INTERVIEW
  • 自生する木のように生きる人。<鳥取県・江府町>

鳥取県西部エリア

私の、ケツダン

「決断」というと、ちょっと重い。何かを決める理由なんて、きっとひとつではないから。流れる日常の中で、ふとした気付きが連なって、もしかすると自分でも自覚していない体験が重なり合って、人は動くのかもしれない。常套句ではない、正直で小さな頷きたち。鳥取県西部に暮らす9名のそんな「ケツダン」を集めました。

自生する木のように生きる人。<鳥取県・江府町>

鳥取県
徳岡優子さん
画家
居住地: 鳥取県米子市→京都府京都市→鳥取県江府町

水分をたっぷりと蓄えた灰色の雲に見下ろされながら、日野川に沿って国道181号を源流の方へと遡っていく。河原の石はだんだんと丸みを失い、ごつごつとした大きな岩へと変化していく。すると川向こうの山の上に、金棒を持った巨大な鬼の銅像が現れる。まるでこれから始まる長い旅が、摩訶不思議なものになるのを物語るような見送りを横目に、車は川沿いを離れて山道へ入る。そこではすでに細かい雨が降り始めていた。

「私の、ケツダン」と題された鳥取県西部の9市町村をめぐるこの連載も、今回が最後になる。だが、本当はこの出会いがスタートだった。ここから僕たちの長い取材の日々は始まった。僕たちはまるで希少な在来種を探す植物学者のように、その土地に根ざして、その人にしかできない生き方を模索し、実践する人を探していた。決して声が大きく、表に立つわけではないが、自分に正直に暮らす人たちを。そしてその旅の最初に彼女に出会えたことは、その後の進むべき方向を指し示してくれたように思う。

その彼女、徳岡優子さんを取材することにしたのは、彼女の「自然」についての考えに触れてみたいと思ったからだった。彼女は山間の村でひとり暮らしをしながら絵を描いている。そして自然農法と呼ばれる「耕さない、草取りをしない、肥料を与えない、農薬を使わない」という方法で農業も営んでいる。自然と芸術、このふたつが彼女の中でどう結びついているのか、そのことを聞きたいと思った。

写真・文:波田野州平

すっぽり収まった、
“昔話”のような生活

徳岡さんの家の前に着き、車を降りると、道路を沢蟹が横切った。さっきの鬼といいこの沢蟹といい、川だけではなく時間をも遡ってしまったような感覚になる。

出迎えてくれた徳岡さんは、傘もささず、パーカーのフードを被っただけで顔はよくわからなかった。急な坂道をすたすたと歩く徳岡さんの背中はすぐに見えなくなり、「こちらです」という声だけに導かれ、玄関を横切り家の裏へまわる。するとそこには七輪で何かを焼いている徳岡さんがいた。その何かをよく見てみると、それは砂鉄のようなものがびっしりとこびりついた鉄瓶だった。

「薪だから煤で何もかも真っ黒になっちゃうんです。だから触ったらだめですよ」

徳岡さんはそう忠告すると、他の鍋も見せてくれたのだが、どの鍋も全てが煤で覆われていた。そう、この家にはガスが通っていないのだ。彼女は三度の食事を屋外に置かれたこの七輪に、そこら辺で拾った木をくべて作っているという。
やはり知らないうちに昔話の時代に遡ってしまったのだ、と自分の生活とのギャップを埋めるために、そう言い聞かせながら家の中へお邪魔する。そこで初めてちゃんと見つめた徳岡さんは、いたって普通の「徳ちゃん」とでも呼びたくなる、爽やかな女性だった。

徳ちゃんはその後も自家焙煎のコーヒーを自分で縫ったフィルターで淹れてくれたり、自分で育てたとうもろこしで絶品ポップコーンを作ってくれたりと、見ず知らずの僕たちを快く迎え入れてくれた。次々と現れる「自分で作ったものたち」を前に僕は改めて、今の自分の生活がどれだけ「誰かの作った既製品」に囲まれた生活なのかと思い知らされる。

彼女はその後もせわしなく動き、最近住み着いたという二匹の猫が机の上を駆け回るのを叱りながら、そこら辺の石垣に生えているお茶の葉を発酵させて作ったという紅茶を淹れてくれる。ようやく家の中が落ち着いたところで、僕はやはり「何でこんな暮らしを?」という疑問からインタビューを始めた。

