特集 いま気になる、あの人の話

経験していない出来事を、 人はどう伝え継ぐのか? 歴史に刻まれない、市井の人々の記録をなぞる。/松本篤さん(AHA!)

ホームムービー、記念写真、日記、手紙……。「AHA!」は、当事者以外にとっては、あまりにささやかで、一見関係がないと思われるような市井の人々の記録をアーカイブしていくプロジェクトだ。

歴史に刻まれるような大々的な出来事ではなく、個人によって残された記録を集め、彼らの声に耳を傾けることで、どんな世界が見えてくるのか。

企画者である松本篤さんが、進行中のプログラム「サンデー・インタビュアーズ」の舞台である東京・世田谷を歩きながら、これまでの活動を振り返り、耳をすます理由を探っていく。

文:兵藤育子 写真:熊谷直子

当事者さえ忘れている、
「個人の記録」に価値を見出す

特別な日、あるいはなんてことのない日常の一コマを切り取ったホームムービーや写真、日々の出来事を淡々と綴った日記、誰かにもらって大切にしまっていた手紙。押入れや引き出しの奥に眠っている、当事者でさえ存在を忘れてしまっているような私的な記録を収集し、そこに潜んでいる声に耳をすます、「AHA!」というプロジェクトがある。[Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]の頭文字なのだが、この壮大なネーミングについて企画者の松本篤さんはこう語る。

「映像を扱うプロジェクトとして始めたので、言葉らしい言葉にしたくなくて、驚いたり何かを発見したときのような、感嘆詞をイメージしました。だから意味自体は、後付けだったりします。市井の人々の記録をもっと広く捉えたら、『人類の営みのためのアーカイブ』だなって。大風呂敷を広げた感じで、恥ずかしくもあるんですけど」

AHA!」プロジェクトを企画するのは、松本さんもメンバーであるNPO法人「記録と表現とメディアのための組織(以下、remo)」だ。2002年の発足時に掲げたコンセプトは、「文房具としての映像」。YouTubeもiPhoneもまだ誕生していなかったが、この先、映像を使ったコミュニケーションが増えていくだろうという目論見があった。

「当時の映像は、たとえばテレビのようにいわゆるプロが作ったものを受け取るだけの、一方向の関係性でした。今後、映像が増えていったら、自分たちでも発信したり、発信せずとも受け止める力が必要になるのではないか。だからこそ文房具のように馴染みのあるコミュニケーションツールとして、映像の使い方を試したり、提案しようという志で始まりました」

remoには、子どもを対象にしたワークショップを企画する人、映像で広告を作る人、映像作品の展覧会を企画する人、あるいは社会運動に関わるようなメンバーもいて、映像を軸にさまざまなベクトルで活動を展開していた。そんななか、松本さんが主体となってプロジェクトを立ち上げることになったとき、一見なんてことのない個人の記録や表現の「これから」を考えるには、「これまで」に目を向ける必要性があると考えた。それは過去のメディアと化していた、8ミリフィルムだった。

NPO法人「記録と表現とメディアのための組織」のメンバーで、アーカイブ・プロジェクト「AHA!」を企画・運営する松本篤さん。約20年ほど前から、個人の記録や表現に着目し、現在もその可能性を模索している。

“経験していない”出来事を、
人はどう伝え継いでいくのか?

当時、remoが事務所を構えていたのは、通天閣やジャンジャン横丁で知られる大阪の新世界。商店がひしめく下町で、個人が撮影した8ミリフィルムを発掘して、ひと昔前の街並みが映っているような映像を地元の人と共有しようと考えたのだ。2005年にremoの1プロジェクトとしてAHA!を立ち上げる際、構想のきっかけとなったのが、10年前に起こった阪神淡路大震災。兵庫県内に暮らしていた当時中学生の松本さんは、一日だけボランティア活動に参加する。

「被災地が近づくにつれブルーシートが多くなり、くすぶった匂いがきつくなっていったのを覚えています。小学校の体育館が避難所になっていたのですが、運動場に続く扉のところにお腹の膨らんだ女性が立って、外を見ていました。そのときは特に何も思わなかったんですが、10年後、企画を考えていたときに、なぜかふとその光景を思い出したんですよね。女性のお腹にいた子どもが無事に生まれて成長していたら、今は10歳になっている。その子は震災を経験していないけれども、お母さんからどんなふうに伝え聞いているのだろう、と」

