特集 私の、ケツダン

“のんき”と一緒に生きていく。髪を切る、その向こうがわにあるもの。 <鳥取県・大山町>

「流れに身を任せて、プカーンって漂っているだけ」

そう言って、八重歯を覗かせて笑う高見法子さん。口から出ることばはユーモアに溢れているが、その笑顔の奥にはかつて揺らいだ感情が垣間見えた。

美容師として仕事に没頭し、自分が頑張ることで強く生きてきた20代を経て、結婚し、出産し、子育てをしていくうちに、その都度やわらかく変化している。

人に頼るのが苦手で、つい自分を守る硬い鎧を着込んでしまう私は、高見さんと一緒にいると少しだけ肩の力を抜くことができる。それは、3歳年上の高見さんが、人として女性として常に私のちょっと先を歩いているお姉さんだからだ。そんな高見さんから滲み出る“気持ちのよいのんきさ”を紐解いてみた。

写真:波田野州平 文:中山早織

「親のそばにいられたら」という想いは、
親の希望ではなく、私の都合だった

2階の窓から。「夜は、海側に漁火、山側は星がよく見えるんです」と、高見さん。

2階の窓から。「夜は、海側に漁火、山側は星がよく見えるんです」と、高見さん。

鳥取県大山町(だいせんちょう)と聞くと山を想像する方が多いかもしれないが、高見さんの住む家は海からほど近い塩津という場所にある。海風を受けてゆっくりと回る白い風車を背に、赤い瓦屋根の家が立ち並ぶ細い道を歩いて行くと、石垣に囲まれた大きな日本家屋が見えてくる。

この家の一角に、2017年9月、「ヘアサロン タカミ」は生まれた。ここに美容院があることを、通りすがりの人は気付かないだろう。「ヘアサロン タカミ」は高見さんご自身と同じように、ぐいと目立ちはしないが芯を持ってその場にじわりと根を張っている。

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島根県の津和野町出身で、学生時代と結婚するまでの期間を山梨で過ごした高見さんは、結婚を機に夫の故郷である鳥取へ移り住む。夫の祖母が一人で住んでいた大山町のこの家に、現在は祖母と夫、二人の子どもと共に暮らしている。

私と高見さんの出会いは3年前で、彼女のお腹の中には第一子がいた。その頃、この家は土間が広がる純日本家屋だった。延々と続く畳の部屋の隅に置かれたこたつで、高見さんや友人たちと毛布をかぶって肩を寄せ合いながら話をしたものだ。今はリフォームされて、フローリングの室内に薪ストーブがあたたかい。

私自身、東京から鳥取へ来て早5年。古民家に住むことは、古い家に住むことが目的なのではなく、あくまでも暮らしてくための手段なのだと感じている。住む人が自分たちの状況に合わせて変化させていく————こういう新しい古民家暮らしもいいものだなあと、少し寂しさも感じながら木の匂いのするリビングを目を細めて眺めた。

寺の一人娘として生まれた高見さんは、ゆくゆくは実家の津和野に帰るつもりでいた。山梨で出会った夫に、その思いを伝え同意の上でつき合いだした。

「お寺を継ぐというよりは、私は一人っ子で親が高齢だから、介護とか看取るのもそう遠くはないと思っていて、だから親の近くにいられたらなっていうのを思いはじめた時期だった」

しかし、状況は大きく変化する。

「夫のご両親から、『鳥取に1回遊びにおいでよ』と言われて行ったら、蟹料理の席が用意されていて、『で、結婚はいつにする?』となって……。それで、プロポーズも何もないまま、結婚が決まっちゃったんです(笑)。
私の両親も、『自分たちのことはいいから、相手の気が変わらないうちに早く嫁に行け』って。私は父親が45歳の時の子どもなので、当時二人は70代後半だったのかな。だから嫁げば安心というか、自分たちのせいで娘を縛りたくないという思いがあったと思う。