「よく聞かれるんですけど、思い出してみても本当にわからないんです。小さい頃から遊ぶといったら、その辺の草花をすりつぶして汁を取ったり、そんな遊びばっかりしてたので、その延長なのかなと思ったりもするんですけど。でも、この家があったからかな」

徳ちゃんが2歳の時、この家にひとりで暮らしていた母方の祖母が、徳ちゃんたちの住む米子市へ降りてきた。それから26年間空き家になっていたこの家に、京都の大学から戻ってきた彼女は、10年前から住み始めたのだという。

「ここは、いつか私が来るために、何代にも渡っていろんな準備をしてくれてたのかなっていうくらい、ぴったり収まってるんです。意気込んで、『田舎暮らしするぞー!』みたいなのじゃなく、当たり前にここだろうというところに、すぽっと入ってる状態なんですよね」

彼女の話を聞いていると、窓の外で何かが動いた気がした。それは雨で濡れた森の緑を背景に立ち昇る、白い煙だった。外の七輪はまだ薪を燃やし続けている。そして、僕は今まで一度も身近に煙のある生活をしたことがないのに気づく。それは僕だけではなく、現代のほとんどの人がそうだろう。

「やっぱり私は都会の暮らしができないんだと思うんですよ、性質として。だって都会だと、柿とか食べて種をぺってできないし」

煙から目を移し、壁に貼られた星野道夫が撮影した北極熊のポスターを見る。もしかしたら彼女がこの暮らしをする理由は、北極熊に「何で北極で暮らすの?」と聞くのと同じで、理由を聞かれても答えられないくらい、自然と適正な場所に収まっている結果なのかもしれないと思う。

 

私たちが生まれた意味を
問いかける“呪い”

「中学生の頃に、絵を描きながら自給自足の生活をしたいって思ったんですけど、それが何でだったかはわからなくて。たぶんどこかで、きっかけになるようなものを見て、そこから何かを受け取ったからだと思うんです。私はその何かを『呪い』と呼んでるんです。でも、何を見てこうなったのかは、自分でもわからない。米子の美術館で見た、よく分からない絵とか、そういうものが心に残ってたからなのかもしれないし」

そう言って、彼女は奥の部屋から自身の絵を持ってきてくれた。そして包んである紙を取ると、そこには黒い粘菌のようなものがびっしりと這っていた。

「自然を見てたらわかるけど、汚いものもきれいなものも、どっちもあって美しいってことだと思うんです。全部混ぜこぜで一緒にして、それを美しいってできないかなって思って絵を描いてます。

自然がすごく好きだったので、高校の時は環境保護に役立つような研究をする大学に行きたいなと思って、理系を専攻してたんです。でも途中で、環境を良くするって、技術じゃなくて“人の心”だろうなって思ったんです。人の心に働きかけるには、絵を描く方が有効だな、その方が役に立つなって思ったんです」

今、目の前にある彼女の絵と、彼女の言う「有効」や「役に立つ」という言葉がうまく結びつかない。もしかしたら彼女の言う「役に立つ」とは、普段僕が「便利」や「助かる」という意味で使っている「役に立つ」とは、まるで違う意味なのかもしれない。などと考えていると、話は突然、大きく飛躍する。

「『人間ってどういう存在だろう?』というのが、私がずーっと知りたいことで、気になってたんです。動物や植物や虫を見てたら、私たち人間って本当に変わってるなって思うんですよね。こうやって出会って、話して、意識を持って、何かを思い出したりもして。『私たちって何だろう?』っていう本当に根源的な問いですけど、それをずっと考えてるんです」

もう一度、彼女の絵をよく見てみる。するとそこに描かれていたのは、線ではなく小さな丸の集合だった。墨で描かれたとても小さな泡のような丸が無数に連なり、何か大きな全体を形作っている。

その絵を眺めていると、また「何で?」という問いが浮かんでくる。何で彼女はこういう絵を描いているのだろうかと。描かれた絵を前にして、僕は絵ではなく彼女のことを考えてしまう。

高校生のときに読んで影響を受けたという本、『無Ⅲ  自然農法』(著・福岡正信)

