特集 私の、ケツダン

看護師として恩返し。「町のために」が受け継がれる場所<鳥取県・日野町>

「町をしっかりせんといけん」。今から約15年前、多くの赤字を抱えていた鳥取県・日野町の「日野病院」で働く生田哲二さん(以下、生田さん)は、「町一番の事業所である日野病院の活性化が、町の活性化につながる」と考えた。毎朝受付に立って患者さんとの距離を少しずつ狭めていき、さらに教育に尽力した日野病院は、赤字財政から見事な復活劇を遂げた。

日野病院の看護師1年目の松本美紀さん(以下、美紀さん)は、高校時代は全国大会で優勝を果たすほどソフトテニスに打ち込んでいたが、いのちを扱う看護師になる道を選んだ。同級生の多くが県外へ出て行く中、故郷である日野町に迷うことなく帰ってきた美紀さん。日野病院で看護師として働くことで、今度は自分が恩返ししたいという。

生田さんが、病院から町を活性化しようと思ったのは何がきっかけだったのだろう。美紀さんはどうして恩返しをしたいと思ったのだろうか。生田さんや美紀さんを育んだ日野町の人々の姿を通して、故郷について考えてみたい。

写真:波田野州平 文:中山早織

だんだん芽生えてきた、
「町のために」という思い

鳥取県西南部の人口わずか3100人の町、日野町。その中心を流れる日野川にぐるりと囲まれた場所に「日野病院」はある。21の専門診療科があり、手術や透析をはじめ、MRIなど大病院では受けるのに何週間も待たないといけないような検査も、ここではすぐに受けることができる。
また、公共交通機関が少ないエリアへの送迎や、訪問診察や看護・リハビリといった在宅医療にも力を入れ、「出かける医療・近づく医療」を実践している、町民からの信頼が厚い病院だ。

朝の日野病院には、副病院長である生田さんの姿がある。毎朝7時半から受付機の横に立ち、患者さんを出迎えるのが生田さんの日課だ。

「ここにいるとね、顔を覚えてもらえて、自分らも患者さんの顔を見ると何科に行かれるかわかるから案内して。日頃からそういう関係を作っておくことが大切かなって思うんです」

生田さんが日野病院で働きだしたのは、今から15年ほど前。当時約6億円もの赤字があったという日野病院再建のため、役場の財政係にいた生田さんは日野病院へと派遣されることになる。その頃は健康で、病院に行くこともほとんどなかったという生田さん。全く未知の分野で、莫大な赤字経営の立て直しに奔走する日々は過酷を極めたという。

しかし、町民の顔が直接は見えづらかった役場の仕事と違い、自分のしたことがダイレクトに跳ね返ってくる病院での仕事に、徐々にやりがいを感じるようになっていった。そんな生田さんだが、約5年前、息子さんが地元・日野町に帰ってくることになったとき、町の危機が自分ごとになった。

「中学を卒業して、高校も大学も就職先も鳥取県外だった息子から『日野町に帰る』と言われたときに、『就職先ないぞ?』って焦りました。結局役場に勤めることになったけど、このままだと日野町自体もいつどうなるかわからない。そのとき初めて、次の世代のためにも町をしっかりせんといけんと思いました」

「日野病院」の副病院長、生田哲二さん。「あのまま役場の中でずっと計算ばかりしとったら、どんな人間になってたんだろう。ここで町民さんから感謝されてよかった」と、悪戯っぽく笑う。

生田さんは、町一番の事業所である日野病院が、町民から愛され、黒字になって元気を取り戻すことが、町全体の活性化につながるのではないかと考えた。そして、生田さんが行ったのが、人を育てることだった。

たとえば、中高生が看護を体験できる機会や看護学生の実習を積極的に受け入れ、丁寧で雰囲気の良い指導に努めた。緊張でガチガチの学生は、のびのびと実践させてもらえると自信がつく。次第に、「日野病院で実習をすると、見違えるほどしっかりして帰ってくる」と、看護学校の先生が生徒に日野病院への就職を薦めるようになったという。