50年ほど前の、「サンデー・インタビュアーズ」の舞台である東京・世田谷三軒茶屋の風景。路面電車「玉電」が走っていた。

2005年は、折しも戦後60年。テレビなどで記憶の継承について取り沙汰されていたのもオーバーラップし、「経験していない出来事を人はどうやって受け継いでいくのか」、あるいは「経験していない人にどうやって伝えていくのか」が、松本さんのなかで大きなテーマとなっていく。

松本さんが立っている三角地帯付近には、手動で踏切を操作する「物見台」があった。この近くのそば屋で修行をしていた人が、物見台に出前を届けるとき、線路でそばをひっくり返してしまったというエピソードがある。「そういう話を聞くと、現在の風景に他者の記憶がレイヤーとして重なって、生き生きと見えてきますよね」

そもそも8ミリフィルムが一般家庭に普及したのは、昭和30年代から昭和50年代にかけて。松本さんいわく、昭和30年代は新しいもの好きや生活に余裕のある人が、最新の遊び道具として購入するようになり、大阪万博のあった昭和45年頃に大流行する。ただし一家に一台が当たり前だったわけではなく、撮影カメラを貸し借りして、フィルムだけ各家庭で保管するケースも多かったようだ。昭和50年代になると斜陽になり、やがてVHSやベータマックスのようなビデオと入れ替わっていく。

「AHA!を始めた当時、博物館や美術館にも8ミリフィルムのアーカイブはありましたが、有名な商業映画や記録映画など資料的価値が高いとみなされるものが主流でした。普通の人が撮った普通の映像がアーカイブの対象になることは、まずなかったのではないでしょうか」

『世田谷クロニクル1936-83』で、約30名から提供してもらった8ミリフィルムには、復興を遂げた街の様子や、高度経済成長期の暮らしぶりが収められている。

アーカイブすることで見えてきた、
記録周辺にある「見えない記憶」

新世界で8ミリフィルムの収集を始めるものの思うように進まず、手当り次第にチラシを配っても反応は芳しくなかった。そんななか、ある老人との出会いが、不安を一気に吹き飛ばしてくれる。

「チラシを持って飛び込みで入った雀荘のご主人が、8ミリフィルムの提供をあっさり承諾してくれました。そこでまずは映写機をご自宅に持ち込んで、保管していたフィルムに何が映っているのか一緒に確認する、プライベートな上映会を行ったんです」

撮影者である老人のほか、妻や子どもたちなど家族が集合。自宅にお邪魔した松本さんは、そこでちょっとした違和感を覚える。時計が時刻をアナウンスしたり、携帯電話が音声案内をしたりなど、家中に音が溢れているのだ。そして、ようやく気づく。その老人は、視力をほとんど失っていたのだ。少しでも見えやすいよう夫婦でスクリーンの前に座ってもらって、上映を開始。映し出されたのは、新大阪駅から新幹線こだまに乗って東京方面ヘ向かう様子や、山登りをしている様子など、新婚旅行の映像だった。

8ミリフィルムを保管していても、映写機のない家庭がほとんど。そのためAHA!が用意した映写機で、家族とスタッフのみのプライベート上映会を行う。(写真提供:AHA!)

「おばあさんが、スクリーンに映っているものをその都度説明していったのですが、おじいさんの反応があまりよくない。それでも徐々に思い出してきたようで、急におにぎりの話を始めたんです。『山登りをしたとき、おにぎりを持たせてもらって、山の上で食べたのはうまかったなあ』と。その映像が出てくるとばかり思っていたんですけど、最後まで出てこなかった。それなのに、ふたりでおにぎりを頬張っているシーンを、僕たちは自然と思い浮かべていたんです」

個人の「記録」をアーカイブすることは、その“周辺にある”「記憶」も一緒にアーカイブすることができる。松本さんは初めての上映会を通して実感した。

「見えないものを見るって、こういうことなのかなと思いました。本来、アーカイブは保存という役割が大きいですが、記憶を思い出せる場所になるような、生きたアーカイブにしたいという思いが強くなりました」

こうしたプライベートの上映会を経て収集した8ミリフィルムは、鑑賞会を通して地域住民などより多くの人に公開された。ほとんどの映像は無音なのだが、それが逆に活発な語りの場に。映像提供者の話だけでなく、それらをフックに参加者が思い出したことを自由に発言していく、ライブパフォーマンスのようなスタイルができあがっていった。

(写真提供:AHA!)