「私の絵を見て、『私たちって何だろう?』ってことを突き詰める人が増えていけばいいなと思ってて。それが、人間の存在する意味や、世界の存在する意味に貢献することなのかもしれないなって思ってます。全然何の食い扶持にもならない話だし、そんなこと考えずに生きて死んでいくことなんてすごく簡単だと思うんです。でも、そこに突っ込んでいくことが、私たちが何のために生まれたかってことにつながるような気がして」

彼女が言うように、「そんなことを考えないで生きて死んでいくことなんてすごく簡単」なのかもしれない。でも僕はこの絵を見ながら、「何で彼女はこの絵を描いたのだろう?」と考えていた。それは、「人間とはどういう存在なのか」という、とても大きな問いにつながる道の、最初の入り口に立つことになるのではないだろうか。そんな巨大で漠然とした難問に立ち向かうための具体的な入り口として、絵画は、そして芸術は存在する時がある。そして、誰かがその入り口に立った時、彼女は自分の絵が「役立った」と思うのではないだろうか。

「私は、気づかないうちに誰かからもらった、こんなヘンテコな生活に流れ込んでいったきっかけの『呪い』を、今度は誰かにかけたいなって思って、それで絵を描いてるんです」

彼女の絵を眺め、あれこれと巡らせていたその考えのひとつひとつこそ、彼女が言う「呪い」という言葉の具体的な形のことなのだと、ようやく腑に落ちた。

自分の人生を乗りこなすことは、
本来、誰もができる

「本当はもっと雑草が茫々で、鬱蒼としてたんですけど、この取材があるからってお母さんが刈っちゃったんです」

家の周りや、畑に向かう道中のきれいに刈られたあぜ道を通るたび、徳ちゃんはまるでそれがよくないことのように何度もつぶやいた。あまりにも残念そうに言うのが可笑しく、彼女はよっぽど自然のありのままの状態が好きなんだなと思う。そうして案内された田畑には、黒米や緑米といった聞きなれない作物が実っていた。彼女はここで収穫した作物をファーマーズマーケットで販売して、生計を立てている。

「この山の家で、制作しながら自給自足の暮らしがしたくって、その生活を維持するためにとりあえず農業で収入を得ようと思ったんです。でも一時期は夏場なんか1日12時間とか農作業をしてて、今思うとアホなんじゃないのって思うんですけど。だんだん“働き者の農家さん”みたいな感じになってきて。でもそれは違うなって。私は農家になりたかったわけじゃないんだから、10年目で引退しようって決めて、ちゃんと絵を描こうって思ったんです。本当にやるべきことを試さなきゃいけないなって」

そんなに農作業に時間を取られて絵が描けないのなら、わざわざ手間がかかり、収穫の少ない自然農法をなぜ選んだのだろうか。僕は話を聞きながら、そう思わざるをえなかった。すると徳ちゃんは、この2年間おこなっている菜食について話し始めた。

「今、実験的に菜食してるんです。これも『人間ってどういう生き物だろう?』ってことなんですけど。それを自分なりのやり方で、私なりにいろいろやってみてるところなんです。ただ、今の所は良い効果より悪い方に行ってるかな。少食も、実験的に減らしているんですけど、でもそれで痩せたらいけないんだけど、痩せてるからどういうふうにしたらいいかなって」

そう言って、彼女は素直にうまくいっていないことを告白する。しかしその後に「現時点では」と続けるのだ。もしかしたら彼女にとって、今の暮らし方も、自然農法も、そして菜食もすべてが現時点での実験であり、彼女が求めているのは失敗も含め、そこからしか得ることのできない経験と実感なのではないだろうか。

「自分の心や身体を、自分のものとして乗りこなして生きるって、本当はみんなできるんじゃないかって思うんです。何かに流されたり、惑わされたりしないで、自分自身を生きていく。私はそれが本当にできるかを、一個一個確認したいんです。そうじゃないと腑に落ちないから。
絵を描くって、そうやって試行錯誤して、見たものや経験したことを自分の中で熟成させて、発酵させて絵にするわけなので。それが力を持つかどうかって、私がどういう人になれるかにかかってるんですよね」