チームの一員として働く美紀さん。撮影するときには皆さん下をむいてしまったが、ナースステーションは、緊張感の中にも、親戚や姉妹といるようなあたたかい雰囲気に満ちていた。

また、日野病院で学べない技術は、大学病院と連携して補える新人研修制度も整えた。評判が評判を呼び、来春2019年度に採用する新人看護師は、募集人数の5名を大きく上回る11名となった。これは、過去13年の看護師不足を解消する快挙だ。働く若い人が増えれば、日野町に住む人も増え、町の行事も活気づく。「役場ではなかなかできなかったことが、ここでならできると思った」と、生田さんは言う。

「日野町図書館」の出張ブース。本の貸し借りが気軽にできるようにと、町のいろいろな場所にある「よらいや図書館」が日野病院内にもある。場所に合わせて司書が選書した本が2、3カ月ごとに入れ替わる。

外来の待合室のインフォメーションシステム。待ち時間が長いという患者さんの声を反映し、待合室から離れていてもスマートフォンやPCから順番を確認できるシステムを導入している。また、画面下には病院からの情報を掲載。駐車場でライトがつけっぱなしになっている車があるときなども、ここで知らせているそう。

病棟のデイルームで息を飲みテレビドラマに集中する患者さんは、まるで自分の家にいるように寛いでいる。病院は本来病気を治す場所で、入院生活は心身ともに決して楽なものではない。しかし、病院全体が家族のように暖かいこの場所にいれば、そのしんどささえ軽減されるように見える。

「町民さんから、直接『ありがとう』って言ってもらえるから嬉しいですね。若い頃は仕事に一生懸命で、次は家庭や子どものこと。それらが落ち着いてくると、今度は町のためにっていう気持ちがだんだん生まれてくるんだと思います。私はそうでしたね」

生田さんは、少し遠くを見つめてから笑った。

自分の好きなところが、
ここだった。

そんな日野病院に、今年の春、日野町で生まれ育った一人の女の子が看護師となって帰ってきた。美紀さんは、笑うと歯科衛生士である姉仕込みの規則正しく並んだ白い歯が覗く、ハキハキと喋る女の子だ。

小さい頃から喘息で病院にかかっていた美紀さんは、看護師と接する機会が多かった。また、日野町はソフトテニスが盛んで、美紀さんも小学校2年生から始め、高校では全国大会で1位になるほどの腕前。ソフトテニスに真剣に打ち込む日々は、怪我とも隣り合わせだった。彼女は医療と身近に関わっていくうちに、自分も看護師になりたいと思うようになる。

「中学1年生の時、大事な試合直前に指を骨折しちゃったんです。試合は諦めて手術することになったけど、私が出ないとペアの3年生の先輩も出られない。やっぱりどうしても試合に出たいって思って、手術する日の朝に日野病院に『キャンセルしたい』って言いました。
手術したらラケット握れないけど、骨折しててもガチガチに固定すればラケットは握れたんで。病院にはすごい迷惑かけちゃったなと思うんですけど、お医者さんも、『試合に出たいなら、出ればいいよ』と言ってくれて。その試合で勝って全国大会が決まったんで、結果を出せたから良かったですけど(笑)。中学の卒業文集には看護師になりたいって書いていたから、たぶんその頃から思っていたのかな」

淡々と話す美紀さんだが、当時の壮絶な日々が伺えた。そんな美紀さんの思いを尊重して、怪我を治すだけでなく精神面もサポートしてくれる医師や看護師は、彼女にとって心強い存在だったのかもしれない。

美紀さんが小学校2年生のときから通っていたテニスコートは、日野病院のすぐ横。日野町はソフトテニスが盛んな町で、美紀さんのお母さんもお兄さんもお姉さんもやっている。