そのとき、近くにいられたらなっていうのは、親のためだと思っていたけど、実はそれはむしろ私の都合であり、私の希望だったんだってことに気がついて。だってここ鳥取から島根の親を介護するとなると大変だし、近くだったら自分が楽だから。
本来の私は、どこでも住めば都なので、地元もお寺もすごく好きだけど、離れるということにも実はそんなに抵抗がなかったなって」

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親の老いを目の当たりにし、近くに自分がいられないことへのもどかしさは、私も常につきまとう。「あなたの好きにしなさい」、と言ってくれる母のことばのうしろに広がる思いを想像して、少し涙が出そうになった。

「もともと、結婚はしてもしなくても楽しいだろうと思っていました。でも、結婚が決まって結納あたりで、『もしかして私好かれてる? 認められてる?』って初めて実感して。それには自分でもびっくりしました(笑)。

新婚旅行で行った石垣島の船着き場で、夫がちょっとトイレに行ってくると荷物を置いてふらっと出て行って。そのときにふと、『ああ、このまま待っていても、きっと戻ってくる。って思えるっていいな』って思ったんです。戻ってきた夫にそれを話したら『今までどんな恋愛してきたの?』と可哀想がられちゃいましたけど(笑)」

他の人からみたらなんてことのない、流れていく日常の中でのふとした瞬間の気付き。こういう瞬間が、実はあとから振り返ってみると自分の意識が変わっていく転機だったりする。小さな気付きの積み重ねが、今高見さんが鳥取にいることに繋がっているのだと感じた。

私が頑張る、を手放して
人に委ねると「うまくまわる」

結婚当初は、米子市のアパートを借りて街の美容院に勤めに出ていたそうだ。夫が仕事を辞めたことで、夫の祖母の住む大山の家へ移り住むことになるが、最初は戸惑いもあったという。

「私が頑張るからアパートにいたいって思っていました。大山の家には1、2回しか来たことがなかったし、おばあちゃんもおられるし……。とはいえ、金銭的にしょうがないね、となって。夫は家の2階を私たちが住めるように自分でリフォームして、生き生きと『おれ、大工になればよかった!』とか言っていて。のんきでいいなと思いながら私は働いていましたけど」

私は人に頼ることが苦手だ。親や誰かの手助けを素直に受け入れられず、つい自分でやろうとしてしまうが、高見夫妻は「かじれるスネはかじる」と、にこやかに言い放つ。その姿がむしろ格好いいなと思う。昔は頑なだったという高見さんがそう変化していったのはなぜだろうか。

近所の保育園へ長男の耕生くんをおくるのは、旦那さんの滋さん。

近所の保育園へ長男の耕生くんをおくるのは、夫の滋さん。

「一番の理由は、夫が、彼のお母さんも言っているように、“のんきが服を着て歩いている”ような人だからですね。例えば、誰かに『何かをしてあげる』と言われた時に、私は自分の親でも義理の親でも、『大丈夫です!』って反射的に断っちゃうけど、彼は『ラッキ〜!』『やった〜!』って言う。最初は、『何この人? 』と思ったけど、その方がなんだかうまくまわるんだよね。私も、高見家の中では、それができるようになってきた。彼は、親子間だけでなく他の人との間でもそういうのがうまいから、見習いたいなと思う。してもらったことは心に残るから、何かのときに今度は自分がしてあげよう、って思うしね。

大山の家に来た最初の日に、おばあちゃんが『お互いのペースでやろうね』と言ってくれて、一気に楽になった。サバサバしていて、めっちゃいいばあちゃんなの」

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関係を清算しないで“前向きな負債感”を持つことは、私も鳥取に来てから学んだ。 借りを作ることで、おたがいさまの気持ちが生まれて相手に優しくなれる。人に世話になることを拒むのは、逆に誰の世話もしたくないという自分の表れだったのかもしれない。ふらっと立ち寄ることが苦手な私が、唯一高見家にはふらっと立ち寄れるのは、そんな高見さんの“気持ちのよいのんきさ”に触れると、自分の中にある硬い部分が緩まるからなのだと思った。

