぎ次代に伝えることが、地域に生きる私たちの大事なつとめなのだと、僕らはもうすでにこころのどこかで気づいていると思うのだが、どうだろう?

IMG_6623

「日之影の竹細工職人   廣島一夫さんの仕事」展
宮崎県西臼杵郡日之影町で作られ、使われ、残されている廣島一夫さんの竹細工30点ほどを展示いたします。そのほか、廣島さんとともに日之影を代表する背負い籠「カルイ」を専門に作っていた飯干五男さんの作品、廣島さんから技術を受け継いだ若き担い手・井上克彦さん、小川鉄平さんの作品も合わせてご覧いただけます。
日程:
2016年10月6日(木)〜11月13日(日)
会場:gallery KEIAN(東京都文京区白山4-8-11 電話 03-3941-0022)
時間:11:00〜18:00
休み:月・火・水
gallerykeian@gmail.com

関連イベント
10月9日(日)16:00-18:00
「廣島一夫さんの魅力」
井上克彦(熊本県、竹細工職人)
聞き手:稲垣尚友(竹細工 トカラ塾主催)

11月5日(土)16:00-18:00
「廣島一夫さんから伝えられたもの」
小川鉄平(宮崎県、竹細工職人)
聞き手:稲垣尚友(竹細工 トカラ塾主催)
※お話会の定員は25名、参加費は1500円(お茶付き)
9月1日(木)より、メールにて受け付け開始予定
お話会開催日の一般の開場時間は
11:00-15:00とさせて頂きます

講習会
11月3日(木)10:00-16:00
「味噌漉しを編む」
講師:勢司恵美(茨城県、竹細工職人)
講習会の定員は8名、参加費は6000円(お昼付き)

竹かごの「用の美」の伝統を継ぐ|ひのかげの、眩しいほどにいい話その②
小川鉄平さん おがわ・てっぺい/1975年生まれ、名古屋市出身。日本全国の職人の手仕事を見て回る旅先で宮崎県日之影町に立寄り、〈かるい〉と呼ばれる背負いかごをつくる名人・飯干五男氏に出会い、入門を決意。2001年、日之影町に移住する。飯干氏のもと、基礎から竹細工の技を学び、3年の修業期間を経て独立。以来、独自に研鑽を積みながら竹かごづくりに励む日々を送り、現在では日之影に伝えられてきた手仕事の技を継承するほぼ唯一の存在となっている。結婚し2児の父であるとともに、2016年からは町の移住定住支援コーディネーターも務め、自身の移住の経験を生かしながら移住希望者の相談に応じるほか、町の空き家調査も行っている。また、飯干氏やもうひとりの町の名人・廣島一夫氏さらにそれ以前の町の先人たちの仕事を掘り起こす展示会等も企画し、素晴らしき日之影の文化をひろく全国に伝える活動にも力を入れている。
(更新日:2016.09.30)
特集 ー 宮崎県・日之影町
眩しいほどにいい話

特集

宮崎県・日之影町
眩しいほどにいい話
山、川、星がくっきり見える大自然を有する宮崎県北部の小さな町、日之影町。人、自然、伝統文化……まぶしく輝くまちの魅力をお伝えします。
竹かごの「用の美」の伝統を継ぐ|ひのかげの、眩しいほどにいい話その②

最新の記事

特集

ある視点