高校卒業後、ペアを組んでいた相方は東京の大学でソフトテニスを続けたが、美紀さんは看護師になるために鳥取市内の専門学校へ進んだ。そして、専門学校卒業後は日野町へ帰ってきた。中学校の同級生の女子11名のうち、現在日野町に暮らしているのは美紀さんともう一人と、少ない。
しかし、仲間の多くが鳥取県県外に出ていくことも、相方の大学での活躍も、美紀さんはどこ吹く風だ。

「実家が好きだから、都会に出たいとはまったく思わなかったですね。テニスでお金が稼げるわけじゃないし、私は看護師になりたいってのがあるから、趣味でやれればいいかな」と美紀さんはさらりと答える。そんな迷いのない美紀さんだが、故郷日野町にいたいと改めて感じたできごとがあったという。

「ひいおばあちゃんが亡くなったとき、看護学校で鳥取市内にいたからすぐ帰ってこられなくて、最期が看取れなかったのが悔しくて。日野町にいれば、家族に何かあっても近くにいられるから。近所に住んでいるおばあちゃんの料理が食べたくて、今も休みの日によく遊びに行きます」

小さい頃から美紀さんをかわいがってくれたというおじいちゃんとおばあちゃん、そしてご両親も、日野町に帰ってこいとは一度も言わなかったという。言われていたのは、「好きなところに行きなさい」。美紀さんにとってはそれがここ日野町だった。

看護師として働く美紀さんは、患者さんから「おっきくなったなー」、「今日も美紀ちゃんが来たわ」と言われるそうだ。松本という名字は日野町に多く、「あんたどこの松本だ」と聞かれて答えると、「ああ、あそこの娘か」と祖父の名前で話が通じることもあるという。
自分を祖父母の代から知っている人たちの中にいること、常に誰かが見守ってくれること。それは、安心できる反面、ともすると窮屈に感じることもありそうだが、美紀さんはその温かさに身を委ねている。

「これから看護師っていうかたちで何か恩返しできたらいいなって思ってます」

美紀さんは、「日野町で看護師をする」という自分なりの恩返しのかたちを見つけた。思いをかたちにする、そのかたちは色々あっていい。

 

「あなただったら、大丈夫」
受け取り、返して、循環する

美紀さんは現在、お父さんとお母さんと実家で暮らしている。お母さんとは、休みの日に映画を見に行ったり、買い物へ行ったりするほど仲がいいそうだ。取材当日、お母さんが同じ日野病院で管理栄養士として働いていると聞き、お母さんからも話を聞くことができた。

「試合で負けるのはいいんですけど、中途半端な負け方をするとすっごく腹が立ってね。もう応援に行かないぞって思うけど、また試合があるとつい行っちゃうんです」

お母さんは、休みのたびに県外で行われた美紀さんの試合のために、早朝に起きて送迎した日々を笑いながら振り返る。おっとりとした柔らかい口調のお母さんだが、ご自身も昔やっていたというソフトテニスの話になると熱が入る。

美紀さんが小さい頃、お父さんは単身赴任で、お兄さんとお姉さんは歳が離れていたため、美紀さんとお母さんは二人で過ごす時間が長かった。過ごした時間と関係性の親密さが必ずしも比例するわけではないが、ふたりを見ていると一緒にいた時間を感じずにはいられない。
それは、看護師になりたいと確信したのはいつですか?という質問に答えてくれたときもそうだった。今まで、自分のことばを持ちサバサバと受け答えしていた美紀さんの声がはじめて揺らいだ。

「看護学校の学費を払うためにお金を工面してくれているお母さんの姿を見て、思わず『ごめんね、ありがとう』と言ったんです。そうしたらお母さんが、『あなたなら大丈夫よ』って。看護師はいのちに関わる仕事だし、今までソフトテニスばっかりやってて、ぜんぜん勉強してこなかったから、自分にできるかなって不安があったんです。だから、母が自分を信じてくれたことが、すごく嬉しかったです」