「自分自身を生きる」とは、自分に正直に生きるということだと、彼女を見ていて思う。どうしたら自分の心や体に素直になれるのか、彼女が試行錯誤しながら試しているのは、ただそのひとつのことなのではないか。

「でも、昔はもっともがいてました。あれも違うこれも違う、全部違うみたいに。もっと素直に生きたらよかったなって思います。だから今は、何も言わずに探求するしかないと思ってやってますね」

彼女に畑を見せてもらった時、最も印象深かったのは、自然農のその方法よりも、稲の間に生える星のような雑草を教えてくれた姿だった。
その時の彼女は「自然って何?世界って何?」と問うのではなく、そこに生える雑草の美しさにただ素直に感動していた。

その姿を見ながら、彼女がうまく答えられなかった、この場所でこの暮らしを選んだ理由も、ただ自分の心や体に素直に生きた結果なのだろうなと思った。

徳ちゃんのひいおばあちゃんの写真。100年近く前に撮影されたその場所に、今徳ちゃんは暮らしている。

祖父母が残した古い家にひとりで暮らす彼女を「孤独」と思う人もいるだろうか、それともそうではなく「自立」と言った方が適切だろうか。裏庭にある大きな木の前に立つ彼女を見ながらいろいろ思いを巡らせていると、ふと「自生」という言葉が浮かんだ。

何にも依らずに生きることができる人がいるのか、今の僕にはわからない。ただ、今の彼女はそれすらも試そうとしているように思える。彼女のその姿を見ていると、人の生き方や生活とは、誰かに憧れたり、誰かの真似をする必要などなく、僕は僕、あなたはあなた、その人だけのものということを強く感じさせられる。そして、その僕とあなたを分ける距離は、決して寂しい距離ではない。

僕は彼女のような暮らしを実践することはとてもできないと思う。僕と彼女の生き方は違う。でも、この山の中にそうやって暮らす人がいるということを知るだけで、勇気がわく。この山に自生するその木のような姿を、僕はこれから何度も思い出すと思う。そうすることで、自分は自分の場所で強く根を張ろうと思えてくるのだ。

徳ちゃんが幼少期遊びに来ていたときには生えていたという、裏庭に自生する樫の木。10年ほど前に越してきたときには大木になっていたそう。

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私の、ケツダン
「決断」というと、ちょっと重い。何かを決める理由なんて、きっとひとつではないから。流れる日常の中で、ふとした気付きが連なって、もしかすると自分でも自覚していない体験が重なり合って、人は動くのかもしれない。常套句ではない、正直で小さな頷きたち。鳥取県西部に暮らす9名のそんな「ケツダン」を集めました。 >>その他の記事はこちらから。

自生する木のように生きる人。<鳥取県・江府町>

鳥取県・江府町(こうふちょう)
町名の由来は、「河川(江)が合流して中心(府)となす」と言われ、広大なブナの原生林から育まれる豊かできれいな水が有名で、大手飲料メーカーが複数進出しているほど。この「水」と、大山特有の「黒ぼく土」、そして高原地帯の冷涼な気候を活かして稲作に力を入れており、お米はもちろん、白ネギ、トマト、こんにゃく芋、ブルーベリーなども人気がある。また、米子自動車道江府ICがあり、自動車でのアクセスも良好。

鳥取西部移住ポータルサイト「TOTTORI WEST」: http://tottori-west.jp

自生する木のように生きる人。<鳥取県・江府町>
徳岡優子さん とくおか・ゆうこ/鳥取県米子市生まれ。高校卒業後は京都の大学で映像を専攻するが、卒業制作では絵画を制作。大学院を中退して、26年間使われていなかった鳥取県江府町の祖父母の家に移り住み、自給自足生活を始める。絵画の制作をしながら、自然農法で作った作物をファーマーズマーケットで販売している。今ではイノシシの解体もできるまでに。アイヌ犬のポウや猫たちと仲良く暮らす日々。

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インタビュアー:波田野州平
はたの・しゅうへい/1980年、鳥取県生まれ、東京都在住。現地調査をもとに土地の歴史や風俗を掘り起こし、映像や写真を使って新たな視点を提出する作品を制作している。2018年より鳥取県の高齢者を対象に、個人的体験の語りを映像で記録する「私はおぼえている」をスタートさせる。http://shuheihatano.com/
(更新日:2018.12.06)
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