頭の中で“記憶のフィルム”が
再生されるまで、じっと待つ

現在のAHA!がアーカイブの対象にしているのは、映像に限らない。一例をあげると、『はな子のいる風景』という記録集では記念写真に着目。2016年、井の頭自然文化園で69年の生涯を閉じた象のはな子と撮影した写真を、広く募集。異なる時代の人々が、はな子とともに写真に収まる姿を並べて、記憶の断片をつなぎ合わせることで、喪失と再生を追体験する試みだ。

『はな子のいる風景:イメージを(ひっ)くりかえす』は、象のはな子の前に立って記念撮影をした人々、飼育員による日誌、新聞記事など私的・公的な記録の断片の集積によって編まれた記録集。写真提供者には、これまで失った大切なものにまつわる質問を投げかけ、はな子が生きた69年の間に我々が失ってきたもののアーカイブにもなっている。(写真提供:AHA!)

進行中の『なぞるとずれる』というプロジェクトでは、岐阜のとある村から出征した兵士たちに宛てて、子どもたちが書いた手紙に着目。村で保管されていたこれらの手紙は、40年ほど前に写し取られ、冊子にまとめられていた。松本さんは戦時中にこの手紙を書いた人、そして40年前に手紙を写し取った人と会い、どんな思いで手紙を書き、なぞっていったのかを聞くことで、時間とともにずれていく記憶とどう向き合うかを問いかける。

出征した家族や知人を思い浮かべつつ、誰が読んでも支障がないよう「ヘイタイサン」に宛てて書かれた戦時中の手紙。『なぞるとずれる』は、文面を読んだだけでは見えてこない、当時の記憶を掘り起こす。

8ミリフィルムのアーカイブは大阪だけでなく全国で展開していて、『世田谷クロニクル1936-83』もそのひとつ。2015年から始まったこのプロジェクトは、ウェブサイトを開設して映像を自由に閲覧できるようにするなど、収集した映像の利活用にも重きを置いているのが特徴だ。昨年開催された展覧会『世田谷クロニクル 1936-83』では、昭和の世田谷を映した84巻の8ミリフィルムとともに、フィルム提供者による口述の生活史『12人のオーラル・ヒストリー』を紹介している。

映像をフックにあふれ出てきた記憶をまとめた『12人のオーラル・ヒストリー』。短編小説のような物語性が、どの語りからもにじみ出ている。(写真:「雛形」編集部)

「フィルム提供者と一緒に映像を見るときの僕らの作業として、その方の話をもとに、撮影時期や場所、内容、長さなどをカルテに記入していきます。先ほどのおにぎりの話のように、映像には映っていないエピソードが出てくるタイミングが必ずと言っていいほどあって、映像とまったく関係ない話になっていくこともあります。おそらく通常のアーカイブだったら、無駄なものとして切ってしまうのでしょうけど、僕らからするとむしろそれが一番面白いところだったりもするのです」

『12人のオーラル・ヒストリー』は、映像からはみ出た語りをまとめたもの。親戚が集まって鍋をつついている映像を通して、なぜか戦時中に竹槍訓練をさせられる母親の真剣な表情を思い出した人もいれば、疎開先の秩父に映写機とフィルムを持っていき、父が撮影した上野動物園の映像を野外上映したことを生き生きと語る人も。こういった語りに松本さんは、受け身になって耳を傾けていく。

「質問も一応考えておくのですが、困ったときに聞くこととして用意している程度。僕らが想定して尋ねることより、その人が頭に持っていることのほうが絶対に面白いので。頭のフィルムがかかるまで、じっと待つような感じです」

 

人は、記録を残すレコーダーであり、
誰かに伝えるプレーヤーである

アーカイブの利活用という点で、松本さんが重要視しているのは、他者によって残された記録に耳をすますことで自分たちの視点を見つけ、それをより多くの人と共有すること。

「過去の映像を単に懐かしいとか、古き良き時代という印象で終わらせるのではなく、より深く映像を見て、自分たちが生きている現代と比べながら、考えを深めていきたい。働き方や余暇のあり方も含めて、自分たちのいる場所や時代について、一緒に考える仲間づくりをしたいのです」