仕事をしながら子育てをしていたお母さんにとって、美紀さんがしっかりと育ってくれたのは、いつも面倒を見てくれていた父方の祖父母の存在が大きいと話してくれた。

「おじいちゃんとおばあちゃんは、義務じゃなくて美紀を本当にかわいがってくれました。いつも『子どもっていうのは、かわいがってやるもんだよ』って言っていて。それを思い出すたびに、自分も孫をかわいがってやらないとなあって思うんです。当たり前のことなんですけど、言われなかったら気づいてなかったかもしれない。だから、今でもすごくありがたいなと思っています」

目を潤ませながら一言一言噛み締めるように話すお母さんを、美紀さんは隣で「また泣いてる」と呆れたように笑いながら眺めている。その目からは、ベタベタと距離が近すぎるのではない、お互いを信頼した安心感が伝わってくる。

美紀さんは、休みの日には姪っ子や甥っ子の面倒を率先して見ているという。祖父母がかわいがってくれた思いは、美紀さんのお母さんに、そして美紀さんにも自然と伝わっている。美紀さんは「恩返しをしたい」と言っていたが、彼女が人からの厚意を当たり前ではなくしっかり受け取って、今度は自分が返したいと素直に思える理由がわかった気がした。返す相手は、それを与えてくれた相手だけではないのだ。気持ちのよい循環に、胸が熱くなる。

美紀さんは、祖父母や家族をはじめ、小学校2年生から始めたソフトテニスの仲間や先生、先輩後輩、地域の人、たくさんの人に支えられてきた。そして彼女は今、日野町で看護師というかたちで恩返しをしている。同じように、今は日野町にいない人たちも、日野町で育まれてきたものを今自分がいる場所で返していけたら、それが故郷日野町を誇りに思うこと、日野町からもらった恩を返すことにつながるのではないか。

町全体が家族みたいな日野町で育った美紀さんは、今日も故郷日野病院でかわいがられながら、看護師として奮闘している。

(Special Thanks:景山享弘元町長)

鳥取県・日野町(ひのちょう)
教育と医療に力を入れている、人口約3100人の日野町。「日野町図書館」は、地域の人の集まる場所や店に本棚を置いて、本の貸し借りができる「よらいや図書館」を設置。また、町民の有志による「町民ミュージカル」は第17回を迎え、昼夜公演満席となるほど町民から親しまれている。「広報ひの」、各種チラシやイベント情報などを、日野町出身の町外在住者などに提供する「ふるさと住民票」制度など、故郷へ愛着を持てるような取り組みも積極的に行われている。

鳥取西部移住ポータルサイト「TOTTORI WEST」: http://tottori-west.jp

看護師として恩返し。「町のために」が受け継がれる場所<鳥取県・日野町>
看護師として恩返し。「町のために」が受け継がれる場所<鳥取県・日野町>
松本美紀さん まつもと・みき/1996年、鳥取県日野町生まれ。小学校2年生からソフトテニスを始め、高校では全国大会で優勝。高校卒業後、鳥取市内の看護学校へ進学。2018年、地元の日野病院へ就職した。現在は、地元のテニスクラブに入り、余暇でソフトテニスを楽しんでいる。休日は、近所に暮らす6歳、4歳、2歳の姪っ子と甥っ子の面倒を見たり、祖母の家でご飯を食べたり、母とイオンのある日吉津村へ買い物に行ったりして過ごしている。

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インタビュアー:中山早織
なかやま・さおり/1984年、東京都生まれ、鳥取県在住。助産師、看護師、執筆業。大学で心理学を学び、その後紀伊國屋書店勤務を経て、看護師、助産師となる。助産学校進学を機に鳥取へ移住。助産師として働く傍ら執筆活動を行う。寄稿:リトルプレスdm No.2「鳥取という場所で助産師をすること」
http://dm-magazine.com/book 
(更新日:2018.12.04)
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「決断」というと、ちょっと重い。自覚していない体験が重なり合って人は動くのかもしれない。鳥取県西部に暮らす9名の正直で小さな「ケツダン」を集めました。
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