子育てと折り合う働き方
———「ヘアサロン タカミ」のできるまで

鳥取へ来てからも、12年間働いた山梨の美容院へ毎月1週間は働きに行っていたという。3週間は鳥取で、1週間は山梨で仕事に励む生活。そんな高見さんに転機が訪れたのは、長男を妊娠したときのこと。切迫早産となり、予定していたよりも2週間早く里帰り先の津和野へ帰らなければならなくなった。

「ギリギリまで働きたかったから、結構荒れてました。頭ではわかっている。子どもを優先させなきゃいけない、一人の身体じゃないって。でも自分のお客様に、この日までやると言っていたのに、バーンとその2週間がなくなるのはとても不誠実な気がした。今までは自分が頑張りさえすれば解決できたし、体感としても別にしんどいわけじゃないから、『わたしできるよ』って思うのにそれを諦めなきゃいけないのはやっぱりすごく……悔しかった。お客様に手紙を書いて、すみませんって言うしかできなくて。帰っちゃえば帰っちゃったでね、安静という名のもとにぐうたらしてましたけど(笑)。

ロールプレイングゲーム的にいうと、今までは自分一人だけが主人公というか勇者だったのが、子どもが勇者になることもあるんだなという感じ。それならその時は、私は僧侶あたりでいいのかな、と徐々に切り替わっていきました」

 
長女の知歩ちゃん。生後3ヶ月半の知歩ちゃんは、日に日にお兄ちゃんの耕生くんに似てきているそう。

長女の知歩ちゃん。生後3ヶ月半の知歩ちゃんは、日に日にお兄ちゃんの耕生くんに似てきているそう。

この話を聞いて、私はとても驚いた。当時、早めに産休に入ることを笑顔も交えて話している高見さんの様子を見る限り、その事実をスッと受け入れているように見えたからだ。でもよく考えたら、そんな単純にいくわけがないよなとハッとして、口の中に苦い味が広がった。

女性は、妊娠することですぐに母親役割へとスイッチが切り替わるわけではない。端から見ているとその変化がスムーズに見えたとしても、その裡で沢山の葛藤と折り合いをつけている。「母親だからこうしなければ」と自分を律し、思いを素直に表に出せず、一人苦しむ女性たちを、私は何人も見てきた。少しためて、息を吸い直してから口にした高見さんの「悔しかった」ということばに、その時の思いが滲んでいた。助産師として働く私は、こういう女性たちの目には見えない悔しさや小さな決断に寄り添っていかなければいけないと改めて感じた。

鳥取県へ移り住む時、山梨県で参加していた地域団体の方々からもらったという寄せ書き。

鳥取県へ移り住む時、山梨県で参加していた地域団体の方々からもらったという寄せ書き。

産後2、3カ月で仕事復帰をするつもりだったという高見さん。しかし、出産を経験し成長していく我が子を見ているうちに、この成長の一瞬でも見逃したくないと思うように変化していったという。

「この先ずっとハサミを置くか、美容師をやめるかと言われたら、私はやりたい。でも、勤めに出ることと子育ては、すごく折り合わない。残業なしで土日を休める美容院もあるけど、私は現場に出たら絶対に仕事をしたくなるし、残業だってしたくなる。『18時だけどお客様を入れてもいいか』と聞かれたら、受けるって言いたい。でも、そうしたら子どもは見られなくなる———。

その時に初めて、自宅の中にサロンを作ることを思いついたんです。それから、家族も応援してくれて、半年後には店をオープンしました。子どもがいなかったら、絶対に自分ではやらなかったですね。お客さんは、1日1組から2組ぐらいです。育児から切り離される時間はある意味息抜きにもなるし、社会にも必要とされている感じがします。子どもは見たい、仕事はしたい。両方のいいとこ取りができるのがありがたいです」

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髪を切ることの向こうがわにあるもの

お店を始めて地域のおばあちゃんと一対一で話せるようになって、より地域に入れた感じがしているという高見さん。外から来た者にとって、地域の方との関係性をどう築いていくかはなかなか難しいテーマだと感じている。一体どのような関わりから始めたのだろうか。