 その一環として取り組んでいるのが『サンデー・インタビュアーズ』だ。月に一度オンラインで集まった人たちが、事前にじっくり鑑賞した『世田谷クロニクル』の映像について自由な視点で話し合う。そして、それぞれに得た気づきや発見を深めるために、誰かに話を聞きにいったり、文献にあたってみるというワークショップだ。参加の対象としているのは、いわゆるロスジェネ世代(38-50歳)。かつてカメラのファインダーを覗き込んでいた撮影者の世代ではなく、ファインダーの先にいた被写体の世代の視点から昭和のホームムービーを捉え直すことがねらいだ。

 

「僕たちがアーカイブを通してやりたいのは、個人の記録をなぞることで体感できる場を作ること。そもそも人は、記録を残すレコーダーと、それを誰かに伝えるプレイヤーという両方の機能を持っていますよね。レコーダーであり、プレーヤーであることは、ひとりひとりがメディアになっていることを意味します。誰もが本当は知っているはずの、聞くことや伝えることの価値をもう一度指し示すためにも、個人の記録のアーカイブが必要なのです」

「人類の営みとしてのアーカイブ」は、決して大げさなネーミングではなく、人が当たり前にやってきたことの価値に気づかせてくれるものなのかもしれない。

他者の記憶に耳をすますことで見えてくる、私たちの現在地。
「サンデー・インタビュアーズ」参加者募集中!


世田谷で収集された昭和の8ミリフィルムのアーカイブサイト『世田谷クロニクル1936-83』。これらの映像に映っている風景を手がかりに「今」という時代と出会い直す、参加型のプログラムを実施します。各自で『世田谷クロニクル1936-83』に公開されている映像をじっくり観て、オンラインで仲間と自由に話し合い、気づきや発見をインタビューなどで深めていく、3つのステップで構成。他者の残した記録をフックに、現代という時代を照らし出す━━そんな楽しさを分かち合うメンバーを募集します!


オンライン説明会:
2021年7月9日(金)19:00–20:00
2021年7月11日(日)10:00–11:00
※まずは、いずれかの説明会にお申し込みの上、ご参加ください。


活動期間:2021年7月~2022年1月(内オンライン・ワークショップは全7回)
定員:若干名
参加費:無料
参加方法:
以下のウェブサイトをご確認のうえ、募集説明会にお申し込みください。
HP:https://aha.ne.jp/si/
お問い合わせ:事務局 NPO法人記録とメディアと表現のための組織(remo)
info@aha.ne.jp


*「サンデー・インタビュアーズ」は、東京・世田谷で収集された昭和のホームムービーを利活用するコミュニティ・アーカイブのプロジェクト「移動する中心|GAYA」の一環として2019年に始動しました。映像の再生をきっかけに紡がれた個々の語りを拾い上げ、プロジェクトを共に動かす担い手づくりを目指し、東京アートポイント計画の一環として実施しています。


主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、公益財団法人せたがや文化財団 生活工房、特定非営利活動法人記録とメディアと表現のための組織[remo]

経験していない出来事を、 人はどう伝え継ぐのか? 歴史に刻まれない、市井の人々の記録をなぞる。/松本篤さん(remo)
松本 篤さん まつもと・あつし/1981年兵庫県生まれ。大阪府在住。2003年よりNPO法人「記録と表現とメディアのための組織(remo)」に参加。2005年よりAHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]世話人。2015年、昭和の世田谷を映した8ミリフィルムをデジタルアーカイブする活動「穴アーカイブ」をスタート。2020年、その取り組みを展覧会へと発展させた『世田谷クロニクル1936-83』を企画。主な編著に記録集『はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす』(武蔵野市立吉祥寺美術館 2017)、共著に『フィールド映像術』(古今書院 2015)など。
https://aha.ne.jp/
(更新日:2021.06.14)
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映画監督、キュレーター、俳優、詩人、ボディワーカー……。変わり続ける生活のなかで、彼らが何を感じ、考え、表現しようとしているのか。気になるあの人に会いにいく。
経験していない出来事を、 人はどう伝え継ぐのか? 歴史に刻まれない、市井の人々の記録をなぞる。/松本篤さん(remo)

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