「こんなに小さい、30軒くらいの集落でお店をやる以上、まずは地域の人に好かれたいと思いました。地域の寄り合いに顔を出して、プレオープンの1週間は、地域の方向けに半額でやるので来て下さいってメニューを配って。おばあちゃんたちの口コミで、その後も来てくれる人がいます。『歩いて行けて嬉しいわ』って言ってくださる。

オープンして間もなく、100歳近い要介護の方のお宅へ髪を切りに伺ったんですが、その2週間後にその方は亡くなられたんです。最後にカットさせてもらえて、少しでもお役に立ててよかったなあと思いました。その後、ご家族の喪服の着付けもお願いしてもらって。こういうことがあると、地域に入れていっている実感が少しずつでてきますね。

でも、これは私の力ではなくて、うちのおじいちゃんやおばあちゃんがこの地域でやってきたことのお陰なんです。年配の方はみんな『ふみえさん(祖母)のところでやっている美容室』って言うんですよ」

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地域のために何かやるというよりは、誠実にやっていることでそれ以上のことがついてきている。街に勤めに出て、家に寝に帰るだけでは得られなかった、地域の中で生きる、生かされているという実感に胸を打たれた。

「先に目指す何かがあって、それに向かって進んでいくというのが苦手なんです。目の前にあることを見て、じゃあ今はこうしてみようかという感じ。遠い先をあんまり見られないんです」

未来は、今の積み重ねだ。結婚して、子どもができて、その都度自分の思いに正直に向き合い、カクカクとではなく流れるようにしなやかに、“のんきさ”も携えながら形態を変えていっている。出会った頃とはまた違う今の高見さんが、私は改めてとても好きだと思った。

鳥取県・大山町(だいせんちょう)
『出雲国風土記』では「大神岳」と記され、古来山岳信仰の対象となってきた、大山(だいせん)。そんな中国地方の最高峰を有する大山町は、鳥取県西部に位置し、人口およそ17,000人ほどの町。ここで暮らす人々は、天候や季節によって大きく表情を変える大山と共に生活している。また、海にも面していることから、山と海の双方の幸が楽しめる。

鳥取西部移住ポータルサイト「TOTTORI WEST」: http://tottori-west.jp

“のんき”と一緒に生きていく。髪を切る、その向こうがわにあるもの。 <鳥取県・大山町>
“のんき”と一緒に生きていく。髪を切る、その向こうがわにあるもの。 <鳥取県・大山町>
高見法子さん たかみ・のりこ/1981年、島根県津和野町生まれ。山寺の一人娘として高校まで津和野で過ごした後、山梨県都留文科大学国文学科に進学。アルバイトがきっかけで、大学在学中に通信で美容専門学校へも通い、大学卒業後美容師の資格を取得。山梨で美容師として働く。結婚を機に夫の故郷である鳥取へ移住、米子市内の美容院勤務を経て、2017年大山町の自宅に「ヘアサロン タカミ」を開く。二児の母。読書と音楽が趣味。
https://takami-hair.amebaownd.com

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インタビュアー:中山早織
なかやま・さおり/1984年、東京都生まれ、鳥取県在住。助産師、執筆業。大学で心理学を学び、その後紀伊國屋書店勤務を経て、看護師、助産師となる。助産学校進学を機に鳥取へ移住。助産師として働く傍ら執筆活動を行う。寄稿:リトルプレスdm vol.2「鳥取という場所で助産師をすること」
http://dm-magazine.com/book
(更新日:2018.10.26)
特集 ー 私の、ケツダン

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「決断」というと、ちょっと重い。自覚していない体験が重なり合って人は動くのかもしれない。鳥取県西部に暮らす9名の正直で小さな「ケツダン」を集めました。
“のんき”と一緒に生きていく。髪を切る、その向こうがわにあるもの。 <鳥取県・大山町>

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